山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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死ねば、分かる。~本当にその通りですから。~

2014年09月01日

死ねば、分かる。~本当にその通りですから。~なんともぶっきらぼうで、縁起でもない表現の
今日のブログのタイトルですが、
僕は自分自身の身の回りに起こることに関しても
ナカトリモチの活動でお会いする方に起こることに関しても
全て、この「死ねば、分かるから。」という気持ちで
大局的に物事を見据える習慣を身に付ける
大切さを毎日のように実感しています。

今日は、午前中、土地家屋のお祓いの仕事があり
先ほどまで県内の、あるお宅の工事現場まで出かけていました。

依頼主の方が、これまで生まれ育った家を取り壊し、一旦、更地にして、
そこからまた新しい家を建てられる・・・ということで、
土地の井戸を埋め立てる前のご挨拶と、
今後、新しい建物にするためのご先祖様へのご報告を兼ねて
今回のお祓いの依頼をされた経緯がありますが、
今日、その途中で僕の口から飛び出した言葉が、
件の、「死ねば、分かりますから。」というものでした。

これまで建っていたご先祖様から受け継がれてきた家を取り壊し、
そこに新しい建物を建てる・・・という選択肢は、
心ある人なら、必ず「果たして、これで良かったのだろうか。」とか
「ご先祖様たちは、許してくれるだろうか。」と考えてしまうものです。

それに加えて、沖縄の土地家屋のお祓いの際に
よく直面する問題、相談の1つに、
「自分たちは大丈夫なのだけれど、周囲の親戚たちが
実家を取り壊すことや、仏壇、位牌の場所を他のところに移すこと、
別の場所で生活することなどに猛反発したり、
口うるさくあれこれ言って面倒なことになる。」という
本当に厄介な問題があります。

今回のケースも、
母屋を取り壊し、仏壇位牌を他の地域に移すことを
本人たちではなく、周囲の親戚たちが猛反発して
取り壊し工事などを中断させてしまうほどの執着ぶりだったそうです(汗)

先祖代々守ってきた大切な土地、家、仏壇、位牌。

それをしっかり大切にしていきたい・・・という想いは
勿論、愛情表現の1つなのかも知れませんが、
それに拘り過ぎたり、執着することによって
周囲の人を巻き込んでまで、相手を責め続けたり、
迷惑をかけたりするのは、どんな理由があろうが、
愛情表現の方法を完全に間違ってしまった
ストーカーなどと全く一緒だということ。

特に沖縄には、仏壇や位牌は守らなければいけない。
母屋にある仏間を残して、親戚が集まれるようにしておかなければいけない等と
その継承問題や周囲の頑固な親戚問題で悩む、
次世代の若い人たちからの相談が多く、そのことで自由に動けない
もどかしさを抱えている人たちが多いのも事実です。

仏壇、位牌、それらの問題のことについては、
このブログで何度もお伝えしてきた通りなので
ここでは詳細について触れることはしません。

*「古い井戸とご先祖様のメッセージ。」
*「仏壇を燃やす。」
*「楽しくない行事なら、やるな!」
*「枠を超える勇気を持つ。」
*「供養の仕方。」

この世に生れてくる魂は、
それが同じ血を分けた家族であろうが親戚であろうが、
魂は全く別物でもあるので、
人によって生きる価値観も、方向性も考え方も全く違うもの。

ましてやそれが、土地や家やお金が絡むことなら、
その違いで骨肉の争いに発展することもよくあり、
「こちらが正しい!」「いやっ、こっちのほうが正しい!」と
どちらも自分たちの主張だけで折り合いがつかず
感情的にも精神的にも疲労困憊してしまうほどの厄介な問題が
意外なほどよく起こっているものです。

これも、未熟な人間同士が学び合うという意味では、
当たり前の現象なのかも知れませんが、
出来れば、そんな下らない程度の低い争いからは
なるべく早めに離れて、心穏やかに生きていったほうが
確実に幸せになれると思います。

霊的世界の価値観からお伝えすると、
土地や家を守り続けて、それに拘ること、執着することに
何の意味もなく、むしろ、それで他の人たちや
後世の人たちに迷惑をかけることがあるのであれば、
それは由々しきことであり、
その人がまた、この世の人間での命を終えて
霊的世界に戻った時、まじまじと、明確に、痛々しいほどに
その間違いに気づかされ、大恥をかいて反省することになります。

僕が土地家屋のお祓いなどで、
その土地で暮らしていたご先祖様たちが、
「自分たちが生前、ここをしっかり守って仏壇位牌を大切にし、
それをしっかり受け継いでいかなければいけないと後世の子孫たちに
伝えてきたこと、取り消したいほど恥ずかしい間違いをしてしまった。
謝っても遅いけれど、どうか、そんなことにはこだわらず、
自由に、それぞれの責任で、この世を生きて欲しい。」と
子孫に合わせる顔もないほど、自らの過ち、間違い、執着を恥じて
伝えてくるケースが、沖縄でもよくあります。

この世を生きている時は、
「仏壇位牌を守ること、実家を受け継ぐことが絶対に正しい!」と
頑固なまでにそれを固持して、周囲の人にもそれを押し付けて
迷惑を顧みず生きてきた人たちも、
やがて寿命が来て、あの世に戻り、未浄化霊となって
うようよ彷徨ったとしても、その後は、長い時間かけて
必ず、何かしらのキッカケで本来の霊的世界に戻るタイミングが訪れるものです。

その時、全ての真実が分かります。

その本人が正しいと思ってやり続けてきたことが、
実は周囲にとってはマイナスのことで迷惑をかけることになってしまっていたこと。

ずっと表面的な部分しか見ずに生きてきて、
色々な人を誤解して恨み続けたり、誹謗中傷し続けたり、
嫌がらせをしてきたような場合も、
その誤解が全て解けて、自らの過ちに気づかされるようになります。

その時の赤っ恥ぶりというか、魂の痛みというのは
半端ないほど辛いもので、むしろ、こういう経験こそが、
生前、頑固に生きてきた人たちが死後の世界で学ぶべき課題の1つであり、
魂がよりよい状態に浄化する通過点でもあるので、
全ての誤解は、死ねば解けますし、死ねば全ての真実が理解できるようになります。

そう、この世で起こる様々な誤解や意見の食い違い、
争いの種なども、何が原因で、その時、どう向き合っていけばよかったのかなどは、
この世で生きている未熟な人間同士が判断するには限界があり、
その物事の善悪の区別をつけるのは難しいのですが、
霊的世界では、全てが明らかになり、真実が分かります。

だから、死ねば分かるのです。

じゃ、死ねば全てが分かるのなら、自らの命を断ったり、
寿命を早めてしまう自暴自棄のような生き方をして
一刻も早く、あの世に旅立てばいいのか・・・というと、
これも言語道断です。

その間違いが、いかに大変な間違いであるのかは、
やはり、死んだあとに分かることでしょう。

逆に言えば、この世の人間は、
与えられた寿命の限り、それがいつまで続くか分からないからこそ、
とにかく誠実に、一生懸命、今という時間と向き合って
生きていくしか方法がないのです。

価値観や生きる方向性が違うが故に、
色々な誤解をされて、誹謗中傷や嫌がらせを受けたり、
色々な迷惑をかけられてしまう側は、
それはそれは、やるせない気持ちになります。

僕の場合は、「この分からず屋どもめ!」と強い怒りと共に
そういう人として残念な生き方をして邪魔をしてくる人たちに対し
それはそれは嫌な感情を抱くものですが、
最終的には、霊的世界の真実を感じて、こう思います。

「本当にどうしようもない分からず屋どもでも、
死ねば、そのうち全てが分かるから。」と。

だから、この世で生きている間中、
たとえ、どんなにこちらが正しい動機、誠実な生き方で生きようが、
批判する人は批判するし、嫌がらせをしてくる人は嫌がらせをしてきますし、
色々な誤解が生まれて、死ぬまで一生、誤解されたままで
残念な想いをすることもよくあるのですが、
必要以上に、その感情に振り回されず、大局的に
「死ねば、全ての誤解が解けて、死ねば、全て分かるから。」と
最終的に、前を向いて生きていくことの繰り返しです。

この世において、「もう、本当に消えて欲しい!」と思えるほど
嫌な人、価値観が全く真逆の人なんて、
人間界なので、絶対に生きているうち、
1人や2人、必ず存在しますし、そういう人がいて当たり前です。

でも、「消えて欲しい!」とイライラする労力や、
一生涯、そのことで恨みや怒り、悲しみに支配されて生きていくような
無駄な生き方をするよりも、
「死ねば全て分かる。」で生きていったほうが、
絶対に、少なくとも、そう思える本人の人生は救われ、幸せだと思います。

感情の浄化には、ある程度の時間がかかりますから、
もし、どうしても許せない人、言動を目の当たりにして
そのことでいっぱいになったのであれば、
時間限定で区切りをつけて、心許せる人たちにお願いして
思いっきり毒吐き(デトックス)をしてしまいましょう。

適度な毒吐きは、エネルギーの浄化に繋がります。

いつでも、どこでも、立場や相手を選ばず
これらをやり続けるのは、いかがなものかと思いますが、
心の浄化のために必要な毒吐きは、定期的に必要で
その毒吐きに付き合ってくれた相手にしっかり感謝の気持ちを伝えて、
そのお役目を時々、交代しながら魂を磨いていける
相手や仲間を作っていくことは、とても大切だと思います。

全てとまでは言いませんが、ある程度のネガティブな感情は、
時間と共に薄れてくるものですし、
そうなるように、今という時間を大切に楽しく生きる努力をしなければいけません。

そして、あの世に戻れば、全ての誤解も解け、
全ての真実が明らかにされます。

この世において、理不尽な出来事なんて沢山ありますし、
そこと向き合わなければいけないことも沢山あるのですが、
究極は、「死ねば分かる」のですから、
お天道様がいつでもどこでも見ているのですから、
もっと言えば、霊的世界がその判断をしてくれますから、
必要以上に、物事の善悪だけに拘らなくてもいいような気がします。

だからと言って、全てを投げやりに、または曖昧にする生き方も
絶対に良くありません。
これも、死ねば分かりますが、一生懸命、今を生きなかった怠け心を
それはそれは恥ずかしいまでに反省させられることになるでしょう。

何が正しくて、何が間違っているのか・・・。

僕は出来る限り、自分の中の真実、信念を明確にするようにしています。

これは、人事を尽くして天命を待つ気持ちと全く同じで、
やるべきことをやり尽くしてこそ、ようやくそれ以外の
見えないゆるぎない存在に、その後の流れをお任せできるのであり、
それをやらずして、霊的世界に全てを委ねようとするのは、
ラクして生きようとする無意識の逃げの心や依存があり
そういう生き方をして、一見、得したように思える人たちも、
これも死ねば理解できることでしょう。

どんな生き方であろうが、今、出来る限りのベストを尽くして、
そのあとは、天命に委ねる、むしろ、委ね切った・・・と言えるくらい
心を込めて生きていれば、
それも、死ぬ前から自分で理解できることでしょう。

「あぁ、なんて幸せな人生だったんだ。」と。

何度でもお伝えします。

この世の中に、山ほど嫌というほど沢山ある誤解、解明されなかった真実、
何が正しくて、何が間違っているのかの本当の意味は、
この世で全て解決できなかったとしても、
死ねば、全てあの世で解決されますし、あの世で分かります。

だからこそ、誤解されることを恐れず、
理解されないこと、批判されることを必要以上に怖がらず、
ご自身の信念に従って、誇りを以て、
この世を生き抜いて欲しいのです。

これが、ご先祖様や霊的世界や、
その他のゆるぎない、おおらかな存在たちが、
この世の人たちに望む真の愛情だと感じています。

死ねば、全てが解き明かされ、
自分の人生で起こった全ての真実が理解できるようになる。

今は分からなくて結構ですし、
全てが分からないからこそ、全力で精一杯、出来る限りのことを
積み重ねていく繰り返しです。

「あっ、そういうことだったんだ。」

死んだ後に、そうやって気付けるタイミングが必ず来るのですから、
必要以上に感情だけに支配されず、
もっと冷静に大局的に人生を見据えて生きていけば、
おのずと、明るい人たち、明るい生活、明るい人生にだけ
目を向けて生きていける聡明さが身についていくことかと思いますよ。

(相手の寿命で、自分の寿命でどちらも)死ねば、分かる・・・。

相手の不誠実で頑固な言動、何かに執着し過ぎる生き方に
イライラしやすい僕にとっては、
とても有難い言葉の1つだなと、つくづく実感しています(笑)


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