山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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津波警報や2025年の大津波予言をどう捉えるか。

2024年04月03日

津波警報や2025年の大津波予言をどう捉えるか。

今朝、台湾東部で発生した地震の影響で
沖縄地方は朝から突然サイレンが鳴り響き、沖縄にお住まいの方は
一体何事かと誰もが驚いたことかと思います。

僕も地域の防災無線が鳴り響いて、「また北朝鮮のミサイルかな。」と思いきや
「津波警報が発令されました。高台に避難して下さい。」という緊迫した内容で、
揺れを感じなかったため、「えっ?地震あったの?」と
まるで鳩が豆鉄砲を食ったような感じで、外を見渡してみました。

偶然というか幸いだったのは、僕が今住んでいる地域は
沿岸部から離れた市街地を見渡せる高台に位置しているので
特別な避難をすることはなかったのですが、目の前の道路(坂道)の上りが、
沿岸部から避難してきた車でほどなくして大渋滞。
こんな光景、初めて見ました。

台湾では被害が深刻なエリアも多くて、心底、「被害がなくて良かったね。」とは
思えない複雑さがありますが、とりあえず沖縄も
昼過ぎには警報から注意報、やがて津波警報も解除になって
またいつもの日常が戻ってきた感じでした。

津波の被害がなかったとは言え、かなりの方がしっかり準備をして避難されていたので
県内各地の道路、橋、坂道は、どこも大渋滞だったと思います。
勿論、空港やその他の公共施設、ショッピングセンターなども。

だから、結果的に津波の被害がなかったとしても、
それらの行動は決して無駄にはならず、常日頃からの防災意識を高めて
「次はもっとスムースに行動できるようにしよう。」と
避難場所や経路、非常時にどの道が渋滞したり、ストップするのかなど
改めて再確認できたという点においては、本当に良かったなと感じています。

僕は津波警報を認識してから、主にツイッターなどで情報収集をして
家から市街地の様子を眺めていたのですが、沿岸部の主要道路や橋は
大型トラックなどが停車して、そこから大渋滞が発生している様子が見て取れました。

橋も高い場所にあるので敢えてトラックも停車したのでしょうけれど、
そこで逃げ場を失う人たちもいるため、きっと橋の上で渋滞に巻き込まれた人たちは
生きた心地はしなかったのではないでしょうか。

勿論、全ての情報を鵜呑みにすることは出来ないのですが、
ツイッターではリアルタイムで各地の状況把握をしやすいので
災害時はNHKと同時に、ツイッターを始めとするSNSで情報の取捨選択をすることが多いです。

*「新年早々おめでたい気持ちにはなれませんが、大切なこと。」2024年1月4日

またこれは本当にもどかしいというか、個人的に腹が立ったのが、沖縄の地元紙。

空港の混雑や運行情報など有益な情報もあるにはあるのですが、
こういう時に限って「情」に訴えるお涙頂戴の美談を記事としてあげるのが
本当に無能すぎて「一体、ジャーナリズムの何を学んでいるのか?馬鹿じゃないの?」と
心の中で悪態をついてしまったほど酷かったです。

「津波警報で逃げ惑う道行く知らない人たちを
車に乗せて高台に避難し、感謝された。」系の記事です。

今、リアルタイムで必要なのは、そんなお涙頂戴の内容ではなく、
どの道が混雑していて、地域別の避難場所はどこにあるのか、交通情報と合わせて
避難しやすい経路などを、しつこいくらい何度も案内するのが大切です。

皆が求めているのは、お涙頂戴記事ではなく、
どの道が混雑していて、どの道が空いているのか、避難先はどこなのか、
高台に繋がるルート、避難する目安の建物がどこなのかなど
逐一、しつこいくらいに案内してもらえる情報なのです。

またそれらが落ち着いた後は、
車での避難が結果的に逃げ遅れる手段にもなることや、
あまり知られていない避難先として
早くから米軍基地が開放されていたことなど、
それなりに有益な情報発信はいかようにでも可能なはずなのです。

きっと現場の若手記者たちは上司であるデスクと呼ばれる
30代半ばから年上の指揮下で、
割り振られた取材を懸命にこなしていたことでしょう。

問題は取材された内容を精査しているにも関わらず、
どれも今、適切な情報として判断し、
そのまま情報発信したデスク以上の役目の人たちが無能だという点です。

世間に求められている情報が何なのか全く理解していない証拠ですし、
わざわざ混乱している時に、ここぞとばかりに情に訴えるような
お涙頂戴記事を、ドヤ顔で情報発信する厚顔無恥さ。

もういっそのこと、マスコミを名乗るのを辞めて
その仕事から離れたほうがいいと感じたほどの無能ぶりでした。

このようなイレギュラーの時にこそ、物事の真価が問われるものですが、
個人的にもともと沖縄の地元紙には不信感しかないため、
「やっぱり、いざという時の取材力はダメだな。」という想いと
「今、欲しい情報はそれじゃないんだよ、地元紙さん!」という残念な気持ちが
強くなり、地元紙嫌いが益々加速してしまいました。

ある意味、感情に訴えるお涙頂戴的な記事は、
あまり物事を冷静に考えられない思慮深くない人たちには大喜びされます。
何故ならそれ以上、頭で考えなくても感情だけで喜怒哀楽の琴線に触れられて
情報を発信する側も、受け取る側も共鳴しやすい安易な手法だから。

沖縄の地元紙は、首里城火災の件も踏まえ
(原因究明が具体的になされないまま復旧だけを求める陳腐な広報)、
これを巧みに利用していることが多いと個人的に感じていて、
もっと思慮深く、それらの情報を読み取る力が求められるのではないでしょうか。

勿論、混乱する現場で的確な情報を逐一伝えていくというのは至難の業でもあります。

だとしても、もう少し有益な情報発信の順序というものがあるはずで、
それを冷静に整理できないデスク以上の役割の人たちは、
やはり無能なんじゃないかなと個人的に感じました。

さて。そのような事情を踏まえて沖縄では、
イレギュラーな状況の時、リアルタイムの情報収集では
デマの情報も含まれる危険性を孕んではいますが、ツイッターなどのSNSやラジオ、
NHKが今のところベストな方法かなと思います。

停電などでそれらの全てがストップしてしまった場合は別として、
これである程度の状況把握はしやすい環境にいると言えるでしょう。

あとはしっかり精査して、デマではない情報かどうかを確認した上で、
本当に大切な情報のみを自分で把握、または近しい人たちに共有するくらいが
初期段階としてはベストではないかなと感じています。

あと、防災意識を高める、事前の準備をしておくという気持ちは
とても大切なのですが、必要以上にそれを煽ってくるスピリチュアル界隈の連中には
気を付けなければいけません。

*「人類滅亡を煽る選民意識集団が苦手な理由。」2023年8月12日

界隈では2025年7月あたりに大津波が日本や沿岸地域に襲い掛かり
生き残る人も少ないという情報がまことしやかに囁かれており、
僕が今住んでいる沖縄なんて、ほとんど形が残らないほどの被害が出ると、
今のうちから沖縄から逃げ出して、
山梨や長野、岐阜など標高のある地域に移住している人たちが一定数います。

いえね、別にそれを信じる、信じないは本人の自由ですし、
どこに引っ越そうが、避難しようがそれも本人の自由なのですが、
去年のブログで個人的な見解を述べた通り、
まだ起こりもしないことで必要以上に危機感を煽り、
真実を知っている人間だけが事前の準備をしっかりして避難することができ、
何も知ろうとしない浅はかな人たちは大津波に巻き込まれてしまうという
無意識のうちの選民意識が、とにかく反吐が出るほど気に食わないのです。

「そこまでして、あんたら生き残りたいの?」と。

人は死ぬときは死ぬし、生き残る時は生き残る。
ただそれだけのこと。

怠惰に生きましょう、終わりが見えているのであれば
開き直りましょうということではなく、
人にはそれぞれ目の前で懸命に向き合うべき仕事や生活、生き方があり、
それを日々、その人なりに向き合って生き抜いていけば、
どこで終わりがこようが、別にそれでいいんじゃないの?と個人的に思うのです。

スピリチュアル界隈の人には沖縄を始め、太平洋側の地域に住んでいる人たちが
今年~来年始めにかけて、その予言を信じて
長野や山梨、岐阜、群馬、栃木など内陸の地域に移住する予定と宣言する人、
実際に今いる場所を離れる人たちも多くいます。

また実際に今いる場所を離れないにしても、そのあやふやな情報のせいで、
依存症のように必要以上の備蓄をせっせと買い漁り、
家の中が備蓄だらけで埋まってしまう・・・という、ゴミ屋敷の住人みたいな心の病を
抱えてしまっている人たちも潜在的に多く存在しています。

そこまで必死に生き残って、何をするつもりなのでしょうか。

紛争やそれ以外の人為的な非常事態であれば避難も考えますが、
大自然が相手のことに関して、必要以上に過敏に反応すること自体、無意味ですよ。
しかも人知を超えた領域のことに関して、自分が真実を知って、
事前にそれらを回避できるという無意識中の無意識の傲慢さそのものが、
本当に心底、下らないと感じるのです。

・・・という訳で、地震や津波の情報に関しては適度に危機感を覚え、
常日頃からその防災意識を共有しておくことは重要なのですが、
同時に、陳腐な思想や発想、情報などに振り回されず、
自分自身の生活を見据えていくことが、求められる時代なのではないでしょうか。

僕も日々、情報の精査は冷静に判断しつつ、
自分なりの生活を模索していきたいと思っています。


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