山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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人生を自由と感じるのか、束縛と感じるのか。

2014年11月19日

人生を自由と感じるのか、束縛と感じるのか。写真は、現在通っている歯科医院の建物前から
撮影したものですが、治療が終わって
建物から出てくる時に、このように那覇・新都心の空を
見上げると、毎回、スッキリした気持ちになります。

今日の沖縄地方は清々しい秋晴れなので
それだけで嬉しくなりますね。

今、歯医者へは、かなりの頻度で通っていて
出張がない時は、それこそ3日に1度とか、2日に1度のペースです。

土地家屋のお祓いと、次の仕事の予定が入っている
空きの時間などを主に活用しているのですが、
こういう時、心の底から、自営業者で良かったな・・・と感じます。

何故なら、時間をある程度自由に組み立てられるからで、
もっと言えば、特に朝や夕方以降ではなく、
日中の時間をアレンジできるというのは、何よりも魅力的なことです。

会社勤めの時のように、
10時から夕方6時までは会社だから・・・といった制限もなく、
自分で仕事と仕事の間の時間を調整すれば良いだけなので
自営業というよりは、まさに自由業のライフスタイルは、
僕自身にはピッタリ合っていたんだな・・・と改めて実感している次第です。

ただ会社員時代、特に琉球放送に勤めていた頃は、
担当番組によって早朝勤務だったり、夜勤だったりすることもあり、
1週間のうちの半分がそのような勤務形態だったので
僕にとっては、比較的、何の苦痛もなく時間の制限を感じることもなく
それ以外の用事を済ませることが出来ていたような気がします。

そういう理由から定刻の会社勤めの人たちからすると、
会社員時代も、かなり自由に時間をアレンジできるライフスタイルで
本当に恵まれた環境で働かせてもらっていたんだな・・・と感謝しています。

社会人になってから、そういう定刻のライフスタイルを経験していない人間が、
更に自営業者になってしまうと、そりゃもう、水を得た魚で
今の環境は僕にとっては、この上なく幸せだと感じる今日この頃。

何がお伝えしたいのか・・・というと、
人は、自分の性質、価値観、生き方に合ったライフスタイルに
がっちりハマったことに自ら気付いた瞬間というのは一番幸せで、
その根本、根底の気持ちさえしっかり保ち続けてさえいれば、
やはり自分の周辺で色々な出来事が勃発したとしても、
基本は幸せな人生を送ることが出来る・・・ということ。

果たして自分が定刻通りの雇用形態が合っているのか、
それとも、それ以外の仕事のやり方、
人生の向き合い方が合っているのかなんて、実際に経験してみなければ、
他の誰も、そして当の本人ですら分かるものではありません。

僕自身、会社勤めのサラリーマン時代、
特に全ての仕事も人間関係も恵まれていた琉球放送時代は、
「ここの会社員として働く人生以外、全く考えられない。」というくらい、
サラリーマン生活が楽しくて、居心地が良くて、
まさか、その後、自分自身が自営業者の道を選ぶだなんて
本当に微塵も思ったことがなかったほどです。

また、社会人になる前の大学4年間は、
毎朝2時半に起きて新聞配達をしながら学校に通い、
夕刊配達のために午後3時には学校を切り上げる・・・という
それこそ規則正し過ぎる生活を続けてきたので
そういう半ば強制的、外部的な要因からではなく、
自らの意志で、全部アレンジして、
自分のスケジュール、生活自体を管理していくライフスタイルというのは
正直なところ、自信がありませんでした。

ましてや、それが与えられた仕事ではなく、
自ら仕事を生み出していく自営業者という道となると、
食べていくための生活が懸かっている訳ですし、
僕の場合は、経済的援助をしてくれるような頼る実家も家族もない、
何の保障もない、ないないづくしで
自分がそれらの責任を全て負うこと自体、
とても荷が重くて、絶対にそういうプレッシャーだらけの人生には
向いていないだろうな・・・と勝手に思い込んでいたところがあります。

そのくらい、僕には自分で自分の時間を管理して、
自ら仕事を生み出して、それを生活の糧、生業にしていく自信も全くなく、
それこそ全く門外漢、別の世界のことだと感じていたくらい、
僕の選択肢の中で、自営業者という道はなかったのです。

ところが、色々な宿命の流れで、
大好きだった職場を自ら離れることになり、
実際、自営業者として無理矢理その道をスタートせざるを得ない状況になると、
これがもう、たまらなく自分のライフスタイルにピッタリ合っていることに
遅ればせながら気付いてしまいました(笑)。

自由と共にあるのは、勿論、自己責任であり、
それが成立しなければ、自営業としての道は歩むことは出来ません。

会社や組織が守ってくれる訳ではありませんから、
そういう点でのシビアな部分はあると思うので、
そういったものにしっかり守ってもらうために、
ある程度の自己犠牲をして、主張を抑えながらも
可能な限り自己表現できる仕事を見出す生き方を選ぶのか、
それとも、大きなものに守ってもらえない代わり、
自分の信念をしっかり自分で守って、心から納得のいく仕事を生み出して
生活の糧にしていくことに喜びを感じる生き方を選ぶのか・・・。

それは、どちらが良い悪いではなく、
やはり、どちらが自分の生きる本質に向いていて、
どちらと付き合っていけば、幸せな人生を歩んでいけるのかを
自分自身で考え得る限り考えて、好きな道を選べばいいだけの話だと思います。

そして会社員時代の僕が「サラリーマンが一番!」と思っていたように、
所詮、人間のちっぽけな頭の中で考える判断というのは、
おおよそにして曖昧で、全てが本質に辿り着くというものではないので、
自ら色々な経験を重ねながら、時には失敗を重ねながら
少しずつ、自分に合う仕事、自分に合う生き方、
すなわち、心の底から幸せを感じる生き方を体感していけば、
周りからどのように思われようが、やはり確実に、その人は幸せだと思うのです。

だから、僕は、自分の仕事について、生きる方針について、
人生相談をした記憶が一度もありません。
全て自分が納得した形でないと、他の誰が何と言おうが納得できなかったからです。

「あなたには、○○が向いていますよ。」「あなたには、○○の才能がありますよ。」
その逆も然りで、
「私の生きる目的、お役目って何でしょうか。」「私の天職は何でしょうか。」

このような類のことって、結局は自分で色々な経験から気付いていくものであり、
その中から決めていくことであるので、
それを聞いてくる人たちの本質は、ただの興味本位か、
自分が期待する答えを言われるまで待ち続ける、
とても厄介な人たちだと思います。

人に「あなたはこの道が向いてますよ。」と言われて
評価された気分になる心理は理解できますが、
そんな気休め程度のことで人生の全ての選択肢を
見ず知らずの第三者に委ねてしまうなんて、
これほど無駄な人生はありません。

やはり霊的世界も、僕自身も、そういうカウンセリングを担当する際は、
「そんなこと、自分の人生経験の中から気付き、決めていくものでしょう。」としか
お伝えのしようがないのです。

もっと意地悪なことを言えば、
たとえば、その人が無意識のうちに「私はカウンセラーに向いていると言われたい。」
「それがあなたの天職だと言われたい。」と既に期待している答えを持っている場合、
たとえ、霊的世界が、それ以外の本当の天職、
つまりはカウンセラー以外の仕事が向いている・・・と判断して
それらのメッセージを伝えたとしても、
本人はがっかりするだけで、参考程度にするだけで、
絶対に心から納得して、カウンセラー以外の道を歩もうなんて思わず、
その期待する答えを言ってくれる人が現れるまで、
延々とその質問を、色々な人たちに投げかけていく繰り返しです。

つまりは同意してくれそうな人、同情してくれそうな人、
「それはいい道ですね。」と後押しをしてくれる人のところを
巡り続ける訳で、これでは、何の成長にも繋がりません。

そして、僕自身、カウンセラーとして、
これに同調することはとても簡単で、信頼も得られて、
固定のお客さんになってくれる確率も高いので、
これほどラクな依存させる方法はないでしょう。
少なくとも、「あのカウンセラーは全然ダメ。」という悪評は流されないことでしょう(笑)

ですが、そんなことをやって何の意味があるのでしょうか。
そして、僕はそういう中途半端で意気地のない仕事のやり方は
仕事とは思っていません。

向いている、向いていないの性質は、
カウンセラーとしてある程度の経験を重ねれば
おおよそその人の方向性というものは理解できます。

だから、本人が望んでいるであろう道と外れている場合であれば、
僕は躊躇なく「そういう方向性は合わないでしょう。」と完全に否定させてもらいます。
そして、相手は必ずショックを受けます。

その後からが大切で、その真実をどのように捉え、どのように活かしていくのかは
やはり他の誰の責任でもない、その本人自身の責任なのです。

ここをやらずして、全てに同調するような依存のさせ方は、
一番やってはいけない、生き方だと思います。

それは、プロのカウンセラーだろうが、普通の人であろうが、
本気で相手と向き合うのであれば、
このくらいの熱意と判断はしっかり持ち合わせていくべきであり、
これが本当の意味で、目の前の1人の人と真剣に向き合う姿勢だと感じています。

どんな人生にしても、向いている、向いていないは別にして、
他人に自分を認めてもらおうとする前に、
自分でやってみればいいと思うんです。

そうしたら、おのずと、結果が出てきます。

才覚がある分野であれば、
すぐには結果が出なくても色々な人の協力を得られて
その分野での仕事を求められるようになりますし、
その逆であれば、全てがストップしてしまうことでしょう。

それは、誰にも分からず、やはり動かなければ、
誰かのお墨付きとか、誰かに認めてもらえたことを確認してから動くとか、
そういう無意識のずる賢さからくる生き方をしていては、
必ずどこかでその隠された自信のなさが露呈してくることになります。

以前のブログでもお伝えしましたが、
自信が最初からある人なんて頭がおかしな人であり、
本当の自信というものは、
むしろ、1つ1つの経験の中から積み重ねて築いていくものです。

その過程にこそ、生きる喜びがあり、幸せがあり、
心豊かに生きていくヒントが含まれています。

今日、秋晴れの沖縄の空を眺めながら、
今、僕がこうやって自由に時間をアレンジできる人生を歩ませてもらっていること、
そして、それが心の底から自分の性質に合っていたということに
気づかせてもらえた今の人生の流れそのものに、
「本当に良い人生を歩ませてもらっているな。」と改めて実感しました。

自分の人生を自由に解放することが出来るのは
他の誰でもない、自分自身なんですよ。


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