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食べることが出来る幸せ。
2011年03月06日

大都会の夜景が、宝石箱のように輝いていて
夜景を楽しめるようにセッティングされた席から
眼下に広がる景色を眺めていると、
まるでテーブルに並べられている料理の続きのように
煌びやかだった記憶があります。
今日、明日と石垣での霊視個人セッションが続いていますが、
明日の石垣での仕事が終了したら、夕方の便で一旦、
沖縄本島へ戻り、また、11日から13日まで
3月の第2弾、八重山パワースポットのガイドのために
すぐに石垣入りする予定です。
さて、今日の霊視個人セッションにしても、
ここ数日、色々な方とお話をさせて頂く機会にしても
つくづく、「普通に、美味しい食事を戴くことが出来る環境って、
本当に幸せなことなんだな・・・。」と感じることが続いています。
人は、どんなに大変なことがあったとしても、どんなに落ち込んでいたとしても、
どんなに辛く悲しい出来事があったとしても、
とりあえず、食べなければ、生きていけませんし、
そのような状況の時でさえ、しっかりお腹が空くものです。
そう、どんな状況だったとしても、
人の身体は、魂は、「生きよう!」と、
無意識のうちに、前へ進むものなのです。
極端な例で言えば、大切な家族が亡くなった時でさえ、
悲しみに打ちひしがれているような状況だったとしても
時間が経てば、必ず「ぐぅぅぅ~~~~。」と
お腹が鳴って、何かを食べたくなるものです。
「そろそろ時効だろうな・・・。」と感じていますので白状しちゃいますが、
僕自身、父が亡くなった直後、
葬儀の準備のあまりの忙しさと、父の人間関係の中で、
負の遺産になるような人たちとの直接対決、対応で、
葬儀場で、ドロドロの昼ドラ顔負けの
修羅場のような色々な体験をし、
心身共に疲れ切ってしまった経験があります。
ただでさえ、人の死を見送る・・・という大切な儀式の準備で
慌しい時間が過ぎていくものなのに、
それに加えて、もう二度と経験したくないような
人間の醜い部分を「これでもか・・・。」という程、見せ付けられ、
直接対決しなければいけないのですから、
「父のことは大好きだけれど、死んでまで人に迷惑をかける
父のような人生の終わり方だけは、絶対真似しないようにしよう。」と
強く、強く誓った、父の死と、醜い心の人たちとの
本当の意味での告別式だったような気がします。
一連の全ての葬儀が終わった、その夜、
あまりにも疲れてしまっていたので、
「もう、こうなりゃ、美味しいものでも食べなきゃ、やってられねぇ!」と
残された家族皆で、近所の焼肉店に直行し、
「全ての悪い因縁の告別式、カンパ~イ!」と
ワイワイ、ガヤガヤ、しっかり美味しい焼肉を戴きました。
この時の焼肉の味って、本当に格別でしたね~。
普通、葬儀終了後の夜って、
精進料理などを戴いて、故人の思い出に浸り、
しめやかに過ごすのが慣わしなのでしょうが、
僕たち家族は、葬儀終了後、その足で焼肉店に直行。
一般的に考えれば、
「なんて罰当たりな。」と感じられるかも知れませんが、
霊的世界から見ても、別に、誰かを見送った直後に
精進料理を食べなければいけない・・・というルールは一切ありませんし、
何より、体力的にも、精神的にも疲労困ぱいしているのですから、
食べてスタミナをつけなければいけない・・・と感じるのが、
現実的な考え方ではないでしょうか。
さて、そのような一般的な罰当たりに感じられる行動を取ってみて、
結果、どうなったのか・・・というと、
美味しい美味しい焼肉を戴いて、本当に、本当に、とても幸せでしたね。
罰が当たるどころか、美味しい焼肉を戴いただけで、
家族全員の士気が高まり、
「これからも、闘病中のお母さんの面倒、しっかり見ていこうね!」と
みんなで励まし合ったほどです。
父が亡くなった当時、母は、ヘルペス脳炎という病気で
意識不明の状態が続いていて、大きな病院の集中治療室のベッドの上でした。
ようやく、昏睡状態から脱していた頃で
現実の世界なのか、夢うつつの状態なのか、
中途半端な意識レベルで、
その頃は、いつ一般病棟に移ることが出来るのか、
いつ退院できるのか、いつ、元気になって普通の生活に戻ることが出来るのか
全く予測がつかない段階で、
父の死を知らずに病気と闘っていました。
「いつかは、母に父の死のことは打ち明けなければいけない・・・。」
そのような重苦しい気持ちが、のしかかっていましたが、
「人は必ず、前を向いて生きていけるもの。」という
何の根拠も無い自信だけはありましたから、
「まぁ、その時が来れば、なんとかなるさぁ~ねぇ~。」と
自然の流れに委ねてみることにしました。
数ヵ月後、完全とは言わないまでも
ある程度、母の意識が戻り、少しずつ歩けるようになり、
記憶力は著しく低下している中でも
なんとか会話が成り立ってきた・・・という時、
正直に父の死のことを打ち明けたら、悲しむどころか、
「それを隠さなければいけなかった、
あなたたちのほうが辛かったね。」と
労いの言葉をかけてくれたほどです。
僕は、いつも、この母の明るく前を向く姿勢を見ながら
育ってきた影響で、
いつでも、どこでも、どんな時でも、
打たれ強く生き抜いてくることが出来たのだと感じています。
小学生から中学生の頃、父がまともに働かず
家がとても貧しくて、公共料金が払えず、
ガスや電気を一斉に止められることが幾度と無くありました。
小学生だった僕にとっては、どうしようも出来ない、
どのように助けることも出来ない、経済的な事情です。
真冬の寒い時期に、お風呂に冷たい水をためて
それに浸からなければいけなかった時は、
子供ながらに本当に惨めな想いで、
どうしようも変える事が出来ない状況に
ただ、ただ悔し涙を流すことしか出来ないでいた時、
母が僕に言ったことがあります。
「どんなに貧乏でも、電気やガスが止められていても、
今、目の前に、少なくとも美味しい御飯があるでしょう?
こうやって会話して、白い御飯が食べられるだけでも幸せなこと。
だから、あなたが大人になった時、どんな時でも
美味しく御飯が食べられるような人になって、
この時の大変だった想いを、忘れないようにしてね。」
大人になった現在、僕は、どんな悩みを抱えておられる方に対してでも
最終的には、明るい希望があるものだ・・・と感じています。
何度でも言います。
人は、どんなに大変なことがあったとしても、どんなに落ち込んでいたとしても、
どんなに辛く悲しい出来事があったとしても、
とりあえず、食べなければ、生きていけませんし、
そのような状況の時でさえ、しっかりお腹が空くものです。
どんな状況だったとしても、
人の身体は、魂は、「生きよう!」と、
無意識のうちに、前へ進むものなのです。
母から学んだ、大切な大切な生きる教訓ですし、
今の僕の生き方そのものです。
今度、福岡に戻ったら、母や家族の皆と一緒に
美味しい食事を戴きに行きたいと思っています。
人は、食べることが出来るだけで、幸せです。
世界を見渡せば、まだまだ食料不足で悩む国も
数多くある中で、少なくとも、この豊かな日本で、
食いっぱくれる・・・ということは、ほとんどありません。
それだけでも、恵まれているのですから、
それだけでも、幸せなことなのです。
そのように感じることが出来れば、
日々の生活も、毎日の食事も、もっと心豊かに
感じ取られるものではないでしょうか・・・。
Posted by 山野本竜規 at 21:29
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