山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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子宮に逃げるな!~子宮は宇宙に繋がりません。~

2015年04月22日

子宮に逃げるな!~子宮は宇宙に繋がりません。~ここ数年くらいでしょうか、
一部の残念なスピリチュアルゾンビの間で
もてはやされているのが「子宮信仰」というもので
子宮はとても神秘的で、宇宙にも繋がりやすく
もっと、ありのままに、自分らしく生きていける・・・的な
陳腐な新興宗教のような子宮教に
中途半端に共感する輩が増殖中のようなのです。

人は中途半端な思想、もっと言えば、
「いかにラクして、現実的な努力をせずに、神秘的なものと共鳴しながら
ラッキーを手に入れるのか。」という非現実的なことに
救いを求めたり、自分の人生を重ねて共感したりする厄介な側面があるので、
僕がスピリチュアル業界の9割が、おおよそ非現実的で
怪しく中途半端な偽物ばかりですよ・・・とお伝えしているのは、そういう理由も含まれています。

だから、いかにラクをして自分を神秘的な存在に高めたいと望む
中途半端な子宮教の人たちが冒頭の文章をご覧になったら、
きっと半狂乱、いわゆる、ヒステリックになってキーキー怒ることでしょう。

何故なら、図星だから・・・(笑)。

だからこそ、敢えて現実的な言葉ではっきりとお伝えするならば、
子宮はただの臓器の一部であり、宇宙に繋がる神秘的なものでも何でもありません。

そして、宇宙に繋がる前に、神秘的な存在になろうとする前に、
僕たちは生身の肉体を持った人間であり、
この地球で生を受けた魂が未熟な人間同士がお互い学び合うために
敢えて宇宙ではなく、地球に生まれてきているのですから、
地球のことだけに、もっと言えば、日常生活のことだけに目を向けて生きていけばいいだけのこと。

何故、敢えて「子宮」を神格化したり、神秘的なものに祀り上げて
子宮で物事を考えたり、動いたりしていこう・・・とする中途半端な思想が
支持されてしまうのか・・・。

ハッキリ言えば、それだけ自分の人生に満たされていない
欲求不満な性格ブス、人生ブス、レリゴーブスが多いということでしょう。

僕の周りで自分の人生をイキイキと謳歌している女性陣たちを眺めていると、
誰1人として、そんな中途半端な子宮思想にハマる人なんていませんよ。

何故なら、自分の人生を謳歌するために
日々の努力や工夫を怠らず、そのことだけに邁進して充実しているからです。

満たされていれば、自分の人生に欲求不満な性格ブス、
人生ブス、レリゴーブスにならずに済みますから
そんな陳腐な子宮信仰に頼らなくても、イキイキと輝いていけることを
頭ではなく、魂で理解しているのです。

子宮信仰にハマっている人たちにとってはとても耳が痛い、
もっと意地悪なことを書きたいと思います。

そもそも、子宮には「宮」という文字が使われているので、
どことなくパレス的な、宮殿的な特別な感覚、高級感が漂うので
もう、それだけで夢見る夢子ちゃんのような中途半端で欲求不満な性格ブスを
虜にしてしまう要素満載ですよね。

仮に、この「子宮」が、他の言い方、膣であったり、ま○こであったり、
もっと生々しい表現に変われば、どうでしょうか?

どの言葉も、同じ人間の臓器の一部を指す言葉なのに、
何故、子宮がOKで、他の言葉には抵抗があるのか・・・。

何度でもお伝えするように、子宮にはパレス的な要素、語感を含んで
誰もが抵抗なく受け入れられる言葉の魔術がある、
またそれを上手く利用している側面があることに、冷静に気づかなければいけません。
教祖様はよく悪知恵を働かせて上手い商売に乗っけましたよね。

ちなみに僕たち神社神職のバイブルの1つである日本最古の書物、
古事記や日本書紀には、かなりエロく、エグい表現、物語がポンポン出てきます。

神秘的な踊りの神様として崇められているアメノウズメノミコトという女性神は、
アマテラスオオミカミという太陽神が天岩戸に隠れた時に
その祠の前で舞を披露するのですが、その内容はお世辞にも神秘的とは言えません。

今でいうストリップのお笑いバージョンのような踊りで、
胸をあらわにして、着物を捲り上げて下半身を露出し、
一部の中途半端なスピリチュアルゾンビが大好きな「子宮」から
草で出来た紐のようなものを垂らして、それをユラユラさせて腰をフリフリしながら
周囲の神々の笑いをとって、その場を盛り上げる・・・というシーンが生々しく表現されています。

また、あるシーンでは、暴れん坊のスサノオノミコトが天上界で悪戯をして
そこで飼われていた馬の皮を生きたまま剥ぎ取って、
天上界から地上に投げ落とした際、たまたま地上界にいて
織物をしていた別の女性神が、その馬の変わり果てた姿に驚いて
織物を作るための道具が子宮に刺さって、そのまま死んでしまった・・・とか。

もっと言えば夫婦神で知られるイザナギとイザナミの2柱の神が
性交した際、色々な神が生まれてくるのですが、
女性神であるイザナミは、子宮から火の神様を生んでしまい、
子宮を火傷して、黄泉の国に旅立つことになります。

とても生々しいでしょう?

こういう古事記の話をすると、おおよその「子宮信仰」の人生に欲求不満な性格ブスたちは
幻滅してしまうことでしょうね(笑)。

ちなみに当時の言葉は、「子宮」ではなく、御陰、「ホト」と表現していました。

中途半端な子宮信者たちが、膣でもホトでもなく、ま○こでもなく、
あくまで「子宮」と表現することに拘るのは、現実を直視したくない夢見る夢子ちゃんや、
やはり中途半端に努力もせずに自分の価値を高めたい
人生に欲求不満な性格ブス、人生ブスにとっては一番受け入れやすい言葉であり、
そのことを熟知している教祖様のような人たちは、
「これは金になる。多くの中途半端な性格ブスをかき集めて色々な活動が出来る。」と
あくまでビジネスの上で、儲けやすいからだという事実を、
「子宮」ではなく、冷静な頭、冷静な心で判断していれば、
こんな陳腐な子宮詐欺にひっかかることは絶対にないはずです。

「私は自分に自信がない。でも具体的にどうやって努力して工夫して
自分の人生をより良いものに変えていけばいいのか分からないし、
そんな努力もしたくはない。出来ることなら、もっとラクして
自分を認めてくれる、幸せになるような思想、生き方はないかな。」

つまりは、子宮信仰にしても、その他の怪しいスピリチュアルまがいの商法にしても、
マインドブロックバスターにしても、基本は全く同じなのです。

基本的に自分の人生に欲求不満で満たされておらず、
それに加えて、そういう現状を変える術を知らない、
また自分自身の人生をより良くするための努力や行動を起こしたくない、
もっとラクをして自分の存在価値を高め、神格化したり、
神秘的なものに扱うように思い込むことによって現実逃避を繰り返す人たちが
こういう陳腐な思想を行ったり来たりしている、
まさにスピリチュアルゾンビ状態が、今のスピリチュアル業界の約9割を占めています。

そしてこの子宮教の信者たちは、おおよそ中途半端なヒーリングだとか、
マインドブロックバスターだとか、その他の怪しいスピリチュアルとも呼べない
商法に携わっていたり、顔を突っ込んだりしている共通点があります。

だから、どれも基本は同じで、人生自体に欲求不満で
満たされていない性格ブスたちが救いを求めて、
自分の存在価値を認めるためのツールをゾンビのように探し求め続ける構図が
そっくりそのまま当てはまりますよね。

僕が生活している沖縄でも、一時期子宮ブームがあったようで、
それらに携わっていた輩を第三者から聞いてみると、
やはり自分に自信がなくて、人生に欲求不満で右往左往している残念な人たちばかりでした。

今の時代、コンプライアンスとか、何とかとか非常に息苦しい時代になってしまい、
「性差別!」と言われてしまいそうですし、とても表現は下品なのですが、
では、女性が「子宮」で宇宙を感じたり、子宮から物事を考えたり、
そのことによって人生が上手くいくのであれば、
男性が自分のおちん○んで宇宙を感じたり、そこから物事を考えたり、
そのことによって人生が上手くいきますよ・・・と必死に
「おちん○ん信仰」を唱えたとして、それに共感できる子宮信者はいますでしょうか。

僕だったら、ただ、気持ち悪いと感じるだけで、
おちん○んを神格化するつもりも、おちん○んから物事を考えるつもりも
一切ありませんけどね。

あくまでこの世の人生を生きていくためには、冷静な理性が必要な訳で、
そこにおちん○ちんも、子宮も一切関係ありませんよ。

そして、子宮も、おちん○んも、どちらも同じ人間の臓器の一部なのです。

なのに女性だけが宇宙で、男性だけが際物扱いされるのは不公平でしょう(笑)?

これが子宮信仰の言葉の魔術、言葉巧みに中途半端な
人生に欲求不満な性格ブスたちを勘違いさせて、
何でもかんでも子宮に起因させていけば上手くいくマインドコントロールの1つです。

だから、そのヘンの毒キノコのようにポコポコ生えては消えていく
陳腐で中途半端な新興宗教と同じで、子宮教と呼んでいいのではないでしょうか。

ちなみに、日本だけではなく世界各国の原始的信仰の一部には、
生殖器を祀り上げるものもあります。

僕の伊勢の神職時代の友人の実家の神社は、男性のおちん○んがご神体の一部で、
毎年、お祭りの時期は、そのおちん○んと女性器が交わる姿を
天狗とおかめで表現した踊りが披露され、全国的にも有名なお祭りの1つとなっています。

これには種づけの意味があり、そこから生命が育まれ、
人の命が育っていく五穀豊穣と無病息災の願いが込められています。

本来の子宮信仰、おちん○ん信仰の起源は、おおよそがこのような
人間の命にとって最も大切となる生命を育むための
大自然への畏敬の念から派生したものと思われますが、
現代の子宮信仰は、全くそれとは違った側面があり、そのクオリティには雲泥の差があります。

あくまで今、流行している陳腐な子宮信仰の根源は、
「欲求不満な自分の人生を、いかにラクして神秘的なものに祀り上げて、
努力をせずに幸運や良い出会いの流れを引き寄せる子宮人間になるのか。」というもので、
そこには原始的な生殖器信仰に見られるような
大自然への畏敬の念もへったくれもなく、
あくまで「自分」が主体であり(悪い意味で)、いかにラクして生きていけるのかを追求した
まさに「ありのまま」を中途半端に都合よく解釈する
我儘な性格ブスを増殖させるためのツールであるということ。

子宮は、ただの臓器の一部で、膣であり、おま〇こです。
そして、子宮で宇宙に繋がるなんてあり得ませんし、
子宮で物事を考え、行動に移すことによって人生が上手くいくことも絶対にありません。

何度でも気持ち悪いことを言いますが、
これを同じ臓器の一部である、おちん○んに例えて、
同じように解釈する人、神秘的なものに捉えることが出来る人はいないでしょう?

子宮はOKで、おちん○んは汚くて俗世的なもの・・・。

もう、この時点で
「私たちは選ばれた特別な人間なの。何もしなくても努力なんてしなくても
十分神秘的で宇宙や神々に愛されて、全てが上手くいくようになっているの。」と
非現実的なたわごとを、いつまでものたまっているようなものなのです。

子宮も、おちん○んも人間の臓器の一部であり、排泄のため生殖のための器官です。

大昔の原始的な生殖器信仰の意義をしっかり理解して、
それらを崇拝するならまだ理解できますが、
そんな意義もすっ飛ばして、ただ都合よく子宮、子宮と依存するのは
本当に人生に欲求不満な性格ブスの極みだと僕は感じています。

子宮を神格化する前に、宇宙に繋がる前に、
僕たちはあくまでこの世を、人間として生きています。

地球にしっかり根を下ろし、今、向き合っている現実の生活こそが大切であり、
そこに子宮なんて一切必要ありません。

必要なのは、冷静な判断を持つ理性と、現実的な行動力のみ。

これが出来ないから、子宮に依存する性格ブス、レリゴーブスが多いのでしょう。

子宮をテーマにした中途半端なスピリチュアリズムが蔓延しているのも、
またそれに依存しようとする輩が後を絶たないのも、
全て自らの人生の欲求不満をラクして解決したいがための
現実逃避だということを忘れてはいけません。

いい加減、子宮や宇宙に依存するのはおやめになったらいかがでしょうか?

というより、ここでハッキリと人の区別が出来ますよね。

子宮や宇宙や魔法や天使や妖精、その他のものに頼って、
いかにラクして、自分を神秘的な存在価値のある人間と思い込みたい性格ブスが多いのか、
それとも、現実的に理性を使って目の前の物事と向き合っていく
聡明な人なのかの差が・・・。

逆にこの業界でお金儲けをしたいのであれば、欲求不満で性格ブスが多い
中途半端な子宮や宇宙や天使や妖精を売り物にすればいいだけの話なので
やはりこのスピリチュアル業界の9割が、こういう中途半端で
残念な状態だというのは、全く変わらず下らない現状だと感じています。

僕がナカトリモチ、神社神職として日々仕事で向き合う対象にしているのは、
その中途半端な9割ではなく、あくまで物事の本質を見抜くことが出来る、
またはそれを目指して日々現実的な実践、努力、工夫をして
本人なりの人生を輝かせていこうとしている聡明な人たち、
残り1割にも満たない人たちが対象です。

だから、別にこのブログをご覧になって
キーキー、ギャーギャー、おしっこじゃー状態でヒステリックになって騒がれたところで、
批判されたところで、クライアントが減ったところで
痛くもかゆくも何ともないどころか、むしろ大歓迎です。

これで中途半端な欲求不満な性格ブスと、
そうではない聡明な人たちとの区別がしっかり出来ますから。

子宮は宇宙とも繋がらないし、必要以上に神秘的なものに祀りあげる必要も一切ありません。

もっと現実的に、理性を使って、物事を判断出来るようにならなければ、
いつまで経っても、こういった中途半端な毒キノコのような思想に惑わされ
右往左往して生きていくことになります。

という訳で、子宮信仰の皆さん、
どうぞ、今日からこのブログへの訪問はおやめください。

僕とあなたでは生きる道も、価値観も、方向性も全く違いますし、
共有できるものは一切ございません。

そのほうがお互いにとってもエコですし、好きなように生きていけますし、
僕は子宮信仰に陶酔している人生に欲求不満な性格ブスは、
女性であろうが、男性であろうが、大嫌いですし、一生ご縁がありませんから。

ほんっと、この世の中、中途半端なものに流される輩が多くて
「あぁ、またか。」とうんざりすることもありますが、
僕が向き合うべきところは、子宮でも宇宙でも天使でも何でもなく、
この世を理性で聡明に生きる人たちのみですから、
これからも変わらず、そこだけに自分の労力を注いで生きていきたいと思っています。

追伸

この子宮教ブームが落ち着いたら、今度は「おちんち〇教ブーム」も来るのでしょうかね、笑




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Posted by 山野本竜規 at 13:38 │心の在り方 (2,645)▼