山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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葬式論。

2010年03月15日

葬式論。先日、書店に立ち寄った時、ふと目に留まった1冊の本。
タイトルは、「葬式は、要らない」。
(著・島田裕巳、GS幻冬舎新書)

実際に、喪主など葬式を取り仕切る立場を
経験された方なら、誰もが納得できる内容で
葬式とは無縁と思われる方も、十分、参考になります。

この本のタイトルは、
「葬式は、要らない」と斬新なものですが、
本の内容は、
葬式を否定している訳でも、
不必要と断定している訳でもなく
日本人の葬式観を
歴史的背景から具体的に説明し、
戒名の料金制度や、葬式費用など
無駄と思われるお金のかけ方に
警鐘を鳴らす側面も垣間見られて
僕は、本当にその通りだな・・・と
納得できる内容でした。

ちなみに
本に書かれている一部分を引用すると、
日本の葬式費用の平均は、231万円。
アメリカは44万円、イギリスで12万円、
ドイツで20万円、韓国が37万円・・・
なんだそうです。

このデータを
比較してみただけでも、
日本の葬式費用が桁違いに高いことが
分かりますよね。

これは、単に葬式費用の比較だけですが、
今、大都会を中心に流行している
直葬(葬式を行わず、身内のみで火葬だけを行う方法)や
家族葬など
時代の流れと共に変化している
葬式事情も、
しっかり紹介されています。

僕も、ブログでは
お葬式のことについて
スピリチュアルな観点から
何度か詳しく
ご紹介したことがあります。

*お葬式あれこれ。
*自分の葬式を考える。
*供養の仕方。
*もし、あなたがご先祖様だったら・・・。

そして、実際に、
一昨年、父が亡くなった時に、
自らが喪主となり、
葬儀業者とやり取りを行った
経緯があるので
その時の経験も含めて、
やはり、生前、
遺族に迷惑をかけないためにも、
そして、自分自身の人生のためにも、
ある程度、自分の葬式のことは
考えておくべきだな・・・と痛感しました。

人の死は、突然に訪れるものです。

僕の父も、
病気で緊急入院していましたが
同時期に別の病気で倒れて
集中治療室に入っていた
母のほうが重症だったので
まさか、軽症だった父が亡くなるなんて
予測もできませんでした。

結局、母が集中治療室で
眠っている間に
父の葬式を行うことになりましたが
人が死を迎えて
葬式までの一連のお見送りをするのは
本当にあっという間です。

あっという間というより、
怒涛のように過ぎ去っていきます。

僕が経験した父の死から
葬式の流れは、以下の通り。

病院で亡くなった父は、
まず、医師から死亡診断書が発行され、
僕がその場で、近所の葬儀業者に連絡。

幸いだったのは、
これが自宅で亡くなっていたら、
警察に連絡し、警察の事情聴取、
更には検死や司法解剖などが加わり、
死亡診断書の発行に
時間がかかっていたので
その点では、スムーズだったと思います。

さて、病院では、
父の死を悲しむ間もなく
葬儀業者が到着するまで
身内や親戚、会社、関係者などに連絡。

こういう時、
家族が多くて助かったのは、
しっかり役割分担が出来たことです。

当時、まだ一緒にいた長女と、
一番下の弟は、取り乱して
嘆き悲しんでいるだけだったので
何もお願いすることができず、
冷静な僕と、気丈な次女の2人で
葬儀の連絡や料金交渉、
式の段取りまでを執り行いました。

父の死から、1時間後には
葬儀業者が病院に到着し
父の遺体が自宅に運ばれました。

そして、ここからが、
葬式に向けての準備の始まりです。

自宅の居間に、父の遺体を
安置したあと、
今度は、その場で葬儀業者と
葬式にかかる料金の交渉です。

普通、大切な家族が亡くなって
1~2時間しか経っていない、
所謂、精神状態が普通ではない状態で
まともな葬式の料金交渉ができる人って
どのくらい存在するのでしょうか。

ここは、僕が、なんとも
憤りを感じるところで
普通の精神状態ではない
「お客」を相手に
とにかく色々な料金を上乗せして
営業する葬儀屋のやり方には
今でも納得がいきません。

勿論、それがビジネスだから・・・
と言ってしまえば、確かにそうでしょうし、
それを生業とされている
懇切丁寧に応対して下さる
素晴らしい葬儀屋さんやスタッフの方も
存在するのでしょうけれど
もう少し、その不透明さが
改善されないものだろうか・・・と
願わずにはいられません。

ただ、幸いなことに、
僕の場合、父の死に直面していたとしても
あくまで冷静で、
真っ先に考えたのが、
葬式費用のやりくりと
今後の対応のことだったので、
通常の精神状態よりも、
シビアに、その後のことを
考えていました。

早速、葬儀屋のスタッフと
僕、次女の3人で
見積書を見ながら、料金交渉の開始です。

葬儀屋が提案してくるのは、
おおよそ、通常プランの上乗せから
始まります。

会場は、なるべく広いほうが・・・。

祭壇も豪華なほうが、写真も、棺も、お車も・・・。

とにかく、上を見れば
きりがないほど、値段は
どんどん上がっていきます。

棺の値段に関しては、
映画、「おくりびと」でも
少しだけ登場していましたよね。

確かに、上等な棺を購入するのも、
しないのも、遺族側の気持ち次第。

だけど、僕は、
物質に価値を見出す人間ではないですし、
何より、今後の生活費、神社の経営、
いつまで続くか分からない母の入院費の捻出など
父の死後にかかるであろう
膨大な費用のこと考えなければ
いけない立場だったので、
一番安い棺を選びました。

そして、極めつけは、
葬儀司会料、プラス5万円・・・。

いい加減、頭に来たので、
「あの、どこまで料金、上乗せするつもりですか?
 我が家には、贅沢するお金ありませんよ。
 司会なら自分でやります。あと、会場の広さも
 一番小さなところで十分、棺も、車も、遺影の写真も
 最低限のもので十分です。僧侶の方も親戚を呼ぶので
 必要ありません。勿論、戒名もです。」と
1つ1つ、見積書に記入してあった
金額を指差して、細かく訂正していき、
キッパリ、毅然とした態度で
その営業マンに伝えました。

この態度に驚いたのか
その後は、急に営業マンの姿勢が変わり、
結果、当初の見積り額より
約40万円安い
総額約65万円で、葬式費用の交渉成立。

生々しい現実に写るかも知れません。
冷たい人間に写るかも知れません。

でも、実際に、ここまでしなければ
葬式費用というものは、抑えられないのです。

経済的に余裕があって、
「せめて最後のお見送りくらいは、豪勢に。」と
思われている方だったら、
いくらでも、葬式費用を捻出されても
構わないと、僕は思っています。

僕たちは、まだ、安いなりにも
(僕にとっては、とても高く感じましたが。)
葬式を執り行うだけの資金が
なんとか残っていただけ幸せでしたが、
色々な経済的な事情で
それすら出来ない家庭だって
数多く、存在するはずなのです。

それを考えると、
果たして葬式にかける費用というものが
妥当なのか、どうか・・・
という現実的な問題を
それぞれが、しっかり認識しておかないと
後々、苦労することだって
十分有り得ることだと思います。

さて、父の死後、3時間以内に
葬式の料金交渉、段取りを終えて
今度は、お通夜や本葬に準備するもの、
香典返しの品選び、お礼状の準備など
休む間もなく、
その次の段取りが待っています。

本当は、一番、悲しんで
ゆっくり感傷に浸りたいであろう
身内が、ここまで世間様へ
身内の死を知らせるために
あくせく動いて苦労しなければいけない
日本の葬式のシステム、
やっぱり、僕は矛盾を感じて
仕方がありません。

結局、色々な準備で1日を終え、
翌日の夜にお通夜、
その翌日が本葬、出棺、火葬・・・と
休む間もなく、
怒涛の葬式は過ぎ去っていきます。

その間も、弔問に来られる方に
お礼の気持ちを伝え、司会をし、
挨拶、お見送り・・・と
とにかく、落ち着く時間が
ありませんでした。

だから、葬式の一連の業務のことを
事細かに覚えている遺族の方って
ほとんどいないのでは
ないでしょうか。

それほど、煩雑で大変なものですから。

嫌味な話、父の葬式前後、
他の方の葬儀が入っていて
その様子を眺めていたのですが
値段が高かったようで、
出棺の時の音楽生演奏や、
霊柩車のクラクションの音で
お見送り・・・など
値段によって、オプション内容が
変わっていたので、
「あぁ、葬式ビジネスも露骨だな・・・。」と
気分が悪くなったのを記憶しています。

これは、超個人的な意見ですが、
僕は、父の葬式を目の当たりにして
「自分が死を迎えた時は、
 身内や周囲に迷惑をかけたくないので
 絶対に葬式は行わない。」と決めました。

その代わり、亡くなった直後は、
直葬を行い、そのあと、
自分の貯金(があれば・・・)を
「お別れ会」と称して
お気に入りのお店を予約して
大好きだった明るい音楽をかけて、
美味しい食事を
生前親しかった皆様に振舞うように
お願いすることでしょう。

勿論、僕の良いところも、
足りないところも、
面白おかしく語ってもらって
笑ってもらって
お別れをしてもらえれば
とても理想的です。

ちなみに
銀行などに預けている貯金は、
本人が死亡して
死亡診断書が受理されると凍結され
たとえ身内と言えども
引き出すことができなくなります。

これは相続税など色々な法律に従って
行われるものなので、
死後、複雑にならないためにも、
生前に、そのような財産整理や
保険の解約書類、
銀行口座の暗証番号などを
準備しておくことが出来れば
理想的ですよね。

何より遺族が大変なのは、
身内が亡くなったあとの
事務手続きや財務処理などで
役所や銀行、税務署、保険会社などの
往復生活が待っています。

僕たち遺族も、父の
死後の事務、財務処理には
相当な時間と労力を
費やしましたので
僕自身は、そうならないように
事前の準備だけは
しっかり、していますよ。

さて、葬式に話を戻しますが、
核家族化が進む現代では
葬式を行わない方法も、しっかり存在します。

人が亡くなって
死亡診断書が発行された後、
火葬までには、24時間待たなければいけない・・・
という内容の法律があるので
一旦、遺体は、自宅や病院に安置されます。

そこで、家族や身内、または
親しかった人だけを呼んで
お別れをして1日を過ごし、
(読経も、お坊さんも不要)
その後、直接、火葬場へ
遺体を運ぶ・・・という流れの
直葬(家族葬)が
核家族化が進んでいる大都会では
増えてきているそうです。

葬儀屋にお願いしても
10万円~20万円で済み、
煩雑な準備に追われることもなく
しっかりお別れできるので
特に広いお付き合いがない
大都会のサラリーマンの家庭などでは
その依頼が増えていて、
時代の流れと共に葬儀のあり方も
変わってきていますよね。

過去のブログでも
お伝えしましたが、
要するに、葬式が必要、不要・・・
という問題は抜きにして、
この世を去る側、残される側が
いかに納得した形で
お別れできるのか・・・ということを、
生きている間に考えておくことは
誰にとっても、大切なことではないかな・・・
と感じています。

葬式の話をするなんて、縁起でもない・・・と
憤りを感じる方も
中にはいらっしゃることかと思われますが、
人の命は、平等に有限です。

いつかは、終わりを迎えます。

死を見つめること、
また、自分の葬式のあり方を考えることは
「今」を生きることに繋がります。

僕だったら、
迷惑をかけるような葬式は抜きにして、
お別れ会をする程度。

そのお別れ会で、親しい人たちが
泣いて、笑って、
心から今生のお別れができるように、
今、目の前にいる人たち、
心で繋がっている人たちを大切に、
一歩、一歩、堅実に、着実に
生きていかなければ・・・と
自然と思えるものです。

勇気を持って、
あなた自身の葬式のことを想像されれば、
今、どのように
生きていかなければいけないのか、
どのような生き方、心の持ち方で
明るく前へ進まなければいけないのか、
おのずと見えてくるものが
きっとあるはずですよ。

今を生きるために、
ご自身の葬式のこと、
この世とのお別れのことを
ほんの少し考えてみられるのも
時にはいいかも知れませんね。

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Posted by 山野本竜規 at 06:09 │心の在り方 (2,645)▼