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半年の区切り、自分の生活にけじめをつける意義。
2015年06月30日
僕自身、ナカトリモチの活動は6月と12月が
1年の中で一番の繁忙期にあたるのですが、
6月の繁忙期は、もう少し引きずりそうで
7月上旬まではイレギュラーな仕事のため、
県内各地をでバタバタ動き回ることになりそうです。
沖縄は連日、真夏のような暑さが続いており、
例年に比べてあまり雨も降らないことから、県外、国外から多くの観光客が訪れ、
既に夏休みのような混雑ぶりで、どこへ行っても多くの人で賑わっています。
僕も色々な仕事のため外へ出かけることがあると、
道の駅や観光施設付近は観光客のレンタカー渋滞のようなものに
巻き込まれてしまうことも多いのですが、
それだけ夏の沖縄というものは、魅力的なのでしょうね。
僕自身、沖縄で生活していて、例え仕事だったとしても、
その仕事先の行き帰りに出会える夏の海の色と空の色を眺めていると
それだけで心が洗われるような、全ての疲れが吹き飛ぶような感覚になり、
沖縄で生活している喜びを、その都度実感する繰り返しです。
陸で繋がっている本土であれば、
車で走っていてもなかなか海に辿り着けないということもよくあることですが、
小さな島である沖縄では、車で外出すれば、
必ずどこからでも海に触れる機会があるというか、海という存在が
すぐ近くに感じられるので、海が大好きな僕にとっては
これ以上、居心地の良い環境はありません。
夏には夏の良さが、それ以外の季節にはそれ以外の季節の良さ、
海の色、自然の表情があり、
それに加えて、本土に出張に行けば適度に四季の移り変わりを
しっかり感じることが出来るので、日本という国は
そのような意味でも、しっかりと区切りや覚悟、その都度その都度
色々なけじめをつけやすいエネルギーに満ち溢れていると感じています。
勿論、海外にも四季のある国や地域は存在しますが、
日本ほど明確に、その季節ごとの風習や区切り、切り替えを
しっかり意識して大切にしながら生活している人たちが多い国は、存在しないと思います。
こういうメリハリのある1年の流れは僕自身の性格にはピッタリ合っていて、
常にダラダラ動き続けるような生き方ではなく、
動く時は動いて、働く時はしっかり働く。
休む時は、しっかりと休んで英気を養って、また動く、働く時期に備えておく・・・という
自分の中でのメリハリ、区切りをとても大切にしています。
先日のブログでも少しご紹介しましたが、
12月の大掃除や、1年の区切りはしっかりと意識して動くことはあったとしても、
半年の区切りである6月の大掃除や、気持ちの切り替えは
なかなか意識しづらいものです。
ですが、自分の中で期間の区切りを意識する、切り替わりを意識する・・・ということは
それは期間や時間の区切りの意識だけではなく、
自分自身の人生に対するけじめであったり、覚悟のような
エネルギーの区切りにも繋がります。
同じ1年を過ごしていたとしても、その都度その都度、自分の立ち位置を確認しながら
自分の足跡をしっかり感じながら前に進んでいくのと、
ただ闇雲にだらだら過ごしながら1年を過ごしていくのとでは、
本人の中での毎日、毎日の充実度は絶対に違ってくるものですし、
その積み重ねは、必ずその人の運勢を良くも、悪くもしていくものだと感じています。
もうこのブログでは耳にタコが出来るくらい、しつこいほどお伝えしているのですが、
そのためには、遠い先を見過ぎず、過去の出来事だけに囚われず、
今という時間にしっかり集中しながら、今、最大限出来ること、
今、この場で命が終わったとしても、それでも後悔しないくらい
自分の中での精一杯、心を込めて淡々と目の前のことに向き合う姿勢で
1日、1日を過ごしていく積み重ねが絶対に必要です。
逆に言えば、これさえ忠実に守って淡々と続けていれば、
人は大きく道を外れることも、自分自身の軸がブレて右往左往することも、
表面的な悩みに囚われて必要以上にウジウジクヨクヨ悩み続けることもなくなります。
もう1つの解釈をするとすれば、
自分の本分から外れてしまうのも、自分自身の軸がブレて右往左往してしまうのも、
表面的な悩みに囚われて必要以上にウジウジクヨクヨ悩み続けるのも、
全て、今に集中していないからであり、今という時間が大切だということを
心の底から、しっかりと理解出来ていない証拠でもあります。
「頭では理解しているけれど・・・。」という常套句がありますが、
その「頭」というのは、幽体レベルの思考感情の表面的で薄っぺらいもので
本当にそのことを理解している人たちは、そのような言い訳は一切せず、
とにかく淡々と今という時間、今、向き合っている人、物、仕事、人生に
しっかりと集中して実践を積み重ねていくものです。
ただ、淡々と動けばいいだけ、ただやればいいだけ、ただ進めばいいだけなのに関わらず、
人はあれこれゴチャゴチャと出来ない理由、進めない理由、悩み続ける理由を
自分の内面や外の何か、他の誰かに責任転嫁して
ずっとその場に留まり続けようとする無意識のずる賢さがありますが、
それが「ずる賢いこと」「恥ずべきこと」と自分で認識できる人は、
とても少ないのではないでしょうか。
何度でもお伝えしたくなるのですが、
余計な思考感情、表面的な悩みなんて無視して、情の部分だけに流されず
ただ淡々と動く、淡々と目の前のことに集中する、今という時間に心を込めて
前に進んでいくだけで、おおよその人たちの人生は上向きになるものなのです。
とても簡単なことなのに、それが出来ない・・・。
それがこの世で、人間が複雑で厄介な思考感情だけに支配されて
それに邪魔されながら、翻弄されながら右往左往する仕組みの1つでもあります。
そのシステムが冷静に理解できれば、
たとえ漠然とした将来に対する不安が出てきたとしても、
考え事が出てきたとしても、ウジウジクヨクヨ悩む要素が脳裏をよぎったとしても、
それらを無視して、やるべきことだけに集中する、
今という時間だけに専念できる自分作りが出来てくるものです。
そのために、1つの区切り、メリハリを意識して毎日を過ごす・・・というのは
とても大切なことなのです。
前述したように、
同じ1年を過ごしていたとしても、その都度その都度、自分の中で区切りを設けて、
その立ち位置を確認しながら、自分の足跡をしっかり感じながら前に進んでいくのと、
ただ闇雲にだらだら過ごしながら1年を過ごしていくのとでは、
本人の中での毎日、毎日の充実度は絶対に違ってくるものです。
人は面倒なこと、単調なこと、変化がなさそうな先が見えない単純な作業、仕事、生活が
これから先もずっと続きそうなくらい先が見えない状況と向き合う時、
どうしても、その先の見えない遠い遠いものに意識をもっていかれがちで、
何もしていないうちから疲れてしまったり、ヤル気を失ってしまったりするものです。
でも、その区切りが、たったの1時間、たったの半日、たったの1日であれば、
どんなにグ~タラな人であったとしても、とりあえずは1時間だけでも、
今という時間に向き合って専念して集中して、
今やるべきことをやることは、誰にだって出来るものです。
その1日、1日を毎日積み重ねていく先に、半年間の区切りがあり、1年の区切りがある訳で、
だからこそ、先を見過ぎず、過去を振り返り過ぎず、どちらの時間や出来事にも
心をとらわれ過ぎず、支配され過ぎずに、中立の立場で、
今という時間と向き合うことだけに専念すればいいだけのことなのです。
よく薄っぺらい表面だけで「今という時間が大切。」「いま、ここ。」
「出来ることを精一杯やります。」と口癖のように言っている人たちがいて、
それは一見すると、とても立派な言動のように思えるのですが、
実はそういう人たちに限って、本当の意味で今という時間に集中して
専念出来ている人たちは少ないのです。
「ありがとう」を言えば、幸せになれる・・・と
そこに心もこめず、ただ呪文のようにありがとうを連発する
浅はかな、ありがとう教の人たちと、その本質は何ら変わりありません。
何よりも先ずは、実践すること、動くこと、
そして頭で考え、ウジウジ悩み、立ち止まる暇があるのであれば、
今出来ること、今やるべきことが何であるのか、しっかり感じて
とにかく一歩、一歩、前に進む力がなければ、
それらは全て机上の論理であり、妄想であり、口だけの呪文であり、
何の説得力も、人の心に届くものもなく、全てが空回りするだけだと思います。
半年の区切りというのは、その貴重な貴重な1日、1日を積み重ねてきた集大成であり、
だからこそ、その区切りを大切に、また残り半年の1日、1日を
心を込めて淡々と積み上げ、今という時間に向き合っていく繰り返しでもあります。
もっと言えば、その集大成はこの世を寿命の限り生き抜いて、
あの世に戻る瞬間こそが、本当の集大成でもあるので
そんな先のことを見過ぎても、あまり意味のないことですし、
いつ、この世での寿命がきたとしても、一切後悔がないように、
やはり今という時間に専念することが何よりの心豊かな生き方に繋がっていくのではないでしょうか。
霊的世界の真実、スピリチュアリズムという叡智は、
決して難しいこと、大変なことを人生哲学としてお伝えしているものではなく、
あくまで誰もが簡単に実践できることばかりなのですが、
それでも、その簡単なことが、余計な思考や感情、自分自身のこだわり、悩みなどで
出来ない状況を作ってしまっているのが、運気停滞、自ら人生を停滞させている原因でもあります。
今という時間、今やるべきこと、向き合うべきことにしっかりと専念、集中するためには
余計な悩みは無視する、余計な思考感情は無視する、余計な拘りは無視するのみ。
そして1時間、半日、1日という自分の中で区切りというけじめをつけて、
その都度、その都度、積み上げてきた時間を振り返りながら
心をしっかりこめて向き合えたかどうかを確認する。
遠い未来を見過ぎず、過去の出来事に囚われず、
あくまで淡々と今という立ち位置を意識しながら前に進んでいく・・・。
とても簡単なことですよ。
いよいよ今日でこの1年の半分が終り、1つの区切りとなります。
この1年の前半、どれだけ自分の人生に心を込めることが出来たのか、
それを積み上げることが出来たのか、しっかりと振り返りながらも、
明日から始まる半年を、どのように積み重ねていきたいのか
思いを馳せながら、また1時間、半日、1日と自分の中での区切りとけじめをつけながら
前に進んでいける自分作りをしていきましょう。
自分の顔の表情、雰囲気、生活そのもの、人生そのものは、
全てその人の見えない華として、嘘がつけないくらい、
そっくりそのまま、その人のエネルギーに表れてくるものです。
毎日、毎日、どれだけ心を込めて生きてきたのか、
その方向性が間違っていないかどうか、空回りしていないかどうか、
その都度その都度確認しながら、貴重な1日を積み重ねていければ理想的ですね。
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Posted by 山野本竜規 at 11:07
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