山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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運の使い方、運の捉え方で人生は良くも悪くも変化します。

2015年07月29日

運の使い方、運の捉え方で人生は良くも悪くも変化します。 運の使い方、運の捉え方で人生は良くも悪くも変化します。

先日、とても嬉しいハガキが我が家に届いていたのですが、
それは、来月8月末に東京で行われる浅草サンバカーニバルの
特別鑑賞席への抽選が、見事当選した・・・というお知らせでした。

僕は去年、沖縄チームの応援のために初めて浅草サンバカーニバルの鑑賞をしたのですが、
その時は、同じ特別鑑賞席の抽選に4口応募したにも関わらず、
全て抽選から漏れてしまい、自ら旅行会社が企画する特別鑑賞ツアーに申し込みをして
沿道ではないパレードが見やすい場所で応援をした経緯があります。

浅草サンバの実行委員会が提供する特別鑑賞席と
旅行会社のツアーのそれとは何が違うのかと言えば、
実行委員会が提供する鑑賞席の値段がかなり割安なのと、
席の配置もよくて、その上、オリジナルのグッズなども貰えるらしいので
毎回、全国各地からの応募が殺到して、なかなかの競争率なのです。

もともと大局的に見れば自分の思い通りになっている人生に恵まれており、
そこに全ての運を使っているためなのか、
僕のクジ運というものは良い、悪いで言えば、かなり悪く(汗)、
ギャンブルには一切向かないタイプの人間でもあります。

そんなクジ運が悪い僕が今回は奇跡的にも、競争率の高い
特別鑑賞席をゲット出来たのですから、喜びもあったのですが、
それと同時に、「この運を1人占めせずに、親しい人たちにお福分けしよう。」と
もう1席分(合計2席ゲット出来たので。)は、
お子さんが毎年、この浅草サンバカーニバルに出場されている
東京在住で個人的に知り合いのお母さんを、ご招待しようかと考えているところです。

いくら身内がサンバカーニバルに出演していたとしても、
その関係者が特別待遇されることは一切なく、一般の人と同じように
朝早くから沿道の場所取りなどをして応援するか、
はたまた実行委員会の抽選に応募したり、自ら旅行会社のツアーに申し込んで
特別鑑賞席を確保するかのどちらかなので、その知り合いのお母さんにとってみれば
好都合だと思ったからです。

ちょうど1ヶ月後、今回、沖縄からは宮城姉妹のお2人
この浅草サンバカーニバルに出場予定なので、僕も今から浅草行きを
とても楽しみにしています。

さて、昨日のブログでは、このような見えない運というか、
人生の運勢の流れを良くするために、受け取るものは素直に受け取り、
適度に何かしらの形で還元すると、
その人の運勢というものは、おおよそにして良くなるものだ・・・ということを
お伝えしました。

*「運勢を良くする人付き合いとは。~適度に受け取り、適度に還元する~」

よく、スピリチュアリズムの観点から、この人生の運の良し悪しを判断するために、
一般的に知られている言葉として使われるのが、
正負の法則とか、負の先払いという概念です。

*「負の先払いとは・・・。」

「何かを得れば、何かを失うのがこの世の常であり、その人の人生のバランスでもある。」という
大局的な人生の捉え方にもなっており、このブログでも時々そのことをご紹介していますが、
どうしても世間一般のイメージとしては、あまり良くない部分だけが
一人歩きしているような気がしてなりません。

「何かを得れば、何かを失う。」という言葉の順番配置の問題かと思いますが、
逆に考えてみれば、「何かを失えば、何かを得る。」でもあるのです。

その順番に優劣なんて何もなくて、要するにその人の人生の捉え方次第で
いかようにでも明るく発展的なものに変えられるものなのです。

「何かを失ったのであれば、これからいくらでも何かしらの喜びや幸せを感じる人や
出来事に出会うチャンスがあるかも知れない。」

「何かを得たのであれば、その喜びを噛みしめながらも、それを少しでも
関係のある人たちと共有できるようにしたら、その喜びが増幅するものでもある。」

このように捉えることが出来れば、負の先払い、正負の法則といった
言葉の魔術、負の側面だけを恐れて生きるような不細工な真似はしないと思うのです。

僕自身も、ほんの少し自分の身の丈にそぐわない運をもらったな・・・と感じた際は、
今回のように、それを自分なりに素直に受け取りながら、
その喜びや明るいエネルギーを共有できる人たちに還元できる部分はないかな・・・と
同時に考える習慣が身についています。

ここも動機が大切で、「私が全て良い運を1人で引き受けてしまうと、
あとからしっぺ返しが来るかもしれないから。」という不安や恐れ、
無意識の打算的な考えから、そのような好意を施すのと、
前述したような素直な動機から、何かしらの人のためになる行動を起こすのとでは
その後の結果は全く違うものになってしまうことでしょう。

「情けは人の為ならず」とよく言われていますが、
だからと言って、あまりにも打算的にそれらを考えて行動に移してしまうと、
その情けと呼ばれる良い運気は自分の元に戻ってくることはなく、
全く別のところへ逃げていってしまうものだ・・・ということも、
しっかりと理解しておかなければいけません。

何よりも本人の心の動機が大切だということをお忘れなく。

随分昔の話になりますが、
僕自身、高校時代の成績を維持することに関して随分、苦労した記憶があります。

そのことは約9年前の琉球放送時代のブログでご紹介しているのですが、
それは成績が悪かった・・・という話ではなく、その逆の話なのです。

*「成績だけを見ると立派でしたが・・・。」

一度、成績で学年のトップになってしまうと、
あとは追われる立場になってしまうため、そのプレッシャーや
それらの立場を維持するために相当な努力を続けていかなければなりません。

当時は、良い成績を取ることで、
ただのワガママではない当時の自分の主張を
学校の担任や校長などにハッキリ通すための免罪符にしていた節があるのですが、
その勉強の苦労やプレッシャー、努力の部分が負とするならば、
負に労力を費やしたからこそ、
ようやく、自分の主張を通すことが出来る・・・という正の部分を得られたのであって、
逆に言えば、その正を得るためには、
陰ながら地道にコツコツと努力しないことには、そのバランスが成立しなかったのだから、
ある意味、これも正負の法則、そのままだな・・・と
当時のことを冷静に振り返りながら、そのように感じています。

自分の意見をしっかり通すために、やるべきことをやっておく・・・。

正をしっかり保つために、負の部分である努力を積み重ねておく。

世間では一番になることは、とても素晴らしいことだという価値観がありますが、
一番になったからと言って、全てが幸せという訳ではなく、
それに付随するプレッシャーや努力の量というものも増えてくることになりますので、
やはり、何が良くて何が悪い・・・とは一概に見た目だけでは判断できないのです。

そういう表面的なものに振り回されることなく、
あくまで自分主体で、それらの事象をどのように捉えていくのかで、
正は正となり、負は負となるものなんだな・・・と、
本能的に学習出来たのが、僕の高校時代の貴重な経験だったと感じています。

1学期が学年トップで、そのプレッシャーに負けて2学期は学年3位になり、
その時初めて、「あぁ、僕は一番になるよりも、
トップに立たずに2番手、3番手のほうが、よりラクに生きていけるタイプなんだな。」と
自分の身の丈を知ってリラックスできた時、本当に心の底からの幸せを感じた瞬間でもあったのです。

結果的に3学期は、ヘンなプレッシャーもなく、また学年トップになって
そのお蔭で受験勉強もあまり苦労することなく、
特別推薦で大学にすんなり入ることが出来た経緯があります。

高校生当時、とても尊敬していた英語の先生がいて
この先生は、どんなに成績が良かったとしても、
それだけを見て褒めるような人ではありませんでした。

「大学に合格しました。」と報告したら、
「その陰で不合格になった人たちがいるのだから、あなたが何をやるべきなのか考えなさい。」

「放送局に内定をもらいました。」と報告したら、
「その陰で不合格になった人たちがいるのだから、あなたが何をやるべきなのかを考えなさい。」

常に奢ることなく、浮き立つことなく、
自分が今向き合っている状況、お役目、やるべきことが何なのかを
その報告に喜びながらも、冷静に伝えてくれた恩人でもあります。

多感な時期に、そのような恩人と出会えたことは僕にとっては何よりの財産で、
だからこそ、自分の身の丈がどの程度のものなのかを
常に意識しながら生活させてもらえているのだと思います。

例えば新人時代、僕の仕事の手柄を横取りするような卑怯な人たちがいて
最初はそのことで本当に悔しい想いをしたりしたのですが、
その仕事の手柄を取られて卑怯な人の評価が上がったとしても、
「その会社に入るために、不合格になった人たちがいるのだから、
あなたがそこで何をするべきなのか考えなさい。」という高校時代の恩師の言葉を思い出せば、
個人としてではなく、会社として全体の目的は何なのか・・・を、
ふと考え直す良いキッカケになったり、
そういう辛い想いと経験を重ねた上で、その職場を退社し、
琉球放送で恵まれた人間関係、仕事内容をさせてもらっている時も、
同じような想いで、感謝の気持ちを忘れずに1つ1つのことに集中出来たのは、
全てそのためだと感じています。

正負の法則、負の先払い・・・。

色々な表現があって、色々な解釈の仕方があるのですが、
「何かを失えば、何かを得る。」という捉え方で、
失うものが全て失うものではなくて、それが自らの苦労の部分であったり、
努力の部分であったり、労力をかけた部分であったりする・・・ということを
他の誰でもない自分自身で理解していれば、
それは「失ったもの」ではなく、「負」でもなく、
全て「正」に繋がる、心豊かな生き方に繋がる糧だということが理解出来るのではないでしょうか。

人の運勢というものは、その人の捉え方、考え方、生き方次第で、
本当に良くも、悪くもなるものだと感じています。

何を負と捉え、何を正と捉えるのか。

そしてその負は本当の意味で、大局的に見て「負」なのかどうか・・・。

自分の身の丈に合った生き方を他の誰でもない自分自身で見出すことが出来れば、
もうそれだけで人生の運勢の流れは滞りなく良くなっていくものだと
自らの経験を通して確信をもって、お伝えすることが出来ます。

今向き合っておられる出来事、事象が、
果たして本当に不幸なもので、不幸の種なのかどうか、
今一度、もっと広い視点で見つめ直してみるのもいいかも知れませんよ。


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Posted by 山野本竜規 at 10:58 │心の在り方 (2,645)▼