山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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ケチで哀れな中年男性に遭遇したら・・・。

2024年10月08日

ケチで哀れな中年男性に遭遇したら・・・。 ケチで哀れな中年男性に遭遇したら・・・。

そろそろサイゼリアが恋しくなる禁断症状と言いますか、
僕が生活している沖縄にはないファミレスであり、尚且つ、個人的に
コスパが最高だと25年くらい前からファンで通い続けているのもあって、
県外出張が近づくと、サイゼリアに会いたくて会いたくて仕方がなくなってしまいます。

小エビのサラダやスープはマスト、どんなに豪華なメインつきのフルコースを注文しても
1200円もあれば十分なくらいの値段の安さ、美味しさは昔と変わることなく
(値段は多少上がりましたが)
僕は今でも県外出張で1人で食事をすることがあれば、さっとサイゼリアに入って
お気に入りのメニューを食べて、またさっと店を後にするほど大好きです。

沖縄にも出店して欲しいのですが、食材の輸送費などを鑑みると、
あの安さでの提供は難しいでしょうから、とにかく県外出張で1人で食事をする時は
サイゼリアを見つけて通い続けるようにしています。

勿論、地域によっても店舗によっても同じ店なのに雰囲気が全く違っており、
「もう二度目はないだろうな。」と思う空気の悪い店舗も過去にはありましたが、
今のところ、個人的に心地良いなと感じる店舗は、山形県天童市の
イオンモール天童の中に入っているサイゼリア。

ここは店内も広く、平日であればお客さんも多くなくて静かな上、
窓側の席からは外に広がる小高い山々の稜線や、青空が眺められるので
気分的にもワンランク上のサイゼリアに来店した感覚になるほどです。
値段は、どの店舗も変わらないのに・・・。
イオンモール天童のサイゼリア、また行きたいなぁ。

それはさておき、僕は県外出張にしてもプライベートにしても、
親しい人たちと会食をする時は、可能な限り美味しいものをみんなで
「美味しいね~!」と共感し合いながら和気あいあいとした時間を過ごすのが大好きです。
予算もそれぞれによって限られることもあるのですが、
可能な限り、ここに関しては必要以上の金額の制限はかけたくありません。
それだけ楽しい時間を周りの人たちと過ごせるのですから。

その分、1人の時は、自分のためにお金を使うこともあまりないため、
食事もサイゼリアくらいが結構な贅沢と思える程度。
いえ、サイゼリアでも十分、美味しいし、値段が安いからお得感も半端ないのですけれど、
それで満足しているので、それで良しと思っているだけのこと。

ここからが本題なのですが、
個人的に「ケチなおじさんには、なりたくないな。」と過去に感じた経験から、
誰かと共有する楽しい時間に関しては、可能な限り制限をかけないよう過ごしながら
今はアラフィフのおじさんと呼ばれる立場になりました。

つい先日、知り合いのSNSの投稿で
職場で働くおじさん上司のことについて言及している内容が目に留まり、
僕自身も激しく同意というか、「本当にそうなんだよな。」と感じたことがありまして。

その内容というのは、
職場で業務が終わった後、おじさん上司が20代の後輩を誘って飲みに出かけたにも関わらず、
支払いは、きっちり割り勘だったというもの。

誰だって普通に考えれば、職場のおじさん上司から飲みに誘われたら
今後の仕事に影響するかもしれないと察して、行きたくもないのに無理やり
飲み会に参加させられている状況で、
かなり年の差がある年配者が、向こうから誘っておいて、
子供と同じくらいの年齢の部下と割り勘だなんて、一体、どんな神経をしているのか・・・と。

うん。本当に至極真っ当なご指摘、憤りだと思います。

勿論、おじさん上司にも、自分が使える小遣いが少なく
割り勘にしなければいけない懐事情があるのかも知れませんが、
「だったら、業務後に20代の若い後輩に気を遣わせてまで、先輩風吹かせて
割り勘なんてするんじゃねーよ。」と、そのおじさんのケチくささに溜息。

今の世の中、40代、50代の上司と呼ばれる立場の懐事情は、
5年前、10年前の同世代の会社勤めの人たちに比べると、かなり厳しいものがあります。

ですが、基本、仕事以外の時間で、
おじさん上司とプライベートで飲みたいだなんて20代の部下は、ほとんどいませんよ。

過去の武勇伝なのか、仕事の愚痴なのか、自慢話なのか、説教なのか知りませんが、
所詮、その程度の下らない話を年の離れたおじさんから一方的に聞かされて疲弊する上、
最後の飲み代まで、きっちり割り勘だなんて、本当に消滅して欲しいレベルの老害上司です。

時代が変われど、一定数、中年男性で、とことんケチなタイプの人がいて、
それは経済的な家庭の事情とはほぼ関係なく、単なる無神経なケチの場合がほとんどです。

今の社会、職場での飲み会の誘いも断りやすい風潮になってきたと思うのですが、
少なくとも、このケチな中年男性と一緒にいて良い経験なんて
絶対に共有できるものではないので、
なるべく距離を置いて接する機会を減らすのがベストかと思います。

それこそ、もう25年くらい前の話になりますが、
僕も同じ会社で面識がない当時のおじさん上司のケチっぷりに辟易した出来事がありました。

当時、鳥取に住んでいて、とある用事で九州まで出かけることになった時のこと。
鳥取→岡山→博多というルートだったのですが、
ローカル線の特急から新幹線に乗り換えるために岡山駅に出て、
岡山駅のホームで新幹線を待っていたら、
見知らぬ50代後半のおじさんが話しかけてきたのです。

「あの、もしかしてうちの会社のアナウンサーさん?
私はね、広島支社の〇〇という者なんだけど。」

初対面なのに、とても慣れ慣れしくて、態度もでかく、
初対面から、とても印象が悪いおじさんだったのですが、
どうやら、県外の支社に配属されている定年間近(当時は60歳定年)の社員でした。

とりあえず同じ会社の人だということは分かったのですが、
そこからはもう、本人と社長がいかに仲良しなのか(多分嘘)という自慢話が
まるで永遠に続くお経のように止まず、こちらも苦笑い。

僕は新幹線で静かにゆっくり過ごしたかったので、敢えてポケットマネーで
グリーン券を購入してグリーン車の席を予約していたのですが、
その初対面の社員を名乗るおじさんは自由席のチケットだったので、
「まぁ、この自慢話も新幹線が到着するまでの間だな。」と思い、
適当に聞き流していたのですが、そうは問屋が卸しませんでした。

いざ新幹線が到着して「あっ、僕はあちらの指定席なので、ここで失礼します。」と
おじさんから離れようとしたら、なんとおじさん、自由席のチケットなのに
グリーン車にそのまま乗り込んで、僕の隣の席に座ってきたのです。

もうこの時点であり得ません。
自由席のチケットなのに、普通指定席をすっとばしてグリーン車に
図々しく侵入してくるとは。

「あの、多分、ここ指定券が必要な号車だと思いますよ。(かなり遠慮気味に伝えた)」と
図々しいおじさんに伝えると、
「あぁ、大丈夫、大丈夫。昔、社長の隣にも座って、同じようにオッケーだったことあるから。」と
とんでもない返事が。

きっと、ほぼ新人の平社員の僕よりも桁違いの給料を貰っているであろう
定年退職間際の同じ会社の支社に勤める見知らぬおじさん。
それなのに、グリーン車の料金を払わず、堂々と僕の隣に居座り続け、
延々と下らない自慢話を、かなりデカい声で一方的に話し続けている。

僕のほうがグリーン車の他の乗客の皆さんに対して恥ずかしくて、
「なんで、こんな厚顔無恥なおじさんが無料で隣に座っているのだろう。」
と情けない気持ちになりました。

岡山を出て10分くらいして、ようやく車掌が検札(懐かしいね)に回ってきたのですが、
このおじさん、ここでも車掌に向かって、
「あぁ、昔、社長のサービスで隣に座らせてもらったことあるから!」と
意味不明なことを伝え、車掌も困惑。

車掌も、僕のほうに「助け船を出してくれ。」と流し目で合図してくるのですが、
「いえいえ、助け舟を出して欲しいのはこちらですよ。」と
気恥ずかしさのあまり、その場のやり取りをただ地蔵のように固まって
見守るしかありませんでした。

結局、あまりのおじさんの図々しい言い訳に車掌の堪忍袋の緒が切れたようで、
「あのっ、ここはグリーン車です。グリーン車の指定券を持っていないと座れないんです!」と
毅然とした態度を取った途端、おじさんは立ち上がり、
車掌と共に別の号車へ強制連行され、その姿を1人見送る僕自身、
やっぱり恥ずかしくて恥ずかしくて仕方ありませんでした。

1人、静かなグリーン車に残されて、何も悪いことをした訳でもないのに
周りの乗客から特異な視線を感じ、あと1~2時間、このままだなんて。

結局、あの広島支社のおじさんとは、それっきり社内でも会うこともなく、
もう名前も忘れてしまったほど遠い昔の苦い出来事でしたが、
あの情けないくらいケチで厚顔無恥なおじさんの姿を見て、
「絶対、同じような社会人、ケチなおじさんにならないようにしよう。」と
強く決意した出来事でもありました。

世の中には、本当に信じられないくらい、どケチで厚顔無恥で頭がおかしい
経済的にはそれなりに恵まれている中年男性が一定数、存在します。

それが、ただの性格や育ちの悪さなのか、それとも、発達障害の類なのか、
一見すると判断するのは難しいのですが、どちらにしても、自分からは
近づこうと思えない存在であることは確かです。

結局、どこへ行ったとしても忌み嫌われる存在になると思うのですが、
必要以上のケチって、一時的に得をしているように見えても、
総合的に考えてみると、心ある人たちという財産を失って
損をしているだけだと感じています。

特に中年以上になって、仕事上、若い人たちを困らせたり、
お金のことで卑しいと思われる人って、本当に哀れな存在だなと思うと同時に、
今でも時々、あの苦々しい経験を思い出しながら、
「あのような哀れでケチな人にならないように気を付けよう。」と自戒の念を込めて
日々の生活を送るようにしています。

倹約家と、ただの哀れで図々しいケチの違いは、
周りの人たちの反応を見ればすぐに分かるものですから、
僕も、そうならないように気を引き締めて生活していきたいと思います。



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Posted by 山野本竜規 at 21:37 │心の在り方 (2,645)▼