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戦争、平和、本当にその教訓を活かして生きていますか?
2015年03月10日
朝一便で上京し、最終便で沖縄に戻る・・・という繰り返しで
特に晴れている日の朝の楽しみは、
羽田空港に着陸する前に飛行機の窓から見える
関東平野と富士山を眺めることでした。
何度見ても飽きない風景で公私問わず、
上京する際は、この景色がいつも楽しみで仕方ありません。
この風景を見るために、飛行機の座席を事前に予約する際は、
那覇→羽田間は、進行方向左側の窓側、Aの席に座るようにしているほどです(笑)。
街の景色は少しずつ変わっていったとしても、
遠くに見える雄大な富士山だけは全く変わることなく、どっしりと構えて見えるので
大都会の街並みと、自然の力溢れる富士山のコントラストが
個人的にはとても絶妙に感じて、何度でも見たくなる風景なのです。
今からちょうど70年前の3月10日の未明、東京大空襲があり、
東京の街のほとんどが一夜にして焼け野原になりました。
僕はあまり戦争のことについて、
それが地元沖縄の沖縄戦や、その他の地域の空襲のことなどについても
詳しくこのブログでご紹介することはないのですが、
実は特に第二次世界大戦の日本での空襲や沖縄の地上戦のことなどについては
きっと普通の同世代の人たちよりも、かなり詳しく知っているほうだと思っているほど
どういう訳か、小さな子供の頃から、それらに関連する本や映画、テレビ特番などに
興味関心を示して知識を深めていった経緯があります。
何歳の頃からかは、はっきり記憶していないのですが、
少なくとも幼稚園にあがる頃から、幼稚園にあった子供向けの本だった、
上野動物園を舞台にした「かわいそうな象」を始め、色々な本を先生に読んでもらうようになり、
小学1年、2年生くらいからは、それこそ裸足のゲンだとか、対馬丸だとか、ガラスのうさぎなど
戦争体験を記した子供向けの本などを片っ端から読み漁るようになり、
気づけば、第二次世界大戦下の空襲のこととか、
沖縄の地上戦のこととか、原爆のこととか、人がどういう流れで亡くなったのかとか、
当時の暮らしぶりはどのようなものだったのか・・・とか、
小学校低学年の時点で、かなり詳しく調べていた記憶があります。
僕が何故、歴史も本もそこまで好きではなかった子供時代に、
第二次世界大戦下の日本の状況について興味関心があったのか、
それは今となっては究明するのも面倒なので、あまり深くは考えないようにしていますが、
僕は物心ついた頃から夜8時になると、必ず耳鳴りがして、
その直後から2~3分、ザクザクザクザクと綺麗に行進する軍隊の足音のようなものを
当たり前のように毎日聞いていたので、その影響もあるのかな・・・と感じています。
当時住んでいた家の裏山を抜けると小学校があるのですが、
その小学校は昔、第二次世界大戦当時、各地から招集された兵隊さんたちが
それぞれの戦地に送られるための場所だった・・・と随分あとになって聞いたことがあります。
この第二次世界大戦の日本の空襲や沖縄の地上戦に関してだけ
異常なほどの興味関心があって色々調べていた期間は、
僕が12~3歳前後になって、ようやく収まってきたような気がします。
本当に何かしらの熱病にかかったかのように、そのことだけに集中していた
子供時代だった・・・という側面もあったのです。
ただそこで完全にそれらの興味関心が途絶えた訳ではなく、
少し成長してから、自分が生活しているエリアはどうだったのか、
なんとなく調べてみたくなり、時間さえあれば、よく周囲の散策に出かけていたような気がします。
例えば僕が昔暮らしていた東京都文京区という地域は、
70年前の東京大空襲で奇跡的にその戦火を免れたところが多くて
「実際にどこから、どこまでがそのエリアだったのだろうか・・・。」と
フラフラ街を歩いてみたり、
あまり知られていないのですが、東京大空襲では戦火を免れたけれども、
文京区のお隣、台東区の谷中という地域では、
その大空襲の6日前、3月4日に、このエリアだけをB29が集中攻撃をして
かなりの被害が出た谷中の空襲などもあって、
その話を仲が良かった近所のお婆ちゃんやお爺ちゃんたちから詳しく聞いたり・・・と
当時の暮らしぶりや、空襲の様子などの情報が、おのずと耳に入ってくるような状況でもありました。
だから、今でも仕事やプライベートで東京に行くことがあると、
街並みは変わってしまったけれど、
「あぁ、このあたりは、当時強風で焼夷弾の火が早く回った地域だ。」とか、
ちょっと違った視点で、東京の街を散策することがあります。
こういうことって、ほとんど口にすることもなければ、
たとえ親しい人だったとしても、僕自身、話すことでもないので
自分1人だけで、そのような感覚、視点で街の散策をしています。
実は沖縄でも全く同じで、僕は沖縄出身ではありませんが、
多分、少なくとも同年代の沖縄の人たちよりも、かなり詳しく、
地理的な被害状況とか、どのような戦跡があるのか・・・などを
少しずつ少しずつ調べたり、聞いたりして、自分の心の引き出しに溜め込んでいる部分もあります。
1つは、その他の地域と同じように、昔から興味関心があったことと、
もう1つは、特に沖縄の場合は、その戦跡あたりが
ユタや霊感があると自称している人たちにとっての鬼門であったり、
「あそこには近づくな。」などと騒ぎ立てていることが多く、
周囲の人たちを必要以上に困らせたりする問題が多くあるので、
それを実際に自分の目で肌でエネルギーで感じて、白か黒かを見定めるという目的もあります。
日本で唯一の地上戦が繰り広げられた沖縄だからこそ、
また本土とは違った特別な感情、想いがエネルギーの記憶として
残されていると思うのですが、
霊的世界の視点、そして実際に僕自身が霊視を通して感じるのは、
そのような戦跡には、現時点で、すでに戦争で亡くなった人たちの魂はほとんどおらず、
皆、しっかりと霊的世界へと魂の浄化のために向かっている状態です。
それを過去の歴史だけ見て、「あそこは多くの人が死んだから、良くない場所」とか、
「あの辺りは今でも戦死者の骨が出るから良くない」だとか、
表面的なことだけで、人を怖がらせてしまう中途半端なユタやカミンチュ、
自称、霊感が強いと悩みながら自慢げに中途半端に霊感があることをほのめかす輩など
本当にいい加減なことばかりを広めているのが現状でもあるので、
それを1つ1つ覆していくのが、今の僕の仕事の一部となっています。
時々、沖縄でも小さな子供が「あっ、あそこに兵隊さんがいる!」とか、
誰もいない方向を指さして、大人たちが怖がる・・・という話を今でも聞きますが、
それは幽霊、つまりは戦争で亡くなった未浄化霊ではなく、
土地の歴史の記憶として残ってしまった残像のようなエネルギー体であり、
これは霊ではないので、怖がる必要も全くないのです。
このように、小さなお子さんは別にして、
見える、聞こえる、感じる、その対象物はすべて未浄化霊と
中途半端に認識している中途半端な人たちが多いのですが、
それが土地の歴史の記憶の残像からくるエネルギーなのか、
それとも本当に未練を断ち切れずに留まっている未浄化霊なのか・・・。
こういう基本的なことすら理解できずに、
見えた、聞こえた、感じた・・・と中途半端に口に出して騒ぎ立てる輩が
沖縄には、あまりにも多すぎるのです。
ほんっと、余計なことは一切言わず、口チャックしろ・・・と、いつも腹立たしく感じます。
ちなみに、現役で活動している霊能者の中でも、
この違いが分かる人はまず、ほとんどいないと思います。
何故なら、そういう知識がなく、感じる体験もなく、
見えたもの、聞こえたもの、感じっとったものはすべて
霊魂、未浄化霊などの類だ・・・というくらいの知識しか持ち合わせていませんから。
それがただの土地の記憶の残像なのか、
それとも、本当の未浄化霊なのか、はたまた、
それ以外の理由(ここでは専門的な話になるので詳しくは説明しません)なのか、
それらをしっかり冷静に判断して、感じて、見分けて
自分の中に落とし込んでからこそ、第三者にそれらを伝えるのが
僕たちのお役目なのです。
それすら出来ない人たちが中途半端に何かを伝えるのは
僕からすると詐欺師そのものだと思っていますので、
このあたりの知識の普及も、これから少しずつしていかなければいけないな・・・と思っています。
閑話休題。
話を戦跡に戻すと、
第二次世界大戦だけではなく、これまでの歴史を振り返っていたら、
日本という狭い国土の中で、長年、どれだけの人が亡くなっているのか・・・。
そんなことを、いちいち気にしていたら、どこにも住むことなんて出来ません。
実際、僕が最初に沖縄に移住してきた時に住んでいたマンションは、
那覇市内でも沖縄の地上戦で特に激戦地だったと言われていたところで、
近所には慰霊碑や、火炎放射器で焼かれた壕の入り口が
未だにしっかりと残っているほどの地域でした。
きっとマンションの下には、まだ多くのお骨が埋まっていると思うのですが、
だからと言って、僕自身、何か不幸なことが起こったり、
怪奇現象が起こったり、心身の不調があったりしたことは一切ありませんでした。
それは東京でも同じで、たとえ大空襲で多くの方が亡くなってしまった地域だったとしても、
この70年間、どれだけ多くの人たちが、その犠牲者に対して
鎮魂の祈りを捧げて、平和への想いを誓ってこられたのか・・・。
その積み重ね、祈りのエネルギーというものは、
時間が経てば経つほど、しっかりと故人たちに届くものなので、
戦争の記憶の風化は絶対にあってはならないことだと思いますが、
現段階で、ほとんどの戦死者の魂は、
しっかり浄化されて霊的世界にたどり着いているものなのですよ。
僕はあまり人には言いませんでしたが、
このようにかなり第二次世界大戦下における日本の空襲の状況とか、
沖縄戦のことについて子供の頃から興味関心があり、
それを人知れず自分だけの興味関心事として向き合ってきたのですが、
これが良い方向で自分自身を成長させてくれたのが、
「この戦争の時代に比べれば・・・。」という自分なりの物差し、
生きる価値観の基準を子供の時代からしっかり築かせてもらえた・・・という部分です。
たとえ貧乏をしていたとしても、電気、ガスが止められるような生活だったとしても、
必要最低限の衣食住は整っている。
子供ながらに辛いし、悲しいし、泣きたくなるのだけれど、
でも、戦争を体験している子供たちに比べたら、今の大変さなんて
全然問題ないじゃないか・・・と。
小学生だった僕の基準は、常にそこにあって、
たとえ大変だったとしても、辛かったとしても、本当に嫌で嫌で仕方なかったとしても、
戦争を体験した人たちの生活に比べれば、どれだけ恵まれている生活なのか・・・と、
子供の頃から常に考える基準が出来てしまったのです。
だから、今でも全く同じです。
時代が変わろうが、人間が生きていく上での人の悩みや苦しみの本質は、
さほど変わるものではないけれど、
それでも、明日をもしれない命と向き合いながら、
いくら生きたいと願っても生きられなかった人生を送った人たちに比べれば、
自分はいかに恵まれていて、自由に人生を築き上げていける幸せを与えられているのか・・・。
僕は戦争を実際に体験した訳でもなく、
先人たちの言葉や本、映画、テレビ番組などでしかそれらを知りませんが、
そういう人たちの犠牲があってこその今の時代なのだと素直に思います。
そこに想いを馳せれば、想像力を働かせれば、
行き詰ったり、人生に絶望したりして「死にたい!」だなんて簡単に口に出せますでしょうか?
わざわざ自ら命を絶たなくても、死なずに生きていく方法はいくらでもあります。
イジメられているのであれば、その環境から逃げればいいだけのことですし、
死ななくても、いくらでも、生き続ける方法はあります。
自分の人生に生きる価値が見出せなくて、生きる価値がない・・・だなんて、
本当に跳び蹴りしたくなるほど情けないことを言う大人も多いのですが、
生きたくても生きられなかった人たちが、ほんの70年前に大勢いたということ、
そのことに少しだけでも想像力を働かせて、その想いを感じてみれば、
小さな殻にこもって自己憐憫に浸ったり、悲劇のヒロイン、ヒーローを演じることに酔うような
馬鹿げた無駄な生き方は絶対にしないはずです。
僕の生きる根本には、子供の頃から人知れず触れてきた、
そういう人間としての尊厳すら失われて生きざるを得なかった、
または生きることも出来なかった先人たちのことについての想いが
しっかりと根付いているので、立ち止まったとき、辛くて大変な時だったとしても、
自分のちっぽけな殻に籠ることが、やはり馬鹿馬鹿しく思えるのです。
想像力を持って生きる・・・ということは、そういうこと。
そして、それを一時的ではなく、毎日のように意識して生活出来ている人というのは、
この世の中で2~3割いれば、良いほうではないかな・・・と思う位、
とても少ない、もっと言えば、現代では難しい生き方なのかも知れません。
ですが、悩んでいる時、辛くてどうしようもない時、消えてしまいたいと思う時、
もう一度、想いを馳せて欲しいのです。
生きたくても生きられなかった人たちが、ほんの少し前の時代に
大勢いた・・・ということを。
特に沖縄で戦争の話題を出すと、中途半端に感情的になる人たちも多くて、
(本当に中途半端に感情的になる自分の人生に欲求不満な人が多いんです。)
中途半端な平和主義者や、それらの活動家などが
コンタクトをとってこようとすることが増えてくるような面倒なことになりますし、
僕はそういう活動自体、個人的には好きではありません。
本当に平和を訴えるのなら、まずは自分の心が平和であるべきだし、
自分の人生が満たされていない過激な行動を取る人たちが、
いくら過激に「平和!」だの「安全!」だの訴えたところで、
全くもって説得力がありませんから。
平和を祈り、願うのであれば、ギャーギャー騒ぎ立てなくても、
それは全てその人の生き様で、自分なりの人生を平和にして表に示せばいいだけのこと。
平和や安全を声高に訴える割には、それを実践として生き様として
示して生きているような人は、意外に少ないものですし、
本当にその真意を理解している聡明で幸せな人たちというのは、
黙って静かに、平和に感謝しながら自分の人生を謳歌しているものです。
そのような厄介な理由から、
僕自身、子供時代からの自分の興味関心事については
これまで公にすることは少なかったのですが、
今の世の中を生きている僕たちは、その事実をしっかりと受け止め、
感情ではなく、理性で、そこから何を学ぶべきなのかを自分なりに考えていくには
ちょうどよい機会かも知れません。
今年で戦後70年。
あの時代に比べれば、僕たちは既に平和な国で暮らしているし、
豊かで恵まれた環境で、自分の人生を自由に生きていける選択肢が用意されているのです。
その有難さに気づけない人たちは、いつまで経っても、
ことあるごとに、何かしらに不満を抱え、不安定なままの人生を送ることでしょう。
僕はそういう生き方をする人たちとは交わりようがありませんから、
やはり、自分なりの生き様を大切にして、
目の前にある大切な1日1日と、しっかり向き合って
心豊かに生きていきたいな・・・と強く感じながら日々を過ごしています。
あなたにとっての人生の基準、価値観はどこにあるのか、
今一度、しっかり感じられてみるのもいいかも知れませんね。
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Posted by 山野本竜規 at 11:45
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