山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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自分の人生を限定し過ぎない、決めつけない生き方。

2016年06月26日

自分の人生を限定し過ぎない、決めつけない生き方。僕の生活拠点である沖縄での仕事が続いており、
昨日のナカトリモチ勉強会の講演に引き続き、
今日は霊視個人セッション(カウンセリング)の仕事でした。

いよいよ今年上半期の仕事も大詰めを迎えて
あとは明後日から始まる福岡出張と、単発の仕事の依頼がある
岩手出張を残すのみです。

ちょうど1週間後の日曜日に福岡でのナカトリモチ勉強会の講演を終えて、
その後すぐに一旦沖縄に戻り、翌日の月曜日にまた岩手出張に向けて
仙台経由で現地入りする・・・というスケジュールで、
それらの県外出張が終われば、無事に上半期の仕事が終了し、
少しだけゆっくり過ごすことが出来る流れとなりそうです。

この半年を振り返ってみると、確かに四六時中、せわしなく動いている感覚があり、
特に上半期の仕事が本格化して忙しくなる3月、4月、5月、6月は
沖縄の自宅で過ごす時間よりも、県外や海外で過ごす時間のほうが長くて
あまりの自宅不在っぷりに、「さすがに今年は忙し過ぎるかな。」と贅沢な悩みが出てくるほどでしたが、
とりあえずそれらが無事に終わろうとしている今、
まだまだ気は抜けないのですが、終りが見えてきて、本当にホッとしています。

自営業の僕の場合、特にここ3年くらいの間で、
1月、2月、そして7月、8月はなるべく仕事をセーブして
比較的ゆっくりしたペースで過ごすインプットの期間、
そしてそれ以外の時期は、とにかく仕事と休みの境をあまり設けずに
しっかり働けるだけ働くアウトプットの期間というメリハリのある1年の流れが出来上がってきたので
これは僕にとっては、本当に理想的な1年の過ごし方だと感じています。

この上半期、特に3月、4月、5月、6月の4ヶ月間は、
とにかく走り続けた時期でもありましたが、何故ここまでエネルギー切れをすることなく
集中することが出来たのかと言えば、
やはり、その次に訪れる緩めの期間、インプットの期間が待っているからであり、
この両方のバランスを上手くスケジュール管理できるようになったことで、
心身共に本当に充実した1年を過ごすことが出来ています。

という訳で、7月、8月は、勿論、依頼があった仕事は可能な限りお受けする予定ですが、
基本的には自分自身の内面と向き合う、緩やかな流れに身を委ねて過ごしますので
今から、そのインプットの期間が本当に楽しみでなりません。

会社員時代は、上司が全ての仕事の振り分け、スケジュール管理をして下さっていたので
基本的に、その流れに従って業務を遂行するだけで良かったので、
ラクと言えばラクだったかも知れません。

最後のサラリーマン生活を送らせてもらった琉球放送では、
アナウンス室の上司が、夜勤だとか担当番組のスケジュールなどを全て管理して
それぞれに振り分けて下さっていたので、
僕たちはそれに従う形で、与えられた仕事を忠実に遂行するのみ。

ところが、いざ組織から離れてフリーランスになると、
全てのスケジュール管理は自分の裁量で決めなければいけなくなりました。

おまけに会社勤めのように組織から給料が支払われるのではなく、
働いたら働いた分だけ、そしてその逆で休んだら休んだ分だけ、
そっくりそのまま自らの生活に影響が出てくるシステムでもあるため、
人によって、どこまで働くのか、どこまで休むのかは、
全てその仕事と向き合う本人の裁量次第になります。

そして、こういう自己管理が自分の性分に合っている人と、
他人から管理してもらったほうが合っている組織向きの人なのかは、
やはり実際、そのどちらも経験してみないことには分からないものです。

僕自身も、まさか自分が自営業者になるだなんて微塵も感じていませんでしたし、
出来れば定年退職するまで、居心地の良かった職場で
それなりに自分の仕事を果たしながらサラリーマン生活を送ることしか考えていませんでしたが、
父の死や母の病気、実家の神社の経営など様々な不可抗力で
サラリーマン生活にピリオドを打って、無理やりフリーランスの道に放り込まれてみると、
意外や意外、僕自身、組織でスケジュール管理をしてもらって、
与えられた仕事を忠実にこなすことがラクだと思っていたはずなのに、
自分でスケジュールを組み立てて、仕事やその他のライフスタイルを構築していくことが
これほど楽しく自分の性分に合っていたということに、後々気付いた・・・という(笑)。

このような経験からもお伝え出来ることなのですが、
人は、実際に自らの希望、志望、夢だけでは計り知れない人生の豊かさの幅、
幸せを感じられる余白がしっかり用意されているものであり、
だからこそ、たとえ自分が理不尽と思える道であったとしても、
一旦は受け入れ、そこと向き合って前に進んでいく潔さ、覚悟をもったほうが
幸せでいられる・・・と断言できるのです。

夢を叶えること、思い通りの道に進むことは確かに素晴らしいことなのですが、
だからと言って、それらが全て現実のものにならなかったとしても、
人にはまた別の幸せの形、喜びの形、心豊かな人生の形があるもので、
そこに気付くことが出来た人であれば、どのような人生であれ幸せだと思うのです。

今日のカウンセリングでも、どこに幸せの基準、照準を定めるのかによって、
過去の呪縛から徐々に解き放たれていける可能性、道がある方がいらっしゃいました。

その方は実のお母さんとの関係が子供の頃から上手くいかずに大人になり、
やがてご本人は、結婚をされ新しい命を授かり、
まさにこれから新しい一歩を踏み始めようとされている中で、
それでもまだ、遠く離れた場所で暮らすお母さんとの関係が上手くいくように
お母さんの愛情を求めて努力しても上手くいかずに苦しんでおられる状態でした。

霊的世界は、「愛情を求めるのであれば、何も実のお母さんだけという固定観念を捨てて、
今、目の前にあるあなたの家族や、その他の友人など、
本当の意味であなたを愛して受け止めてくれる人たちに、その居場所を求める
発想の転換が求められていますよ。」と伝えてこられました。

残念ながらいくら血が繋がっている親兄弟であったとしても、
魂は全く別物なので、肉体年齢だけは大人でありながらとても幼稚で未熟な親がいるのは
この世の常ですし、その逆で子供がしっかりしている場合もよくあります。

魂が未熟な親という立場の人たちに対して、いくら母親のような愛情を求めたとしても、
求められた側としては、その度量、キャパシティがないために
その期待に応えることも出来ませんし、むしろ反発し合ったり、辛く当たることで
自らの心のバランスを保とうとするのみなので、
ここではいくら歩み寄ろうとしても、和解どころか、益々関係を悪化させてしまう結果が明確でもあります。

だからこそ、家族と言えども適度な距離感が必要であり、
時と場合によっては絶縁に近い形で、それぞれの人生を歩んだほうが
上手くいくこともよくあるので、これは一般常識だけを当てはめてはいけないと思います。

世間体、一般常識では、なるべく家族みんな仲良く、争いもなく、
協力し合って生きていくのが理想的とされていますが、
霊的世界ははっきりと、「そんな都合の良い家族、この世ではほとんど存在しませんし、
何かしらの問題、課題を抱えているのが、家族の学びでもありますよ。」と伝えてこられます。

要するに、そこで亀裂が生じて家族として向き合えなくなったとしても、
絶縁してしまったとしても、その動機が正しいものであれば全く問題なく、
自分の居場所は家族だけではなく他のところに求める発想の転換も時には必要だということを
色々な観点から霊的世界が伝えて下さることがよくあります。

このように本人が頭の中で思い描いている夢や希望、理想などは、
あくまで可能性を含んだ理想であって、そっくりそのまま思い通りになることを望むのではなく、
それだけに縛られずに他の余白、自分の足元にこそ、本当の意味での幸せや
居心地の良い居場所、自らが心豊かに生きていく道があるものだ・・・ということを
僕自身も自らの経験と、霊的世界から伝えられるメッセージからも
ひしひしと実感できる部分でもあります。

自分の人生は自分で考えて、自分で決めて、自分で築き上げていくものですが、
そのような信念をしっかり大切にしつつも、
自分の思い通りにならなかった道であったとしても素直に受け止め、受け入れて
潔くそこから更なる居場所を見出し行く心の強さ、明るさがあれば、
おのずと、自分が想像していた以上にもっともっと幸せな道に進むような
手筈が整えられているものなのです。

だからちっぽけな頭の中で、「これこそが自分にとっての幸せだ!遣り甲斐、生き甲斐だ!」と
完全に決めつけて自ら道を狭めてしまうのは、本当に勿体ないことです。

今、フリーランスとしてこの上ない充実した生き方を体感させてもらっている僕自身、
ちっぽけな頭で全てを決めつけず、時には運命や宿命の流れに敢えて乗ってみる、
流されてみる、委ねてみると、
自分の頭では想像もつかなかった意外な発見が沢山あり、
そこからまた人生が発展していく流れになっていきました。

自らスケジュール管理をして1年のメリハリをつけることにしてもそう、
積極的に県外に出て、内と外のバランスを取りながら、色々な人たちと交流を持ち、
自分なりの見識、心の幅を広げていくことにしてもそう。

サラリーマン時代だけでは出来なかったこと、想像できなかった人生を、
今、心の底から楽しんでいる自分がいます。

自分の居場所、人生の立ち位置は自らの意志で決めていくものですが、
それはあくまでおおまかな目標であって、1つ1つの細部に拘りすぎずに
やることはやって、あとは人事を尽くして天命を待つ心境でいれば、
おのずと、その人の道はより発展的なものに導かれていくものです。

自分の夢や希望や仕事の遣り甲斐、生き甲斐、求めるものを限定し過ぎない、拘り過ぎない。

中途半端な根性論や精神論だけを信じて、やたらと夢とか遣り甲斐、生き甲斐、
お役目などを強調して空回りする痛々しいタイプの人たち、
はたまた中途半端に「やりたいことだけをやって、ありのまま」を妄信するレリゴーブスなどは
このような逆転の発想が出来ないため、いつまで経っても
本人の人生は満たされないまま、どこかに不満を抱えて生きていく残念な流れになります。

バランス加減が分からずただ一直線に力の限り突き進むだけでは
必ずどこかでエネルギー切れをしてしまいますし、自分の軸がブレてしまいますし、
何よりそれでは人生は心から楽しむことは出来ないと思います。

楽しむというのは、ただラクで心地が良くて・・・というフワフワしたものではなく、
大変なことも辛いことも、その逆で嬉しいことも楽しいことも全てひっくるめて
良い流れだな・・・としっかり感じることが出来る人生の楽しみ、喜びのことであり、
そのためには、限定し過ぎる人生は思いっ切り解放してあげたほうがいいと思います。

ふと、僕自身、今年上半期のせわしい流れと向き合いつつ、
メリハリのある心豊かな1年を感じながら、そのようなことを思っていました。


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