山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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毎年恒例、父の命日を忘れる(笑)。

2016年12月13日

毎年恒例、父の命日を忘れる(笑)。いよいよ本格的に言霊の書き下ろし作業が始まりましたが、
僕はいつもの定位置に座って、
言霊のお申込みをして下さったお1人、お1人の
お名前や生年月日などが書かれてある入力フォームに
その都度、メッセージを書き下ろしていく・・・
という作業を年末まで幾度となく積み重ねていくのみです。


これからしばらくの間は、勿論、途中、個人的な用事などで外出することはありますが、
基本的には家の中に籠って、心を静かに保ち、お1人、お1人に向けたメッセージを
昼夜問わず書き下ろしていく日が続きますので、
その期間中はブログの文章も短め、時には過去のリンクを多用しながら
同じような分野のことを改めて振り返って頂く内容にしていこうかと思っています。

そして昨夜、言霊をお申込み下さった方の名簿を確認するために
パソコン画面の言霊入力フォームを眺めていると、
ふと「そういえば、この言霊の書き下ろしって生前、父も似たようなことをやっていたな。」と
何の前触れもなく思い出してしまいました。

僕と同じ神社神職だった父(かなり破天荒でしたが、笑)は、
毎年この時期になると、新年に向けて来年1年の心構えなどを「短歌」という形で、
短い文章に込めて、お1人、お1人のメッセージを認めていました。

もともと父は子供の頃から短歌や和歌の作成という分野に長けていたらしく、
これも本人の才覚をそっくりそのまま生かした天職の1つだったのかも知れませんが、
気付けば今度は世代が変わって、僕が短歌や和歌ではなく、
口語体で同じような言霊の書き下ろしを生業の一部としているため、
本当に不思議なものだな・・・と常々感じています。

僕も文章の上手下手如何に関わらず、言葉を生み出すということに関しては
自身のこれまでの仕事や、高校生の頃から個人的な日記を書き続けてきた経験なども加味されて
全く苦痛ではないため、ほんっと世の中、「うまい具合に出来ているな。」と思います。

・・・で、何がお伝えしたいのかと言いますと、
そんな亡き父のことを思い出しておきながら、毎年恒例、お約束のように
父の命日を忘れたまま過ごし、数日経ってから何かしらのキッカケで気付く・・・という失態を
今年も抜群の安定感でやらかしてしまいまして(笑)。

もうねっ、ここまでくると僕の忘れっぽさも筋金入りだと開き直るしかないのですが、
父が亡くなったのは8年前の12月10日で、
今年、その命日と父のことを思い出したのが、12月12日の夜11時過ぎだったという。

しかもその間、別件で弟と電話で話すことが複数回あったにも関わらず、
(大晦日のおせち料理などのこと、笑)
僕は全く父の命日のことを思い出すことがありませんでした。

結局、2日遅れの昨夜、ふと命日を思い出したため、「あちゃ~」という気持ちよりも、
何故だか可笑しくて仕方なく笑ってしまったほど天晴れなド忘れっぷり。

しかも故意ではなく、毎年必ず忘れて数日経ってから思い出すということを繰り返しています。

よくよく調べてみると、どうやら去年は今年より酷くて、父の命日の4日後に気付いたようで、
その他の年も多少の誤差はありますが、おおよそ命日だったことを忘れて過ごしているようです(汗)。

*「ヤバいっ、すっかり故人の命日忘れていました。~本当に罰当たりなのか~」
*「それでも、人は生きていく。」

曖昧な記憶を辿ると多分、父の死後、1年目の命日はしっかり覚えていたようですが、
2年後から少しずつ忘れることが増えてきて、
3~4年後以降は毎回、「あっ、そういえば命日過ぎてた、笑」という有様。

僕の人生の中に「もし、あの時〇〇だったら」という過去を無駄に振り返る生き方はありませんが、
父の死がなければ、僕の今のナカトリモチという生き方は存在していません。

父の死をキッカケに、その後父が残した神社の経営やその他諸々のことを
請け負わなければいけないのに加え、
同時期に母が意識不明の重体で倒れてその看病や今後の介護などを
家族で分担しなければいけない・・・という嘘のような本当のゴタゴタが発生したため、
会社勤めが難しくなり、大好きだった琉球放送を退社してフリーランスになり現在に至っています。

だから人生というものは、自分の意志だけではどうすることも出来ない
不可抗力のようなものの働きで、全く予想していなかった人生に導かれていくことも起こるものですし、
そういう時は、潔くその宿命を受け入れて、その方向に流されてみると、
案外、それが自分にとって心豊かな生き方に繋がっていた・・・ということも
僕自身、自分の経験から自信をもってお伝えすることができます。

何はともあれ、過去はドタバタ、色々な事象に翻弄されて大変だった時期もあったのですが、
今はとりあえず色々ありながらでも心豊かに過ごせていますから、これで良し。

このブログではいつもお伝えしている通り、本当の故人に対する供養というものは、
何も命日をしっかり守ってお祈りする、形だけの供養をする陳腐なものではなく、
残された側が、毎日、毎日、心を込めて自分の人生を生き抜く姿を積み重ね、
それを見せてあげることが、故人にとっても、自分自身にとっても大切なことだと感じています。

だから僕の中では「故人の命日を忘れてしまうくらい、今、目の前のことに集中して
毎日、それなりに充実した生き方を積み重ねているほうが、どちらも幸せじゃないかな。」と
父を始め、ご先祖様たちに軽やかに、爽やかに
その気持ちを伝えながら、今という時間を大切に生きています。

僕が今、目の前で心を込めて向き合わなければいけないのは言霊の書き下ろし作業。

そろそろ、ブログ更新の頭の状態から、
言霊の書き下ろし作業の頭にシフトチェンジして引き続き、
今、目の前にあることに専念したいと思います。


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