*6月15日(日)仙台ナカトリモチ勉強会、参加者募集中。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付中です。
世の中や誰かが変わることを期待し過ぎてはいけません。
2015年11月15日


昨日、北海道・仙台出張から沖縄の自宅に戻ってきて、
今日は11日ぶりに我が家でゆっくり過ごす自宅時間を満喫しています。
いつも県外出張や海外などから戻ってくると、毎回飽きずに同じことを感じるのが
「やっぱり自宅が一番、沖縄が一番だな!」という、
なんとも言えない解放感と居心地の良さです。
今日の沖縄地方はよく晴れて、日中の最高気温も26℃。
部屋の窓を全開にして、心地良い風を取り入れながら、
出張期間中不在にして受け取れなかったマイナンバー通知の封書や、
ウォーターサーバーのお水の配達の受け取り、注文していた荷物の受け取りなど、
自宅にいないと出来ない日常生活の諸々のことをこなしながら、
今は出張中に出来なかった仕事のメールのやり取りや
事務作業などを中心に自分なりのペースで行っている最中です。
そうそう、昨日のブログでも「宅配業や郵便業に携わっている人たちの苦労が理解出来る」と
ほんの少しだけ僕の若い頃の仕事のことをご紹介しましたが、
今の僕自身、出張などで自宅を不在にしがちなので、
なるべく配達をする人たちの二度手間になるような迷惑をかけないよう、
事前に連絡を入れておくことが、今の生活習慣の1つになっています。
今の世の中は本当に便利な時代で、一度不在連絡票が届いていたり、
事前に自分が自宅を一定期間不在することが分かっている場合、
インターネットなどで、配達日を指定できるサービスが普及しているため、
あらかじめ、僕が在宅している時間帯などをスケジュール帳を見て把握してから、
その日時に指定して、荷物や郵便物などを届けてもらうようにしています。
だから僕が新聞奨学生として配達の仕事以外に集金業務などを担当していた、
まだインターネットが普及していない、
携帯電話さえなかったポケベル全盛期の時代から比べると
もしかしたら、今の新聞購読料の集金業務も随分、
やりやすくなっているのではないかな・・・と感じました。
これも時代の流れで、便利な方向に変わっていくものは、
どんどん便利になっていく流れなので、その恩恵を素直に受け取りながら
その時代に合ったやり方に変えていけると理想的ですよね。
その逆でずっと変わらないもの、それが良い流れであれば別として、
あまり歓迎できない、発展的でもなく、ずっと停滞しているような流れの場合、
そことどのように向き合っていくべきなのか、
改めて僕自身、意識させられるような仕事の相談内容が多かったような気がします。
実はここ最近、ナカトリモチの活動などでお会いする方々との会話の中で、
「骨折り損の人生から卒業しましょう。」という話題が多くあり、
このことはつい最近のブログでもご紹介したばかりです。
やはり、あまりにも変わらない残念な流れを持つ人たちに対して、
「人は真剣に向き合って根気よく接していけば、必ず相手は変わってくれるから。」という
根性論を信じて向き合い続けても、
相手は滅多なことでは変わるものではなく徒労に終わるだけ・・・という事実を
霊的世界はよく伝えてくることがあります。
その本意は、「たとえそれが血が繋がりのある家族だったとしても、
相手を変えようとすること自体、変わって欲しいと一方的な願望を持つこと自体が
既に傲慢な証拠であり、その前に自分自身の内面、
相手との向き合い方を根本的から変える必要がある。」という意味でもあります。
ここでも、相手ではなく最終的には自分自身なのです。
でも頭ではそのことを理解していたとしても、
いざ身内のこととなると、近しい間柄の親戚や友人のこととなると
どうしても「それは分かっているけれど、どうしても相手に変わって欲しくて。」と
自分の欲求が強くなってしまう人も多いもので、
その葛藤と人と人との距離感を自分自身で乗り越えない限りは、
一生涯、そのことで悩み続けることでしょう。
冷静になって考えてみて下さい。
この世の中にはいくら年齢を重ねていたとしても、それなりの人生経験もあるはずなのに、
とても冷たく、学習能力もない底意地の悪い大人なんていくらでも存在します。
その逆で、まだ人生経験もそこまで重ねていなかったとしても、
色々なことから素直に学び、その都度、良い方向へ変化、成長できる
聡明で発展的な人たち、相手に対する本当の思い遣りのある
心ある人たちも確実に存在するものです。
底意地の悪い人たちに、心から軌道修正を促すために向き合い接し続けたとしても、
相手の根本が変わらなければ、いつまで経っても堂々巡りで
変わることは絶対にありません。
スピリチュアルマニアに関しても全く同じことが言えて、
霊的世界に興味関心があり、ある程度のスピリチュアリズムの知識だけは豊富、
色々な業界の事情に詳しいけれど、
一番肝心な人の心の部分、自分自身の軸がなくて、
いつまでも「あっちの霊能者がいい。」「こっちのヒーラーがいい。」「そっちの誰かがいい。」と
彷徨い続ける輩なんていくらでも存在します。
要するに表面的な変化ばかりを求めて、最も大切な軸となる
スピリチュアリズムの根本を一切学べていない、実践出来ていない輩で、
こういう中途半端な人間をカモにすることなんて、正直、本当に容易いことでもあります。
何故なら中途半端に相手が喜ぶことを言っておけば、
または「私はあなたのこと、真剣に考えて向き合っていますよ。」という
浅はかで表面的に良い人を演じていれば、おおよその人は騙せてしまうからです。
また中には開き直って、「相手が心地良くなるようなリップサービスのどこが悪いの?
それもサービス業としては必要なこと。」と
本当に身勝手で都合の良い解釈で、依存してくる残念な相手を「よしよし」させてしまう
カウンセラーとも呼べない下衆な人間も、この業界にはわんさか存在します。
スピリチュアル業界の9割は、おおよそ、これらの中途半端な輩の
需要と供給で成り立っていますので、表現は本当に汚いのですが、
正直、鼻クソのようなものです(笑)。
自分自身が鼻クソに成り下がっていなかどうか、
そこの共依存から抜け出せず、中途半端なことばかりをやり続けていないかどうか、
この業界に身を置くカウンセラーは、常に自分自身の内面を見つめていく必要があります。
僕のナカトリモチの活動で、もしそういう残念な流れの人たちがお越しになれば、
相手が誰であろうが、毅然とした態度で厳しく、その間違いを正します。
たとえそれが、親しい友人の紹介であろうが、社会的に立派な仕事をしている人であろうが、
自分より目上の人であろうが、そんなこと一切関係ありません。
今、向き合っているのは目の前にいるその人であり、
本当にその人に必要なメッセージが何なのかは、その人にしか伝えられませんから。
そしてもし、本当に「何をお伝えしたとしても時間の無駄でダメだな。」と感じた場合は、
即刻、その場でお帰り頂きます。
きっと相手はショックを受けるでしょうし、萎縮するでしょうし、悲しい気持ちになるでしょうし、
中には逆ギレする人だっています。
ですが、これが僕が最大限出来る、
残念な流れを持つ人たちにお伝えできる霊的世界の通訳なのです。
そして、それでその残念な相手が変わることなんて一切期待していません。
きっと、そういう人たちは自分を「よしよし」と認めてくれる、受け入れてくれる
都合の良い対象物、人物を都合よく探して依存することでしょうから、
相手が変わらないのは、そのままですし、一生涯、そうやって
自分の弱さから逃げて生き続ければいいだけの話ですから。
ですが、僕自身は、その瞬間、自分自身が出来る精一杯のこと、
心から嘘をつかず、やるべきことだけを仕事の範囲内でお伝えしているので
僕自身の魂は、良い意味で変わらず発展的でいられます。
(一時的に思いっ切り腹は立ちますが、笑。)
相手が変わるのではなく、相手が理解してくれるのを期待するのではなく、
あくまで自分自身の軸を保てるかどうか・・・。
僕たちカウンセラーのような職業の人間の場合、
それをしっかり理解している人と、そうではない人とでは、
いくら口先だけで良いことを言ったり、自分を大きく見せようとしたりしても、
それは見事なまでに、客層という形で、その結果が表面化してきます。
そこに集う人、その技術を求めてこられる人たちが、
どのような想いでお越しになっているのか、依存なのか、それとも自身の人生の確認作業なのか。
「なんだか、このクリニックで診察待ちしている人、雰囲気悪いな。」と
何かしらの診察待ちで感じることがあるかと思いますが、
その「なんとなく」の感覚は、おおよそ当たっています。
それは霊能者であれ、ヒーラーであれ、何かしらの治療家であれ、お医者さんであれ、
その他のカウンセラーであれ、1対1で、人と向き合う仕事を生業としている人たちの
心持ち、普段の日常生活の心がけ、生き方が、
そっくりそのままクライアントさんに反映されている形になるからです。
僕にも経験がありますが、診察待ちをしていると、その前後で待っている人たちが
どことなく雰囲気が悪くて、依存系の人たちが集っているのだな・・・と感じたところがあって
それ以来、そこには一切足を運ばなくなったことがあります。
いくら表面的に笑顔で接していても、
自分の仕事を全うしようという姿勢をアピールしていたとしても、
全て客層に、その根本の部分が表れているので、誤魔化しが一切きかないのです。
周囲でお付き合いする人たち、そして普段の仕事で接する人たちを見渡してみると、
発展的な人の割合が高いのか、それともその逆なのか・・・。
特に自営業者で、自分自身が持てる技術、才覚を全面に出して
仕事をする人たちの場合は、それがもっと顕著に表面化してきます。
全て周囲で関わる人たちは、自分自身の写し鏡だ・・・というのは、
まさにこのことなのです。
僕は今のナカトリモチの仕事をしていると、よく周囲の人たちから
「色々な人の相談を受けたり、一時的にでもその人の人生を背負うことになるので
本当に大変な仕事ですよね。」とお声かけしてもらうことが多いのですが、
実は周囲の人たちが心配するほど、大変ではありません。
その「大変」という基準自体も、人によって様々なので何とも表現が難しいのですが、
僕にとって一番大変だと感じる、心が不幸な状態は、
全く意思疎通が出来ない人、何を伝えてもちんぷんかんぷんな馬鹿な人と
仕事やプライベートで向き合わなければいけない時であり、
今、そういう人間関係は、仕事でもプライベートでも、ほぼ皆無に等しいから、
大変ではないのです。
霊視カウンセリングにしても、勉強会の講演にしても、
はたまた土地家屋の鑑定、お祓いにしても、
仕事の依頼は、基本的に全てこのブログというフィルターを通して舞い込んでくるものです。
これだけ厳しい内容と、言いたい放題の内容、
おまけに普通の中途半端なスピリチュアルを説くような内容でもなく、
かなり長文の文章を毎日のように読み込んでおられる、
または時々でも、その文章をご覧になる・・・ということは、
それだけ真剣な心ある方がお越しになる確率が高いので、
この時点で、そういう中途半端な人たちとのご縁はほぼなくなります。
たとえ誰かの紹介とか、全くこのブログの存在を知らず、
ただの興味本位で霊視カウンセリングやその他の活動に参加しようという人がお越しになれば、
たちまちキャンセルになるか、はたまたこちらから「今すぐお帰り下さい。」とお伝えするか、
一期一会でその後は一切ご縁がなくなるかのどれかですから、
本当に僕にとっては理想的でシンプルな人間関係の流れが出来ています。
だから、僕は自分自身の仕事、今のお役目、人生の方向性が大変だと
感じたことは一度もありません。
何度でも僕がお伝えしたいのは、本当に大変で心苦しく不幸なことは、
向き合う相手と意思疎通が全く出来ないほど、
相手が残念な流れを持っていて、価値観も違う、何も響かない、
何を伝えても無意味な人たちと、必要以上に接することが続くことです。
相手は一切変わりませんし、相手を変えようとするのも絶対にダメですし、
それだったら、先ずは自分が変われば、自分自身の内面を穏やかに保つために
必要なことが何なのか、しっかり見つめて、次の行動を取ればいいだけの話です。
戦争反対、原発反対、法案反対、環境汚染反対・・・。
こういうことに過剰反応する人たちの全てが悪いとは思えませんが、
僕は根本的に、このような人たちとは、
たとえどんなにその人の人柄が良かったとしても
心の底からは仲良くなれない部類の人たちでもあります。
無理して声高にそのようなことをシェアしたり、叫び続けるより、
もっと身近な日常生活で、心の状態を幸せにする、
関わる人たちが平和を感じる行動なんて、いくらでも出来るものです。
少し前、東京から仕事のために来沖していた友人がいたのですが、
その友人自身が体験したエピソードが、まさに、それにあたる出来事でした。
その友人がある時、馴染みのお店でご飯を食べていると、
初めてそのお店を訪問したお客さんがメニューに迷っていたそうです。
そのお店のオーナーは外国人で、あまり日本語が得意ではないらしく、
初めてお店を訪問したメニューに迷っているお客さんに
色々な説明をしているのですが、その言葉を聴きとれなくて困っている様子で、
友人は、そのメニューの説明をそっと、その初めてのお客さんにしたそうです。
東京という街は、良くも悪くも人と人とが干渉せず、
程よい距離感で接する人たちも多いため、友人も「迷惑にならないかな。」と
少し躊躇していたそうですが、思い切って、全く見ず知らずのそのお客さんに
メニューの説明をしたことによって、相手の方もすごく喜ばれた・・・とのこと。
この時、相手というよりは、何よりその友人の心が穏やかになったのではないでしょうか。
そして、そのちょっとした勇気ある友人の行動が、
初めてのお店を訪問したお客さんであったり、
日本語が得意ではない外国人のオーナーであったり、
はたまた何も知らずにその光景を見ていた他のお客さんだったりに、
「ホッ」とする心地良さや温かさを与えたのだろうな・・・という情景が、
その話を聞いているだけで思い浮かんだので、僕自身も嬉しくなってしまいました。
平和や安全と声高に叫ぶ人たちよりも、
またはしつこいくらい、そのような情報をシェアし続けるような人たちよりも、
こういう身近な日常生活の中で、平和や安全を、
自分なりの立場で周囲の人たちに波及させていくことなんて、いくらでも出来るのです。
本当の意味で平和な世の中に変えたい、安全な世の中に変えたいと
真剣に願うのであれば、
もっと違う形で、もっと身近なところから、そのような想いを
さりげなく実践出来ることなんて、この世にはいくらでも存在します。
ここが僕自身が感じる、明るく発展的で聡明な生き方をする人と、
どことなく自分の拘りや心の弱さから滞り続ける人の大きな違いだと認識しています。
相手を変えるのではなく、世の中を変えるのではなく、
自分自身はどうなのか・・・。
そして、本当の意味で周囲全体がよくなる行動とはどのようなものなのか・・・。
僕はその友人の話を聞きながら、とても感銘を受けましたし、
「あぁ、こういう人たちこそ、本当の意味で世の中の人たちの心に
平和や安心感の種を蒔いていく人たちなのだろうな。」と素直に感じました。
相手が変わることを過度に期待しない。
世の中が変わることを過度に期待しない。または過剰反応しない。
だからと言って、何もやらない、何も興味関心を示さないのではなく、
本当の意味で自分自身が今出来ることが何なのかを考えて行動できる人たちは、
たとえ目に見えた形で、周囲の状況が変わらなかったとしても、
他の誰でもない自分自身の内面、魂は、とても心豊かに生きていけるものです。
これこそが、本当の意味の心の平和であり、
そのような生き方こそが、心ある聡明な人たちと共鳴し合って
少しずつ何かしらの形で伝染していくものではないでしょうか・・・。
ふと色々な「変化」について、自分自身がどのように向き合うのかを考えた
有意義な日曜日の時間でした。
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*12月6日(日)・福岡ナカトリモチ勉強会、参加者募集中です。
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Posted by 山野本竜規 at 20:53
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