山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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2024年6月9日(日)、5年ぶりの福岡ナカトリモチ勉強会を開催します。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付中です。                     

観葉植物や花に宿る自然霊との付き合い方。

2016年12月24日

観葉植物や花に宿る自然霊との付き合い方。今日はクリスマスイブですが、
皆さん、どのようなイブとクリスマスをお過ごしでしょうか。
明日25日(日)は僕も一旦、事務作業を中断して
昼から今年最後のナカトリモチ勉強会の講演のため
会場となる北中城村のあやかりの杜に久しぶりの外出です。
広い会場なので当日直接会場にお越しになっても
参加受付が出来ますので、興味ある方は是非お越し下さい。


とりあえず今年、僕のナカトリモチとしての公の活動は、
明日のナカトリモチ勉強会の講演と、来週実施されるカウンセリングの仕事で終了となり、
また来年は3月下旬以降から地元沖縄をはじめ、全国各地への出張を再開します。

それまでの間は、県内外問わず
個人的に依頼がある土地家屋の鑑定・お祓いの出張をメインに仕事をする予定です。

さて、そんな色々な仕事がある中で僕が1年に1回、
いつも以上に気力体力その他諸々を費やして向き合う仕事が
新年に向けての言霊の書き下ろし作業で、まさに今、そのピークと言いますか、
ほとんど受験生と同じような状態で、
起きている間はずっと机の前にかじりついている日々を送っています。

元来、机の前に座って長時間じっとしているのが本当に苦手なこの僕が
学生時代の頃の受験勉強以外で、同じようなライフスタイルを送っているだなんて
正直言えば、他でもない僕自身が驚いているほどでして(汗)、
人の人生というものは、どこでどう流れていくのか本当に分からないものだな・・・と感じています。

観葉植物や花に宿る自然霊との付き合い方。 観葉植物や花に宿る自然霊との付き合い方。

そしてふと、先ほどふと気づいたことが1つありまして。

僕が事務作業をしている机の近くには観葉植物が置いてあるのですが、
よく見てみると、僕が座っている、パソコン側の植物の葉の色だけが黄色に変色して
そろそろお役御免になり始めていたのです。

この植物とは長年のお付き合いになりますが、
このようにある側面だけが全て変色して早々と枯れることはないため、
今回の言霊の書き下ろし作業が、いかに僕にとってプレッシャーになっているのか
植物たちの反応から見ても、自分自身でよく理解出来ました。

いやっ、ほんの少しだけ弱音を吐かせてもらうと、
予約の数を制限したとは言え、例年以上にお申込みの数が多過ぎて
本当に締め切りの期限までに間に合うのか、勿論、1つ1つと向き合っていくしかないのですが、
そこだけが唯一プレッシャーに感じているところでして(汗)。
(*毎年、同じことを言っているような気がします。)

そんなプレッシャーが普段接している観葉植物たちにもしっかり伝わってしまい、
枯れかけてしまった植物の葉っぱたちには「お役目、お疲れ様でした。」と
労いの言葉をかけてゴミ箱に捨てましたが、
よく、巷でも植物が枯れやすい状態にある人、いつも植物や花が早く枯れてしまうという話を
聞くことがあります。

勿論、丁寧に適度な水やりをしたり、植物の手入れなどを怠らない・・・という条件付きでのことですが、
ある程度のメンテナンスをしっかりしているはずなのに、
それでも植物や花などがすぐに枯れてしまうというのは、
周囲にいる人たちの誰かが心にプレッシャーを抱えている、
はたまた深刻な悩みを抱えていたり、肉体的な病気で疲れていたりなど
心身共に辟易している状態を和らげるために、
その栄養補給の役目をかって出た作用でもあると判断します。

一般的には「身代わりになった」と表現する人もいますが、
この言葉を使うと、まるで「植物が犠牲になって人間を守った」的な
必要のないロマンとか、頭の上にお花畑が広がっているようなスピリチュアルマニアが
感極まって涙を流しそうな美談に仕立て上げられることもあるため、
「身代わり」ではないことだけは、ハッキリと明言しておきます。

自然界には「自然霊」という、僕たち人間とはまた違った種類の存在があって、
それは勿論、肉眼で見ることは一般的には不可能です。

その自然霊の中でも、特に人間と近い間柄に位置することになる
観葉植物や観賞用の花などに宿る自然霊は、
そのお役目の1つとして、「人の疲れた心と身体を癒す」というものがあり、
これはほぼ職務のようなものでもあります。

今は色々なアレルギーなどの観点から、病院で誰かをお見舞いする際に
お花を持っていくことが出来辛くなりましたが、
花にもしっかりと自然霊が宿っており、近くで接している患者の落ち込んでいる心と
身体の疲れを癒し、栄養補給しようとする見えない作用が働いているのです。

何故なら、それが観賞用の花や観葉植物に宿る自然霊に与えられた「職務」の1つだからです。

そして、ある程度の栄養補給を終えると、その植物にも力の限界があるので
一旦、その植物の一部や花自体は激しく枯れてしまいます。

その姿を見て「身代わりになった」と表現する人も多いのですが、
自然霊というものは、いくらでも再生が可能なので
植物が宿す力の限界が訪れて、その葉の一部が枯れてしまったら、
その瞬間からまたすぐに次の新しい葉に宿替えをするだけなので、
その自然霊が死んでしまった訳ではありませんから、必要以上に
「私のせいで枯れてしまってゴメンなさい。」(こういう輩、ほんっとに面倒くせぇ、笑)と
優しさを装った自己憐憫や良い人を演じるわざとらしい真似はしなくて結構なんですよ。

あくまで枯れてしまったら、「お役目、お疲れ様でした。ありがとうございます。」と
見えない自然霊たちに対して、お礼を伝えるだけで結構です。

たまには神社神職っぽいこともお伝えしたいと思うのですが、
この自然霊にまつわる話で、僕の神社でも神社を管理する弟が身をもって
その大切さに気付いた経験をしています。

神社にはおおよそ鎮守の森と呼ばれる森や林が周囲にあって、
その森林を管理するのも神社神職の仕事の1つでもあります。

木を伐採するのも同じで、ただ物質的にある木を切るのではなく、
「そこには自然霊が宿っているから、しっかりとお断りをした上で必要のないものを
切らせていただく」という大自然に対する畏敬の念が前提になければ伐採は出来ません。

木こりの職業の人たちは、木を切る前に必ずコンコンとその木を叩いて
「これからこの木を切らせてもらいます。どうぞ他の木にお移りいただけますでしょうか。」と
その木に宿る自然霊たちにご挨拶をした後から伐採する習慣が残っているそうです。

ある時、弟が実家の神社の木を伐採していると、色々な業務が重なって
その時に伐採していた木に対し、いつものようなご挨拶が出来なかったそうです。

するとその木を伐採して、次の木を切ろうとした瞬間、足を滑らせて山の急斜面から滑落、
ギリギリ山の下にある神社の建物との境のところで身体がひっかかり難を逃れた・・・という話を
直接本人から聞いたのですが、
「やっぱり木を切る時の自然霊に対するご挨拶は大切だな。」ということに
改めて気付いた瞬間だったそうです。

このエピソードの詳細についても、過去のブログでご紹介しています。

*「森の精霊から何を感じますか?~感じたごっこは無駄なことです~」

こういう内容は、へんに中途半端なスピリチュアルマニアが過剰反応して喜んだり、
あれこれ訳のわからない質問をしてくることが多いので
本当はなるべく避けたいのですが、
何が一番お伝えしたいのかと言えば、この世には見えないけれど確実に存在する何かがあり、
自然霊もその1つだということ。

そして特に野生ではない人間と近い間柄にある観葉植物や花というのは、
より人間に寄り添って、その人の心の疲れなどを癒し、栄養補給をしてくれる職務をになっていて
そのお役目が終われば、また次の宿り木、植物に宿って同じ職務をこなす繰り返しだということ。

だから必要以上に枯れた葉や花に対して「申し訳ない」という気持ちを抱くことはせずに
「ありがとうございました。」という感謝の気持ちを伝えて前を向く姿勢が大切だということ。

これって、植物だけではなく、人間関係やこれまでお世話になった環境、会社、
組織や土地などにも通ずる部分があるのではないでしょうか。

人に対しても、その他の物事に対しても、しっかりとした礼節、礼儀は絶対に大切ですが、
だからと言って必要以上にへりくだって「スミマセン、スミマセン、私のせいで。」と
しつこく付きまとわれたら、誰だってドン引きするものです。

だから礼節、礼儀は大切にしながらも、
何事も軽やかに爽やかに向き合う姿勢が求められるのだと思います。

そろそろ年末年始、神社仏閣へご挨拶に行かれる方もいらっしゃることかと思いますが、
また近いうちに、その心構えなどについてご紹介しますね。

「何事も軽やかに、爽やかに」は、お祈りの際にもおおいに有効ですので。

さっ、それではまた事務作業に戻ります!


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Posted by 山野本竜規 at 14:27 │心の在り方 (2,645)▼