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霊能者の仕事を物真似する人たち。~誇りのある人生を生きる大切さ~
2014年09月04日
まずは福岡、そのあとすぐ、土地家屋のお祓いの依頼のため
青森まで訪問させてもらう予定で、
しばらくの間、沖縄の自宅ともお別れになります。
僕の仕事は、県内だろうが、県外だろうが、海外だろうが
どこに行っても変わりありませんが、アウェーでの仕事は
それなりのエネルギーの保ち方があります。
既に県外出張モードに切り替えるための
エネルギーを整える準備をしているのですが、
このブログで、その内容をお伝えしたところで
やはり、その道に一生を捧げている人間でないと理解できないことだらけなので
その詳細はお伝えできません。
ここ最近、季節の変わり目になってきたのか、
この季節の変わり目特有の少し変わった人たちからのメールが増えてきて
「霊能者になりたいので、その方法を教えて下さい。」とか
「具体的にどのような能力を使うのですか。」
「霊能者は養成講座を受ければ、なれるものなんですか。」などと
とても残念な質問メールが届くことが続いています。
この手の質問に関しては、過去に嫌というほど
何度もご紹介しているので、ここで敢えてその詳細を
お伝えするつもりはありませんし、
その霊能者という立場で仕事をしている僕からすると、
そこまでして霊能者になって、何の得があるのか全く理解できません。
*「霊能者なんて目指さないで。」
*「霊能者、なろうと思ってなる仕事ではありません。」
*「弟子は募集していません。」
*「しつこいくらいに、何度でも否定します。」
そもそも、その霊能者と名乗る人たちでさえ、
自分にどのような才覚があり、どの分野の能力を活かし、
どの霊能の専門分野を極めて、それを他人様のお役に立てていくのか・・・ということを
明確にアカデミックに考えて、説明できる人なんて
ほとんどおらず、「霊能者=なんでもやる」という節操のない
領海侵犯をしてしまう中途半端な輩があまりにも多いような気がします。
たとえば、アナウンサーの仕事であれば、
アナウンサーの仕事の中でも、
テレビ向きなのか、ラジオ向きなのか・・・という本人の向き不向きから始まり、
ナレーションが得意な人もいれば、フリートークが得意な人がいれば、
ニュースのような硬派な報道番組に向いている人、
明るいバラエティ番組に向いている人、
完全にスポーツ実況に向いている人など、
その人の資質や性格や努力によって、その方向性は全く違うものです。
また、「事務職」と言っても、経理が得意な人もいれば、
その他の業務が得意な人もいて、その分野も様々。
家事育児にしても然りで、
料理が得意な人がいれば、掃除が得意な人もいます。
子供と向き合うのは大好きだけれど、料理や掃除が苦手な人もいます。
これらと全く同じで、「霊能者」と言っても、
その専門分野は様々で、それらをオールマイティーにやろうとする
あまりにも浅はかで中途半端な知識しか持ち合わせていない、
同業者とも呼びたくない中途半端な霊能者があまりにも多くて、
もう少し、プロとしての自覚と本当の誇りを以てもらいたいものだな・・・と
残念に感じることが多いのも、この仕事ならではです。
僕は元来、これでも、アナウンサーや報道記者として
言葉、表現を実務的に積み上げてきた人間なので
一般の方に比べれば、伝えたいエッセンスを、
その時の状況に合わせて、瞬時にピックアップし、
霊的世界から伝えられるメッセージを、
なるべく分かりやすく、明確にお伝えする翻訳機、通訳機に徹する技術があります。
技術がある・・・というよりは、
そのような経験を無意識のうちに積まされてきた・・・と言ったほうが
正しい表現でしょう。
だから、このブログも飽きることなく、毎日、毎日、
あれこれ言いたい放題、更新し続けることが出来ます。
そして、言いたい放題、書きたいことだけを書いているようでいて、
そこには、全ての責任を1人で負う命を懸けた覚悟もあり、
また、敢えて粗暴な言葉も、厳しい言葉も
良識の範囲内で吟味に吟味して、それでも覚悟を以て
発信している側面があります。
これでも、一応言葉や表現のプロでもあるので、
どのような言葉を使えば、他人からの評判が良くて、
どのような言葉を使えば、他人から批判されやすいのかも、
一般の人以上に理解している上で、
変幻自在に言葉を使いこなせる自信がある上で、
それでも敢えて、評判の良くなるような、
一般受けしやすい言葉をチョイスせず、自分なりの信念からくる
厳しい言葉を使って、メッセージを発信し続けています。
ただ、感情の垂れ流しのようにインパクトのある言葉や
厳しい言葉、メッセージを発しているのではなく、
これでも、何度も反芻して、文章をある程度頭の中で推敲(すいこう)して
組み立てている、とても実務的な頭で、
いつも、このブログを更新しているのです。
これが、言葉を使う表現のプロの経験を活かして、
今のナカトリモチという立場、人生に覚悟を以て
霊的世界の真実を発信し続ける意義でもあります。
基本は表現することで、自分自身の生き方の確認作業になり、
それがスピリチュアリズムという人生哲学の普及にも繋がり、
こういう作業が苦にならない技術を積み重ねてきているからです。
時々、僕自身の表現や文章を真似たり、
同じような立場でブログを書こうとする同業者やヒーラーなどがいますが、
それは畑違いで、もともと培ってきた、また実践してきた土台が違うので
いくらライバル視されたり、物真似をされたところで、
やはりそれは二番煎じどころか、言葉や表現が空振りするのみなので
等身大の自分で、自分らしく生きる表現をしたほうがいいのにな・・・と
老婆心ながら感じることがあります。
今の世の中は、何でも人の物真似、やっていることを
そのままコピーして表面上だけ、それらしくする人が多いような気がしますが、
たとえば、アジア諸国で見られる色々なコピー商品に触れて、
心から清々しい気持ちになれる人なんていますでしょうか。
最初は物真似でも構いませんが、基礎が出来たら
今度は、そこから自らの経験を元にした表現にならない限り、
何の説得力も、深さも共感も生まれません。
ブログを書くことに関しても全く同じで、
表面上だけ僕の物真似をして何かを書き続けたところで
そこに本人の実践や積み重ねが伴っていなければ
その言葉は本当の意味で、心ある人に届くものではなく
あくまで中途半端なものを求める人同士で惹き合うような
残念な繋がりになることでしょう。
どんな職業の人であれ、
餅屋は餅屋であるということを忘れてはいけないと思います。
霊能者は、霊能者の範囲内のことしか出来ませんし、
たとえばそれが、うつ病などの心の病気となれば、
国家資格を持った専門医のところに行くのがベスト。
最近はその逆で、霊能者でもないのに、
「エネルギーが!」とか「見えない存在が!」と
軽々しく口にする、餅屋以外のカウンセラーやヒーラー、
治療家が増えていますが、
それも本来であれば言語道断で、餅屋は餅屋に徹するべきであり、
軽々しくエネルギーだの、見えない存在のことを口にするのであれば、
まずは、そのエネルギーなり、見えない存在のことを
仕事として極められるくらいの実践と経験をして
そのことを公言して活動しなければいけません。
とにかく中途半端な領海侵犯をする、
プロ意識の低い輩が、あまりにも多い現状に
「もっとプロとしての本物の誇りを以て生きられないのかな。」と感じています。
それは、プロがプロとしての自覚と誇りを持つために
最も基本的な仕事に取り組む姿勢そのものに繋がっています。
僕は、ナカトリモチという活動を主軸にして
霊視個人セッション(カウンセリング)や勉強会の講演、
はたまた、これまた特殊な専門分野である土地家屋のお祓いを
一生涯の専門分野として、日々、色々なクライアントさんと向き合いながら
その精進に努めていますし、
年に1度、言霊という形で、その1年の指針となるメッセージを
書き下ろす活動もさせて頂いています。
どれも、僕自身の経験、才覚をフル稼働して
命を捧げて行うほどの大仕事で、
僕自身も、その時、その時、精一杯なのですが、
それらを表面的で中途半端にアイデアの1つとして簡単に真似してしまう、
生きる誇りが全く感じられない輩が相次いでいて、
これに関しては、素直に怒りを覚えてしまいます。
言霊だって、立派な専門分野。
土地家屋のお祓いだって、とてもマニアックな専門中の専門知識と経験、
それに加えて、霊的世界が「この人を道具として使おう」という意志がないと
その力を存分に発揮することはできません。
カウンセリングにしても、勉強会の講演にしても、
そして、このブログにしても、全て同じスタンスです。
どれも自分の専門分野のことに関しては
一切手抜きはしていませんし、
そういう姿勢でなければ、仕事というものは務まりません。
どんな仕事の専門分野でも同じことが言えますが、
その専門分野のプロと名乗るからには、それなりの知識と経験と才覚が必要で、
それに加えて、霊能者という職業は、
自らの意志で「この分野をやりたい!」と思っていたとしても、
霊的世界がそれを認めなければ、
つまりは、霊的世界の通訳の道具として、霊的世界から認められない限り、
この仕事は務まらないものなのです。
ちょっと霊感があるだけ、感じやすいと勘違いしているだけで
「私は霊的世界に選ばれた人間」と大きな勘違いをしてしまうバカ者もいますが、
そんな単純なものでも、お役目でもなく、
あくまで、「強制的にさせられている側面もあるけれど、
そこには、ささやかな喜びや幸せも感じる」といった
その立場でしか絶対に理解できない心の機微というか、
温かい感覚があり、これを心の底から共有できる人は、
少なくとも僕の場合、同業者では、ほとんどいません。
言霊を真似されたり、土地家屋のお祓いを真似されたり、
ブログの表現や立ち居振る舞いをコピーしたかのように真似されたり、
とにかく、僕は、そのような生きる覚悟も、
仕事をする本当の意味での信念、誇りの欠片もない人たちは、
霊能者だろうが、他の職業の人だろうが、
仕事人として、心ある人として失格だと感じています。
誇りを以て仕事と向き合う職人であれば、
どんな人でも感じるはずです。
自分が向き合っていく専門分野は、
専門分野だからこそ、一生涯懸けて取り組まなければいけない・・・と。
そこと向き合うことは、大半が苦労の連続で、大変なことの連続なのですが、
それでも、時々感じる大きなゆるぎない、ささやかで温かな喜びを糧にして
一生涯、その大変さと喜びと向き合っていく
覚悟があるからこそ、この世の命が終わるまで、
ずっと、そこと向き合っていけるのでしょうし、
そういう毎日の積み重ねこそが、本物の誇り、自信、輝きに繋がっているものです。
そんな自分にとって純粋で崇高で命がけの専門分野に、
軽い気持ちで、表面だけを見て、
「あぁ、自分にも出来そうじゃん。」とか「お金儲けになるからやってやろう。」と
節操もなく参入してくる中途半端な輩に、
怒りを覚えない職人は、ただのバカだと思います。
勿論、怒りだけに支配されるのはいけませんが、
これはやはり、どんな業界でも由々しきことであり、
そういう節操のない生き方をしている人たちを良しとするような
風潮は絶対に良くないと感じています。
勿論、これらの事象の良し悪しも、
全て「死ねば、分かる」ものです。
他人の物真似、コピーのような仕事の仕方、生き方をする
中途半端な人たちは、
今、この世で一瞬だけ得をしているような錯覚に陥っているかも知れませんが、
必ずあの世では、全ての真実が明らかになるものですから、
僕自身、一通り、中途半端な物真似ばかりする
節操のない人たちに対して怒ったら、
あとは、霊的世界の流れに委ねることにしています。
嫌なものは嫌ですし、節操のない人が大嫌いなのはそのままなのですが、
そういう人たちは、絶対に心の底からの充実感や達成感、
時折訪れる温かく柔らかい幸せを感じることが
一生できないまま、この世を終えるのだろうなと思うと、
ある意味、可哀想な側面もあります。
ただ、これも全てその人の自己責任。
僕は物真似をされるのが、根っから大嫌いな性格ですが、
逆に言えば、それだけ、
自分の人生は自分で切り開き、他の誰でもない自分自身で自分を認め、
幸せな環境へと導いてくれる自分自身の生きる力と、
そこに協力してくれる霊的世界の応援、
心ある人たちの支えが常にあることに、
心の底から感謝していますし、そのこと自体、誇りに感じています。
自らの仕事、人生に誇りを以て生きるためには、
それなりの痛みや苦労が伴うので絶対にラクは出来ません。
ですが、ひたむきにその人生と向き合っていく覚悟さえあれば、
必ずある時点から、その痛みや苦労の経験以上に、
喜びや幸せ、充実感が伴ってくる生き方に変わってきます。
その良さを理解できてきたら、あとはひたすら真っ直ぐ
その道に進むだけで、心ある人が集まり、心ある仕事や人生に邁進し、
それだけで心豊かに生きていけるようになります。
人生において、本当の意味での誇りと信念を大切に生きていける幸せは、
それはそれはたとえようのないほど、素晴らしいものだと感じています。
他人の物真似だけで、他人の分野の領海侵犯をして
逃げて生きる人生なのか、
それとも、覚悟と信念と誇りを以て、自らの人生を築き上げていく人生なのか・・・。
どちらを選択するのも、その人次第、自由です。
僕はもちろん、後者の生き方しか出来ませんし、
それで十分なので、これからも、その道と一生涯、
顔を合わせていく気持ちで、毎日毎日と向き合っていきたいと思っています。
*お知らせ*
*9月7日(日)福岡でのナカトリモチ勉強会参加者募集中です。
*9月27日(土)沖縄でのナカトリモチ勉強会参加者募集中です。
*10月東京でのナカトリモチ勉強会、土地家屋のお祓い受付中です。
*土地・家屋のお祓い、随時受付募集しています。
Posted by 山野本竜規 at 13:16
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