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この世の去り方に異変あり。~終活を考える~
2014年03月29日
ある特集企画を取り上げていました。
現在、都会を中心に依頼が多くなっている
お葬式のスタイル、「直葬」についての特集です。
僕も4年ほど前に、このブログでご紹介しました。
この直葬とは、普通のお葬式のスタイルではなく、
とても簡素なもので、本人が亡くなったら限られた身内だけが集まり、
そのまま火葬場へ向かい、荼毘にふされる簡素なもので、
特に人付き合いが希薄とされている都心部を中心に
直葬を選ぶ人が増えているそうです。
そのテレビの特集では、僕がちょうどブログでご紹介した4~5年前に比べると
その利用者数は5倍以上増えているというから、
やはり、今までの価値観だけに囚われない、
あの世への簡素な旅立ち方、見送られ方が出来るようになっているのは事実です。
しかも、直葬は、料金も平均で15万円前後と
従来の葬儀の10分の1ということから、
当初は、低所得層や金銭的に余裕のない家庭で選ばれていたものだったそうですが、
ここ数年で5倍以上に希望者が増えた経緯は、
金銭的なものではなく、
「人生の最後くらい、遺族には迷惑をかけず、静かにお別れしてもらいたい。」と
自分自身の最後の旅立ち方を、生前、自ら決めて
直葬を希望する人たちが増えたとのことです。
まだ元気なうちから、自分が亡くなった時のことを考える活動を、
「終活」と呼ぶそうです。
多分、就職活動の「就活」を、「終活」に変化させたものだと思いますが
こういう動きというよりも、それぞれの意識が高まっていること自体は、
とても良いことだと個人的に感じています。
「生きているうちに、自分の死のことを考える、
または身内で話合うなんて、縁起でもない!」というのが従来の考え方です。
だから、そういう話はご法度で、実際に亡くなるまでは
葬式の「そ」の字も言葉には出さないで、
死後の様々な実務処理に関しては放置されたまま、
実際に亡くなってから、右往左往するのが一般的でした。
これは、喪主として、実際に葬式に立ち会った人なら、
その苦労がいかほどのものなのか、容易に理解できるのではないでしょうか。
僕自身も父の死が突然だったので、
葬儀の手配から苦労の連続で、やっとこさ、色々大変だった葬儀が終わって
落ち着けると思ったら、父が残した負の遺産の大量の処分、処理が
待ち受けていて、この事務的な処理だけに3ヶ月以上費やした苦い記憶があります。
一般的な公的機関への届け出などは別にして、
生命保険や父が借りていた土地、家屋などの詳細を調べ上げ
その解約手続き、銀行口座や手帳などもどこにあるのか分からず
それらを調べ上げるのにまた時間がかかり・・・という作業をやっていくうちに
次から次へと色々な事実や悪事が出てきて・・・(汗)
この苦い経験から、僕自身は、自分の死後の処理は
なるべく簡素に、周囲に迷惑をかけたくないという強い思いに変わり、
僕も自分が亡くなったあとは、直葬を強く望むようになり、
その想いは今でも、多分、これからも全く変わりないことでしょう。
人の人生は、自殺ではない限り、
いつ、どこで、どんな状況であの世に旅立つのか、
ほとんどの人は分かりません。
僕も同じなので、今のうちからその準備は万端で
しっかり「亡くなった後の処理リスト」を作成しています。
死後、いつでも誰かが簡単に処理できるように、
クレジットカード、預金通帳、保険、各種連絡先一覧を作成し、
なるべく1つか2つにまとめていますし、
直葬のあとの僅かな預金の使い道まで指定しています(笑)
(親しい人たちが、それぞれ勝手に集まって、
美味しい食事を食べながら、お別れするディナーの費用ですが。)
死を忌み嫌うのではなく、
老若男女関係なく、自分の死を意識することによって
「限られた時間をどう過ごすのか。」という逆算方法に
おのずと変わって、より有意義にこの世を生きよう・・・と
この人生の限られた時間を無駄に過ごすことはなくなってくるものです。
この世が有限だと知ると、カウントダウンが誰でも存在していると意識すると、
そう時間の無駄使いをしてばかりはいられなくなります。
そのような意味で、経済的な理由以外で
直葬を希望する人が増えているのは、とても歓迎すべき点ではないかなと思います。
ただ、まだまだ現代の日本や地域の繋がりが強い地方都市では、
直葬反対派も多く、
「せめて最後のお見送りくらいは盛大に、豪華に。」という風潮が強いのは事実です。
直葬を故人の遺志で執り行ったにもかかわらず、
残された家族が、近所の人たちから白い目で見られたり、
「本当に極楽浄土へ行けてるの?」と厭味ったらしく言われたり、
無視されてしまったり・・・ということも僅かですがあるそうで
それらの「その他大勢」の意見、流れに逆らえず、
故人の遺志を無視して、直葬から普通の葬儀に切り替えたケースもあるそうです。
でも所詮、外野の意見は、外野の意見。
身内ほどの辛さ、大変さは理解できずに、ああだ、こうだ、文句を言いたいだけの話です。
近所付き合いや、お得意様。
その気持ちは十分に理解できますし、
残された側としては、まだそれらとの付き合いが続きますから
下手にぞんざいには扱えない・・・。
その板挟みで苦しみながら、葬式会場で辛い思いを抱えている遺族なんて
いくらでもいるのではないでしょうか。
お葬式の本来の意義は、
故人の魂が自分の死をしっかり理解する場・・・という側面よりも、
残された遺族、友人、知人の心の整理のための側面が強く、
どちらかと言えば、とても「この世的」な価値観先行のシステムです。
究極を言えば、亡くなった方に葬式なんて必要ありません。
何故なら、もう既に「あの世」に旅立った住人なのですから。
それを敢えてやるのは、やはり故人を思い偲び、
しっかりとお別れをして、区切りをつけて
また新しい生活に立ち向かっていこうとする
残された側の告別式であり、気持ちの切り替えの儀式の側面が強く、
それはあっても、なくても、個人、故人の自由です。
それがあったところで、なかったところで、
あの世に旅立った人が、成仏できないなんてことは絶対に絶対に絶対に
あり得ないことですから。
勿論、生前、故人がお世話になった方々へ
しっかりお礼を伝えることは出来ますし、
ご縁があった人たちも、「せめて最後にお顔だけは・・・。」と
お別れの区切りをつけたいのが人情というものですが、
今の日本の葬式のシステムは、あまりにも複雑で煩雑で
時間とお金がかかり過ぎ、遺族側にとってみれば、
ゆっくり悲しむ時間も、振り返る時間も何もなく、
身内でも何でもない参列者だけが、どっぷり感傷に浸ることが出来る
なんとも不条理というか、やるせない思いが残る
歓迎できないシステムだと個人的に感じています。
お葬式のシステムを、こうやって堂々と書くと、
毎回、葬儀業者の方から反対意見や批判のメッセージが届くのですが、
これが遺族側の現状だということは、
葬式を経験した人であれば、誰もが理解しているところでもあるのです。
これからの時代は、少しずつ、少しずつ、
そのような共依存の体質から脱却していかなければいけない時代であり、
確実に、着実に、これまでのやり方だけではない
新しい画期的なシステム、それぞれのライフスタイル、
最終的な「終活」へ意識を向ける人たちが多くなっています。
誰のための葬式なのか、本来の意義をしっかり見据えれば、
おのずと自分自身の終活スタイルが見えてくるのではないでしょうか。
僕がここ最近、大笑いしたのが、
その終活をもっとも意識せざるを得ないシルバー世代と呼ばれる年代の
シルバー川柳の数々です。
シルバー川柳入選作品
さすが、経験豊富な人生の先輩方。
「LED 使い切るまで無い寿命」
「女子会と 言って出かけるデイケアー」
「延命は 不要と書いて医者通い」
「お迎えと 言うなよケアの送迎車」
とにかく、ウィットに富んで心から笑えるものばかりです。
これくらい朗らかに明るく終活ができると幸せでしょうね。
死は忌み嫌うものでも、避けるべきものでもありません。
誰もが必ず平等に訪れる、あの世への引っ越しだと思えば、
今、住んでいるこの世、今の人生を
いかに楽しく、充実させたものにするのかを考えるのは
人間としては当然のこと。
立つ鳥跡を濁さず。
引っ越しでも、異動でも、終活でも大切な生き方だと感じています。
さっ、僕はこれから沖縄でのナカトリモチ勉強会の講演です。
今日参加される予定の皆さん、
「終活」について、何かご質問があれば、
倍返しで色々な情報をお答えしますよ(笑)
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Posted by 山野本竜規 at 10:34
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