山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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「意識高い系」という言葉がどうしても気に入らない。

2016年04月19日

「意識高い系」という言葉がどうしても気に入らない。写真は昨日、沖縄での土地家屋の鑑定、お祓いの仕事の際、
依頼主のご自宅まで向かう途中にあった上り坂と、
そこから眺める海の風景。

11日間の東京・秋田出張から戻ってきた翌日の
仕事だったため、体力的に大丈夫かどうか一抹の不安も
あったのですが、やはり沖縄パワーでしょうか・・・。

前日は関東などが強風の影響で飛行機も遅れていた関係で
秋田から東京経由で沖縄の自宅に戻ってきたのが深夜0時を過ぎており、
そこから荷解きをして、ある程度の目途がついて眠ったのが深夜2時。

翌日は午前中に洗濯機をまわし、家の掃除をして、
昼前から依頼主のご自宅へ向かう・・・というタイトなスケジュールだったのですが、
沖縄の土地のおおらかさというか、すぐ近くに見慣れた綺麗な海がある安心感、
そして、この島独特の、のんびりした空気感に忙しさを忘れてしまう感覚になり、
しっかりとその日の仕事を無事に終えることが出来ました。

ずっと沖縄にいると、この感覚が当たり前になってしまい、その有難味も薄れてくるものですが、
僕の場合は、適度に本土や海外に出かける機会があるため、
いつまで経っても、沖縄で生活させてもらえることの有難さ、喜びが薄れることがありません。

そして今日はようやく丸一日の休日。

沖縄には、昨日と今日の2日間だけ滞在して、またすぐに明日から神戸出張、海外出張と
そのまま出かける予定なので、まさに今日は久しぶりの沖縄で過ごす休みなのです。

とは言え、本当は1日、何もせず家の中でグ~タラ過ごしたいところなのですが、
そうは問屋が卸さず(笑)、朝から国際運転免許証の申請のために
南部・糸満市にある運転免許センターに向かい、
(もしかしたら、今回の海外出張で必要になるかも知れないので。)
昼は友人とランチの約束のため、今度は中部に移動、
そして夕方前には自宅に戻り、明日から控えている神戸出張と海外出張の荷造りや準備など
結局、いつも以上に慌ただしい休日となりそうです。

正直、元来グ~タラな僕にとって、忙しいこと、スケジュールが埋まっていることは、
そこまで、「充実している」とか「嬉しい」と感じるものではなく(笑)、
やっぱり、出来ることなら貴重な休日だからこそ、何の予定も入れずに
とにかく家でゴロゴロ、グ~タラ、ウダウダ過ごしたいのが本音です。

過去のブログでもご紹介しているのですが、
中には無理矢理、休日のスケジュールを詰め込んで、予定が埋まっていることだけに
満足感を得ようとする人、「充実している」と思い込みたい人もいるようで、
これは、本当の意味で満たされた生活ではないと感じています。

*「休みの有効活用、いつでも頑張る、誰かに何かを与えたい病。~もう止めませんか!?~」

僕の場合は、残念ながらこれだけグ~タラ願望が強い人間なのに、
今のところ、それを思いっ切りさせてもらえる環境にはないようで(笑)、
依頼があった仕事と1つ1つ、心を込めて向き合っていく積み重ねですが、
仕事が忙しい、またはその逆で暇・・・という表面的なことは、僕にとってはどうでもよくて、
どちらの環境であろうが、自分の心が満たされている生き方をしているかどうか・・・という
自分自身の内面に重きを置いているところがあります。

自分が忙しいこと、仕事の量が多いことに、自らの存在価値、存在意義を見出してしまうこと自体、
全てが悪いとは思えませんが、この傾向が強い人たちというのは、
一度、その仕事や役職や肩書を失ったり、一気に暇になったりした時に、
抜け殻のようになってしまうことも多く、これこそ、
その表面的な忙しさや仕事量に依存していた結果だと思うことがよくあります。

「誰かのお役に立ちたい病」「誰かに自分の仕事で何かを提供したい病」
「誰かに与えたい病」、はたまた「休日も有意義に時間を有効活用してます病」、
「いつでも、どこでも学び、気付きます病」に陥っている人たちが、
一見すると良いことをやって、そのことだけに一直線・・・と肯定的に受け止められそうなはずなのに、
その本人が、どことなく発展的ではなかったり、多動性の情緒不安定のような
落ち着きのない言動が目立ったり、常に何かしらの不安や悩みを抱えて
幸せそうに見えないのは、やはり、表面的なものだけに依存しようとしているからに他なりません。

もし仮に僕自身が明日からパタリと仕事がなくなり、めちゃくちゃ暇になったとしたら・・・。

きっと、それでも必要以上の不安に支配されることもないでしょうし、
「自分は社会から必要とされていない無能な人間だ。」などと
自分の殻に閉じこもって不細工な表情をしながら悩み続けることも絶対にないと断言出来ます。

フリーランスにとって、仕事がなくなるということは死活問題ですから、
本当はそのような悠長なことは感じていられないはずなのですが、
もし僕であれば、今の仕事で食べていけないのであれば、とりあえず、
当面の生活費を確保するために、アルバイトでも探して、
最低限の生活を確保できる方法を探すことでしょう。

そこに余計で中途半端な感情は一切必要なく、
あくまで淡々と、自らの生活費の勘定や仕事探しをするのみです。

家賃ももっと安いところに引っ越し、その生活レベルに合った生活をすることでしょうし、
数年の間であれば、贅沢さえしなければ食いっぱくれない程度の貯蓄も
普段からコツコツとしているため、その流れに合わせればいいだけの話です。

そして暇になったらなったで、大喜びして、そのグ~タラ過ごせる環境や、
忙しい時にゆっくりと出来なかった読書や映画、散歩や昼寝を
心置きなく、誰にも遠慮せずに満喫することでしょう・・・。

そこに「社会の役に立てない自分は無能」だとか、
「周囲は一生懸命働いているのに、自分だけ何もしないで情けない」だなんて気持ちはなく、
その与えられた環境の中で出来る楽しみを見出すのみ。

最終的に、この世を生きている人たちというのは、
霊的世界から判断すると、人の役に立とうが、立たなかろうが、
仕事が忙しかろうが、暇であろうが、そんな表面的なことはどうでもよく、
いかにこの世を生き抜いてきたのか、
どんな環境であったとしても、与えられた寿命の限り、まっとうに生き抜きさえすれば、
まずは、それだけで合格点なのです。

勿論、人の役に立てる何かがあれば、それはそれで素晴らしいことかも知れませんが、
だからと言って、人の役に立っている人たちの全てが、
心から満たされ、自らの人生に納得し、スピリチュアリズムの観点から捉える「幸せ」かどうかは、
全く別の話でもあります。

仕事が忙しい、その逆で暇、人から必要とされている、必要とされていない・・・等、
そこを一番の心の寄り処、生き甲斐にしてしまうと、
人は必ずどこかで躓き、益々、活気ある運気を自ら逃してしまうような
惨めで不細工な生き方になってしまいます。

あまり言葉遊びをするとお叱りを受けそうですが、
最近、巷で溢れている「意識高い系人間」という言葉があるように、
それが健康食品にしても、健康的な生活にしても、今が旬の輝いている人のライフスタイルにしても、
はたまたビジネス本のお手本のような理想的な生活を実践しているような人にしても、
朝活や人脈作り、その他のことに励むような人たちを傍から見ていて、
僕は、どことなく違和感を感じることがよくあります。

別にその人の信条で、意識高い系のことを実践しているのでしょうから、
それはそれで良いと思うのですが、
だからと言って、その意識高い系の人たちの心が穏やかで
満たされているかどうかと言えば、そうではない人たちのほうが圧倒的に多くて、
「それって、本当に必要なことか!?」と心の中で疑問に感じてしまいます。

本当に自分の人生にとってプラスになる、意識高い系のことを実践していれば、
絶対に心は満たされているはずですし、基本、幸せに生きていけるはずなのですが、
表面的なビジネス本のお手本のような生き方、
雑誌やテレビなどに登場する旬の人のライフスタイルなどを真似たりしたところで、
それらはやはり表面的なことなので、本人の内面と向き合わない限り、
あまり意味を持たないのではないかな・・・と個人的に思っています。

だから、正直なところ、僕は「意識高い系」に拘り過ぎる人たちはニガテ・・・というか、
別にそういう人たちが周囲にいても結構なんですが、
心の底からお友達になれるタイプではないことだけは自信をもって宣言しておきます(笑)。

何事もバランス感覚が大切だと思うのですが、
表面的な意識高い系のことに依存するよりも、もっと自分の内面に対して
意識高い系になって自分自身と向き合わない限り、
やはりそこから先、何を学ぼうが、何に気付こうが、(資格や学位など)何を取得しようが、
薄っぺらなものになってしまうと思いますよ。

要するに巷の言葉を借りるとすると、
表面的にもてはやされている表面的な意識高い系の人たちほど
何も学べず、何も気づけず、何も得ることもなく、
ただ忙しい、ただスケジュールが埋まっていることに満足し、
いつでもどこでも時間を有効活用、有意義に充実している自分に
人生の意義や存在価値を見出そうとする傾向にある・・・ということがお伝えしたかったのです。

そんな陳腐なものに依存しているうちは、
本当の意味で、自分自身の内面に意識高い系にはなれないと思いますし、
無理してなる必要もないと思いますし、もっと言えば、僕はこの「意識高い系」という言葉が大嫌いです。

そんなこと、世間の流行が決めるのではなく、
意識が高いのか、低いのか、心が満たされているのか、満たされていないのかは
最終的に他の誰でもない自分自身で決めて、その環境を築き上げていけばいいだけの話ですから。

この言葉が独り歩きすればするほど、
表面的で陳腐なものに依存しようとする輩が増えてしまうものですが、
もっと自分の物差しで物事を考え、行動出来るような大人の感性で生きていく人たちが
増えてくることを願ってやみません。

さっ、僕は意識高い系なんて陳腐で表面的なものとはかけ離れた、
普通にやることが多い1日の準備をしている最中ですが、
この自分なりの当たり前の感覚を大切にしながら、日常生活を楽しんでいきたいと
改めて感じた忙しい1日の始まりでした。


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Posted by 山野本竜規 at 06:40 │心の在り方 (2,645)▼