山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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かなり危険な、「Let it go」。~ありのままでは、いけません。~

2014年05月05日

かなり危険な、「Let it go」。~ありのままでは、いけません。~沖縄地方、今朝からかなり強い雨が降っていて
本日、梅雨入りが発表されました。

これからしばらくの間は、どんより曇り空と
お付き合いしていかなければいけませんが、
それと同時に、窓の拭き掃除の頻度も
これまでよりも増えてくることになります。

沖縄本島でも地域によると思うのですが、
周囲を海で囲まれた沖縄は、少しでも強い風が吹いて
それに雨が加わると、塩害もひどくなってきて
今朝のような強い雨が降ると、冒頭の写真のように
くっきりと塩の跡が残って、その掃除をせずに放置すると
益々汚れていく一方になるのです。

つまりは、「ありの~ままの~♪」と今、世間を騒がせているディズニー映画のように
ミュージカル気分で呑気に歌っている場合ではなくなるのです(笑)

もし、このまま、「ありの~ままの~♪」と放置してしまえば、
一面、擦りガラスのような曇りきった窓へと劣化するのみなので
なるべくクリアに外を見渡せるように、定期的なメンテナンスが必要となってきます。

そう、ここ最近、僕がとても気分が悪く感じるのは、
「Let it go」「ありのまま」の本質を知らずに、物事を都合よく解釈してしまう
中途半端な層で右往左往してしまう人たちや、
その中途半端な雰囲気を、「良し」と評価してしまう世の中の流れそのものです。

話題のディズニー映画は、まだ観ていませんし、
個人的にはあまり興味がそそられず、映画館に足が向かないのですが、
それは、単なる個人的な趣味嗜好という単純なものだけではなく、
件の「Let it go」が、いかに中途半端に解釈されて勘違いして
それらに感動して一緒に口ずさんでいる人たちが多いのかを想像するだけで
とてもじゃありませんが、気持ち悪くて一緒の空気を吸いたいとは絶対に思えないのです。

歌としてはとてもいい歌だと思いますし、
単純に娯楽映画として捉えるのであれば、映画として楽しめるのでしょうけれど、
僕自身、ある側面では、とても天邪鬼なところがあって、
気味が悪い大合唱ブームが起こるような、中途半端な人が熱狂する映画を、
お金を払ってまで観ようとは思えないのです。

実は僕自身、この「Let it go」という単語、言葉にはトラウマのようなものがありまして、
神社神職として日本の精神性や固定概念だけに留まらず、
世界各国の人たちの見解はどうなのだろうかと勇気を出して海外に飛び出し、
各国から集まった外国人たちと集団生活を送っていた自分の中での黒歴史のようなオーストラリア時代、
日常的に使われていた言葉だったのです。

日本語のニュアンスとしては、歌でもあるように、
「ありのままに。」とか「全てを受け止めて、受け流して。」など
そのような意味で、特にカウンセリングなどで常用されていた言葉だったのですが、
僕は、この「Let it go」を言われるのが、とても苦痛で、
「お前みたいな残念な人間に、Let it goなんて言われる筋合いねえよ!」とか
「お前が、その言葉発するなよ!」と本当に嫌になった記憶があります。

たとえばの話ですが、化粧もしていない、髪もボサボサ、肌の手入れもせずに
服のセンスもヘンテコリンで、性格も傲慢で雑な女性が、
「私は私。ありのままでいいの。」
「そして、あなたも、ありのままで、そのままでいいのよ。」なんてのたまったら、
誰だって、すぐに「黙れ、ブス!」と言いたくなるものだと思います。
(僕は、確実に心の中で、そう言います。)

また、いかにもオタクのような外見で、
仕事もせず、ギャンブルやゲームなどにしか興味がなく
親の脛をかじっているような無能で、良い大人の年齢のニートの男が、
「俺はありのままでいいんだ。こんな自分でも生きているだけでいいんだ。」
「だから、お前も、ありのままで、そのままでいいんだよ。」なんてのたまったら、
誰だって、すぐに「黙れ、甲斐性なし!」と言いたくなるものだと思います。
(これまた僕は、確実に直接本人に、そう伝えると思います。)

はたまた、良い大人の年齢でチームワークで仕事をしなければいけないにも関わらず、
いかにも暗くて友達も少なく、まともに人とのコミュニケーションも取れないような陰鬱な男が、
「僕はありのままでいいんだ。」「だから君も、ありのままで、そのままでいいんだよ。」
なんてのたまったら、
誰だって、すぐに「黙れ、ネクラ!」と言いたくなるものだと思います。

これらは極端なたとえのようですが、
実際に僕がオーストラリア生活や2~3年通い続けたアメリカで体験した
残念な「Let it go」の数々です。

まぁ、文化風習、言葉などが違っていたとしても、
仕事が出来ない甲斐性無しや、ありのままを勘違いして暴走し周囲に迷惑ばかりをかける
残念な輩が一定数存在するということは万国共通だということ。

このシンプルな事実を体感をもって知るために約4年ほどアメリカやオーストラリアでの
カウンセリングの勉強を費やしたと思うとトホホという気分になりますが、
これもまぁ、僕にとってはレリゴー精神がどれだけヤバいのかを知る良い経験になりました。

黙れブス、黙れ根暗・・・など僕が心の中で毒を吐く時、
これらは、相手の外見や立場をけなしているのではなく、
そういういい加減な生活状態、いい加減な生き方をしている人たち、
現実から目をそらし、地に足着けず逃げてばかりいるような、
つまりは、人生において、あまり努力の成果が見られないような怠けている人たちに
自己肯定を求められたとしても、何の説得力がないのが普通ですし、
そこを勘違いして、「ありのまま。」を良しとするのは、かなり問題だということ。

僕はこれらの痛々しい人たちと接してきた海外生活で
「Let it go」のシャワーの数々を浴びた時は、
まさに、こういった、もどかしい、相手に対する残念さ、イライラがピークに達してしまい、
だからこそ、中途半端に自分や他人を甘やかして
「ありのまま」という言葉を使う愚かさと、それがいかに危険な言葉であるのか
十分に理解した上で使うべきだと、強く強く学ばせてもらった貴重な経験でもありました。

「Let it go」は、一歩間違えれば大変な勘違い、
中途半端な生き方をする人たちの中途半端さを増長させてしまう危険性を
おおいに孕んだ言葉であることを、しっかり認識しておかなければいけませんし、
そこに重きを置かないまま、大ブームになって合唱してしまう
今の世の中の人たちの浅はかさは、やはり気持ち悪いとさえ感じてしまいます。

ありのままでいるためには、
大前提として、それ以前に相当の努力や苦労や経験を重ねて、
しっかりとした人間力の下地、基礎がないことには
それは成り立ちませんし、ずっと、ありのままで、いてはいけません。

中途半端なスピリチュアルマニアや、その他の中途半端な
地に足着いていない人たちが好む言葉は、
この「ありのまま」以外にも、「ナンバーワンより、オンリーワン」など
ある意味では正しいけれど、大いに勘違い要素を含んだ
言葉の解釈をしてしまいがちな単語、思想などが多く見受けられます。

簡単な言葉でお伝えしたら、
本来であれば、人事を尽くして天命を待たなければいけないはずなのに、
人事を尽くさず、何もせず、天命、良い運だけを求める
超身勝手なご都合主義になってしまう恐れがあるのです。

たとえば、自分には誰にも言えない秘密がある。

それが不倫であったり、難病のことであったり、精神疾患であったり、
借金であったり、同性愛であったり、
世間一般の価値観からすると、引け目に感じてしまうような
人生の秘事を抱えている場合は、自分1人で、そこと向き合うのは
とても辛い部分があるのは事実だと感じます。

ですが、そことじっくり向き合おうとせず、
そういった秘事を、おおっぴらに誰それ構わず打ち明けて
自由になりたがる、浅はかで、はた迷惑な勘違いの人たちがいるのも事実。

「ナンバーワンよりオンリーワンであり、ありのままで何が悪い!」と
ただの開き直りを、自由に自己表現することと勘違いしてしまう人たちです。

何かをオープンにして自分を解放し、正直に生きることが
何よりのオンリーワンで、ありのままの自分だ・・・と痛々しい勘違いをしているのですが、
その動機を辿ってみると、おおよその場合、
「自分1人では向き合う問題を抱えられなくて誰かに分かってもらいたい。」
「少しでも自分の悩み、不安をシェアしてもらいたい。」という
本人たちには気付かない、甘ったれ根性、
依存根性が潜んでいる場合がほとんどです。

秘事は、この世を生きている大人の人間であれば
1つや2つ、誰でも他言はしなくないものがあるかと思いますが、
それを相手の状況、迷惑や立場を考えず、ただ自分がラクになりたいだけ、
自分がその負い目やプレッシャーを抱えられないからとか、
そんな甘ったれた理由だけで、周囲の人たちを巻き込んでしまうことほど
残念な生き方はないとさえ思っています。

本人たちは、あくまで「自分が正直に生きて何が悪い!」と強気なのですが、
それを公にするのは本人の動機次第であるということ、
そして、そのほとんどが残念な動機から発せられているものだということを
自覚しない限りは、いつまで経っても
どこまで行っても残念で、周囲に迷惑ばかりかけるような生き方しか出来ません。

もし、そのような重い何かを打ち明けるのであれば、
それこそカウンセリングのような場所か、
本当に信頼できる人のみに打ち明けるのが普通であり、
何も関係のない人たちまで巻き込む必要は、どこにもないような気がします。

そのような意味で、それぞれの人が抱えている人生の秘事の全てを
見ず知らずの他人にまで公開したがったり、
「ありのままで。」「オンリーワン。」をバカの1つ覚えのように繰り返し、
中途半端に妄信する人たちは
本人たちがいくら、「自由で幸せ!」と公言していたとしても
傍から見ると、とても痛々しくて、本当の意味で幸せそうには映らないものです。

今、世界各国で沸き起こっている「ありのまま」ブーム。

果たして、その真意、本当の言葉の意味を
どれだけの人が心から理解して、その歌を口ずさんでいるのか
とても疑問に感じてしまいますが、
だからこそ、僕自身は、こういった中途半端な思想や価値観、
言葉の表面だけを都合よく解釈するような生き方は絶対にしたくないな・・・と、
少々気味が悪い「ありのまま」に熱狂する人たちを垣間見ながら
強く強く心に誓いを立てることが出来ました。

「ありのままの~♪」を口ずさむ前に、
もう一度、ご自身に問いかけて下さい。

本当に、今のままで、ありのままでいいのか、どうかを。



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Posted by 山野本竜規 at 19:09 │心の在り方 (2,645)▼