山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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ブスの山を背負うのか、それとも別の山を背負うのか・・・。

2015年09月06日

ブスの山を背負うのか、それとも別の山を背負うのか・・・。これは普段から出張や旅行に出かけることが多い僕が、
その出発前日の夜に必ずやっておく習慣のようなものです。

目覚めた直後の朝の時間帯、必要以上にバタバタしないため、
その前日の夜までにパッキングなどを済ませておき、
いざとなったら、寝坊して飛び起きた次の瞬間にでも空港に
向かうことが出来る位、準備万端にしています。

逆に、これが出張先などのホテルに4~5日滞在した後、
そのホテルをチェックアウトする際も全く同じで、
チェックアウト前日の夜には、ほぼ全てのパッキングを済ませて、
これまたいつ寝坊して飛び起きたとしても、すぐにチェックアウト出来るように
入り口付近に置いておくようにしています。

この習慣だけをご紹介すると、
僕自身、とても几帳面で計画性があるように思われるかも知れませんが、
全くその逆で、普段からそういうことが苦手だからこそ、
一番、抑えておかなければいけない、最低限のことを習慣にしているのです。

どういうことかと言えば、
僕は元来、面倒くさがりでグ~タラが大好きな性分でもあるので
時間があれば、可能な限り、ギリギリまで布団の中で眠っていたいと思いますし、
旅先では必要以上に何かをリサーチしたり、計画を立てて動くということを
好んでやらないくらい、無計画なことがほとんどです。

そんな僕が出張先や旅先に出かける当日の朝、
はたまた出張先や旅先のホテルをチェックアウトしなければいけない当日の朝、
ぐっすり眠ったあとの清々しい朝に、いきなり面倒くさいパッキングをやって
面倒な気持ちで気分がダウンするのが何よりも嫌なので、
高校生くらいから本格的に海外に出かけるようになってから、
ずっと、この習慣を守り続けるようになりました。

というのも、海外旅行の醍醐味を覚え始めた最初の頃(高校生の頃)は、
まだ海外の雰囲気に慣れず、現地ではよく寝坊をしたり、
飛び起きたら、すぐにチェックアウトを済ませてギリギリ空港に到着したり・・・と
幾度となく冷や汗をかいてきた苦い経験があるので、
そういうことを繰り返していくうちに、「面倒なことは前日にやってしまおう。」と
それらのパッキングを事前に始めてみると、
これが意外なほど僕のグ~タラな性分にはピッタリ合っていて、
それが今でもずっと続いている習慣となりました。

この頃は、ただ「面倒だから。」「次の日寝坊して焦りたくないから。」
「清々しい朝に嫌な気分で過ごしたくないから。」という
単純な理由だけで始めた習慣だったのですが、
今、ナカトリモチとして掃除や整理整頓の側面からそれらを捉えてみると、
実は、これが旅の始まりにしても、終りにしても、
その人自身に良い影響を及ぼしていることが理解出来るので、
「あぁ、そういうことって昔から本能的に実践していたのだな。」と改めて納得できることがあります。

何故、出張や旅行の前日の夜に、おおよそのパッキングを済ませるのか、
そしてホテルをチェックアウトする前日の夜に同じようにするのか、
はたまた、そのような外出先から戻ってきたら、
どんなに疲れていたとしても、すぐに荷解きをして片づけてしまうのか・・・。

皆さんも、それぞれの生活シーンで経験があることかと思いますが、
洗濯物や食器洗い、その他の細々した面倒なことを
一度、放置してしまうと、またその次、その次の次・・・というように、
どんどん放置の山が積み上がってしまい、それを見た途端、ゲンナリして、
片付けや家事が出来ていない自分自身に失望して落ち込むことってありませんか。

これは1つの心のバロメーターのようなもので、
普段からある程度、整理整頓、清浄な状態を保つことが出来ていれば、
少しでも部屋や台所、トイレなどが汚れたり散らかり始めたら
「あぁ、自分は気力疲れしているのだな。」という判断基準にもなります。

おおよそ片付けが億劫になる時の基準というのは、
職場や仕事、はたまた何かしらの人間関係で心が疲労困憊していたり、
あまりにも時間に追われて心と体のゆとり、余裕がなくなっていたり、
自分自身がモヤモヤ悩んだり、迷っている状態の時に限って、
そういうものを放置しがちになるのが、仕事や何かに忙殺されている人、
片づけられない人、グ~タラな人、必要以上に悩み過ぎる人たちの鉄板だからです。

逆に言えば、そういう時にこそ、辛い身体と心を引きずってでも、重い腰を上げて
その放置の山、面倒な家事、掃除、片付けを嫌々ながらでもやっていくと、
それらが片付いていくうちに、そして、綺麗に出来た時に、
「あぁ、こんなグ~タラな自分でも、なかなかやるじゃないか。」と素直に思えるものなので、
やはり、ゴチャゴチャした理由、言い訳、理屈は抜きにして、
そのような思考感情は一旦、外に置いておいて、
ただ、やる、ただ、動くことだけに集中したほうがいいと思います。

僕を含め、誰でも面倒なことは、面倒に感じるのが普通であり、
あとは、その「面倒なこと」とどのように向き合い、対処していけるのかで
その後の明暗が分かれてくるのではないでしょうか・・・。

ちなみに僕は、この言い訳が一番嫌・・・というより、
言い訳をする輩が本当に心の底からはらわた煮え返るくらいイライラして大嫌いです。

何故なら、その言い訳をしている姿、表情、エネルギー、全てがブスだからです。

出来ない理由を羅列することなんて、誰でも簡単なことで、
それっていかに「自分は間違っていないんです。」「自分は悪くないんです。」
「自分はまだまだダメな人間ではないんです。
(だから、そんな自分でも受け止めて。認めて。)」と往生際が悪いほど
不細工な表情で不細工な空気を放っていますから、
もうそんな不細工な言葉と表情、雰囲気を感じるだけで、
「一生、そうやって言い訳してろ!この言い訳ブスどもめ!」と一蹴したくなります。

やらない人に、動かない人に、実践出来ない人に、
いくら色々なメッセージを伝えたとしても、その本質が理解出来ないように、
出来ない言い訳を繰り返す人間にも、人が本当の意味で心豊かに生きていく
真っ当な人としての本質が伝わるはずもありません。

そしてそういうブスに限って、必ず「あなたは今のままでいいんですよ~。」
「ありのままでいいんですよ~。」「子宮を持っているからいいんですよ~。」
「あなたは、今のままで十分に愛されているんですよ~。」
「心のトラウマ、ブロックは簡単に取れるんですよ~。」的な
本当に浅はかで中途半端な、ラクして自己実現、自己受容を謳う
アホらしい思想や新興宗教、団体に流れていくのも、これまた定番。

もうねっ、ほんっと~に「一生、性格ブスの人生送ってろ!」と感じます。

*「子宮に逃げるな!~子宮は宇宙に繋がりません~」
*「かなり危険なLet it go.~ありのままではいけません~」

こういうブスたちに共通しているのは、ハッキリ言えばたった1つ。

ただ、やりたくない。ただ面倒なことは嫌。ただラクして幸せになりたい・・・。

別にやりたくなければやりたくなくて結構。
ラクしたければラクして結構。

でも、それで本当の意味で幸せになれると勘違いしている、
または思い込んでいるのは相当、悪い意味でハートがお強い証拠で、
一生懸命、毎日を直向きに生きておられる真っ当な人たちに対してとても失礼ですよ。

本来、宗教を超えた「スピリチュアリズム」「人としての在り方」というものは
怪しいものでも何でもなく、真っ当な人として生きるための人生哲学のようなものであるはずなのに、
ここ最近の子宮教にしても然り、それらとつるんで似たようなアホな思想を普及する連中に然り、
それらを都合よく勝手に解釈して捻じ曲げて、ブスで居続ける言い訳や免罪符を
自分自身に与えて現実逃避しているような状態なのです。

何も血が滲み出てくるほどの苦労とか努力をしましょう・・・と言っているのではありません。

自分が使った食器をその直後に洗うとか、
洗濯物を定期的にこまめに洗うとか、
外出先から戻って来た荷物の荷解きをその日のうちにやっておくとか、
ほんのちょっと面倒だと感じることを、ただ、体を動かしてやるだけなのです。

その積み重ねが、その人の生きる姿勢、習慣に繋がり、
やがては、その人自身のエネルギーを輝かせていく糧となるのです。

ブスの不細工な表情、雰囲気、生き方にしても、そうではない清々しい空気感を放つ人にしても、
どちらにしても塵も積もれば山となります。

正直、ブスだらけの山なんて触れたくもありませんし、見たくもありませんし、
近寄ろうとも思いません。

僕にとって、そのブスの山というのは、
現実逃避ばかりして、言い訳ばかりして、
中途半端な思想や新興宗教、ネットワークビジネス、自己啓発、
はたまた、自分の仕事だけに強烈に依存して
それを取ってしまえば、何も残らないようなつまらない人たちなどが、それにあたります。

ブスな表情とブスな雰囲気とブスで惨めな人生だけが残ってしまう人って
これほど不幸なことはないと思いますよ。

ブスの山を背負っている人生なのか、
それとも清々しい雰囲気、空気感を背負っている人生なのか、
それは、その人の日々の小さな小さな積み重ね、
動いてきた歴史、とにかく実践して「やった」という行為の積み重ねで成り立つもので、
ここばかりは嘘は絶対につけないものです。

普段から「私は日常生活を大切にしています!」アピールをする輩もいますが、
それは口だけの場合も多くて、
実際にその人が何かしらのことでブレていたり、
常日頃から余計なことでグチャグチャ悩み考え過ぎて
嫌な雰囲気を放っている場合は、やはり嘘はつけず、
そういうものって、全てその人の言葉以外、上っ面の立ち居振る舞いではない、
にじみ出てくる空気、雰囲気として、自然と表に出てきてしまうものなのです。

ブスの山を背負っているのか、清々しい雰囲気の山を背負っているのか・・・。

全てその人の生き方、実践、行動そのものの積み重ねでもあります。

それをイメージしたら、あなたはどちらの山を積み上げていきたいと思いますか。

あとは、このブログをご覧下さるみなさん、お1人、お1人、ご本人の自由です。

その人の顔の表情、雰囲気って良くも悪くも、本当に正直なので、
僕は、そういうところが大好きでもあります。

どちらの山を背負うのも、全ては本人次第であり、
それらを常に背負っている自覚と責任を持たなければいけないな・・・と
荷造り、荷解き、洗濯や掃除をしながら、ふと感じました。



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