山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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霊能者が組織、団体に所属したがる理由。~孤高と孤独の違いに気付くべきです~

2014年12月10日

霊能者が組織、団体に所属したがる理由。~孤高と孤独の違いに気付くべきです~ 霊能者が組織、団体に所属したがる理由。~孤高と孤独の違いに気付くべきです~

昨日、福岡出張から沖縄に戻ってきて、今日から早速、
こちらでの仕事に取りかかっています。

写真は昨日、福岡から沖縄に戻る途中の機内から眺めた
熊本・阿蘇山の火山灰の様子です。

山頂あたりからモクモクと火山灰が噴き出していて、
上から眺めると、雲かと思っていた広範囲にわたる、うっすら白っぽいものは
全て火山灰だということが分かりました。

火山灰に覆われている地域と、そうではない地域がはっきりと分かれていて
なんだか、この世の人間の勢力図というか、
長い物には巻かれろ・・・的な発想と、そういう世相とは意に介さず
自分の道を進む人の色分けのように個人的に感じました。

空の表情って、本当に豊かでその時の心境によって
色々なイメージ、インスピレーションを与えてくれますよね。

実は今年の10月くらいから、立て続けにポツリ、ポツリ、ポツリと
全国各地に存在する霊能者団体のような組織、
はたまた、それに似通った新興宗教のような組織、
名前も全く知らない海外のスピリチュアル団体などから
「我が組織に入ってくれないか?」という突拍子もないオファーが来ていました。

それはどこも、ただの組織勧誘ではなく、
そこで霊能の技術を組織に所属する現役の人たちに教えて欲しい・・・という
これまた何とも突拍子もない無謀なオファーだったのです。

僕のカウンセリングや土地家屋のお祓い、
はたまた勉強会の講演などナカトリモチの活動に過去に一度でも触れて
その本質を理解された方なら百歩譲ったとして、
そういう勧誘の行為が、まだ多少なりとも理解は出来たとしても、
そういう理由からではなく、
「このブログを見て」とか「他の同業者から伝え聞いて」など
どれも曖昧で、詰めが甘いというか、いい加減な情報から
霊能技術を共有したい・・・というオファーだったので勿論、即答で全てお断りしました。

それに僕は組織や団体、
それが特に霊能者やスピリチュアル業界のものであれば
尚更、そこに所属するということが何よりニガテなのです。

人が集まれば、それだけ色々な縛りやしがらみ、
同業者同士のやっかみや足の引っ張り合いなどが
どのような業界でも必ず起こって、
そんなことにイチイチ巻き込まれるのも馬鹿馬鹿しいと感じているからです。

というより、「何故に、そんなに群れたがるんだよっ!」と
こういうスピリチュアル団体、精神世界の業界の弱さというか、
この世の人の心の弱さを痛感するようで、決して良い気分にはなりませんでした。

日本のスピリチュアル団体の組織にしても、
はたまた海外の同じような組織にしても、おおよそにして、
精神世界や霊的世界を語る前に、勉強する前に、
現実の社会の中で、当たり前の人としての勉強が出来ていない人たちの割合が
どこも圧倒的に多くて、
僕は、そういうある種のマインドコントロール、現実逃避ばかりして
目の前の生活、人生を大切に出来ない人たちが何よりもニガテで大嫌いなので
どのような組織の理想を掲げられて、アプローチされてこられたとしても
中途半端に群れる時点で、もう間違いだと感じています。

僕にしても、同業者で同じような価値観を持つ
イギリス人のジョンにしても、
特にこのスピリチュアル業界で群れること、どこかの組織に所属することが
いかにマイナスの要素が大きくて(人間勉強、人生経験としてはプラスになりますが。)
いかに無意味なことなのか、それぞれの経験を通して
十分に理解しているので、お互い、自分の信念をしっかり守り、
それぞれの能力の分野を役立てる意識を保っています。

*「3人の魂会議。~宿命の能力、技術は教えられるものではない~」

沖縄のスピリチュアル業界も、おおよそ似たような感じで
似たような中途半端な人たちが集まった共依存で成り立っています。

何故に、こうも、群れたがるのか・・・。

答えは明確で、ズバリ、自分自身に、そして自分自身の活動に、
何より自分自身の能力、やっていることに対して自信がないからです。
こういう心の状態、人生って
いくら周囲に人がいようが、組織や団体に所属していようが
本当に孤独で残念な人生だと感じています。

だから、霊能者団体やスピリチュアル組織に所属して、
そういうちっぽけな枠の中だけで認めてもらおうとしたり
その枠の中だけで通用する資格や立場などを得て
安心感を得ようとし、結果的に外の世界では全く非常識な、
全く通用しない、共感も得られない、いびつな人生を歩んでいくことになっていくのです。

スピリチュアル業界、はたまたエネルギーワークの団体に所属している人たちが、
カルトだとか、洗脳された人の集団だとか、怪しいだとか
世間一般の人たちから敬遠されるのも、こういうことが理由だと思いますので、
ある側面では、正しい判断だと言えるでしょう。

そのちっぽけな組織なり団体で認められたマスターだの、ティーチャーだの
はたまたプラクティショナー(プロの資格者という意味)だの、
それが霊的なものであれ、その他のエネルギーワーク的なものであれ、
何かしらの資格というものは、広い広い世界、外部の人たちからしてみれば
そんな肩書き、本当にどうでもいいことであり、
最終的には、そんな表面的な飾りではなく、
その人の生きる本質、人間性や価値観の有無を判断して
それらを求める他の人たちは、何かしらのオファーをしてくるのが普通です。

そして、その資格とやらが、立場とやらが、
僕からしてみると、完全上から目線で申し訳ないのですが、
特に霊能者業界、スピリチュアル業界では
本当にあまりにも中途半端で、本当の霊能力、霊視技術には程遠い、
下らない技術、能力とも呼べないものなのです。

そういう理由から、僕は海外の組織で得た資格を全て捨てて
それすら名乗ることもせず、ただのナカトリモチと名乗るだけで十分だと理解したので
それだけで今、本当に心豊かで幸せな仕事、生活、人生を
与えられていると感じています。

僕が所属していた海外のスピリチュアル組織では、
ある資格をマスターと呼ばれる人から与えられると、
その団体から一生離れないようにするために、所謂、洗脳するために、
「この能力をマスターが授けたら、資格を授けたら、
この団体のエネルギーが宿っているため、組織を離れると
その人の人生が少しずつ狂ってくる。それくらい大切で貴重な能力だ。」と伝えられていました。

もう、この時点で完全な脅迫、共依存、洗脳なのですが、
そのちっぽけな枠にいる中では、それが常識であり、特別で素晴らしい名誉なことであり、
それを疑う人なんてほとんどおらず、
こういう残念な状態が、組織内のあちこちで起こっているのに
それすら気づかない、その本質すら気付けない人たちで溢れかえっていたのです。

だから、その組織の名称、資格を名乗らなければ
外の世界では生きていけませんし、
資格を名乗る、組織を名乗るというのは、つまりはそれで
上手くその人を利用して、普及活動をする、組織を維持するための資金を得る、
精妙で嫌らしいシステムが成り立っていることに気付けない限り、
そのマインドコントロールからは、一生逃れられないことでしょう。

ただ、これは日本のスピリチュアル業界だろうが、海外の業界であろうが、
組織、団体というものになってくれば、皆、似たり寄ったりなのです。

先日の福岡のカウンセリングにも、同じような経験をされた方が
お越しになりましたが、「自分の能力を磨くため、色々な組織、団体で勉強しようとするのですが、
ここも、(前と同じ残念な組織)同じか。」と
毎回、毎回、残念な想いをする繰り返しで疲れてしまっていたそうです。

これは、霊能者、そしてスピリチュアリズムの本質を学ぶ人たちにとっては
ある種の通過儀礼というか、誰もが一度や二度は向き合わなければいけない
宿命、課題のようなものです。

ほんっと、どこの団体、組織に行ったとしても、本物というものには
なかなか辿り着けず、最終的には、その組織に依存する組織人たちの
残念な人間性に幻滅して、そこを離れていく・・・ということが
あまりにも多いのです。

そういう時が、本来であればチャンスなのだ・・・と僕は自らの経験からお伝えしたいのです。

僕が日本ではなく、海外のスピリチュアル団体に所属した理由はただ1つ。

日本では霊能者として、ある程度の活動をさせてもらっているけれど、
広い広い世界に出たら、どこまで自分の能力、技術が通用するのか
その立ち位置、感覚を経験したかったからです。

何故なら、霊能者という仕事には教科書もないし、
誰かが具体的な技術を教えてくれる訳でもない、
そして、どういうやり方をして、どういう訓練をしたら
その技術、能力が発達していくのか、最終的には仕事として成り立っていくのか、
そんなことは、誰も教えてくれず、1人でそこと向き合わなければいけない
完全に孤高の仕事でもあるからです。

僕の場合は、海外でその立ち位置を確認するために
一定期間、組織に所属してみましたが、
本当に厭味ったらしい言い方で申し訳ないのですが、
力比べ、能力比べにもならないほど、初歩の初歩の初歩のことしかやっておらず
霊能力が通用する、しない、以前の人間的な問題が多くて
「やっぱり、こういう組織って人が集まれば集まるほど
日本だろうが、海外だろうが、下らないものなんだな。」と素直に理解できた貴重な経験でした。

では、組織に所属しない(頼らない、依存しない)、誰からも技術を教わることが出来ない
孤高の霊能者たちは、どこから学んでいるのか・・・。

このブログをご覧になっている聡明な読者の方だったら、
すんなり理解できることかと思います。

全ての魂の修行、訓練は、そういうエネルギーワークの団体や組織にあるのではなく、
現実の社会、人間関係、生活そのものの中から学び、
そこから気付き、魂を磨いていく材料が沢山あるのです。

人付き合いにしても、仕事にしても、そこと向き合えば
必ず色々な問題が生じるものですし、そこと向き合う中で
自分だったら、どのように対処していくのか、
それを積み重ね、積み重ね、繰り返していくうちに
自然と、霊能という分野の技術のコツが掴めてくるのです。

そして、それは、ただ現実社会から学んでいるだけではありません。

何よりも100%、霊的世界を信頼しきって、全てを委ねて
そこに全力を注いで努力をしていく、自己研鑽をしていく覚悟を求められ、
それが出来てきた時にこそ、
ようやく霊的世界から、その人の成長に合わせて必要な技術、能力を磨く方法、ヒント、
それを知っている人などのご縁を与えて、成長させていくシステムなのです。

ですから、霊能者と名乗るのであれば、
霊的世界を100%信頼して生きていかなければいけません。

目の前には食べていくための生活があって、
そういうお金の不安が出てきた時、人は当たり前ですが
「このままでいいのだろうか。」と不安になり、
ついつい、他の組織や団体という名称、肩書き、
はたまたマスターやティーチャー、その他の何かに頼ろうとしてしまいます。

僕からすると、その時点で、もう素人と同じこと。

もし、霊的世界が自分自身を、その通訳の道具として
使って下さる意図があるのであれば、
上手くいくときは上手くいくし、ストップさせられる時はストップする。

ストップした時は、「あなたは霊的世界の道具としては不適格です。」と
宣言されているようなものだから、
さっさと気持ちを切り替えて、別の仕事を探して心豊かに生きていこう・・・。

僕は、素直にそう思っています。

だから全て、霊能者という仕事はなろうと思ってなる仕事でも、
選ばれてなる仕事でも、組織から資格を与えられてなる仕事でもなんでもなく、
あくまで霊的世界の意図、「コイツは、道具として使える見込みがある」と
道具にされる機会があれば、そうなるだけのことなのです。

これは霊的世界に選ばれているとか、そういう陳腐で下らない発想ではなく、
あくまで、ただの道具として使いやすい、
またはその道具として生きる宿命を
自ら設定してきたからこそ成り立っているものなのです。

そこに何かを失う恐れは全くありません。

もし、今、僕が何かしらの心違い、勘違いをして
霊的世界の道具としては役に立たなくなってしまったら、
きっと全てが上手くいかなくなり、ストップがかかることでしょう。

そうなった時は、自分の心違いを反省し、
しっかり冷静にその原因を見つめて同じ失敗を繰り返さないように
その道か、はたまた次の別の仕事かで、
自分の人生を心豊かに生きていく術を見出していくことでしょう。

ここまでの覚悟、全信頼を霊的世界に委ね、預け、信頼しているからこそ、
ナカトリモチという活動をさせてもらっているのです。

逆にこの業界、職業のとてもとても恐ろしいところは、
最初の動機はまともだったとしても、
その組織や業界に居座り続けることで良識というものを失くしてしまい、
勘違いをしたり、心違いをしたりして、
あっという間に、宗教霊や、ご先祖様霊
はたまたその他の未浄化霊に憑依される危険性が
誰にでもあるということ。勿論、僕にだってその危険性があります。

実際、多くのスピリチュアル業界に携わる人たちは、
何かしらの未浄化霊の憑依を受けて、おかしな発言、発想をする人たちが多くいます。

それらすべてが人間性として表れてくるので、
僕は、霊能者であろうが、普通の社会で生きる人たちであろうが、
人間性を重視しない人、つまり人間力のない人たちは
どのような職業、立場、人生の人であろうが、一切受け付けません。

そういう人たちの心のどこかには隙間があるので、
必ず厄介な未浄化霊の憑依を受けて、
それで周囲の人に迷惑をかけることが多いからです。

僕が所属していた海外の団体も全ての人がそうだとは言えませんが、
人間性が残念な人の割合が多かったということは、つまりはそういうことだと思います。

霊能者という職業は他人から理解される、
認めてもらう仕事、人生ではなく、あくまで孤高と共に
(孤独ではありませんよ。)
自らが霊的世界の道具となるべく自己研鑽を重ねていく人生を求められます。

その技術、能力を発達させるためには、
組織や団体から学ぶことなんて、基礎の基礎の基礎の知れたものであり、
そこから脱却できたのであれば、今度は自らの信念を貫きながら、
霊的世界に全信頼を置き、現実の社会から学ばせてもらう・・・という姿勢が大切です。

それが何よりの教科書であり、実技試験であり、
そういう積み重ねをしていく中で、霊的世界が
技術、能力向上に必要な知識、人物などのヒントを運んでくるものです。

だから僕は殊、スピリチュアル業界の組織、団体とは
100%そりが合わず、そこを求めようとも、依存しようとも思いません。

全てを教え、導いて下さるのは、他の誰でもない霊的世界の
おおいなる存在であり、
その存在たちが繋いでくれた仕事や人生の中で出会う人、
出来事などから学び、技術、能力を磨いていくものだからです。

そのような意味で、スピリチュアルな組織、団体から
いつまで経っても離れられないような人は、
本来のスピリチュアリズムの観点から捉えれば
とても中途半端、宙ぶらりん、本物の覚悟も自信も信念も
自分自身で全責任を負って築き上げていくことが出来ない
やはり中途半端な人生を送っている段階だということを理解して下さい。

そこから離れず、ずっと依存し続けるのも、
そうではない生き方を模索して再スタートするのも
全てはその本人次第です。

霊的世界を信じるか、それとも、ちっぽけな枠の組織や団体、それらに付随する
お飾りのような資格や立場を信じるのか。

どちらが本物のスピリチュアリズムの真実なのかは、
聡明な人であれば、そのうち気付いて、自分なりの人生を歩んでいくことでしょう。

僕は、僕なりに、ただのナカトリモチとして、
霊的世界に全信頼を置いて、今の生活をしっかりと満喫していくつもりです。

1人のようでいて、周囲には必ず心ある理解者や協力者、
優しく見守って下さる温かい人たちがいてくれます。

孤高と孤独の違い、これでお分かりになりましたでしょうか。

どのような人の人生であれ、多少なりとも
共通する部分があるのではないかなと感じた、ここ数ヶ月の出来事でした。



*お知らせ*
*12月20日(土)沖縄ナカトリモチ勉強会参加者募集中です。
*土地・家屋のお祓い、随時受付募集しています。


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Posted by 山野本竜規 at 12:03 │心の在り方 (2,645)▼