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今の時間は、今だけではありません。
2013年12月01日
この時期の本来の暖かさが戻ってきました。
窓も日中は全開にして、心地良い風が部屋の中を
颯爽と駆け抜けていき、洗濯物や布団類も
ベランダに出して天日干しにして
とても、ほのぼのとした土日となっています。
こういう、ささやかで穏やかな感覚というか、時間の流れが
僕にとっては何よりもホッとする瞬間で
こういう平穏な気持ちをほんの少しの間でも
心から感じることが出来ること自体、
とても幸せなことだな・・・と思っています。
時間は刻々と流れていて、いつこのような状況が変化するのかなんて
誰にも分かるものではありません。
明日にはまた、天気が大きく崩れて
寒さが舞い戻ってくるかも知れませんし、
たとえ外の天気が小春日和だったとしても、
僕自身の身辺で慌ただしい出来事が起こったり
それらの対応をしなければいけなくなることも、もしかしたらあり得ることで、
その可能性がゼロとも限りません。
僕自身、子供の頃からそうなのですが、
「今だけに心を向けて生きる」という生き方の裏には
常に、その先の人生を見据えた何かがあるような気がして
その積み重ねこそが、本来の人の幸せに繋がっていくのではないかな・・・と
無意識のうちに感じているところがありました。
「今さえ楽しければいい。」「今がよければ、それでいい。」という
後先を全く考えない短絡的な刹那主義ではなく、
むしろ、その逆を行く生き方です。
「もし、この瞬間、目の前で向き合っている出来事、人、全てのことが
人生で最後の瞬間だったとしたら、果たして僕は後悔しないでいられるだろうか。」というもの。
実は、これが僕の今の生き方、人生、
全ての言動の基本、根幹となっている部分です。
こういう生き方については、過去のブログで幾度となく
ご紹介してきたつもりです。
*「理屈の前に、動け!」
*「死期を知りたい。」
*「明日が、ない。」
*「食べることが出来る幸せ。」
元来、偏屈で変なことを考えながら
生きる子供だったのかも知れませんが、
こういった生き方は、やはり子供の頃から変わりありませんでした。
多分、僕の曖昧で不確かな記憶を辿ってみると、
それは、子供の頃の偏屈な性格に加えて
とても貧しかった体験を経て培われたものだと思います。
貧乏は、何かと心苦しいものですし、
それが多感な子供時代になると尚更心に残るものです。
子供の事情では、どうしようも出来ない事情ですし、
かといって、子供がいくら何かを頑張ったところで
大人の経済的事情のことなので、
お金の問題に関しては、どうすることも出来なかったのです。
確か小学校5年か6年の時、
あまりにもその状況が辛く、そこから抜け出したくて、
近所にある新聞の専売所に1人で出向き
「お金が必要なので、働かせて下さい。」と申し出たことがありました。
当時小学生だった僕は、小学生がお金を稼ぐ手段と言えば、
新聞配達しかないと思っていましたから、
迷わず専売所に向かったのですが、そこにいた所長さんに、
「法律の問題で小学生は働けないようになっているから
中学生になったら、もう一度、ここに来てね。」と言われました。
まぁ、大人になった今だったら十分に理解できる事情なのですが
当時の僕は、「たった数年、生まれが違うだけで
お金を稼ぐことが出来る人と、そうではない人がいる。
稼ぐことが出来る年齢になっても、稼がなくていい家庭もある。
なんて、世の中は不公平なんだろう。」と
それはそれは悔しい想いと、「お金を稼げない=貧乏が続く」という
絶望に近い諦めのような気持ちを味わったのを覚えています。
たとえ中学生になって新聞配達を始めたところで
中学生の新聞配達の収入なんて
当時で月1~2万円だったので
それで全ての貧乏が解決する訳ではありませんから
要するに気持ちの問題というか、
僕自身が子供という理由だけで身動きが取れないこと自体に、
もどかしさを感じていたのでしょうね。
勿論、小学校を卒業したその日に、
新聞専売所に直行し、晴れて正式に働くことが出来る年齢になったのを
心から喜んで新聞配達を始めたのも
当時の僕らしい生き方だと思うのですが、
やはり子供の頃から、こういうところは一切変わっていません。
今であれば、まぁ、貧乏をしたところで
とりあえず、最低限の衣食住、生活の糧となる仕事があれば、
それだけでなんとかやっていけるな・・・と腹をくくることが出来ますし、
実のところ、フリーランスという立場なので
いつそうなるかも分かりませんから、頭の片隅には
いつでも、そのような時のために備える心の準備は出来ているのです。
でもそれは、やはり、
自分の人生は、自分でなんとか切り抜けることが出来る(=仕事が出来る)
大人の年齢だからであり、今のところ健康な身体であるからこそであり、
いくらでもゼロから出直しが出来る、
豊かな日本という恵まれた国で生きているからこそ、
そのようなことが考えられるのですが、
当時は、まだ子供であり、自分の力では、
どうしようもない事情だったので、僕にとっては抜け道がない
真っ暗闇のように感じていました。
「少なくとも、大人になれば自分で稼ぐことが出来る。」
「少なくとも、大人になれば、今以上の何かが出来るはず。」
だから、早く大人になりたくてなりたくて仕方がありませんでしたし、
大人になった今は、それはそれは自由で
僕にとってはこの上ない幸せを感じながら
日々の生活を楽しませてもらっているところがあります。
そういう想いが常にありましたから、
将来、何をするかは分からないけれど
とりあえず、今、子供の自分に出来ることは何なのか、
今、後悔しないためには、何をやったらいいのかな・・・と
常に、自然とそのようなことを考える習慣を
しっかり身に付ける機会に恵まれたのだと思います。
貧乏は、「世の中には不公平な物事も存在する」
「自立を促す」という意味で、
何よりの立派な人間教育なのかも知れませんね(笑)
ただ、これは同じように貧乏を経験した兄弟、家族でも
それをバネに出来た人と、そうではない人もいたので
こればかりは、やはり、その人次第ということでしょうか。
だから、今でも十分に働くことが出来る年齢にも関わらず、
自分の理想、我がままから働かずに迷走ばかり、
あてもない中途半端な自分探しばかりしている人たちを見ると、
ムショ~に腹が立ちます。
これも人間の心の弱さ、誰もが持ち合わせた逃げの部分であり、
そういうところは、やはり誰にでもあることなので、
完全にダメだとは思いませんが、
だからと言って、「これは、この人にとっての今の成長のプロセスの1つだから
おおらかに見守ってあげましょう。」だなんて、
悠長なことを言う人たちが僕には信じられません。
こういうことを平気で、のたまうことが出来る人たちは、
よっぽど世間知らず苦労知らずのお金持ちの世界で育った人か、
(お金持ちでも、世間を知って苦労を知っている聡明な人も大勢います。)
やはり、いつも現実逃避ばかりで
頭の周りに見えない花が咲いている不思議ちゃんか、
おめでたい人かのどちらかだと思いますので、
現実的な話が一切通用しませんし、
こういう類の人たちとは、いつまで経っても平行線のままで
まともな会話が成立しません。
スピリチュアル業界には、
この手の甘やかし、この手の類の人が非常に、
いや異常に多く、それらが普通にまかり通ってしまう現実があり、
実際、そこを逃げ口上の1つとして、いつまで経っても
自立しようとしない情けない人たちが自然と集まり、
それを増殖させてしまう側面があるので
僕は、そういったところが、最もニガテで毛嫌いする要因の1つだと
自分自身で分析しています。
そういう人たちに特に伝えたいのは、
「もし、今日の夜まで、明日までの寿命しかない。」と今、分かったら、
同じように悠長に、「それは、その人のプロセスだから。」と
言ってられるのか、どうか
果たして、そのままの生き方、逃げたままで
後悔はしないのだろうか・・・ということです。
悠長に「その人のプロセスだから。」と言っている間に
時間はあっという間に過ぎていきますし、
そんなことを言う暇があったら、迷っている暇があったら、
贅沢を言って仕事をせずに、あれこれ迷って
自分探しをしている暇があったら
まずは動いて、汗をかいて、前に進んだほうが
幾分かは、まだマシでしょう。
必ずしも、仕事をすること、働くことが全てとは言いませんし、
人の人生なんて、本当に人それぞれなので
働く人、働かない人がいても、それは当たり前です。
ですが、その働かない理由が、
ただの逃げから、心の弱さからくるものであるのであれば
(まぁ、そのようにしているほとんどの場合がその部類でしょうけれど。)
それは、今という時間、自分自身の人生に対して
大変失礼な生き方をしているという自覚を持つべきだと思います。
もし目の前にそういう人がいたら、
相手が受け入れる、受け入れない如何に関わらず
僕は迷わず、「そのままでいいのか?」と喝を入れますし、
実際、そのようにして常に人と接してきました。
明日がない・・・と思えば、
人は後悔しないために、今の精一杯を生きるために、
懸命に心を込めて人と真剣に向き合うものですし、
何より自分がどうありたいのかを考えて、行動するはずです。
「まぁ、今回はいいかな。」と逃げるのは、
明日があり、この先に挽回の余地がある・・・と
知らず知らずのうちに、確証がない未来に甘えている証拠です。
僕自身、そういった生き方が出来ずに、
常に後悔しないように、
今、自分が感じていること、やりたいと思うこと、
目の前で向き合う人、仕事、出来事、全てにおいて、
その日限りの精一杯を尽くします。
それを優先させると、人の目なんて、評価なんて、
気にしている場合ではありませんし、
相手の反応をいちいち気にしている場合でもありませんし、
周りに遠慮している場合でもありません。
何より、それが出来ないと、
自分自身が自分を生きていないような気がして
それこそ僕にとっては心残りになるので、
やはり、今を生きるということは、常にほんの先のことを見据えながら、
「明日の後悔に、将来の後悔に繋がらないように」
生きている姿そのものだと感じています。
今を生きるのは、今の幸せを十分に感じることが出来るのは、
ただ、今の時間だけを見据える・・・という単純なものではありません。
ほんの先の明日のことも、
もし、この先何かあったら、果たして後悔しないだろうかどうかを
しっかり考えた上、見据えた上で、
究極は、もし、明日がなかったとしたら・・・と
常にその想いを巡らせているからこそ、
今ある幸せ、瞬間、瞬間で感じる穏やかさ、平穏に
しっかり感応できる体質になっているのだと思います。
「明日がない」を意識しているからこそ、
思いっきり動くことも、仕事をすることも、
家族や周囲の人と向き合うことも出来ます。
「明日がない」を意識しているからこそ、
思いっきりくつろぐことも、休むことも、
グ~タラすることも、何もしない時間を満喫することも出来ます。
ただ呑気に今日も幸せ~と思うのは、
それはそれで幸せかも知れませんが、
その背景に、「明日がない」が加われば
その重み、有難味も、普段の言動も、生活も、人生も、
もっと深いものになってくるのではないかな・・・と感じています。
さっ、今日から12月、今年も残り1ヶ月。
皆さんなりの良い1日の積み重ねをお過ごしください。
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Posted by 山野本竜規 at 14:52
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