山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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自身の精神と身体を最優先する大切さ。

2025年05月13日

自身の精神と身体を最優先する大切さ。

昨日、無事に全ての東京出張を終えて沖縄に戻ってきました。
飛行機が沖縄に近づき着陸態勢に入ったところで
窓の外から飛び込んできた景色は、とても幻想的で
ゆっくり出張中の疲れも溶けていくような感覚になりました。

冒頭の写真は、南城市の久高島あたりを旋回して糸満市沿いの海から
那覇空港へと着陸する前の景色なのですが、
ただ太陽が水平線の向こう側に沈む前の夕焼けではなく、
その上には分厚い雲が幾重も覆っていて、不思議なグラデーションを
生み出していたので、機内でもあちこちから「うわぁ~。」という
感嘆の声が上がっていたほど息を吞むような美しい光景でした。

無事に那覇空港に着陸して、預けた荷物をターンテーブルから受け取る時には
既に外は暗くなっていたのですが、
やはり慌ただしい県外出張を終えて沖縄に帰ってくると、
空港から漂う空気の流れ方の緩さや、のんびりした感じは、
先ほどまでキビキビと分刻みのスケジュールでずっと動き回っていた感覚とは
全く違っていて、その点も、良い意味でのギャップがあって面白かったです。

自身の精神と身体を最優先する大切さ。 自身の精神と身体を最優先する大切さ。

自身の精神と身体を最優先する大切さ。 自身の精神と身体を最優先する大切さ。

それにしても今更ながら、よく何事もなく
連日、朝から晩までの様々なスケジュールを全て消化することができたよなぁ・・・と、
自分のことながら、他人事のように今回の出張を回顧している最中です。

振り返ってみると、
東京滞在中は毎朝5時起きで午前6時には、ホテルの部屋から
それぞれの仕事先に向かい、夜、仕事やその後の用事を終えて
ホテルの部屋に戻るのは20時~21時前後。

そこから毎日、その日の記録用にブログ更新をしていたので、
多分、県外出張用のアドレナリンを出して、その勢いのまま駆け抜けたのだろうなと、汗。

沖縄ではこんなハードでタイトなスケジュール、絶対にこなせませんし、
何より1週間という期間限定の仕事の連続だったからこそ、
何とか日々の仕事に対峙するだけの気力体力を維持できていたのでしょう。

ただ、ここまで緊張感を維持して臨んだ出張が全て終わって、
沖縄の自宅に帰ってくると、そこで一気に緊張が解けて
疲れが次から次へと押し寄せてくるのも、これまでの経験則で
何となく理解しています。

30代~40代前半までは、このあとすぐにまた別の場所へ・・・という
出張のスケジュールをこなしても、まだ何とかなっていたのですが、
40代後半になってからは、「もうこんな無理はやめよう。」と感じるようになって、
なるべく出張直後は、仕事を含めた予定を入れないように努めるようになりました。

何事も身体が資本と言いますか、自身が壊れてしまっては、
いくら仕事やその他のことで何かしらのことを求められたとしても、
元も子もありませんからね。

だからこそ、時にはお断りをする勇気を持たなければいけないと常々感じるのです。

僕の場合、本当にいつもいつも不思議に感じる現象があって、
今回の東京出張のように、その前後、とても切羽詰まって
とにかく仕事以外の余裕が一切ない時に限って、
仕事とも、プライベートとも、どちらともつかないような依頼やSOS連絡が
公私共に、あちこちから届いて激増するという謎のルーティンが存在するのです。

正直なところを言えば、「仕事で精一杯だから、他のことには一切構っていられないし、
目の前のことをこなすだけに全精力を注いでいるから、
今、このタイミングで力になって欲しい・・・と言われても、仕事ではないから難しい。」
というのが本音でもあります。

別にその人たちは、僕のブログを毎日見ている訳でもないでしょうし、
僕が今、どれだけ忙しくて、仕事のことだけで精一杯で、余裕がないのかも
一切ご存じないにも関わらず、
本当にどういう訳か、いつもいつもいつも・・・本当にいつもいつもいつも、
クソ忙しい時に限って、厄介なSOSメールを送ってくる人が激増するという
不思議な現象、なんとか止められないものかなぁ・・・と。

まさに今回の東京出張の期間中、それに加えて、その前後の期間、
本当にその通りの嫌なルーティンが発動されてしまい、とにかく今は仕事だけに、
東京だけに専念しなければ・・・と
自身を鼓舞しながら日々の仕事と向き合っていた事情があります。

*「今はムリ、ごめんなさい!を大切に。」2024年11月27日
*「他人の人生は、他人のもの。(部外者は、すっこんでろ!)」2024年10月14日

僕は仕事で他の方のご相談に乗ることはありますが、それはプロだからであって、
プライベートでわざわざ自分の貴重な時間を割いてまで
他の人の悩み事を聞くほどお人好しではありませんし、興味関心も一切ありません。

それに、こういうことって、
とても親しく近しい友人たちが、このような無配慮なことをやってくることは一切なく、
むしろ、それ以外の遠い関係性の人たちが、この手のSOS連絡をしてくるので
今のところ、例外なくお断りするようにしています。
またはお断りの意味を込めて、メールをスルーするという事情を察して欲しいと感じています。

「自分の人生は自分で考えて、それでも難しいのなら時間を置いて考えて、
それでも考えて難しいのであれば、そこで初めてプロの方に相談してみるという
選択肢があってもいいのではないかな。」と常々感じています。

そしてそれは決して、「タダ」ではありません。

相手方の貴重な時間と労力を割いて何かしらの重い相談であったり、
ごちゃごちゃした心と頭の整理のために相手の労力と経験を利用するものであり、
ましてや、それを生業としているプロの人間に、
「無料でやってくれるかもしれない。」なんて、甘ったれた卑しい根性そのものですから、
その時点で、個人的に「人としてあり得ないファっ子ちゃんだな。」と感じ、
心の中では、思いっきり距離を置いてしまうことでしょう。

まぁ、それは僕のような仕事をしている人間にとってみれば、
年に数回訪れる季節の変わり目の時や、5月病と言われるように
新年度の切り替えから少し経った頃に激増する心の不安定さや焦燥感などが
起因していることが多いため、
ある意味、季節性、一過性のものではあるのですが、
あまりにも忙しい時に限って、この手の現象が激増するので困ったものです。

ですが、何度でも繰り返しますが、何よりも大切なのは、
自身の精神的、身体的な健全さを維持することであり、
それを削ぐ外的要因があるのであれば、それは二の次に置いて
先ずは自身を優先することがベストな方法であることは間違いのない事実でもあります。

あと究極を言ってしまえば、
不躾なお願いをされて、それを当然のようにお断りしたとしても、
たとえ「なんか自分の思い通りに動いてくれない期待外れな人だな。」と思われたとしても、
所詮、その程度の価値観の人なのだろうと割り切ることもできますし、
心から心を寄せたいと思う人ではないので、嫌われようが、良く思われなかろうが、
正直なところ、どうでもいいのです、笑。

本当に心ある人や、親しい人であれば、
たとえ心苦しいまま何かしらのお断りをしなければいけなかったとしても、
快く受け入れて下さったり、程良く受け流して「じゃぁ、また次の機会に。」と
これまで通り、変わらない心の在り方で接して下さるので、
年齢を重ねてからは特に、もう、このような温かい交流だけを大切にしていきたいと
思うようになりました。

「自分の依頼は受け入れてくれると思っていたのに、普通に断ってきた。
裏切られた。無視された。スルーされた。期待に応えてくれる人ではないんだ。」

SOSを身勝手に訴えてくる人というのは、おおよそこのタイプです。

仕事ならまだしも(仕事でも嫌ですが、汗)、プライベートで
このような根暗な発想の人たちと
何かしらの良い共有ができるだなんて一切思いませんし、
自ら積極的に関わろうとも思いませんので、
相手に勝手に期待して、勝手に裏切られたと思い込んで、
一生、捻くれ性格ヴスをやっておけばいいのにな・・・くらいにしか感じません。

きっと皆さんの周りにもいると思うのです。
この手の捻くれ性格ヴスが。

一緒にいていいことなんて一切ありませんし、自身の都合のみを押し付けて
ワガママを通そうとするだけでなく、一度、そのワガママを聞き入れてしまえば、
際限なく、こちらが疲弊するまで何かしらの搾取を続けて、
また次に依存できる存在が見つかったら、あっさりと鞍替えをして、
次のところに行ってしまうような輩なので、相手にする価値もありません。

これほど骨折り損なことはありませんし、
利用されるだけ利用されて、稀に感謝の気持ちが相手側にあったとしても、
鶏の頭くらいの記憶力でほんの一瞬のみですから、
たとえその場で「本当に助かりました!ありがとう!」と感動する
その言葉や表情、嬉し涙に直に触れたとしても
決して騙されてはいけません。

何故ならまたすぐに感動の嬉し涙のことは忘れて悲壮感たっぷりに
図々しい身勝手なSOSを出して依存しようとするのが関の山ですから。

こちらがどんなに労力を割いて誠心誠意向き合って事実を伝えたとしても、
本人にとって都合の良い答えしか求めていないし、
都合の良い解釈しかしないため、
まさに依存の無限ループ爆誕と言ったところでしょうか。

要するに労力を割くだけ無駄、骨折り損で、取り越し苦労だけが増えるだけの
無意味な向き合い方だと、数々のこれまでの実体験から学んだことです。

だからこそ、時には自身の身を守るためにも、
精神的、身体的な健全さ、健康を維持するためにも、
何が何でも、「ごめんなさい、今はムリ。」とお断りする勇気が大切なのだと思います。

5月、6月は春の木の芽時ほどではありませんが、
季節が徐々に蒸し暑さと共に重い空気に変わっていくにつれて
その不調から周りの人たちに見境なく無配慮、無遠慮なSOSを投げかけてくる
人たちが増える時期でもあります。

どのような人であれ、先ずは自身の心と身体が健康でないと、
仕事であろうがプライベートであろうが、しっかりとそれらと対峙することが
難しいように、そこを削ぎ落してまでやる
ボランティアのようなものに何の意味があるのか分からないくらい、
無意識のうちに吸血鬼のように搾取する側と、搾取されて疲弊する側の明暗が
分かれやすいポイントでもあると思います。

時にはしっかりと何かしらのことをお断りする勇気を持つこと。
そして、その人に「裏切られた、期待に応えてくれなった、残念に感じた」と
思われても上等、こちらこそ、そんな依存体質の人から好意的に思われなくて
ラッキーなのだから、何事も、自身優先という根本は忘れないようにしたいものです。

という訳で、慌ただしいのですが、
今日1日、沖縄であれやこれや様々な仕事や雑務をしっかりこなしたので、
明日からまた沖縄を離れて、ほんの少しの期間、
完全プライベートの休日を過ごそうと思っています。

4月、5月と特に大型連休中も忙しなく働いていたので、
少し遅い「小型連休」で頭をリフレッシュしてきますね。






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