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カタギの仕事じゃないと幸せになれないのか?
2014年12月11日
沖縄での色々な仕事が連日入っており、
昨日は、那覇市内にあるサロンのオープンパーティーで
霊的世界のお話をさせて頂き、
今日は、新しく家を建てられる方の土地のお祓いで
どちらも、とても心に残る素晴らしい内容だったと
それらの仕事を振り返って、ひしひしと実感しています。
写真の場所は、僕が心静かに自分だけの喜び、幸せを
実感する時によく眺めているお気に入りの場所です。
ここで最近の仕事や、そこで出会った素敵な人たちのことを振り返りながら
ふつふつとわき上がってくる静かな喜び、幸せを感じている瞬間が
僕にとっては何よりも贅沢で、心豊かな一時でもあります。
昨日は以前、このブログでご紹介させてもらった
那覇市田原にあるリラクゼーションサロンneneの稲福由香さんから
親しい方々をご招待するサロンのオープン記念パーティーの中で、
是非、霊的世界のお話をして欲しい・・・という依頼を受け、
前回のお祓いから2度目のサロンを訪問し、
時間が許す限り、命が有限であることや
その他の霊的世界のお話をさせてもらいました。
僕自身が自ら主体となって大人数の前でお話をする勉強会の講演とは
また違った雰囲気だったので、
僕にとってはとても新鮮に感じて清々しい仕事内容だったと感じています。
そして、今日は、また全く違う別の仕事内容。
沖縄で、ご自身の霊的感覚を活かして、
カードリーディングなどの鑑定を行っておられる
スピリチュアリストのNAOさんからのご紹介だったそうですが、
沖縄本島南部の高台に位置する自然豊かな場所に家を建てられる、
NAOさんのお知り合いのご家族の土地のお祓いの依頼で、
その土地に伺い、しっかりと心を込めてお祓いと、土地の鑑定、
土地に宿る自然霊や霊的世界からのメッセージをお伝えすることが出来ました。
これまた、このご家族の皆さんが本当に心温かい方ばかりで
お父さんも、お母さんも、息子さんも、
まるで初対面とは思えないほど親しく、優しく接して下さり
僕も心の底から温かい気持ちになって、お別れをしたほどです。
昨日のサロンでの講演にしても、今日のお祓いの仕事にしても、
このようにナカトリモチという職業、生き方を信頼して、
仕事をどなかたに紹介して下さったり、直接依頼して下さる
心あるお1人、お1人の方に支えられながら
僕は今の活動を心置きなくさせてもらうことが出来ています。
これ以上の幸せ、喜び、感謝の気持ちは、
やはり、これまでの人生の中でも感じていたことではあるのですが、
今が一番、その想いを強く感じられる心豊かな人生であり、
個人的には会社員時代よりも、今のほうが確実に断然、幸せだと感じています。
特に僕は、サラリーマン人生を終えて、
ナカトリモチという仕事にシフトチェンジしてから、
(霊的世界から強制的にシフトチェンジさせられてから・・・のほうが正しいですが、汗)
人との繋がり、そこで築かれていく依存ではない信頼関係、
そういう仕事の中で共有できる喜びや充実感というものが、
いかに貴重で、本当に心の底から有難いものなのか、
身に染みて実感できるようになったと感じています。
昨日のブログで、霊能者という仕事、人生について、
いかに自立して、孤高に生きていく覚悟が必要なのか、
孤高だけれど、それが孤独ではない、いかに充実した生き方なのか・・・ということを
お伝えしたばかりです。
その真意、根底には、
自営業者だったとしても、全て1人で何もかも決めて行っているようでいて、
その見えない背景、周囲には、このようにしっかりとした心ある人たちの理解があり、
そういう発展的な心ある人たちに支えられて生かされている・・・という気持ちが
常に僕の魂の中に刻み込まれているからこそ、
今のナカトリモチという立場で活動をさせてもらうことが出来ていると確信しています。
そういう有難さをひしひしと噛みしめながら、
先ほどフェイスブックを覗いたら、グッドタイミングで
とても共感できる記事が取り上げられていたので、そのリンクを貼っておきますね。
http://ameblo.jp/toki718/entry-11962862836.html
今、世間を騒がせている東京キー局の女性アナウンサーに内定した学生さんが、
過去に銀座のホステスとしてアルバイトをしていたことを
内定後に人事担当者に伝えたら、その局から一方的に内定を取り消された・・・という
本来であればゴシップニュースにあたる、どうでもよい内容なのですが、
そのことについて、元銀座のホステスを経験された方が書かれている記事が見事なのです。
勿論、賛否両論ありますし、
職業差別と声高に叫ぶ人たちがいるのも分かりますが、
僕は基本的に、この記事を書かれた方(全く存じ上げない方ですが。)と全く同じ見解です。
その詳細については触れませんが、
もし、お時間があって関心のある方がいれば、リンク先の記事をご覧下さいね。
そして、そこには元プロとしての誇りだけではなく、
職業を超えた1人の人間としての誇り、覚悟をもった生き様を感じられて
こういう誇りをもって清々しい生き方をしている人たちがいることを
僕は心から嬉しく感じています。
閑話休題。
僕の今の職業は、正直ぶっちゃけますと、
カタギの仕事だと思ったことは僕自身、これまで一切ありません。
だって、ナカトリモチは要するに霊的世界の通訳、
一般的に知られている言葉で表現すれば、「霊能者」なんですよ。
もう、その時点で怪しいったら、ありゃしません(笑)。
仮に僕自身が、その他の見ず知らずの初対面の人に
「私は霊能者です。」と相手から一方的に自己紹介されたら、
差別をすることはありませんが、先ずは、思いっきり警戒することでしょう。
怪しいですし、何を考えているのか分からないですし、
「ヘンな新興宗教に勧誘されないか。」とか「怪しい壺やお札や仏具を勧めてこないか。」とか、
はたまた、「頭の上にお花畑が広がっていて、光だの天使だの守護霊だの
現実逃避ばかりして、ちょっと逝っちゃってる人なんじゃないか。」とか、
この僕だって、思いっきり警戒しますもん。
とりえず、その技術、能力は別として、
まがりなりにも同じ職業を名乗っているにも関わらず・・・ですよ。
「霊能者、ユタ、カミンチュ、スピリチュアリスト」
世間からしてみれば、
もう、この職業を名乗っている時点で、思いっきり怪しく、
そこに社会的な信用も立場もへったくれもありません。
だから、そのような意味で、僕自身、
この業界に身を置く時点で、崇高な何かを求められたとしても、
神聖性を求められたとしても、
決してカタギではないという自負があります。
霊能者と名乗るだけで、賃貸物件を探すのも苦労しますし、
実際に僕はそれで一度、断られたことがあります。
これが、世間一般の常識、価値観なのですが、
僕はそういう社会の風潮を「理不尽だ!」なんて感じることはなく、
やはり、それはある意味、まともな判断だと思うのです。
ただ怪しいだけの職業の人に社会的信頼があるなんて
誰も思いませんし、そういう人にお金のリスクが伴う賃貸なんて
誰もが一度は貸す側だったら躊躇するはずだからです。
僕のそれまでのサラリーマン人生、肩書きは
放送局の社員アナウンサー、神社神職。
どれもカタギの世界であり、社会的には普通に信頼を得られる職業、立場でした。
もし、そのような側面だけで捉えるならば、
世間一般で言われている安定、信用は十分に約束され、
何の苦労もせずに生きていけることでしょうけれど、
何度でもしつこいくらいにお伝えしますが、
僕は、社会的信用を十分に活用できたサラリーマン時代よりも、
社会的信用が一切ない今の人生のほうが確実に幸せなのです。
逆にカウンセリングにお越しになる色々な方と接していると
既にそういう社会的信用、立場を不自由なく持っているにも関わらず、
深刻に悩み、自らの道を見失い、
決して幸せな心の状態ではない人たちも大勢いるのです。
一体、何が違っていて、何がそうさせているのか・・・。
確実に1つだけ言えるとするならば、
どのような職業、立場の人であれ、
自分の仕事、生き方に誇りと覚悟を持てない人生というのは、
絶対に心の底から幸せではないということです。
僕自身の偏った人生に当てはめてみると、
そこには自分の仕事に対する誇り、人生に対する覚悟と喜びが根底にあり、
そこで1つ1つ出会っていく心ある人たちとの繋がり次第で
いかようにでも、自分の人生を心豊かに生きていく道があるものだ・・・ということを、
仕事や関わる人や目の前の出来事などから
しっかりと学ばせてもらえる環境が整っていること自体が
もう既に幸せなことだと心の底から感じています。
社会的信用がない職業だったとしても、
心の底から誇りをもって生きていれば、
必ずその崇高な部分に共感し、信頼をして下さる方の輪が
1人、1人と確実に広がっていくものだということを、
カタギではない今の仕事を通して、実体験として積み重ねているので
こればかりは、もう、どうしようも変えられない、
僕の中の真実そのものなのです。
そう言えば、思い出したことが1つ。
僕は高校卒業後、お金がなかったので新聞奨学生として
奨学金をもらいながら大学に通ったのですが、
その業務の中の1つに、配達担当地域の家の集金業務も含まれていて
1ヶ月に1回、各家庭を訪問する仕事がありました。
快く接して下さる家もあれば、その逆もあり、
おおよそ新聞社のユニホーム(ジャージ)を着て訪問するのですが
その姿を見ただけで、あからさまに差別的な視線、見下した態度を取る
年齢的には立派な大人でも心が未熟な人たちも中にはいました。
「どうせ、あなたの仕事って新聞配達員なんでしょ。
この家の敷地に入ってくる立場、身分ではないし、
さっさとお金払うから早く玄関から出て行ってよ。」とのたまった、
自称、大学教授の人生に欲求不満な、成金おばさんが本当に存在しました。
当時、高校を卒業したばかりで社会経験が未熟な僕は、
それはそれは腹が立って、当時感じた若輩者の過激な表現で申し訳ありませんが、
そのおばさんを呪ってやりたい・・・、いやいやっ、消えて欲しい・・・、
まぁ、要するに、そういう人とは二度と会いたくないし、
接したくもないと感じた苦い経験があります。
「霊能者という立場の人が、呪うとか、消えて欲しいとか、
そんな発想したらいけません!」なんて
リアクションを起こす人もいるのかも知れませんが、
霊能者である前に、僕は1人の情を持った人間であり、
なんせ、霊能者って社会的信用のない、カタギではない仕事ですからね・・・。
まっ、これは半分冗談だとして、
ある程度、人生経験を重ねてきた今ならば、
件の成金おばさんの態度も、一時的に思いっきり腹が立ったとしても、
「まぁ、人生に欲求不満な不細工で不幸なおばさんだな。」と最終的には
心の中でその出来事を一蹴できると思うのですが、
当時は、それはそれは悔しくて仕方がありませんでした。
ただ、それと同時に感じたのは、
「じゃ、もし自分が逆の立場だったら、どう接するのか。
どのように感じるのか、大人の立場になって考えてみよう。」と
強く強く感じたのも事実です。
やっぱり僕は、ああいう不細工で不幸な生き方はしたくないし、
そういう価値観で人生を歩むのは嫌だな・・・と素直に感じて、
そこから1つの自分自身の人生の基盤のようなものが出来た感覚があります。
本当に厭味ったらしいおばさんだったのですが、
僕の人生の基盤を築くためには、必要悪だったのです。
それと同時に、職業や立場で僕自身はその他の人を差別はしないけれど、
この世の中には、そういう色眼鏡だけで人の真価を問う風潮、
そういう社会のシステムがあるのが当たり前だという、
この世の影と光の部分をしっかり現実社会の中で気付かされた
最初の経験でもありました。
職業差別をするのは絶対に賛成できませんが、
誰の心の中にも、そういう表面的な信用、立場だけで
物事を判断する基準があるのも、これまた真実です。
もし、あなたが結婚をする際、その相手が元犯罪者とか、
カタギの仕事ではないとか、そういう背景があったとしたら
何の不安もなく、即決できますか?
正々堂々と家族や親しい人たちに紹介できますか?
はたまた「私の親友の職業は霊能者です。」なんて
その人のことを知らない第三者が見聞きしたら、
「えっ!?あなた、何か怪しい新興宗教とか入ってるの?
精神は大丈夫?」などと周囲に心配される恐れがあり、
そういうことを堂々と言える人なんて、そうはいません。
これが普通の価値観であり、世間一般の風潮なのです。
だからこそ、そういうことを理解した上で
自らの誇りを失わず、この世を生きていくのが
本当に聡明で幸せな人たちの人生だと感じているのです。
そういう物事の本質も深く理解しようともせず、
カタギではない仕事、人生を選ぶ、そこに憧れだけで、
ちょっとした人生経験のために足を踏み入れるという
お遊び感覚、自分探しの旅的な発想がいかに愚かで幼く、甘ったれたものなのか・・・。
そして、その道で覚悟と誇りをもって仕事をしている人たちに対して
それがいかに失礼な態度、生き方であるのか、しっかりと自覚しなければ
いつまで経っても変わらず、「認めてくれない社会が悪い!」「自分は正しい!」と
わがままな子供のようにダダをこねて、
周囲に迷惑をかける生き方しか出来ない不細工な人生を送ることになるでしょう。
そういう臭いものに蓋をして、真実を見ずに
理想だけを述べているような人たちは、
やはり、どこか中途半端で心の闇があり、何より
自分の人生に対する、そして世の中に対する意識が足らない、
甘ったれだと感じています。
僕が、霊能者という仕事は、憧れだけでなるものでも、
なりたいと思ってなる仕事でも、
簡単に中途半端な資格を得てなるものでも何でもなく、
一生涯の命を懸けて、真剣に向き合う覚悟と誇りと、
それに見合う宿命が揃っていないと出来ないものなんだ・・・と
このブログで再三お伝えしているのは、まさにこういう事実があるからなのです。
それは、霊能者だけではなく、
どのような職業、人生を歩む人でも基本は同じこと。
自分の人生がうまくいかない理由を、
社会の責任、国の責任、周囲の人や環境、風潮、時代の責任にして
現実を見ずに逃げてばかりいる人たちは、
一生涯、そういう不細工で欲求不満な生き方しか出来なくなってしまいます。
僕はそういう人たちとは一切心が通い合えないものですし、
基本的に深いご縁自体がありませんので、
これからも、自分の仕事、生き方、人生に誇りをもって
イキイキと輝いて生きている人たちと一緒に、
良い人生の共有をしていきたいと改めて思いました。
だから、僕の今のナカトリモチという人生自体が、
そして、それを理解して下さる人たちの存在自体が、
本当に、本当に有難いと感じているのです。
自分の人生に誇りをもって生きる覚悟と行動力さえあれば、
人は必ずどのような立場、職業、人生だったとしても
絶対に幸せに、心豊かに生きていけるものです。
ここ最近の素敵な人たちとの仕事の出会いを振り返りながら、
とても明るく、穏やかな気持ちになりました。
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Posted by 山野本竜規 at 16:06
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