山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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時には空気を読まない、KYになる勇気を。~続・デスノートのすすめ~

2015年04月26日

時には空気を読まない、KYになる勇気を。~続・デスノートのすすめ~突然ですが僕は飛行機の上から眺める真っ青の空と
真っ白の雲のコントラストが大好きで
もう数え切れない位、飽きるほど飛行機に乗っているにも
関わらず、それでも懲りずに窓の外の景色を眺めては
それらの風景に心躍る感覚になるので、
ここまで来れば、もう一種のマニアの域でしょうね(笑)。

真っ青の青空と、真っ白の雲のコントラストが何故空きなのかというと、
勿論、真っ青の青空だけでも、真っ白の雲だけでも綺麗だとは感じるのですが、
この2つがあってこそ、全く異なる2つの色が混ざり合っているからこそ、
より良い色彩を放っているような気がしてなりません。

単刀直入に言えば、この世の縮図を表現しているようで、
それをダイレクトに教えてくれているようで大好きなのです。

人間の心の中にも、真っ青で清々しい青空のような部分と、
どことなく雲って先が見えないもどかしいモヤモヤした部分、
その雲の下には、どんよりと曇った悲しみや怒り、寂しさなどの陰の部分があり、
僕が感じる「良い人」の基準は、
全て100%ではないけれど、清々しい青空の部分の割合が多い人のことを指しています。

人間ですから、青空のような清々しい、明るく発展的な生き方や
考え方、向き合い方の実践を重ねている部分と、
他人やその他の出来事、物事に対する理不尽さ、残念な気持ち、
嫌な感情など、両方を兼ね備えているのが普通です。

特に全く生き方も考え方も価値観も違う他人に対して、
良い感情ならまだしも、一度悪い感情を抱いてしまうと
その人のことを受け入れようとするまでには、かなりの時間がかかったり
一生涯、受け入れられず距離を保ったまま・・・ということもよくあります。

道徳観、倫理観が高く、協調性や和を重んじる日本人は、
特に周囲との調和を乱す考え方、行動を「悪」とし、
なるべく自分を抑えて、我慢して、良い人だけを演じ続けることを「善」と決めて、
なるべく、そのような生き方をするように無言のプレッシャーを掛け続ける、
その無言のプレッシャーの中で日々生活しているのが、
今の僕たちの生活そのものです。

それは常識的に考えても、またスピリチュアリズムという側面から捉えても
本当に大切なことで、ある程度の協調性、和を重んじる生き方は
絶対に必要な部分なのですが、これもバランス感覚の問題で、
それがあまりにも度を過ぎると、やはりその人自身が幸せではなくなる
ベクトルに傾いてしまうこともよくあることなのです。

それが、今日のブログのタイトルでもある、
時には空気を敢えて読まない、敢えてKYになる勇気を持つ大切さに繋がってくるのです。

過去のブログに同じようなタイトルで、同じような内容で
時には言葉や気持ちの浄化をしながら、健全な状態を保つように心がけましょう・・・という日記を
ご紹介したことがあるのですが、
こういう内容のことって、本当に普段から人一倍周囲に気を遣って、
仕事も人生も頑張り過ぎている純粋な人にこそ、お勧めしたい方法の1つでもあります。

*「言葉と感情の浄化。~デスノートのすすめ~」
*「この世は遠慮なんてしてられない。~ポルトガル版サッチーから学ぶ姿勢~」
*「自分で人生のルールを決めていく大切さ。」

基本的に僕の周囲で仲良くしてくれる心友たちは、
心の底から優しくて、本当に恐縮するくらい「良い人」ばかりです。

いつでも、どこでも言いたい放題、性格ブスだの、人生が欲求不満で不細工な人など、
それこそ直球で残念な人たちのことを表現する僕とは違って
皆、とても穏やかで優しく、そんな毒がある僕ですら
おおらかに見守ってくれる人たちばかりです。

僕はそういう心ある良い人たちにしっかり支えてもらいながら
自分自身を貫いて生きていける側面があるので、
周囲の親しい人たちには心の底から感謝しており、
その分、自分が出来る自分なりの恩返しは何があるのか、
しっかり考えるキッカケにもなるのです。

でも不器用な僕が出来ることって本当に限られていて、
霊的世界の真実、人間が人間としてより清々しく、健全に生きるための
霊的世界の叡智を自分の生き方を通して、発言を通して、
表現を通してお届けしていくのみです。

その中の1つに、心の底から尊敬する良い人たちが
なかなか出来辛い、実践することに勇気が要る
「本当の自分の感情を見つめ、受け止めて、消化・浄化をしていく」という作業が含まれています。

要するに、敢えて空気を読み過ぎない、
仮に空気を読み取ったとしても、敢えて自ら動かない訓練です(笑)。

元来、周囲の空気を読み取ることがニガテで、傍若無人なKYな人であれば
大喜びしそうな内容ですが、そういう人は、
むしろしっかり空気を読む訓練をしなければいけませんので
全ての人に当てはまることではありません。

いつも自分の人生に直向きに向き合い、
なるべく自分の過酷な宿命や、これまでの人生の流れを受け止め、
周囲にいる傍若無人な人たちの振る舞いにも
なんとか割り切りながら向き合おうと、
なるべく笑顔で明るく発展的に生きていこうと純粋に前を向いて
努力するような心ある優しい人たちにこそ、
敢えて空気を読まない、読んだとしても手出しをしない、
そして自分の気持ちを最優先させることを実践して欲しいのです。

僕の人生で言えば、
もともとは放送局のアナウンサー、そして神社神職。

どちらの仕事にも共通するのは、普通の人以上に
自分を律して、周囲が求める清潔で純粋で信頼感のある人物像に近づけるかどうかを
演じる技術だったと思っています。

勿論、それらが全てではありませんが、
もしアナウンサーが「バカ」とポロっと発言しようものなら
「あなたはアナウンサーなのに!」と一気に周囲から批判が殺到することでしょう。

神社神職でも然りで、
いつも穏やかで聖人君主のような存在感を求められ、またはそれを演じることを
周囲から無言のプレッシャーのように求められていますが、
ハッキリ言って、そんなパーフェクトな人間がこの世に存在するのであれば
僕たちがわざわざあの世から人間として生まれてくることはありません。

アナウンサーの世界にも、神社神職の世界にも、
どうしようもなく底意地が悪くて、陰では言葉使いや態度や生き方が悪くて
本当に大嫌いになるほど人間的にダメな人なんて、いくらでも存在しますし、
組織である以上、いじめや仲間はずれ、他人を蹴落としたりすることなんて
日常茶飯事です。

そんなこと、心のどこかで誰もが理解しているはずなのに、
現実逃避をしたいがために、またはそういう事実から目を逸らしたいがために、
そのような職業の立場の人には、「そうであって欲しくない。」という
理想や幻想を一方的におしつけ、求めてしまうのも、これまた世の常。

そういう嘘をついて演じ続けることが全く苦にならない人であれば、
それこそそういう職業は天職かも知れませんが、
僕にとって、そういう意味のないことを続けることは
苦痛意外何物でもなかったので、アナウンサー時代から
嫌なものは嫌、ダメなものはダメ、間違っていることは間違っている、
だけど、好きなものは好きだし、良いものは良い、正しいことは正しいと
全て世間が求める基準ではなくて、自分がどのように感じるのかを
表現し続けてきた結果、今の僕の人生に繋がっています。

僕はナカトリモチ、神社神職という、誰もが聖人君主的な、
言動も立派でどのような人でもおおらかに受け止めて
いつでも、どこでもニコニコしているような人物像を、
本当に都合よく勝手に求められることも多いのですが、
このブログをご覧下さっている方であれば、ご存知の通り、
そのような人物像とは全く正反対です。

それは世間一般が勝手に決め付けて、無意識のうちに
勝手なイメージや幻想を作り出し、押し付けている人物像であって、
僕が求める生き方とは全然違う方向性であり、
何より自分の心にまで嘘をついて生きていくことが
他の誰よりも自分にとって不幸せである事実に気づいているために
敢えて空気を読まない、周囲の反応に過敏にならない、
自分らしい生き方を追求する道を一生涯の覚悟を持って生きているだけのこと。

もう、これだけで十分に幸せです。

僕の周囲にいてくれる良い人たち、はたまたこの世でも数は少ないのですが
本当に純粋で直向きに自分の人生を頑張っている良い人たちは、
もうそれだけで十分、周囲の人に対して社会貢献をしているようなものです。

だからこそ、時には自分の感情を素直に認め、
せめて1人の時や、心許せる人といる時くらいは
KYになる勇気をもってもいいのではないでしょうか・・・。

良い人にとっては、とても難しい課題の1つであり、
そのために、人の目に触れないデスノートをお勧めしています。

本来、人間であれば誰もが感じているはずの、純粋な気持ち。

「あの人に腹が立った。悔しい、悲しい。」から、
「出来ればいなくなって欲しい。」など、
協調性のある大人であれば絶対に言ってはいけないと感じる感情や言葉を
敢えて文字として表現してみるのです。

誰に見せるわけでもなく、自分1人と向き合うための感情ノート。

そのうち言葉や文章を書いていると、
最初は罵詈雑言や感情のみが出てくるのですが、
徐々に何故、それが嫌なのか、何故、悲しくなるのか・・・と
もっともっと自分の内面に深く深く問いかけていく深みのあるものに
変わっていくキッカケが出来るものです。

デスノートの目的は、ただ感情の吐き捨てをするだけではなく、
自分の内面に、他の誰でもない自分自身でアプローチして
セルフカウンセリングをするための側面が強いと感じています。

そのうち、その習慣が出来てしまえば、
デスノートを用いなくても、自分の中で問いかけ、自分の中で浄化、消化し、
清々しいものだけに目を向けて、発展的に生きていけるようになります。

要するに、心も体も清々しい健全な状態で
日々の生活を送ることが出来るようになってくるのです。

自分の人生には嘘をつかない・・・。

これは僕がナカトリモチとして生きていく上で一番大切にしている部分なのですが、
だからこそ健全でハッキリと、自分を媒体として、
霊的世界に捧げることが出来るのだと感じています。

他の誰でもない自分自身が本当の意味で充実し、満たされていなければ
ほかの誰かとかかわることも、何かのお手伝いも、貢献も
本当の意味では絶対に出来ないものです。

先ずは自分のセルフケア、セルフカウンセリングをしっかり実践して
魂が健全な状態をいかにして作り上げていくのかに
意識を向けて生活していけば、おのずと今、自分がやるべきことは
見えてくるのではないかな・・・と感じています。

ふと、飛行機の窓から清々しい青空と、真っ白な雲のコントラストを眺めながら
そのようなことを感じていました。

人間は人間らしく生きていくのが一番です。

無理をせず、だけど努力や工夫は怠らず、
自分らしい生き方を追求していければ理想的ですね。

さっ、僕はこれから東京でのナカトリモチ勉強会の講演です。
今日の東京は朝から清々しい青空が広がっています。

この感覚を大切に、霊的世界から伝えられる色々なメッセージを
お届けしていきたいと思っています。


*お知らせ*
4月26日(日)・東京ナカトリモチ勉強会参加者募集中です。
*5月2日(土)・神戸ナカトリモチ勉強会参加者募集中です。
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