山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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スピリチュアルと「戦い」は真逆のイメージですが・・・。

2014年10月12日

スピリチュアルと「戦い」は真逆のイメージですが・・・。昨日で関東での霊視個人セッションの仕事を終え、
今日はこのあと11時半からナカトリモチ勉強会の講演です。

いつも東京出張の際は、あっという間に時間が過ぎていき、
ここでお会いできる色々な方との交流が
個人的にはとても嬉しくて、また明日への活力に繋がります。


各地への出張の醍醐味は、勿論、初めてお会いする方を含めて、
普段、沖縄を拠点に活動しているだけでは
なかなかお会いする機会がない方と交流することが出来るので
僕にとっては、各地の出張は、
「また、あの方お越しになるかな。元気でいらっしゃるかな。」などと
これまでお会いした皆さんの笑顔や表情を思い出しながら
その再会が訪れるのを、毎回、とても楽しみにしています。

札幌には札幌の温かい皆さんの笑顔が、
東京には東京の温かい皆さんの笑顔が、
愛知には愛知の温かい皆さんの笑顔が、
神戸には神戸の温かい皆さんの笑顔が、
福岡には福岡の温かい皆さんの笑顔が、
そして、僕の生活拠点でもある沖縄には沖縄の温かい皆さんの笑顔が・・・。

ナカトリモチの活動を通して、各地域で出会うことができる
沢山の笑顔に支えられて、僕自身、毎回、沢山の元気を戴いています。

普段はブログなどで一方的に情報発信する立場ですので、
向こう側にある読者の「顔」は一切分かりません。

顔というより、どのような心持ちでご覧下さっているのか・・・という部分なのですが、
実際に霊視個人セッションや土地家屋のお祓い、
そして各地のナカトリモチ勉強会の講演でお会いする方、
お1人、お1人の表情に直接触れ合う機会があると
「あぁ、こういう心ある方がブログをご覧下さって、
ご自身なりに一生懸命、1日1日を生き抜いておられるんだな。」と
僕自身の励みとなり、活力に繋がる積み重ねなので、
だからこそ、僕は直接お会いする機会がある
今のナカトリモチの活動が大好きなのだと感じています。

毎日、不特定多数の人が読んでいるであろうこのブログで
少なくとも、毎日何かしらのヒントを糧として
自分なりの1日、1日を一生懸命に生き抜いていきたい・・・と
願っておられる心ある方の想いに支えられながら
僕の活動は成り立っている訳で、
やはり、そこには素直に感謝の気持ちが湧いてくるものです。

本当は、こういう綺麗な文章だけで
今日のブログを終わらせたいところですが(笑)
この世は、光と影、正と負、その両方が混在する世の中であり、
そのどちらとも、しっかり自分なりに向き合い、
魂を磨いていくのが、僕たち魂が、人間として
この世に生まれてきた宿命、課題の1つでもあるので、
やはり、これだけは避けては通れず、
今回も、いつも通り、綺麗な文章だけで終わらせることは出来ません。

昨日のブログ記事で、「今回の台風は人間が意図的に機械で作り出したもので、
だからこそ、その悪意のある人たちに愛と平和の祈りを送ってあげましょう。」と
訳の分からない、ばい菌のような虚言、妄想を公言して
それを拡散したがる可笑しな思想のことをご紹介したばかりですが、
早速、その妄想信者一派から、激しい誹謗中傷メールが沢山届いています(笑)

そんなに僕のブログ記事が嫌で、図星のことを指摘されて
ギャーギャー批判してくるのなら
パソコンの電源を切って一切読まないようにしたらいいだけの話なんですけどね。

*「嫌なら、気に障るのならブログを読まないで下さい。」

数ヶ月前は、
これまたまるで毒キノコのように中途半端なスピリチュアルマニアの間で
大繁殖していたマインドなんちゃらバスター信者とその関係者から
同じような誹謗中傷メールが届いて、同じような結果になりましたが、
僕の場合、どうやら、毎度、毎度、
こういう中途半端な輩の心の弱さを図星で指摘する度に、
「図星を言われた」ことに気づかず、激しくリアクションを起す
ヒステリックで人生自体、欲求不満な連中のターゲットにされやすいようです。

勿論、僕自身、このナカトリモチという活動を始めるに当たって、
最初から覚悟していましたし、いつもそんなことは想定済みですから
痛くも痒くもありません、というより、こうやってブログの内容の一部として
すぐに自分なりの糧に変えてしまうので、
毒キノコやばい菌も、扱い方によってはプラスになることもあるみたいです(笑)

やはり僕は、こういう中途半端なスピリチュアル業界、
そしてそこに共依存している信者や、発信者とは常に敵対関係にあり、
本当に水と油のような関係でもあるため、
これはこれで、本当に有難いことだと感じています。

そして、聡明な皆さん、冷静な皆さんだったら既にご存知かも知れませんが、
僕はそういう毒キノコやばい菌のような輩、思想、妄想、虚言の類に触れた時、
またはしっかり対峙しなければいけない時、
僕自身、そういったものとは全く真逆の生き方になるため、
良い意味で大いに僕の生きる力が揺さぶられ、
自分自身の崇高な信念が強く眩しく輝き始める瞬間でもあるのです。

一見、とても矛盾しているような流れですが、
本当にその通りで、毒キノコやばい菌に触れることによって
自らの崇高な良い部分が普段以上に触発される・・・という
僕にとっては有難い結果になるので、これらも全て必要悪と捉えれば
この世のシステムというものは、
上手い具合に成り立っているものだなと思いませんか?

ただ必要悪とは言え、
やはり毒キノコやばい菌のような輩、思想、妄想、虚言の類は、
聡明な生き方を目指す人にとっては有害なものであり、
有害なものは、どのような点で有害なのか、
とりあえず、しっかりと説明をしなければいけません。

そのあとの判断は、その情報を受け取る側の心次第であり、
そこまでは僕は介入できないので、
やはり全てのことは自分自身で最終的に判断して
自らの人生を築き上げていくものだという
スピリチュアリズムの大原則を常に思い起こさせてくれます。

霊的世界は、常に愛と光に満ち溢れた世界ですが、
僕たち人間が生活するこの世は、
光も闇も、善も悪も両方存在する世界であり、
愛と光だけでは学び足りない、そこだけでは
気づくことが出来ない学びがあるからこそ、
そして魂をより純度の高いものに磨き上げるために、
それを自ら望んで、敢えて、この世に生まれてきています。

だからこそ、光と闇があって当然なので、
それを嘆くことも、必要以上に悲観することもないと思います。

そして本当のスピリチュアリズムに目覚め、
その生き方を一生涯貫いていきながら、
それらの普及に務めていく霊的世界の道具となるべき人たちは、
実は光だけ見ていてはダメで、
その逆のばい菌や毒キノコのような闇の部分と
しっかり対峙し、目を逸らさず、それらを駆除するくらいの
命を懸ける覚悟と精神力を求められます。

ここ最近の霊能者やスピリチュアリストというと、
どうも腰抜けのような、これまた中途半端な覚悟の人が多くて
光だけに目を向けていきましょう、良いものだけを感じましょう、
この世は1つで、皆、悪い人なんていません、
愛と平和を心の中で祈りましょう・・・と、
バカの1つ覚えのように伝えるのみで、綺麗な世界のみで生きようとしています。

そんなラクで誰でも出来るようなやり方、
「本物」の霊的世界は、求めていません。

それは、霊的世界に戻った、あの世でやればいいだけのことですし、
それだけでは学び足りないからこそ、
光も闇も両方存在するこの世に敢えて生まれてきている・・・という
スピリチュアリズムの大原則を無視した生き方でもあります。

本来は、善も悪も、光も闇も、全て対峙して
そういうドロドロした中で、自らの力で光を見出し、
そこから愛や平和を感じ、祈る・・・というプロセスがあり、
悪と対峙せずして、闇としっかり向き合わなくて
それをやろうとするのは、やはり中途半端な光や愛の世界に
依存している証拠でもあります。

僕は世界中で、今まで出会ったスピリチュアリストの中で
ほんの一握りですが、「素晴しい人たちだな。」と感じる人たちを知っています。

そのうちの1人は僕の心友でもありますが、
やはり皆、同じ考え方です。

光だけを見ていてはダメ。闇や悪とはしっかり戦う命を懸けた覚悟を持つ。
その覚悟がなければ、この仕事、お役目はやらない。

スピリチュアリストに「戦う」という言葉は似合わない、
または「争いはいけません。」と中途半端な知識しか持ち合わせていない人は
勝手なイメージでそういう間違った価値観を押し付けてくるのですが、
僕たちは、常にひっそりと毎日襲ってくる
闇や悪や毒キノコ、ばい菌の類と戦い続けていますし、
そういった精神力、真実を見抜く力、覚悟がないと
この仕事、お役目はやはり務まりません。

僕が「命を懸ける覚悟で」といつも表現するのは、
大袈裟でも何でもなく、
本当にいつ(エネルギー的に)討ち死にするか分からないほど
気を抜けない部分もある・・・という事実があるからです。

もし、そこまでの覚悟がなければ、
愛や光や平和やエネルギー、そしてヒーリングの類の
スピリチュアリズムを説く本当の資格なんてありませんし、
そこまでの覚悟がないと、霊的世界は通訳としては使ってくれません。

スピリチュアルに戦いや争いは無関係で、
そういう言葉を用いること自体、ダメなこと・・・。

中途半端な人たちは、無意識ですが、そう思っています。
逆に言えば、そう感じる時点で、中途半端だということです。

僕たちは、常に闇や悪のエネルギーと戦っています。

それが、この世で生きている意義であり、
そういう闇の中でこそ、光を見出し、愛を見出し、平和を祈る
本当の心の強さが芽生えてくるものだからです。

もう奇麗事だけで生きる中途半端な時代は時代遅れ。

そろそろ、物事の本質に気づいて
潔く生きていく聡明な人たちが増えてくることを願っていますし、
そのために僕は敢えて、等身大のまま綺麗ぶらずに
ナカトリモチの活動を続けています。

皆さんお1人、お1人を取り巻く環境でも全く同じ。

どのような業界であろうが、どのような組織であろうが、
どのような人間関係であろうが、必ず光と闇があり、善と悪があり、
この世は、どちらかと言えば、かなりの割合で
闇や悪が多く(未熟な魂同士の集まりなので)、
そこと対峙しながら、本物の光や善を見出していくために
嫌な出来事、嫌な人、理不尽な事象と向き合っていくものです。

ヘンな言い方かも知れませんが、
光や善と触れ合う時は、思いっきり開放的に純粋な心でそれらを満喫し、
闇や悪と対峙しなければいけないときは、
どんなに戦いや争いが嫌だったとしても、
祈っているだけでは、じっとしているだけではダメで
何かしらのアクションを起さない限り、その闇に影響される一方です。

だからと言って、毎日毎日戦闘モードという訳ではなく、
光となるものには純粋に喜び、楽しみ、
その逆のものとも真剣に対峙する、
とてもメリハリのある素晴しい人生でもあるのです。

闇や悪と対峙する時、直接向き合えなかったとしても、
あなたなりの戦い方、撃退方法、防御方法を身に付けておくことは
とても大切です。

この世は愛と光と平和に満ち溢れている・・・。
そんな幻想や妄想は、あの世に逝ってからのたまえばいいだけのこと。

この世は、そんな良いものだけに触れるために存在するのではありません。

少なくとも、今、気骨のある本気の覚悟で
そういう本物のスピリチュアリズムを普及する活動をしている人は
世界の中でもほんの一握りの割合だと感じています。

そろそろ中途半端な妄想、幻想から目を覚まし、
本当の意味で覚醒して、真の生きる意義を見出す人たちが
増えてくることを願っていますし、
僕は、そういう想いで、いつでもどこでも同じ姿勢で
同じことを伝え続けていくつもりです。

これが僕の一生涯、命を懸けたお役目ですし、
それをさせてもらえることは、
僕にとっては何よりの生きる力でもあります。

今日も同じ姿勢で、東京のナカトリモチ勉強会の講演に臨みたいと思っています。


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