山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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出来ないことを良しとする生活。

2024年08月08日

出来ないことを良しとする生活。

ちょうど1ヶ月前になるのですが、北海道出張最終日は唯一の休みだったので
「初めてを経験してみよう。」ということで、
旭川駅から夏季限定で運行しているノロッコ号に乗って
見頃だった富良野・美瑛エリアのラベンダー畑に行ってきました。

天気は曇り時々雨で少しだけ蒸し暑かったのですが、
景色を楽しむために窓がない観光列車で、初めてこの目で見る
牧歌的な風景やラベンダー畑は、「無理をしてでも行って良かったな。」と。

というのも僕自身、県外出張中はほとんどが仕事のため、
プライベートの予定を入れるという概念がほぼなく、もし県外出張中に
休みがあったら、ほぼほぼ滞在先に籠って
県外での仕事の緊張から来る疲れを取るために休むのがデフォという
つまらない県外出張生活を送っているからです、汗。


思い切り現地での滞在を楽しんでいるように見えますが、
もともとは北海道出張唯一の1日の休みは、滞在先の民泊の部屋で
ゆっくり休む予定でいたのです。

ところが、北海道滞在中、定期的にこのブログをご覧下さっている学生時代の恩師が
「折角、北海道に滞在しているのなら、旭川から臨時の観光列車が出ていて、
夏のラベンダー畑を楽しむことが出来るから出かけてみては?」と
メールでお知らせをして下さいまして。

北海道出張は何度も経験していますが、
実は今回、夏の時期の北海道滞在は初めてだったのです。

「うーん、県外出張で唯一の1日の休み、出来れば緊張感を取るために
ゆっくり部屋で休んでおいたほうがいいのは事実なのだけれど、
でも、せっかく、ラベンダーの時期に北海道にいるわけだし、
ここまでお勧めして下さるということは、行く価値もあるだろうな。」と
重い腰を上げて、早朝から札幌→旭川→美瑛・富良野の往復の
日帰りツアーを決行した次第です。

出来ないことを良しとする生活。 出来ないことを良しとする生活。

出来ないことを良しとする生活。 出来ないことを良しとする生活。

結果、重い腰を上げて現地まで行って、本当に楽しかったです。
K先生(学生時代からの恩師)、教えて下さって本当にありがとうございました。

普段生活している沖縄では絶対に感じられない広大な景色、
ノロッコ号から移り行く牧歌的な風景を、のんびり眺めながら
心地良い風を受けて移動するだけで、何をする訳でもないのですが、
もう十分、満足だったのです。

出来ないことを良しとする生活。 出来ないことを良しとする生活。

出来ないことを良しとする生活。 出来ないことを良しとする生活。

僕はきっと、この風景、穏やかでのんびりした感覚を
一生、忘れることはないでしょう。

僕自身、もともと国内、海外問わず、旅行や知らない土地に行くことが大好きで
いつしかそれがライフワークの1つになっていたのですが、
コロナ禍をキッカケに、なるべく周りの人に迷惑をかけないよう、
特に仕事で県外に行く際は、自ら行動制限をして、
滞在先と仕事先の往復のみの生活を徹底していました。

北海道でも然り。

そしてこれからも県外出張の際は、仕事をしっかりこなすのが一番の目的ですので
なるべく以前と変わらず、仕事以外の行動は控えておくことは続けていくつもりですが、
もし最終日などに時間の余裕があれば
少しずつその土地でしか感じることが出来ない場所、空間などに身を置いて
本来の旅好きの感覚を取り戻していければいいなと素直に思えました。

仕事以外のプライベートでも、
少しずつ行動範囲を以前のように戻していければ理想的です。

今回は北海道出張が全て終わった段階で、今、流行中のKP.3のコロナに感染、
3週間ほど調子が戻らず、行動範囲も更に狭まっていたのですが、
療養中、改めて実感したのが、「動ける時に動いておいたほうがいいな。」ということ。

それを実践しているつもりでも、身体が思い通りに動かない、
遠くまで足を運ぶ気力体力が持たない、
会いたい人と会って話をしたいと思っても、辿り着くまでに疲れ果ててしまい、
会話もこれまで通りスムースに出来ず、気を遣うことも出来ない・・・。

2019年8月に、まだコロナがこの世に知られていない時期に
海外出張中に初期の重症化しやすいコロナに罹患し、
その後遺症が、今でも僕が向き合っている症状の1つでもあります。

勿論、加齢もあるのですが、以前のように快活に、
友人たちと楽しく会話をすることも、それだけで疲れ果ててしまい、
次の日は寝込んでしまうこともあります。

気の置けない友人たちとの会話、会食でさえ、この有様なのです。
とにかく、その日の終わりは果てしなく疲れ果てて、
翌日まで、その疲れを持ち越してしまうくらい。

また列車で各主要都市を回るというのも乗り鉄ならではの楽しみで
ワクワクするのですが、それだけでも疲れ果ててしまう。

見た目では一切、分からない症状ですし、
5年かけてようやく少しずつその症状も緩和してきているとは言え、
これが今でもずっと続いて、以前のように
全てを楽しむことが出来ない身体になってしまいました。

だからこそプライベートでの時間を制限している側面があります。
仕事以外のことに気力体力を使うと、もうそれだけで一杯一杯なので。

とは言え、過去は過去、今は今。

仕事以外のプライベートの時間を充実させるための
気力体力が以前に比べたら随分、減退してしまいましたし、
つまらないことを言えば、仕事だけで精一杯なのですが、
今は今なりの、出来る範囲内で行動できれば、それはそれで楽しいものだなと
今回、重い腰を上げてラベンダー畑まで出かけて実感した次第です。

そのような意味において、まだまだ無理をしてでも身体が動く年齢なので
行きたいところには余裕があったら出かけ、
気力体力は減退して疲れ果ててしまいますが、会いたい人がいたら
少しでも会って、会話を増やしていければ、それでいいかな・・・と。

とにかく仕事以外のプライベートでは以前のように
周りの人たちの空気を読んだり、会話の流れで気を遣うことが出来ません。
色々な人たちの話を聞いているだけで、
エネルギー過多というか、情報量と会話量が多すぎてどっと疲れてしまうのです、汗。

そのうち、その疲れをシャットアウトするために右から左へ会話が抜けてしまい
何を話しているのか分からなくなってしまうという僕なりの自衛手段を強行という。

表現が難しいのですが、頭の中で情報処理が追い付かず、
常に脳内がヒートアップしている状態でしょうか。
全てが終わったころには、もう疲れ果てて泥のように眠ってしまうくらい。

だから「なんだかノリが悪いな。暗くなってしまったな。」と
以前の僕を知っている人であれば、益々、白けてしまう可能性もありますが、
まぁ、今、無理をして周りのテンション、会話に合わせなくても、
今は今の僕自身のまま、疲れた時は素直に疲れたと伝え、
周りに合わせる必要もないのかな・・・と思っています。

ここ5年ほど、自身の身体と相談しながら
時には許容範囲を超える仕事量や活動量を経験しながら、
今、現段階で、自分がどの程度まで無理しても大丈夫なのかを
自らの身体、行動で体感しながら、その塩梅を模索している段階です。

きっと、どんな人の人生においても、一生涯、何かしらのことを模索し続けながら
今を生きていくのが当たり前であり、
過去は過去、今は今、色々な変化をしながら、
その人なりの人生を積み重ねていくことが大切な糧となっているのでしょうね。

変化を自然に受け入れつつ、今ある環境の中で
出来ること、出来ないことを自分なりに把握しながら、
僕の場合は、少しずつプライベートでの活動の充実を広げていければいいなと感じた
北海道出張最終日の楽しい思い出でした。


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Posted by 山野本竜規 at 20:49 │心の在り方 (2,645)▼