山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
てぃーだブログ › 山野本竜規の続・ナカトリモチ日記 › 心の在り方 (2,645)▼ › 若者に寄せようとする幼稚な思考の大人が増えたと感じる件。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付中です。                     

若者に寄せようとする幼稚な思考の大人が増えたと感じる件。

2019年03月11日

若者に寄せようとする幼稚な思考の大人が増えたと感じる件。

ええっ、この件に関して、
ここ最近、少しだけ心につっかかりがあり言語化してみたところ大変スッキリしました。

最近、主にツイッターなどで、誰かの意見や考え方に賛同したり、共感したりする際、
「ほんと、それ(これ)」「それな!」「これな!」と、やたらと使いたがる馬鹿な大人が
ばい菌のように増殖しているような気がしておりまして、
それが個人的に気持ち悪いと感じておりました。

せいぜい20代前半くらいまでの若者が使うのであれば、それは流行の一部でしょうから
全然気になりませんし、一部地域の方言として用いられるのであれば、
それも全然問題ないと感じるのですが、
それに乗じて、ある程度の物事の分別がある大人、本来であれば年齢に見合った
自分なりの語彙力を持っていなければいけないはずである大人でも
若者気取りになって「それな!」「ほんと、それ(これ)」を使っているのが
傍から見ていて本当に気持ち悪いし、痛々しいし、恥ずかしいと感じるのです。

まぁ、あくまで超個人的な意見ですので、良い年齢のオジサン、オバサンなのに
若者気取りで、「ほんと、それ!」「それなっ!」をネット上で使っており、
この文章にムカッと来た方はどうぞスルーして下さいませ。

別に誰がどんな言葉を使おうが自由なのですが、
僕が一番お伝えしたいのは、「ほんとそれ!」が間違っている云々ということではなく、
自分の信念も何もない馬鹿な大人が、安易に何も考えず、
周りの若者たちがやたらと使っているネット用語、言葉だから自分も使っている時点で、
「あんた、それなりに良いオジサン、オバサンなのに、
いつまで10代、20代の若者に嫌らしく迎合しようとしてんだよ。
年齢に見合った考え方、言葉遣いってものがあるだろうよ。」ということがお伝えしたいのです。

若者に寄せようとする幼稚な思考の大人が増えたと感じる件。

40代の僕が20歳前後の時、ほんの半年間くらいだけ、
女子高校生の間で「チョ~ムカつくぅ~。」から派生した
「チョベリバ」という言葉が大流行していた時期があります。

「超ベリーバッド」つまり「とても最悪な気分、状態」の時に、
ガングロ金髪、ルーズソックスの気だるそうな女子高校生たちが
「チョベリバ~」と吐き捨てるように言っていたのですが、
僕からしてみれば、「ほんとそれ!」「それな!」も似たような感覚で、
あのダサい「チョベリバ」を、30代以上のオジサン、オバサンが恥ずかしげもなく
ネット用語として使っているような感覚と同じなのです。

今時、オジサン、オバサンになって「チョベリバ」なんて使っていたら、
周りはドン引きしますよ。それと同じくらい、ダサく感じるということ。

まぁ、「チョベリバ」はあくまで極端な例えなのですが、
新しい言葉やくだけた言葉、流行を生み出すのは、いつの時代も「ナウい」若い人たちなので、
そのクオリティの高低に関わらず、それはそれで良いと思います。

ただ、ここ最近は流行の言葉遣いだけでなく、
やたらと10代、20代前半の若者の思想や存在に無理に寄せていこうとする痛々しくて
恥ずかしい幼稚な発想の大人が増えたな・・・と感じるのです。

「ほんと、それ(これ)!」「それな!」という言葉を以前からずっと、
そして流行が去ってしまったずっと後でも使っている人であれば
「それは本人に見合った言葉遣いだろうし、信念があっていいんじゃない!?」と思いますが、
既に若者ではない癖に、一瞬の流行でそれらの言葉を多用する
流されやすいオジサン、オバサンたちの場合は、その大半が
ただ自分も若者である、流行に乗っていると感じていたい安易な考え方の人ばかり。

年齢性別関係なく、誰かに寄り添う気持ちや姿勢は絶対に大切なのですが、
だからと言って、ある程度の年齢、経験を積み重ねてきたであろうオジサン、オバサンが、
10代、20代前半の若者の間で流行っている言葉を安易に使って、
そこに何の恥じらいも、戸惑いもない時点で、考え方や生き方自体が幼稚なのだと思うのです。

これは言葉遣いだけのことをお伝えしているのではなく、
その人の生き方そのもの、あまり普段は見えてこない心の状態がそっくりそのまま表れているからこそ、
嘘がつけない、偽ることが出来ない信念とか、軸の部分でもあります。

きっと良い年をしたオジサン、オバサンの癖に「それなっ!」「ほんと、それ(これ)!」を
安易に使ってしまうような人たちって、
誰かと群れたい、若い人たちにも好かれたい、出来れば嫌われずに埋もれていたい、
だけれども構って欲しいし、受け入れて欲しいし、自分を認めて欲しい・・・という
悪い意味での迎合欲というか、「長い物には巻かれろ」的な
自分主体ではない依存心や現実逃避の生き癖が、どこかしらに潜んでいるのでしょう。

しかし、それをしっかりと目をそらさず逃げずに見つめなければ、
いつまで経っても、「あの人がああ言っていたから。」「この人がこう言っていたから。」と
のらりくらりと他の誰か、他の社会情勢、他の何かの責任にして逃げ続けることでしょう。

別に自ら過激な発言をしまくって周りの人たちに嫌われたりするような
馬鹿な真似をしましょう・・・と言っているのではありません。

自分主体、自分の信念や考え方、時には周りに流され過ぎない姿勢を保っていないと、
たとえどんなに健全だと思われる集団、グループであったとしても、
一歩間違えば、全員右向け右、左向け左の北朝鮮状態になってしまうということ。

僕が以前から、まだ一度もあったこともないツイッターで関わる見ず知らずの人たちと
かなりの距離を置いて接しているのは、そういう理由もあり、
いくら世の中のためになる情報発信、たとえばエセスピについて糾弾していたり、
注意喚起を促す有意義な情報を常に提供しているようなグループ、個人であったとしても、
そういう人たちが一気に群れて盛り上がってしまうと、
それも1つの北朝鮮のような集団のような危うさを感じて、ドン引きしてしまうのです。

自分自身を保つ姿勢は、他の誰でもない自分で築き上げていく他ありません。

全ての流行が悪いという訳ではありませんが、
ある程度の年齢と経験を積み重ねてきたであろう良い年をしたオジサン、オバサンが、
いつまでも若者気取りで、10代20代前半の文化に常に理解を示し、受け入れ、迎合する
「柔軟なオレ、ワタシってそこそこイケてるでしょ!?」感は、
逆にとても格好悪くて、ダサくて痛々しいという自覚が足りない時点で
幼稚だという認識が持てるような大人になるべきだと思います。

そしてこの痛々しい勘違いしたオジサン、オバサンたちが、あっちでもこっちでも、
「ほんと、それ(これ)!」「それなっ!」をツイッターなどで使いまくっていくうちに、
「あぁ、じゃあ、オレも使ってみよう。ワタシも使ってみよう。」と
何の分別も信念もなく安易に流されている馬鹿な大人が恥ずかしい・・・ということを、
ここ最近の「ほんと、それ」病、「それなっ!」病を目にして思うのです。

恥じらいや物事の分別って大切ですし、
それ以上に周囲に群れ過ぎない、迎合し過ぎない、流され過ぎない
自分作りをしておくことも大切だと感じる今日この頃です。


*お知らせ*
*3月24日(日)・福岡ナカトリモチ勉強会、参加者募集中です。
*4月7日(日)・東京ナカトリモチ勉強会、参加者募集中です。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付しております。




同じカテゴリー(心の在り方 (2,645)▼)の記事
Posted by 山野本竜規 at 09:46 │心の在り方 (2,645)▼