*5月11日(日)、6年ぶりの東京ナカトリモチ勉強会、参加者募集中です。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付中です。
自然霊の声なき声。~黙々と直向きに生きる人たち~
2014年04月28日
本土(特に関東以南)では新緑が映える時期で
僕は、この時期特有の緑が発する青々しい匂いが
この上なく大好きで、その匂いと空気に包まれているだけで
とても幸せな気持ちになります。
昨日の県外出張でも、ほんの少しですが、既にその薫りが
大自然のあちこちから漂ってきていましたよ。
あのなんとも言えない青々しい緑の匂いと空気感は、
本土特有のもので、僕が住んでいる南国の沖縄では決して体感できないものなので、
この時期に県外に出かけることがあると、
個人的に、とてもテンションがあがります。
沖縄には、もう少し早い時期に「うりずん」という季節があり、
その期間に大自然から運ばれてくる緑の薫りが
本土のそれに当たるのかも知れませんが、
やはり、その感覚、匂い、全てが決定的に違うような気がします。
そして、僕は本土のそれも、沖縄のそれも、
とにかくどちらも懐かしく感じて、心の底からリラックスできるので
新緑の時期のひそかな楽しみは
普通の人の2倍楽しめるというお得な生活を送らせてもらっています。
時折、大自然の中に身を置くということは、
特に現代社会を生きる人たちにとっては、
とても大切にしておきたい習慣の1つだと感じています。
それが海であれ、山であれ、森であれ、
大自然の中で、思いっきり深呼吸をして
身体の中に溜まった毒素やネガティブな想いなどを吐き出して、
また思いっきり新鮮で美味しい澄んだ空気を吸い込むだけで
「なんとなく」ですが、スッキリしてくるものです。
「なんとなく」なのですが、その「なんとなく」こそが、
見えない感受性の部分にあたります。
深呼吸は、何も肉体的な酸素を取り入れてリフレッシュする作用だけではなく、
見えないエネルギーの交換も、しっかり行われているものです。
人によっては、それらの存在を「気」とか「エネルギー」、
ヨガの世界では「プラーナ」など、色々な呼び方がありますが、
とにかく人間は、昔からこの大自然と共に生き、
そこで物質的にも、エネルギー的にも大きな恩恵を受けて
生命活動を維持させてもらいながら、
ここまで発達、発展してきたという紛れもない事実が存在します。
この世では見えるものが全て、分かりやすいものが全て、
はっきりとした形あるものが全てであり、
その他の声なき声、見えないもの、感じにくいものは
あまり注目されることも、意識されることも、ほとんどありません。
このブログでも、自然霊たちの謙虚で健気な働きについて
幾度となくご紹介してきましたが、
それらは、見えないエネルギー体であり、形あるものではありませんし、
実際に明確な形で感じられるものでもありませんから
その存在に対して意識すら持ちようもないものですが、
自然霊たちは、そんなことは一切気にすることもなく、どうでもよくて、
ただただ懸命に、健気に、僕たち人間にとって必要な生命エネルギーを
惜しみなく運んできてくれるのです。
そこに損得勘定とか、他の何か、その他の第三者から評価を得るとか、
そんなちっぽけな人間の心の弱さから発せられる
嫌らしい気持ちは一切存在しません。
ただただ、それがお役目であり、ただただ、そうしたいから、そうやっているだけのこと。
これが何の偽りもない自然霊たちの働きかけ、存在の意義なのです。
僕は人間なので、自然霊たちと生き方も考え方も全く違う世界に身を置いて
日々の生活と向き合っているのですが、
やはり何故だか、この大自然のエネルギーの生き方、存在の仕方が
この上なく心地良く、素敵なものに感じて、
どうも他人事と思えないというか、共感できることがあって
そのような点でも、僕自身、今のナカトリモチの活動を通して
1人の人間としての人生を通して、この自然霊たちからの
見えない応援エネルギーを送ってもらいやすい、
共鳴しやすい体質であることを自覚しています。
そろそろ核心になる部分をお伝えしたいと思いますが、
僕が何を言わんとしているのかと言いますと、
僕自身、出しゃばり過ぎる人や自己アピールし過ぎる人、
そのような生き方、社会、風潮、セオリーを「良し」と妄信してしまう人たちが
あまりにも浅はかで、感じが悪いな・・・と感じてしまいます。
この世の中には、必要以上にギャーギャー騒がず、
ギャーギャー自己アピールし過ぎず、
ただただ黙って、本当に黙々と淡々と素晴らしい仕事、
それぞれの生き方と向き合っている人たちが大勢います。
そういう人たちは、自ら進んで物事を発しないので
目立つ訳でもありませんし、他の誰かに気付かれる訳でもなく、
本当に黙々と、淡々と、良い仕事や生き方と向き合って
日々の生活を送っているのです。
そういう人たちは、単に自己表現が苦手だからとか、
発信するのが苦手だからという理由で、それらをやらないのではなく、
「ただ、今向き合っている仕事や生き方が好きだから。」
「ただ、やりたいから。」という、
そこに損得勘定や、他人からの評価を得ようとする邪な気持ちは一切なく、
その感覚、生き方、人生との向き合い方が、
何よりも潔くて心地よく、見事なまでに清々しいのです。
目立たないし、自ら声を上げることはありませんから、
注目を浴びることも、評価を得ることも、意識されることもありませんが、
自然霊の働きと似たような部分があるため、
自然とその人たちの人生は幸せな方向へと導かれていくものです。
僕自身、情報発信をする立場の人間なので、
そのような人たちとは、ある側面では対照的な生き方かも知れません。
しかし、僕は、そういう人たちの生きる感覚にこそ、
人生の素晴らしさや心地良さを感じて、元気になれるものなので
気持ちは、意識は、表面的にギャーギャー騒いで
自己アピールし過ぎる人たちよりも、
自然と、声なき声、黙々と淡々と働き続ける、懸命に生き続ける人たちに
向かってしまいます。
そして、そういう人たちにこそ、自分が持てる限りの何かを駆使して
出来る限りのことを還元させてもらいたい・・・と素直に感じるのです。
今の世の中、その感覚とは真逆の価値観、エネルギー、風潮が
多勢だと捉えています。
成功とか、他人からの評価とか、つまりは
目に見える形での、結果として確実に分かりやすいものを
目指すのであれば、必要以上に自己アピールも、
ギャーギャー騒ぎ立てながら生きなければいけない側面も多く、
それを良しとして生きるのであれば、それはまたその人の人生。
おおいに損得勘定で人を選び、自分にとって有利になる人とだけ付き合い、
目に見える形での評価、評判を曖昧な世間一般の他人に求め、
これまた目に見える形での安心感を得ることに幸せを見出すことが出来るのであれば、
それはそれで、その人の人生ですし、
僕自身、その事実を残念だと感じても悲観することはありません。
でも僕はやっぱり、無勢の生き方、感覚、価値観のほうが
とても居心地良く感じますし、そういう人たちと共鳴、共感して
自分なりの素敵な人生を歩んでいければ、それだけで幸せです。
この世に溢れている声なき声、黙って黙々と自己主張をせず働き続ける人、
信念や気持ちを込めて日々の生活と向き合っている人。
僕は、そういう人たちが大好きです。
そしてなるべく、そういう感性を保ち続けながら、
そういう人たちに心を寄せ、共感し、そこから色々なものを学び、気付ける
人生を目指していきたいな・・・と感じています。
僕が大自然と共鳴する時、すなわちそれは、
こういう生き方、感覚がひしひしと身体全体に染みわたり、
その心地良さに全てを委ねていられる時を意味します。
大自然の中での深呼吸。
そこには、深い深い、とても謙虚で健気で繊細な
見えないエネルギーからの愛情あふれたギフトがしっかりと込められているということ、
分からないなりに、感じられないなりに意識を向けて、
意識を置いていくことから、
自然霊そのものや、声なき声、本当に隠れている素晴らしい人たちとの
素敵な交流が始まるものです。
声なき声を感じること、大切にすること。
これからも僕の中での核となる大切にしたい生き方の1つです。
*お知らせ*
*5月、愛知県での勉強会、カウンセリング受付中です。
*ジョンの霊視、SKYPE霊視、随時受付しております。
*土地・家屋のお祓い、随時受付募集しています。
Posted by 山野本竜規 at 13:14
│心の在り方 (2,645)▼