山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
てぃーだブログ › 山野本竜規の続・ナカトリモチ日記 › 心の在り方 (2,645)▼ › 人の幸せ、不幸は全て生き様に表れる。~ひと手間をかける大切さ~
2024年6月9日(日)、5年ぶりの福岡ナカトリモチ勉強会を開催します。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付中です。                     

人の幸せ、不幸は全て生き様に表れる。~ひと手間をかける大切さ~

2015年01月12日

人の幸せ、不幸は全て生き様に表れる。~ひと手間をかける大切さ~ 人の幸せ、不幸は全て生き様に表れる。~ひと手間をかける大切さ~

ハンガリーの首都・ブダペスト滞在で僕がお世話になっているホテルは、
ドイツ・フランクフルト発着の格安パッケージツアーで
航空券と宿代(朝食含む)込み6泊で、約4万2千円でした。

日本の国内旅行でももっと高くなるはずなので
この値段がいかにお得なのか想像に難くないと思います。

格安パッケージなので、ホテルも全く期待していなかったのですが、
部屋には大きなピアノなどが飾ってあるクラシックなものでしたし、
温泉や大きな市場がすぐ近くにあるし、
目の前はトラムが走っていて移動も便利だし・・・ということで
某家具屋さんのCMではありませんが、本当にお値段以上の価値があって大満足しています。

ホテルというよりは、とてもこじんまりとした
ヨーロッパによくありがちな古い一軒家のアパートメントを、
そっくりそのまま改装してホテルにしました・・・というような感覚の宿なのですが、
その分、受付スタッフもいつも同じ人でアットホーム、
ささやかながら、朝食も用意されていて、とても微笑ましい気持ちになります。

大型ホテルではない、ヨーロッパの普通の宿は、
おおよそ、このような感じで、
朝食は、チーズやハム、サラミなどと、ほんの少しの野菜、
ヨーグルト、シリアルに加えて、パンが10種類ほど・・・という簡単なものです。

ハンガリーはサラミが有名なので、
油ギトギトしていますが、やはり美味しく、食べ過ぎないように
少しずつつまみながら楽しんでいます。

日本人からしてみると、野菜の品数、量が圧倒的に少なく、
それに困る・・・という人も多いのですが、
これはこちらの食文化なので仕方なく受け入れて、
足りない分は、スーパーなどでパック売りされているサラダを購入して
食物繊維不足を補うしか方法がありません。

僕自身もビタミン類のサプリメント、
そしてスーパーで売られていたサラダパックを購入して
なんとか食物繊維不足を補っています。

あと、ふんだんにサラダが食べられる航空会社のラウンジや、
ブッフェ形式のお店などでは、ここぞとばかりに、
草食動物のようにたっぷり野菜を食べてから
他のものを戴く・・・という方法で乗り切っています(笑)

これも加齢の影響だと思うのですが、
こういう意識は20代の頃なんて全くなく好きなものを好きなだけ食べるような生活が、
やはり30代になってくると、僕の場合は辛いものが一切ダメになったり、
霜降りの肉よりは、完全に赤身肉が大好物になったり・・・と、
食べ物の好みも全く変わってくるようになるので
その変化には素直に従うしかありませんよね。

ただ、オーストラリアで生活している時に、
ほぼ欧米人の食文化の中に溶け込んで集団生活を送っていたので、
欧米式の朝食というものに、随分抵抗なく付き合えるようになったと感じています。

人の幸せ、不幸は全て生き様に表れる。~ひと手間をかける大切さ~ 人の幸せ、不幸は全て生き様に表れる。~ひと手間をかける大切さ~

実は今回、滞在しているホテル、全てが粋で
スタッフの人たちもすごく良い感じなのですが、
それに拍車をかけるように朝食の時にも、「おっ、おぬし、なかなかやりよるのう!」と
心の中で拍手喝采してしまうほどの、
あまり多くの人が気づかないことに、僕は気づいてしまったのです。

上2つの写真の中に、そのヒントが隠されていますが、
一体、何だかお分かりになりますでしょうか・・・。

普段から自分で料理をする人だったら、なんとなく理解できる部分だと思います。
注目すべきは、ゆで卵・・・ではなく、その殻(笑)。

料理上手な方は、更に上級なゆで卵の作り方、殻の剥き方を
沢山知っておられるのですが、
一般的に、ゆで卵というものは、ちょっと手間をかけるだけで
殻を剥くときに、ポロポロにはならず、ざっくりとストレスなく剥けるようになるのです。

よく知られているのは、水の状態から卵を入れるのではなく、
沸騰したお湯の状態から卵を投入する方法。

さらにそこにお酢を入れたり、
お湯に入れる前に画鋲などで小さな穴をあけておくとか、
茹で上がったら、すぐに冷水に浸す・・・など、
ほんの少しの手間をかけるだけで、かなりその差が違ってくるのです。

ここのホテルの朝食で、毎朝必ずゆで卵を戴いていますが、
これが毎日、本当に絶妙な殻の剥け具合で
「きっとスタッフの方が面倒臭がらず、ひと手間かけてくれているのだろうな。」と
密かに感動していたら、ちょうどゆで卵を運んでくる
調理担当の若いお兄さんと遭遇したので、
「ゆで卵、最高だね!」とその旨を本人に伝えたのです。

すると、そのお兄さんがかなり驚いた様子で、
「なんで、そういう手間をかけていることを知っているの?
全体の料理の雰囲気を褒めてくれる人は、ごく稀にいるけれど、
そのような見えない部分まで褒めてくれる人は初めて会ったよ。
実はゆで卵に一番、手間かけているんだけど、誰も気づいてくれなくて・・・。」と
本当に嬉しそうに、何度も何度も握手を求めてこられたほど、
そのお兄さん、顔を真っ赤にして大興奮して喜んでくれました。

僕もオーストラリアで集団生活を送ることがなければ、
この人知れずひと手間を掛けている労力には
決して気づかなかったことでしょう。

当時、僕は常時30人分、多いときで100人超えの調理担当をすることが多く、
朝食の準備では、常時50個前後、多いときで150個以上の
ゆで卵の準備をしなければいけませんでした。

自分1人や家族用のゆで卵なら、別にそこまで手間をかけなくてもよいのですが、
少なくともゲスト用に作る際は、どうしてもゆで卵の殻を剥きやすく
ひと手間をかけておいたほうがいい・・・と感じて、
僕が朝食担当の時は、普通の人が担当する時よりも
30分ほど早く起きて、調理場に立つようにしていました。

そんなところに手間をかけなれば、
大人数のゆで卵なので、沸騰していない水の状態から卵を投入して
適当な時間にお湯から出して、そのまま容器に移せば良いだけで、
おおよその大雑把な外国人たちは、これで良し・・・だったのです。

ただ、やはり、そういうゆで卵って、硬すぎて不味いし、
殻は最悪に剥き辛くてポロポロ崩れるし、何より、
そこには食べる人への愛情もへったくれも何も感じるものがなく、
「あぁ、僕は絶対にこういう無頓着な感性だけにはなりたくないな。」と
毎日、毎日、強く実感した記憶があります。

たった30分でも早く起きなければいけない、
それがほぼ毎日となると、人はどうしてもラクなほう、ラクなほうに
流されてしまうものです。

それが自分だけならまだしも、
多くの人が関わることになってくるのであれば、
その影響は良くも悪くも周囲に波及していくものであり、
その重要性、大切さに気づけないような感性の持ち主であれば、
たとえそれがどのような道に進む人であったとしても、その道で
自分なりの本分やお役目、最終的には本人自身の人生そのものを
心の底から大満足して満喫することが出来るとは、到底思えないのです。

僕はこのブログの文章を、日本だろうが、海外からであろうが、
環境、時差、仕事をしている時、していない時など全く関係なく、
普通に当たり前のように何事もなかったかのように毎日、淡々と更新し続けています。

しかも読むほうが疲れる位、長い長い内容で綴り続けているのは、
そのひと手間の結晶でもあります。

つぶやき程度の拙い文章のブログなら
僕にとっては自分の手書きの日記帳に書けば十分なくらいで、
その意味すらありませんから。

これを20年以上続けている上、それは誰のためのひと手間なのかと言えば、
他の誰でもない自分自身の人生に対するひと手間でもあるのです。

このブログでは随分昔から同じことを伝えているつもりですが、
誰からも強制はされないけれど、
誰からも評価されるようなことではない、誰からも気づいてもらえない
人知れずコツコツと続ける地味な作業というものは、誰だって嫌がります。

しかし、そこに流されずに、ひと手間をかけるということは、
要するに他の誰からの評価でもない、
自分自身の信条、信念を大切にして丁寧に生きていく・・・という
潔い強さと本物の覚悟がないと成り立たないものなので、
僕は、こういう感性を持っている人たちは、年齢性別問わず理屈抜きに、
「いい生き方をしているな。」と感じてしまいます。

その自分自身に対する、ひと手間は、
人によって様々で、それが間違った方向性になってしまえば
本人の人生を見失ってしまうものです。

こういう自分なりの人生に対するひと手間は、
他の誰かの真似事をするのではなく、自分自身の中でしっかり見出して
作り上げていくものであり、
そのためには自分の才覚や立ち位置、心を注ぐべきことを
しっかりと自分で理解できていることが最低条件でもあります。

身の丈を知った上での、人生のひと手間、
自分に対するひと手間の積み重ねは
直接、それがそっくりそのまま心豊かな生き方へと繋がっていくものです。

そして、一番大切なことは、そういうひと手間を
誰かに分かってもらおう、気づいてもらおう、認めてもらおう・・・とする
無意識のうちに抱いてしまう周囲に対する執着心や依存心を持たないことです。

何故なら、どのようなことでも、ひと手間をかけるという作業、生き方は、
もともと人目に触れるものでも、気づいてもらうものでも、認めてもらうものでもなく、
それが世の常だという冷静な判断と覚悟の上での実践の積み重ねがなければ、
本当の道なんて追求出来ないからです。

そこに期待をすると、厄介で無意識な依存心から、
「なんで気づいてくれないの!」「あの人に否定された!」「裏切られた!」
「こんなに頑張っているのに、誰も認めてくれない!」などと
本当に勝手な被害者意識を一方的に抱いて生きていくような
不細工な生き方になってしまい、僕はそうやって自分の本分から道を外して
迷走してしまう人たちを嫌というほど見てきました。

*「裏切る、裏切られた。~そもそもその発想自体が間違っています~」

やっぱり僕はそういう不細工な生き方は理屈抜きに嫌ですし、
そういう人たちとはプライベートで関わるつもりは一切ありません。

ちなみに、それとは間逆の生き方をしているであろう
件のホテルの朝食担当の若いお兄さん、別にプロのシェフを目指しているわけではなく、
28歳の大学院生で、アルバイトでかれこれ5年、
このホテルの朝食担当をしているそうです。

就職先も無事に決まり、1年後には自動車メーカーの
エンジニアとして働くそうですが、きっと、良い職人さんになると思いますよ。

全てのことに配慮する、気配りをすることは不可能ですし、
そんなことをいちいち気にしていたら、それこそ気疲れして
何のために生きているのか分からなくなってしまうものですが、
それが、どのような作業、生き方であれ、
こういうひと手間をかけられるのか、どうかで
その人の人生の明暗が分かれてくるのも、
これまた嘘をつくことができない真実だと感じています。

人知れずコツコツと積み上げているものは、
決して表に出てくることは少ないものですし、
そこに気づく人もほとんどいないのが、この世の常です。

ですが、必ずその結果は、本人しか分からない形で、
人生の充実度、安定感、心の豊かさに
確実に、忠実に、必ず表面化してくるものでもあります。

今、人生が幸せではない、軸がブレている、迷走している状態であれば、
それは、それまでの人生の中で、
本当に積み上げていくべき大切なことを見失って
他のものをつまみ食いしながら無意識にラクをしてきた証拠。

本当にひと手間かけるべきところに、手間と愛情をかけなければ、
その幸せの芽、心の豊かさの芽というものは、
絶対に育つものではないからです。

だから、全ての生き様が、それまでの自分を全て物語っていて、
それはどのように言い訳をしようが、弁明をしようが、
取り繕うとしようが一切、嘘がつけない、誤魔化しが効かない
スピリチュアリズムの真実でもあるのです。

今が心の底から幸せでないと感じているのなら、
自分の人生、立ち位置、生き方を迷走しているのであれば、
今すぐにでも、ひと手間をかけるべきところに全神経を集中させて
余所見をせずに生きていくべきであり、
それが出来なければ、一生何かしらに振り回されて生きていく
中途半端なものになっていくことでしょう。

心が安定している人、自らの人生に大満足している人、
そういう人たちは、その状態に胡坐をかいているのではなく、
誰からも理解されない、気づかれないけれど、
人知れず好きだからコツコツ続けてきたこと、
ひと手間を惜しまず、絶えずそれを続ける喜びを知っているからこそ、
そこと向き合って生きていけるので、幸せなのです。

幸せではない人には、必ずひと手間をかけなかった理由があります。
心の底から幸せを感じている人には、必ずひと手間をかけてきた理由と
気が遠くなるほどの長い実践の積み重ねがあります。

たった、それだけの違いなので、とてもシンプルだと思いませんか。

久しぶりに、人知れず努力している、ひと手間の愛情を
ブダペストのアットホームなホテルで感じて、
なんだか僕自身、とても嬉しくなってしまいました。

こういう感受性、経験はこれからもしっかり大切に守っていきたい、
僕の中での宝物だな・・・と改めて感じた出来事でした。


*お知らせ*
*土地・家屋のお祓い、随時受付募集しています。
ジョンのリーディング、スカイプ鑑定、随時受付募集しています。



同じカテゴリー(心の在り方 (2,645)▼)の記事
Posted by 山野本竜規 at 08:03 │心の在り方 (2,645)▼