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死期を知りたい・・・。
2010年09月19日
今日も、色々な方がお越しになりましたが、
2日続けて、同じような内容のものがありました。
それは、「死期が、いつになるのか知りたい。」というもの。
写真は、先日、台湾に立ち寄った時に戴いた
美味しい牛肉麺ですが、
僕だったら、自分が死を迎える直前、
やっぱり、美味しい食べ物を、大好きな人たちと一緒に戴いてから
あの世に向かいたい・・・と感じますね。
あくまで、理想ですが・・・。
でも、人は、いつ、
自分、または、愛する家族の死が訪れるのか、
分からないものです。
癌や、その他の病気などで余命いくばくもない、
限られた人生の場合、
ご本人を含めて、それをケアするご家族は、
「いつ、そのような(終わりの)時期が訪れるのだろうか。」と
不安になることだって、あるかも知れません。
果たして、霊視で、その死期が分かるのか・・・。
答えから言えば、
「霊的世界から、死期が伝えられれば分かるし、
伝えられなければ、分からない」ものなのです。
所謂、霊視にお越しになられた方の人生背景、状況によって
お伝えの仕方が変わる・・・ということです。
僕自身、霊視個人セッションで
色々な内容の相談をお受けすることがありますが、
死期に関して、霊的世界から
「知らせて良い。あと○○くらい。」と
明確な答えが出たケースは、
これまでのところ、たったお1人です。
逆に言えば、ほとんど全てのケースで、
「死期を知るよりも、今、目の前にあることだけに
心を注いで、生きていきましょう。」という答えになります。
これまで、数多くの霊視個人セッションで
唯一、死期をお知らせた方は、もう、この世にはいらっしゃいませんが、
様々な人生経験を経て、ご自身のやるべきこともやり尽くし、
その上で、末期癌と分かった方だったので、
「あぁ、もう、向こうの世界に向かわれる覚悟が出来ておられる方だな。」と
個人的に判断したのに加えて、
その上で、霊的世界に、「この方の死期が分かれば、お伝え下さい。」と
意識を向けると、すんなりと答えて下さった・・・という本当に稀な体験でした。
死期をお伝えしたあとは、
「死後の世界が、どのようなものなのか・・・。」という
具体的なことと、
「残された時間を、どのようにされたいのか・・・。」という
心の喜び、楽しさの部分に目を向けられて過ごす意義について
一緒に考えさせて戴き、お別れをしたのを覚えています。
その後、「最後まで穏やかに、眠るように亡くなりました。」と
ご遺族の方からの一報を受けて、
その方の旅立ちを知らされたのですが、
お別れであるのに、とても、清々しい気持ちになったのを覚えています。
でも、これは、何度もお伝えするように、
本当に、本当に、稀なケースです。
きっと、このような経験は、僕自身の中では
この先、有り得ないだろうな・・・と感じているほど稀なことで、
ほとんどの方は、いつ、死期が訪れるのか分からないけれど、
とにかく、精一杯、目の前のことをやり続けることこそに、
生きる意義があるのだ・・・と確信しています。
むしろ、僕は、死期なんて、知る必要はない・・・と感じています。
人は、人生の先が分からないからこそ、
不安になったり、戸惑ったり、焦ったりもしますが、
その逆で、心もとない自分の感性を信じて頑張った結果が実った時、
また、想定外の素晴らしい展開が待ち受けていた時、
心から驚き、喜び、「生きていて本当に良かった。」と
素直に思えるものです。
このような魂の感動を、プラスの面でも、マイナスの面でも
しっかり体感し、糧にしていくことこそに、
人が、人として生きていく意義があるのです。
だから、ズルをして、死期を知ることは、
人として、「真っ当に」生きる、貴重な貴重な勉強材料を
無理やり、取り上げてしまうことになりますから、
霊的世界は、滅多なことがない限り、
それをお伝えすることはありません。
僕は、占い師ではないので、未来の予測もしませんし、
自分の未来なんて、自分自身で作り上げていくものなので、
正直、将来のことにも、さほど関心がありません。
将来を真剣に考えていない訳ではなく、
遠い未来に労力を使うより、
今、やるべきこと、目の前のことを
一生懸命にさせて頂いていれば、
必ず、それなりの人生、道に繋がっていくものだ・・・
ということを、
まだまだ足りないかも知れませんが、
若輩者の自分なりの人生経験から感じ取っていますので、
やはり、目の前のこと、今だけのことに
心を注ぐようにしながら、
ほんの少しの先のことに思いを馳せる程度です。
だって、人生なんて、どこで、どのようになるのか、
分かりませんもん。
分からないからこそ、魂が揺れ動き、
その度に、色々な発見や気づきがある・・・。
命の期限が分からないからこそ、
「後悔しないように。」と、全力を注げる何かを
真剣で探すもの・・・。
だから、僕は、必要以上に、死期をお知らせするような、
人生を生きるズルのお手伝いだけは、
絶対にしたくありませんし、
本当の霊的世界の意図を知っている霊能者であれば、
自ら、他人様の必要以上の未来を予測されたり、
ましてや、死期をお知らせする・・・なんて、
馬鹿げた、下らないことは、絶対に行わないはずです。
皆さん、未来、将来には、とても感心があります。
将来、結婚できるのか。将来、社会人として成功しているのか。
将来、幸せな家庭を築けているのか。
その例え、質問を挙げると、枚挙にいとまがありませんが、
僕からしてみれば、
「そんなこと、自分で努力して、やるべきことだから、
どうなるのか、分からないでしょ。」とお伝えしたいです。
だから、「やるべきことをやって下さい。」としか
お伝えできないです。
勿論、ほんの少し先の将来の展望や、
生きる道について、「このような方向が良い。」
「このようになっていく。」ということを
霊的世界から伝えられることはありますが、
それも、全ての人だとは、限りません。
僕自身、霊能者ではありますが、
ズルは絶対に出来ないようになっています。
母が重病で集中治療室に運ばれ、
その1週間後、父が別の病気で倒れ、
そのまま亡くなった時ですら、
「母の命、大丈夫でしょうか。病気、よくなるでしょうか・・・。」
「父の命、いつまで持つのでしょうか。」なんて、
霊的世界に尋ねようとは、一切、思いませんでしたし、
きっと、そのように悲壮感を漂わせて
お願いしたところで、「答えられない。」と一蹴されるに決まっていますから、
全てを受け止めることしか出来ませんでした。
「なるようにしか、ならない。だから、あとは、
自然の流れにお任せして、今、出来ることだけをやろう。」
究極、人は、これしか、出来ないのです。
(*参考* 集中治療室でも笑顔で。)
そこに、霊能者や占い師が訳の分からない予言をしたりすることに、
何の意味があるのでしょう・・・。
これは、霊能者だから、余計に、痛感するのかも知れませんが、
人は、何か目の前に、心を込めてやらなければいけないことがある時、
予言云々なんて、浮ついたこと、言ってられないのです。
だって、未来や過去ではなく、「今」に集中しなければいけないから・・・。
結果、僕も、父の死期なんて分からず、
ある日、突然、容体が悪化し、あっという間に亡くなってしまいました。
それで、後悔したのか否かと言えば、
答えは、まったく「NO!」で、
本当にやるべきことを、その時、その時でやってきたので
寂しさはあったとしても、心からお見送りをすることが出来ました。
そして、当初、父よりも深刻な病状だった母は、
父の死後、その死も知らずに寝たままでしたが
見違えるほどなまでに回復し、
今、家族や周囲の方に支えられながら、幸せに生活しています。
勿論、生死の境をさまよって回復した母の死期を知りたい・・・だなんて、
これっぽっちも思いません。
何故なら、今、この瞬間、母のためにも、自分のためにも
一緒に、出来ることを模索し、実践することしか出来ませんし、
それが、何より幸せだ・・・と、感じるからです。
死期を知りたい・・・。
その気持ちは、よく分かりますが
自分の、他人様を含めて、
それらの死期を、知る必要は絶対にありません。
皆さんの目の前には、
今、やるべきこと、やりたいこと、その両方があることかと思います。
どうぞ、そのことだけに集中して下さい。
きっと、その積み重ねの先には、
幸せな、充実した人生が待っているはずですから・・・

Posted by 山野本竜規 at 16:48
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