山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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「出愛」「志事」「100縁」。~怪しい当て字にご用心~

2017年03月02日

「出愛」「志事」「100縁」。~怪しい当て字にご用心~先週まで冬休みで滞在していた山形県から
唯一、自分用のお土産に買って帰ってきたのが
1年半前に初めて訪問してリピーターになった
美味しいお蕎麦屋さんで売られていた赤かぶ漬け。
簡素なビニール袋に入れられて中から発酵した漬物臭が
プンプン漂って来る1袋400円のものだったのですが
これがまた何とも美味しくて。

本当はもう少しチビチビと食べるつもりだったのですが、
あまりにも美味しいものだから、1週間も経たないうちに無くなってしまいそうな勢いです。

山形県の特産の1つである赤かぶ漬け、お勧めですよ。

聞けば、この赤かぶ漬け、塩と砂糖と酢だけを使って漬けられている
とてもシンプルな漬物で、11月~12月初旬にかけて冬の保存食として
作られるものらしいのですが、絶妙な甘さと酸っぱさで
とても味わい深いので、僕は山形に行く度にこの赤かぶ漬けを求めて
色々なスーパーやお店を回ってしまうほどの大ファンです。

何事もシンプルなものが一番良いのかも知れませんね。

そうそう、シンプルと言えば、今、このブログを更新していると、
僕のパソコンが少しおかしいのか、漢字の変換が僕が思っている文字とは違ったものを
連発することが続いており、これもいつもパソコンを酷使している
僕への当てつけなのでしょうか・・・。

例えば「山形」と普通に書こうとすると、「山型」となったり、
今、「書こうとすると」を漢字に変換すると「下降とすると」になったり、
これまでは普通に変換出来ていた漢字(これも今、「感じ」に変換されてしまった、汗)が、
ある瞬間とか、ある特定の日などはやたらと誤変換が増えて、
ちょっとだけストレスを感じてしまいます。

今日はまさにそんな日で、こちらもシンプルにスムーズに、
真っ当な漢字に変換してくれたら楽なのにな・・・と、ついついパソコン画面とキーボードに
ぶつぶつ文句を言っている自分がいます(笑)。

さて、ここからが今日の本題ですが、
ここ6~7年の間でしょうけれど、やたらとわざとらしい当て字を使う人が増えてきて
その賛否両論で肯定派と否定派でバトルが繰り広げられる様子を
スピリチュアル業界や、怪しい自己啓発系、はたまた怪しいネットワークビジネス系、
怪しい治療業界や怪しいコンサルタント業界界隈で垣間見ることがあります。

「仕事」を「志事」に変換したり、
「出会い」を「出愛」に変換したり、
金額を示す「円」を「縁」に変換したり、
「起業」を「輝業」に変換して、
それを恥ずかしげもなく公のブログに書いてしまうお馬鹿さんたち。

そう言えば、投資詐欺集団に洗脳されて頭がおかしくなってしまった
どこぞの鍼灸院の治療家も、この系統の言葉遣いが好きで
よく「志事」という当て字をブログで公開していたような気がします。
(*今、「公開」と入力しようとしたら、「後悔」となってしまった。ある意味、正しいのかも。)

そして、その当て字に対する賛否両論バトルを傍観しながら、今度は新種の馬鹿が出てきて、
「私はどちらも否定も肯定もしません。以前は当て字に違和感を感じていたけれど、
自分の次元が上昇し、そういう小さな物事にこだわらなくなったから、どうでもいいの。」的な
頭の上にお花畑が広がっているメンヘラ連中が増殖中です。

*「新しく覚えた言葉、それは「メンヘラ」。」

きっとそういうメンヘラ連中が一番アピールしたいことは、
「色々なプロセスを経て成長した私、ある程度のことなら、おおらかに受け止められる自分って、
1つ1つのことに怒ったり、拘ったりする心の狭い庶民とは違って素敵でしょ。」という
嫌らしい無言の自慢であり、選民意識であり、
それを厄介に押し付けてくる風潮もあるので、これも本当に「面倒くせぇ」と思います。

当て字からは少し本題がズレてしまいますが、
こういう「私は否定も肯定もしません。ある程度のことはおおらかに受け止めます。」的な発想って
本当に卑怯で、これこそ現実逃避そのものであり、
こういう人間離れした思想を恥ずかしげもなく公に出来る馬鹿が僕は心の底から大嫌いです。

*「戦争の危機など国が混乱する時は、性格ブス思想も蔓延します。」
*「お店の大行列と流行り廃りに流されない生き方。」
*「ワンネスブスが大嫌いな理由。~中途半端な脱・個性は恥ずかしい~」

全ての物事で共通するのは色々な議論がなされる際、
否定派、肯定派、どちらも理解できる派に加えて、
「自分はジャッジしない。全てを受け入れる」というぶっ飛んだ発想を
あたかも「素敵でしょ。」と自慢するがごとく現実逃避する馬鹿が必ず現れるのですが、
そんな人間離れしたことは、あの世に戻ってからやればいいだけの話で、
少なくとも「個」という部分を意識せざるを得ない僕たち人間は、
しっかり自分の理性で色々な物事を考え、自分で判断して、その答えを出さないことには
生きていけませんから、こういう浮ついた思想を良しとする
中途半端なスピリチュアル業界も本当にクズだと思います。

ダメなものはダメであり、間違っていることは間違っている。
正しいことは正しいし、良いことは良い。
勿論、その中間、グレーな部分もある。

ですが、全てを放棄したかのように「私は否定も肯定もしない」を
あたかも素晴らしいことかのように吹聴するのは、世捨て人になったも同じであり、
またこういう輩に限って、いざという時、トラブルや色々なことから逃げて
遠巻きに「祈る」ことに執着し、泥の中であがくこと、誰かと手を携えて
現実的な協力、努力をすることを嫌がる卑怯者が多いので本当に厄介です。

何度でもお伝えしますが、「否定も肯定もしない」生き方は
とても卑怯であり、いざという時はいつでも「祈り」に逃げて
協力も自ら汗をかいて動くこともしたくない、ただの怠慢、傲慢な生き方そのものなので
きっと、ラクして魔法のように全ての物事を上手くまわしていきたい現実逃避型の馬鹿にとっては
とても都合のよい免罪符的な思想なのだと思います。

まぁ、だからこそ魔法大好きで努力も苦労も何もせずに幸せになりたい
子宮系、「ありのまま」系を筆頭にしたスピリチュアル馬鹿信者がわんさか群がるのですけどね(笑)。

閑話休題。

話を怪しい当て字ばかり使いたがる残念な連中に戻したいと思いますが、
「否定も肯定もしない」派のメンヘラ連中は別にして、
皆さんだったら、これらに触れる機会があるとどのように感じるでしょうか。

やはり僕は基本的に色々な怪しい当て字を頻用したがる輩は歓迎できないので、
完全、否定派に属することになります。

頭の上にお花畑が広がっている悪い意味でプライドが高くて
選民意識も高い厄介なメンヘラ連中からすると、
「そんな小さなことに拘って、他人の何かを否定するだなんて、
心がとても狭い、自らを苦しめているちっぽけな人間」である僕は、
それでもやっぱり、当て字を頻用するのはよくない・・・と感じるのです。

たとえば1つや2つ、そういう自分なりのオリジナルワードを持っている分には
まだ許容範囲だとは思うのですが、
怪しい当て字を頻用したがる連中って、おおよそ怪しいものに騙されやすかったり、
本人自身の心が情緒不安定で、どこからどう見ても真っ直ぐで真っ当な生き方が
出来ていない残念な輩ばかりが勢ぞろいしているのも、あるあるの1つでもあります。

僕はこれでも一応、言葉のプロでもあったので、
この毒舌、辛口言いたい放題のブログばかりを更新していたとしても、
言葉に関する語感や意識は普通の人以上にアンテナを張っているつもりです。

料金を支払うのに「1000円」を「1000縁」と言われて、または書かれて、
「わぁ~素敵!」となる馬鹿な人たちのその感性と言いますか、
もっと言えば良識、生きるセンスに関わる部分でもありますが、
こういう部分が欠けていると、「何でも言ったもん勝ち」になってしまう傾向にあり、
ついつい老婆心ながら「全てとは言わないけれど、正しい日本語を使いなさい!」と
口出しをしたくなります。

そもそも30代、40代、50代、60代の
良い年こいたオジサン、オバサンが無理な作り笑顔で
「出愛に感謝!」「今日のお支払は1000縁です!」などと
その当て字が書かれた料金表なり請求書を見せられたら、
まっとうな良識を持っている人だったら、「はいっ!?」となるはずですよ。

でも、中途半端な怪しいスピリチュアル業界、怪しいコンサルタント業界、
怪しい治療業界、怪しい自己啓発業界、怪しいネットワークビジネス業界では
未だにこういう古臭い当て字を何の恥ずかし気もなく使い続け、
それに何の違和感も持たず普通にやり取りをしている馬鹿な信者たちがいて、
本当に烏合の衆というものは、こういう連中を指すのだろうな・・・と
その残念さを遠巻きに見ながら、反面教師にしています。

言葉を操るプロとして一番大切に感じるのは、
別に言葉を無理して装飾しなくても、無理して怪しい当て字を使わなかったとしても、
その人の生き方、日々の生活にしっかりとした想い、行動力が伴っていれば、
それはおのずと、どのような言葉であれ、話し方であれ、
必ず心ある人たちには、その主旨が伝わるということ。

シンプルでいいんです。

出愛でなくても、出会いがあれば十分ですし、
志事でなくても、仕事を真っ当にしていればそれだけで十分。

縁でなくても、円でやり取りをして真っ当に仕事をしていれば、
それに見合った対価は、それなりに得られるものです。

ツイてる教や、ありがとう教でも同じことが言えますが、
こういう上っ面で表面的、薄っぺらい浅はかな思想に翻弄される人たちが
いくら良い言葉を使おうが、根本的な人生がブレている限り、
一生涯、心からの幸せを感じることなんて絶対に出来ないと思いますよ。

姓名判断などで改名をしたり、キラキラネームに拘り過ぎたり、
そういう上っ面のことに拘らなくても、もっとシンプルに物事を捉え、
真っ当に生きてさえいれば、人は十分、その人なりの居場所を見出して
しっかりと自分の足で生きていけるものなのです。

*「名前、姓名判断とどう向き合うのか。」
*「大安、仏滅、ゾロ目に干支。~迷信に振り回される人生ほど惨めなものはありません~」

中途半端で怪しい当て字に翻弄されやすい輩に限って、
本当に残念な連中が多い・・・というのは、統計をとった訳ではありませんが、
これ、本当にこの業界のあるあるの1つでもあり、本当にその通りだと思います。

あなたの周囲に必要以上に怪しい当て字を使っている人たちがいたら、
ほんの少しだけでもいいので、その相手の本質、日々の言動を冷静に観察されてみて下さい。

きっとその背後には怪しいスピリチュアルや怪しいコンサルタント、
怪しい自己啓発、怪しいネットワークビジネス、怪しい治療業界の人物が絡んでいることが
ほとんどですし、それを頻用している本人も似た者同士だということですから、
やはり適度な距離感でお付き合いするのがベストだと思います。

この「当て字」ブーム、そして「私は否定も肯定もしない。あるがままを受け入れる」ブーム、
一体、いつまで続くことやら・・・。


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