山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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ぶりっ子とカワイイ。~自分の立ち位置を決める~

2015年03月16日

ぶりっ子とカワイイ。~自分の立ち位置を決める~今日は土地家屋のお祓いの仕事の帰り、天気も良かったので
那覇市首里金城町あたりを散策してきました。

道沿いには花がきれいに咲いていましたが、
やはり僕にとって、この花は「綺麗」と感じるのであって
「カワイイ」にはなりません(笑)。

先日のブログで、10代の若い男性がメンズ服売り場で
「カワイイ~!」を連発してジェネレーションギャップを感じた・・・という内容を
ご紹介したばかりで、僕の場合、カワイイと表現する対象になるのは、
「赤ちゃんや小さな子供、動物しか思い浮かばない。」とハッキリと記していました。

1つ付け加えるとすれば、人によっては女性でも男性でも、
その人の容姿や仕草を「カワイイ!」と表現する場合もあると思いますが、
天邪鬼の僕の場合、その「カワイイ!」仕草の裏には、
人当りを良くするためや、よく思われるための
ほぼ計算し尽くされた演技であったり、本能的に無意識のうちの演出がされている場合が
ほとんどだと感じるので、赤ちゃんや動物以外の場合は、
素直に「カワイイ!」と表現できないのです。

要するに、あまりにもその度が過ぎると「ぶりっ子」と揶揄されるように、
僕は、このぶりっ子臭を嗅ぎ分ける臭覚が異常に発達している、嫌味な奴でもあります(笑)。

件の「カワイイ~」に関してのブログを読んで、
その僕なりの言葉に対する信念をおのずと感じ取っていた長年付き合いのある新聞記者の友人が、
先ほど近況報告のメールついでに、
「きっと、この記事も共感できるだろうから、これも読んでみ!」と
とても興味深いネット記事を紹介してくれました。

さすが長年付き合いがある友人。よく僕のツボを分かっています。

「カワイイと言われたことがない日本人女性に向けてケンブリッジ学生がエールを送る」

イギリスに関連する記事を集めた専門のサイトで紹介されたものらしいのですが、
イギリスやアイルランドなどの大学で日本語を専攻している人たちが
日本語でスピーチするコンテストの内容を紹介したもので、
それが、とても斬新というか、的を射た内容だったので僕も大きく頷いてしまいました。

ここで、その記事の詳細について議論を展開するつもりもありませんし、
ましてや、女性差別だの、何だの・・・ということが言いたいのではありません。

ただ、残念ながら、この日本という国においては、
ぶりっ子が有利な側面が強いのは仕方ありません。

「ぶりっ子=男性に媚びる」というイメージがあるかも知れませんが、
ぶりっ子は計算高いしたたかな女性だけの特権ではなく、
会社で上司や力を持っている人たちにぶりっ子ばかりしている男性なんて
いくらでも存在しているもので、実はぶりっ子をするのに性別は一切関係ないということ。

どうしても「ぶりっ子」というと女性のイメージが定着していますが、
男性だって、思いっきりぶりっ子している人間は、特にこの世の中を見渡せば
いくらでも存在するのは誰でも理解できることだと思います。

特に男性の場合は、この「ぶりっ子=見た目だけ謙虚な姿勢」であることに気づく人は少なく、
やたらと「謙虚」「謙虚」を連発して演技をしている人を見かけることがありますが、
それこそ、世間や力のある人や自分の得になりそうな人たちだけに
上目づかいで媚を売る根っからのぶりっ子であることに気づかなければいけません。

もっと言えば、「自立して自己主張もしっかり出来る人間」が
海外でもてはやされるかと言えば、結局は日本も海外もあまり変わらず
出る杭は打たれやすく、大人しくぶりっ子をしていたほうが無難であることには変わらないのです。

とても極端な例えで申し訳ありませんが、
色々なところで出しゃばっているアメリカという国は、
口には出しませんが、「自分たちが世界で一番」と思っている節は必ずあって、
もし仮にアメリカ以上に発言力、指導力を発揮しそうな国や人物が現れたとしたら
真っ先にとことん、どんな汚い手を使ってでも正義の名のもとに潰しにかかることでしょう。
何故なら、面白くないし、何かと不都合なことが沢山起きるから・・・。

一昔前のロッキード事件なんか、まさにその典型的なケースです。

ここで政治的なこととか、国際的なこととか、そういう類のことをお伝えしたいのではなく、
この世の人間の本質というものが、
基本的に出る杭は打たれる方式で成り立っている側面が強いということは
理解しておかなければいけません。

それは国同士にしても、会社組織にしても、もっと小さなコミュニティにしても、
必ずそこには力の上下関係が存在し、
そこに逆らうことは、上の立場の人たちにとっては面白くないことであり、
下にいる人たちは、逆らうだけ無駄な労力を使い損をすることが多いので、
無難にだんまりを決め込んで、ぶりっ子をしていたほうがいいや・・・という流れになるのは
この世の常でもあるのです。

だからと言って、全てを諦めるとか、そのような世の中を悲観するとか、
そういう発想には僕自身、全くならないのです。

逆に言えば、そのような世の中で、自分がどのような立ち位置で
生きていくことが幸せなのか・・・ということを
自分の性格、生き方、信念や実力、人生の方向性などを見極めた上で
自分なりに満足した人生を追求していけばいいだけの話だからです。

物事はすべてバランスが大切で、このぶりっ子の部分と、
自立した自分自身の部分をどのようにTPOで使い分け、向き合っていくのかによって
その人の人生の立ち位置が定まってくると思うのです。

いつでも刺々しく反発ばかりしていても、組織からは弾かれることでしょうし、
だからと言って、いつでもどこでもぶりっ子ばかりして生きていくのも、
本当の自分を生きていることにはならず、必ずどこかでその弊害が出てくるものです。

皆さんお察しの通り、僕は今、フリーランスなので
そのような社会のしがらみには一切関係なく自由に生きており、
そのような点では一切窮屈さは感じないのですが、
その分、僕自身の存在自体やブログでの発言、ナカトリモチの活動に対しての反発や、
「こいつの存在、どうも癪にさわる。面白くない。」とリアクションを起こされるのも日常茶飯事です。

きっと今の時代、わら人形で丑の刻参りをする習慣があったとしたら、
相当数の山野本人形が、杭に打たれていることでしょう(笑)。

でも、それは僕が自らの意思で、「自分の人生には嘘をつかない。」という
一生モノの人生を選んでいるので覚悟の上ですし、
そのようなリスクを背負ってでも、今の人生のほうが断然、生きやすく幸せなので
僕自身、ぶりっ子をしない人生で大正解だと思っています。

こういう発言ばかりを繰り返すので、アンチ山野本が増えるのも
僕自身、よく理解しているのですが、そんな僕が一旦、組織に所属するとなると、
こんな僕でも多少のぶりっ子はしなければならず、
「このあたりまでぶりっ子をすると心が疲れ、体も疲れるのだな・・・。」という
自分なりのぶりっ子の境界線、限界を知るためには、
サラリーマン生活というものは僕にとってとても貴重で良い経験になりました。

サラリーマン生活を卒業して、今度は海外で世界各国から集まった人たちと
集団生活を送ることになりましたが、
この時感じたのは、「出る杭が打たれるのは、日本も海外も変わらないな。」ということ。

僕はこの時、たとえ集団生活だとは言え、ぶりっ子は一切したくなかったので、
特にその生活をまとめるインストラクターやリーダーにはとても厳しく接していました。

「あなた、リーダーという立場なのに、エネルギーワークだの、何だの言ってる割には、
エネルギーも読み取れていないし、口だけで何もできていないよ。」とか、
「エネルギー云々言う前に、口だけ動かす暇があったら、皆と一緒に肉体労働したら?」とか・・・。

本当のことですが、人は図星のことをダイレクトに言われると、
面白くないものなので、当然僕は、そういう人たちから嫌われますし、
嫌らしい形で、その組織特有の嫌らしい嫌がらせを受ける訳です。

でも、これが世の常であり、
そのような嫌がらせを受けるであろうことも予測できているにもかかわらず、
敢えて、そこと迎合しなかった僕の責任でもあります。

「外国、特に欧米では自立して技術や能力のある人がリスペクトされる。」は
あまり通用せず、たとえ自立していたとしても、それなりの技術や能力があったとしても、
やはり、最終的には、ぶりっ子をどのくらい取り入れて人とうまくやっていくのか・・・が、
組織という中では求められる一番大切な技術なのかがよく理解できた経験でした。

ぶりっ子は日本特有の文化という訳ではなく、
程度の差こそあれ、日本だろうが、海外だろうが、どこでも同じだということ。

そして、それらと関わる本人が、どこまでそれを受け入れ、取り入れ、
自分の中で良しとして生きていくのか・・・。

僕はたまたま、こういうぶりっ子的な生き方が嫌いなので、
それとは真逆の生き方をしているだけですが、
全ての人が同じようにしなくても良い訳で、自分がいかに
自分の人生に納得して満足して生きていけるのか・・・が一番大切なポイントだと思うのです。

あとぶりっ子で思い出すのは、随分昔に放送されていたドラマで、
「恐るべし音無可憐さん!!!」というぶりっ子ストーカーを
面白おかしくしたものがあったのですが、これが馬鹿馬鹿しくて面白かったです。

こういうタイプ、絶対に好きにはなれませんが、
どうせぶりっ子をするのであれば、ここまで徹底していたら、ある意味芸術で
あっぱれな根性だと思います(笑)。

あくまで漫画やドラマの世界の話なのですが、
検索してみたら、なんと動画が出てきました。お時間のある方は、
徹底したぶりっ子ぶり、どうぞご覧下さいませ。

恐るべし、音無可憐さん第一話 ぶりっ子ストーカー登場

あれっ、結局何の話題だったのか、分からなくなってしまいましたが、
世の中、適度に笑い、適度にユルくて、適度に遣り甲斐を感じて生きていれば
それだけで十分なような気がします。

今日は、ぶりっ子という言葉にあれこれ思いを馳せた不思議な1日でした。


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Posted by 山野本竜規 at 19:03 │日常