山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
てぃーだブログ › 山野本竜規の続・ナカトリモチ日記 › 心の在り方 (2,645)▼ › 動かないのも、何も考えず動くのもダメ。~精神論が大嫌いな理由~
2024年6月9日(日)、5年ぶりの福岡ナカトリモチ勉強会を開催します。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付中です。                     

動かないのも、何も考えず動くのもダメ。~精神論が大嫌いな理由~

2016年05月19日

動かないのも、何も考えず動くのもダメ。~精神論が大嫌いな理由~ 動かないのも、何も考えず動くのもダメ。~精神論が大嫌いな理由~

松葉杖で県外各地を移動していると、
否応なしに出発地点から目的地に向かわなければいけないので、
半ば強制的ではありますが、自ら動く、外へ外へ向けて世界を広げていくことを
自らの責任でやっていかなければいけません。

全治1ヶ月の左足首と右手小指の骨折で、通常とは違う状態で
今までスタスタ、当たり前のように歩いていた道も駅のホームの階段も、
電車に乗り込むときの段差も、そして飛行機や空港内の移動も
全てが違った景色、流れていく速度もゆっくりなため、
これも強制的にでも外へ出なければいけなかった「出張」「仕事」という
生活の基盤があったからこそだと感謝しています。

この前の日曜日に開かれた愛知県東海市でのナカトリモチ勉強会の講演の中でも、
「色々慎重に考え過ぎる前に、まずは動いてみましょう。」
「自分の力ではどうすることも出来ない、のっぴきならない事情や出来事が
目の前に現れたら、多少動揺したとしても、最後はそれを引き受けて
とりあえず、次の一歩を踏み出すことが、そこから先の人生を心豊かに生きていくためのコツであり、
霊的世界からより多くの応援を受けやすくなる方法ですよ。」と
色々な具体的な例えを用いながら、お伝えしました。

これまた東海地方での霊視個人セッション(カウンセリング)でも、
とある方が面白おかしくご自身のことを表現なさっていたのですが、
「私は何か始めよう、動こうとした時、慎重に考え過ぎて、
石橋を叩いて渡るのではなく、石橋を叩いて叩いて叩いて、いつの間にやら、
その石橋を叩きすぎて壊れてしまって、自ら道を塞いで
益々前に動けなくなってしまうタイプなんです。」と笑いながらおっしゃっていました。

これには僕も「その表現は的確ですね!」と、
その方が冷静に自らの内面を見つめて、ご自身の課題に向き合っておられる姿を
微笑ましく感じながら、ついついその的確さに笑ってしまったほどです。

そのカウンセリングが終わったあと、
「じゃあ、僕だったら、石橋を叩いて叩いて叩いて、その石橋が壊れてしまったら
どうするのだろう・・・。」と、その方と同じ状況になったことを想定して感じてみると、
やはり、石橋が壊れたのであれば、その時、自分の気持ちに素直になり、
「それでも先に進みたい。」と感じたら、泳ぐか舟を作るか、借りるか、
人にお願いするか、とにかくありとあらゆる手段を模索して前に進むことを選ぶと思います。

そして、その時の気持ちが、
「いやっ、今は少し静観して、助っ人が現れるまで待つとしよう。」と判断したら
少しだけ動きを止めて、そのまま待つという選択をすることでしょう。

何がお伝えしたいのかと言えば、どちらにしても自己責任、
他の誰でもない自分自身で考え、決めて動いていくことで
その後がどうなるのか分からないけれど、どちらの運命も引き受けますよ・・・という
一瞬、一瞬の覚悟の表れが、あるのか、ないのかで、
その先の人生の明暗が分かれてくるものだということを示しています。

人それぞれが生きる道というものは、それほど単純なものではないですし、
いくら綿密に計画を練って人生設計をしたところで、
その通りになることなんて先ず有り得ません。

必ずどこかで「あれっ!?思っていた流れと違うぞ。」
「思い切って決断して前に進んでみたのはいいけど、それに見合う結果が伴わないぞ。」など
本当に想定外のこと、しかもそれが良い、悪いに関わらず
自分の想像とはかけ離れた流れ、結果になることなんてよく起こることです。

ですが、やはりこういう時でも、その1つ1つの結果、流れの善し悪しに関係なく、
今、目の前にある出来事、人生の流れ、結果を素直に引き受けて、
「まぁ、これも仕方がないから一旦、受け止めるか。
そしてここがゼロの出発点と思ってまたゆっくり前に進むか。」と
自らの宿命や運命の流れを引き受けた時、ようやくそこから霊的世界は
色々な叡智や、その人の人生に見合った心ある人たち、次のステップに進むための道を
おのずと用意してくださるようになります。

とても難しく、とても簡単なことなのですが、
ゴチャゴチャ考え過ぎる前に、動けばいいだけの話であり、
それでも慎重になり過ぎて、動けずにいる人というのは、
ただ単に動くのが嫌、前に進むのが怖い自分に言い訳をして
そこで全てをストップさせている状態が無意識のうちですが心地良く感じているのです。

僕のアホな例えで言えば、海外で骨折して全治1ヶ月となった。

左足首の骨折で松葉杖、しかも利き手である右手の小指も骨折で
松葉杖をしっかり支える力すらあまりない。

だからと言って、「この状態で階段から転んだらどうしよう。」
「都会の駅だと人の流れについて行けず、転んだらどうしよう。」
「電車に乗り遅れたらどうしよう。」「骨折が悪化したらどうしよう。」なんて
ごちゃごちゃまだ起こりもしないことを考え過ぎてしまったら、
きっとその思考感情がもっとうるさく叫び出し、益々動けなくなると思うのです。

まぁ、僕自身、そこまで器用なネガティブな想像力を持ち合わせていないため(笑)、
とにかく今の現状が良いものだろうが、そうでないものであろうが、一旦、
自らの意志で覚悟を持って受け入れることから始めます。

そしてその先の結果がどうなるのかなんて、ちっぽけな人間の頭で考えたところで
限度がありますし、それはやってみなければ、進んでみなければ
その先のことなんて分かりません。

まさに明るい諦め、「まぁ、仕方がないかな。じゃ、今出来ることは何なんだろう。」と、
今を見据えているからこそ、前に進めるのです。

だから明るい諦めって本当に大切だと思います。

僕の周囲にいる本当のポジティブな生き方をしている人、生きる聡明さがある人は、
単なるバカのように何も考えないで、中途半端な「直観」とやらを信じて
猪突猛進していつも失敗や空回りを繰り返し、周囲に迷惑をかけるような
似非ポジティブなバカと違って、
色々なリスクをある程度冷静に想定した上で、それでも一旦、
自分の人生の流れを引き受けて前に進むことが出来る明るい諦めが得意な人ばかりで
これこそが、前向き、発展的に生きる極意ではないでしょうか。

僕は子供の頃から、日本人が大好きな中途半端な精神論である、
「諦めなければ、夢は叶う。諦めなければ、想いは実現する。」という、
これまた本当に陳腐で中途半端で無責任な言葉がとにかく大嫌いです。

勿論、それを信じてやまない、はたまた自信のない自分を鼓舞するために
上っ面の言葉だけに酔っているバカな人たちも大嫌いです。

*「全ての努力が報われる訳ではありません。~だからこそ本当の自分の人生を見つけましょう~」
*「不運や不幸、認める勇気を持ちましょう。」

これって本当の意味で、その人自身の身の丈、力量を理性を用いて見極めず、
現実逃避をしてでも、空回りをしてでも、とにかく前を向いて
その道が間違っていたとしても、気合いや情熱だけで人生を切り開いていける・・・という
本当に非現実的で幼稚な単細胞な発想の人たちを、おおいに勘違いさせて、
またそういう輩が自信のない自分を鼓舞するために使う大好きな言葉でもあります。

そんな幼稚で単細胞な発想だからこそ、いつまで経っても人生が空回りするのですし、
中途半端で怪しいネットワークビジネスや新興宗教、グループ、
そのような「諦めないで!」を推奨する個人の思想ばかりに翻弄されるのだと思います。

上記のような単細胞の人たちの共通点は、
本当の意味での冷静さ、理性を用いることが出来ずに、
等身大の自分を見極める、身の丈を知る努力を避けて、または見たくないからこそ、
そういう陳腐な発想に現実逃避するという点です。

どちらにしても本当にケツの穴がちっちゃいというか、情けないというか、
弱い自分も、認めたくない実力のなさも、諦めも、
時にはしっかりと自ら受け止める潔さ、勇気が必要なのに、
どうしてもそのこだわりやプライドが許さず、一生、グルグル、ウジウジ、
同じところを滞って生きている人なんてゴマンといると思います。

そして基本的に、こういう本当の意味でネガティブな輩は変わることがありません。

たとえ目先の方向転換をしたところで、環境を変えたところで、
心機一転、何かを始めようとしたところで、どこかで躓くと、
得意の言い訳が先行して都合よく解釈し、
「これは自分の道ではなかった。」「やることに意義があり、結果は見なくて良い」などと
いつまで経っても、人生の失敗や思い通りにならなかった事象から
何も学べずに、問題をすり替えて滞ったまま生きていく流れになりがちです。

そして、そういう残念な人たちって、どういう訳か、やっぱり同じような発想の持ち主、
同じような生き方を繰り返す人たちとつるむことが多くなるのです。

霊的世界もこのような残念なタイプの人たちが周囲にいた場合には、
「今は何を伝えても無駄だから、距離を置いて見守るしかありません。」としか伝えてこなくて、
周囲の人はどうすることも出来ません。

よく中途半端なバカほど、「思っていることがあるのなら、ハッキリと私に言って下さい!」と
相手に図々しい要求をしてくるものですが、
そういう馬鹿な輩に限って、その通りの図星のことを伝えると、
逆恨みして逆ギレしたり、途端に態度が急変したり、頑なに現実逃避をしたりと
おおよそパターンが決まっているため、あまり直接伝えたとしても意味がないのです。

生きる聡明さに欠けた馬鹿はそう簡単には変わりませんから。

僕は基本的に相手が誰であれ、感じたこと思ったことは
なるべく表に出して、それがどのような形であれ意思表示をすることが多いのですが、
だからと言って、いつでもどこでも、それこそ馬鹿の1つ覚えのように
ダイレクトに面と向かって言いづらいことを相手に伝えるわけではありません。

それは上記のように、そのことによって
逆恨みや逆ギレをするパターンがほとんどですし、
そんなネガティブな相手に自分自身の貴重な人生の時間と労力、気持ちを割くほど
暇ではないし、何故、そんな人たちにわざわざ労力を使わなければいけないのか、
仕事だったらまだしも、何故、プライベートでそこまで相手のために動かなければいけないのか、
もうそれを要求してくる時点で、
「コイツは、基本的な人との向き合い方を知らない人間だな。」と感じて距離を置くようにします。

先日のブログでもお伝えしたばかりですが、
相手には相手の人生があり、その貴重な人生の一部を頂戴している、
労力や時間を割いてもらっているという当たり前の意識が持てない人には、
僕自身、自分の貴重な時間を費やしたくありません。

*「メールのやり取りが厄介な人。~相手の人生、時間、労力を考えましょう~」

動かないのもダメ、だからと言って、何も考えず、
中途半端な精神論や上っ面の言葉に酔って猪突猛進するのも筋違い。

この世のバランスというものは本当に難しいものですが、
それらを保つのは、全て周囲の何かではなく、他の誰でもない自分自身だということは
絶対に忘れてはいけない事実だと思います。

身体が不自由な中での移動、移動を繰り返しながら、
ふと、そのようなことを考えていました。


*お知らせ*
*6月5日(日)・札幌ナカトリモチ勉強会参加者募集中です。
*6月12日(日)・仙台ナカトリモチ勉強会参加者募集中です。
*山形タガマヤ村・座敷わらし体験談
*僕が胸を張って、皆さんにご紹介したい人
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付しております。
霊視個人セッションお申込みについてのご案内は、こちらです。
ジョンのリーディング、スカイプ鑑定、随時受付しております。


同じカテゴリー(心の在り方 (2,645)▼)の記事
Posted by 山野本竜規 at 07:26 │心の在り方 (2,645)▼