山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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心のデトックス。

2020年03月02日

心のデトックス。 心のデトックス。

なんだか今年は本格的な真冬の寒さをほとんど経験することなく、
このまま春を迎えそうな勢いで3月を迎えてしまいました。

そんな中、「いつか行こう。」と思っていた洗車。
気づけば2週間ほどタイミングを逃してしまい、フロントガラスも曇り始めてきたので
用事と用事の合間の時間を見つけて、ささっと洗車してきました。

フロントガラスの曇りに慣れてしまうと、クリアではないにも関わらず、
それが当たり前になってしまっていましたが、
いざ洗車してみると、やっぱり見通しが全然違っていて運転もしやすくなり気分爽快。

定期的な洗車で視界がクリアになるように、
掃除をしなければ心の視界も知らず知らずのうちに濁ってしまうものなので、
やはり心のデトックス、心のこまめな掃除は必要だなと感じます。

心の掃除は人によって、それぞれの方法があることかと思います。

思いっきり汗をかいてリフレッシュするのが向いている人、
ひたすら1人の世界に浸って好きな映画やドラマを観ることでリフレッシュできる人、
はたまたその逆で多くの人たちと触れ合い、色々なおしゃべりをすることで解消できる人、
美味しいものを食べたり、綺麗な景色を見たりすることで気分転換できる人。

人には人の数だけリフレッシュ方法があると思うのですが、
それは他の誰でもない自分自身で見出していくしか方法はなく、
無理して見出すよりは、無意識のうちに自然とやっていること、
誰に言われるまでもなく勝手に心と身体が動いていることの中にこそ、
心からのリフレッシュや、「好きだな。」「いいな。」と感じる等身大の良さが
含まれていると思うのです。

僕の場合は、周りにいてくれる気の置けない友人たちとの会話や食事、
はたまた1人でいる時は、自身の気持ちの確認作業をするために綴る、
この日記もその1つでしょうか。

随分前に僕が何故、日記を書き続けていくのかを過去の出来事を含めて
長々とご紹介したことがあります。

*「実践的な日記の書き方。~ナカトリモチ日記の原点~」(2014年3月26日)

この時の日記を随分端折って要点だけをまとめてみると、
僕が日記を本格的に書き始めたのは今から28年前の15~6歳の頃で
当時はインターネットも携帯もブログやSNSなんてツールもなく、
全て手書きの日記でした。

もともと小中高と国語と作文だけは異常なくらい得意で
作文を書けば、それが読書感想文にしてもその他のコンクールにしても
全て何の苦労もなく毎回、最優秀賞を取るのが当たり前の嫌味な子供でもありましたが、
こればかりは努力とか苦労の問題ではなく、とにかく自分の気持ちを
何かしらの文章にして表現するのが得意というよりは大好きだったというだけの話です。

大好きだからこそ続けられるし、大好きだからこそその過程にある勉強は
苦労とは感じずに、新しい表現や自分が心の中で思っていることを
上手くまとめて言葉で書き伝えることが出来る瞬間が楽しくて楽しくて。

そんなある日、僕にとって転機が訪れたのは、
高校1年生の頃に超優秀な英語の先生と出会いです。

その先生は担任ではなかったのですが、
当時でまだ24歳位の山田花子さんに似た黒縁メガネ、
みんなからは「ドラミちゃん」と呼ばれていた女性の先生で、
とても精神性が高くて、先生が高校時代の頃、
100点満点以外の点数を一度も取ったことがなかったという
ずば抜けた秀才だったことは周りの先生たちの噂でも伝え聞いていたほどです。

その先生がある日、担任でもないのに僕を職員室に呼び出してきて、
全てを察していたのか、こう伝えてきました。

「今、あなたの心の中にある考えを言葉として文章としてしっかり書き出して、
自分を見つめるように日記を書いて下さい。
あなたには、その作業が必要ですし、今後、大人として成長するために
とても必要なことだと思います。そしてあなたはそれをやり続けることで、
きっと将来、何かしらの役に立つ日が来ると思いますから。」と
まるで業務命令のように伝えてこられました。

「文章を書くのは、自分の気持ちや感情を整理し、自分を見つめること。
そして、新聞や本を読むのは、私のような学校の先生だけではなく
世界中の素晴らしい知識という、形のない先生たちから学ぶこと。
先生も、学生時代、尊敬していた先生から同じように言われて
あなたと同じ年齢の時期に日記を書き始めて、
それから色々な本や新聞を以前より多く読むようになったの。
だから、同じように、あなたには、人からだけではなく色々なところから学んで成長する、
それが出来る人だと思うから、お勧めしているんです。
授業の成績には一切関係のないことですけど、一生涯の宝になるものですよ。」
と。

当時、高校1年生だった僕は、
貧乏だったので大学進学は諦めて就職をする他ないのかな・・・と、もどかしく感じていた時期で、
当時の担任である男性教師に相談しても、
「子供のお前は受験勉強のことだけ考えていればいい。
お金のことは親が心配することだから。」の一点張りで話になりませんでした。

「いやいやっ、家庭のお金の問題は家族全員で考える問題だろ。」と
あまりの世間知らずぶり、無機質ぶりに大層腹が立って、
家にお金がないことで、ここまで理不尽な思いをして夢を諦めなければいけないのかと
何かしら鬱屈した気持ちを溜め込んでいた記憶があります。

そこを担任ではない英語のドラミちゃん先生が、
それとなく察して下さったのだと思います。

英語の成績にも内申点にもプラスにならない、ましてや宿題でもないのに、
わざわざドラミちゃん先生が僕を職員室に呼び出して、学校の授業とは関係のない
「人間としての課題」を個人的に与えて下さったこと、
今でも本当に感謝しても足りないくらいです。

日記に自分の想いを書き綴っていくと、
最初は喜怒哀楽の感情のみが全てだったのに、
やがて自分自身がどういう考えで、これからどう在りたいのかなどを
おのずと考えながら心が整理されていくのが体感で理解出来てきました。

高校2年生に上がる頃、ドラミちゃん先生は別の高校に転勤になったので
僅か1年足らずの授業だったのですが、
そこで益々日記を書くことの楽しさ、自分の見識以外の世界を知る喜び、
自分で考えて、その先を想像し、思いを馳せる明るさがあることに気づき、
「貧乏でも大学に進学できる道を探そう。」と自分で資料をかき集めて
見出した先が、新聞奨学生制度という道でした。

結果的に、この選択肢のお陰で僕は大学に進学、卒業をすることが出来、
周囲の人たちの協力のお陰もあって、
子供の頃からの夢だった放送局のアナウンサーの内定を貰い、
(アナウンサーになるためには大学卒業の資格が最低限必要だったので。)
それが今の社会人経験の礎になっています。

大人になった今だからこそ、得意分野に更に磨きをかけて
精進し続ける楽しさ、誰に強制される訳でもなく、
気づけば自然と心の底から楽しくて、リフレッシュできる術が
自分にとって何なのか、それなりに理解できていますが、
当時、まだ未熟な子供だった僕に、その将来性をしっかり見定めて
的確なアドバイスと愛情を注いで下さったドラミちゃん先生の存在がなければ、
今、僕はこうして何かしらの情報発信を楽しみながらすることは出来ていなかったことでしょう。

まだ43年しかこの世を生きていませんが、
これまでの人生を振り返ってみると、確実に人生のターニングポイントとなる時期に
人生経験豊富な心ある先輩方に助けられて、次の道を切り開いている繰り返しなので、
僕はその点において、本当に恵まれているなと常々感じています。

そして日記を書くという習慣は、僕にとって、
まだブログなんてツールが存在しなかった子供時代からずっと続けている
ライフサイクルの一部であり、それがやはり好きだからこそ、
28年以上も続けていられるのだと思います。

まぁ、今でも基本は辛口、毒舌なので、そこが軸にありながらも、
「だったら僕はこの先、どう在りたいのだろう。」と色々な人、出来事を垣間見ながら
自分自身を見つめ直す心の作業は今も昔も変わらずそのままで、
それは誰かに強制されている訳でも、
「世のため人のため、誰かの役に立つため。」という詐欺師が良く使う言葉にありがちな
世のため人のためでもなく、あくまで好きだから自然とやっていることであり、
その延長線上に共感して下さったり、一緒に喜怒哀楽を共にして下さる
ブログ読者の方や、直接、面識がある方が何かしらのことを感じて頂ければ御の字という程度。

長年、趣味と好きという気持ちが高じて、ずっと日記を書き続けてきた僕からすると、
やっぱり等身大ではない無理をした文章や、その人の経験からくる言葉ではない表現などは
とても薄っぺらくて、すぐにバレてしまうものだと常々感じています。

心の定期的な掃除、リフレッシュには人の数だけその方法が存在し、
それは他の誰でもない自分自身で見出すものであり、
無理してやることというよりは、誰からも強制されなくても
自然と心と身体が動いてしまうような、「魂の食指が動く」感覚そのものが
何なのかを知ることで、自分に合った方法が見つかるのだと思っています。

何も高尚なことなんて実践しなくて結構で、
絵画が好きなら絵をとことん嗜み、料理が好きなら料理にとことん惚れ込み、
自分が一番、楽しくて素直でいられる環境を作ってあげるだけで
おおよその心の萎縮はなくなっていくものでもあります。

身も心も委縮するような寒さも次第に和らぎ、
これから少しずつ春めいてきて、身も心も背伸びをしたくなる季節でもあります。

ほんの束の間のひと時。
あなたは何をしている時が幸せで、何に没頭している時、心がリラックスできるのか。
少しだけ意識しながら、自身のライフサイクルを振り返ってみるのも
特にこの時期だからこそ良いのかも知れませんね。



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Posted by 山野本竜規 at 07:09 │心の在り方 (2,645)▼