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家族も他人も変えられません。
2014年05月07日
ほんのちょっとだけ迷ったのですが、
まぁ、完全にピンボケして不鮮明ですし、
この写真に写っている人たちのほとんどは
今、どこで何をやっているのかすら知らないほどなので
(要するに、その場限りのお付き合いだったということ。)
独断と偏見で「良し」ということにしておきましょう(笑)
この写真は、先月、東京出張の合間に、
学生時代、アナウンサー受験の際に知り合って
今でも交流がある河西美紀さんと会ってユンタクした時に
河西さんから見せてもらったもの。
アナウンサー受験の会場で一緒になった人たちと撮影したものらしく、
僕は、こんな集合写真を撮っていたことも忘れていて、
この写真の存在をずっと知らずに、これまで生きてきたので、ついつい懐かしくなってしまい、
「あ~、こんな人いたね!」とか「この人は分からないな。」などと
とても盛り上がって楽しい時間を過ごしました。
その勢いで僕が持っていた携帯電話のカメラで、
その時の写真を撮影したのですが、それが見事にピンボケしてブレていたので
相変わらず、こういうところの最終チェックが甘い自分自身に
「まっ、これも仕方ないかな。」と完全に開き直っています(汗)
この写真に写っている人たちのほとんどが
その後、放送局のアナウンサーとなり、それ以外の人でも皆、マスコミ関係に進んだ・・・と
河西さんから聞きました。
16年も前のことなので、一緒に写真に写っている人たちが
どんな人で、どんな人生を歩んだのかなんて僕自身、自分の人生のことで精一杯で、
そこに思いを馳せることすらなかったのですが、
唯一、あの場で、とても親しみを感じた河西さんとは、
こうやって16年経った今でも、何かしらの交流があるのは
元来、人付き合いが悪い僕にとっては奇跡に近いことだと感じています。
学生時代と、ある程度の社会人生活を歩んできて色々な経験を重ねているであろう今とでは、
勿論、色々な考え方も、関心ごとも、自分を取り巻く環境も
それぞれ変わってしまっているのですが、
それでも変わらないものは、やっぱり根本的な人柄の部分なんだな・・・と
この写真を眺めながら、実感しました。
良い人は、基本どこまで行っても、そのまま良い人。
そうではない人は、基本どこまで行っても、そのまま残念な人。
そう、人はたとえ、どんなに衝撃的な出来事がこの人生の中で起こったとしても、
360度、人柄が変わる訳ではありませんし、
そもそも、人の根本というものは、そんなに簡単に変わらないのがこの世の常だと感じています。
要するに、人の根本、特に性格の部分は
どんなに人生経験を重ねていたとしても基本的には変わらないものであり、
また、それを変えようと思うのも、「絶対に変わる!」とやみくもに信じて
他人に必要以上に干渉し過ぎるのも、
それらは全て「人を変えられる情熱がある、そこと立ち向かう懸命な姿の自分」に酔っているだけか、
ただの傲慢なだけなのか、どちらにしても、
人付き合いにおいて建設的な方向性ではないと思っています。
実は僕、大学を卒業して社会人になってから随分経って、
冒頭の写真の人たちの中で河西さん以外の、もう1人の人物と偶然再会したことがあります。
何故、写真の存在も、そこにいた人たちのことも、ほとんど記憶にないほど記憶力が悪い僕が、
その人のことを覚えていたのかと言うと、本当に悪い意味で強烈だったからです。
所謂、僕が普段のブログでよく公言している
僕が最も嫌いなタイプで、とても下品な生き方をする人。
付き合う人や仲良くなる人たちを
「この人は利用できる」「利用できない」という自分の損得勘定で選び、
とにかく「自分」「自分」で、嫌らしい自己アピールが強烈で
周囲の人に対する思いやりや優しさを微塵も感じないような下品な生き方。
ちなみにコイツ、いやいやっ、その人も、その後、ちゃっかり局アナになってしまいました。
僕が実際にその業界に身を置いて感じたのは、
アナウンサーには2種類のタイプがいると思っていて、
今、ご紹介したような自己顕示欲が強くて下品な生き方しかできないタイプ。
こういうタイプは世渡り上手でそれなりに仕事は上手にこなす反面、人としては最低最悪なので
僕自身は絶対に交流を持とうとは思えませんでした。
そして、もう1つのタイプは、決して世渡り上手ではなく不器用で誤解されたり損をすることがあるけれど、
しっかりと人としての信念や優しさ、思いやりをもって仕事に取り組む、心ある生き方をしている人。
勿論、これはアナウンサーに限らず、どの職業、どの業界、どの組織、どの人間関係でも
周囲を見渡せば、どちらのタイプもいるものですが、
アナウンサーという職業上なのか、その2つの差が見事なまでに顕著で
ある意味、動物園で個性豊かでユニーク(かなりの頻度で厄介)な
動物たちと日々接するような環境でもありました。
これは人間勉強という側面においては、とても貴重な経験ですよね。
そうそう、それで、僕が社会人になって随分経ってから再会したその性悪な最低最悪な人物は、
自身が勤めていた放送局を辞めてフリーランスとなって
どういう訳か、僕が勤めていた放送局に現れたのです。
しかも、学生時代の頃の嫌らしさ、下品さを、そのまま維持した状態で(涙)。
僕は、あの集合写真の採用試験以来、その人とは一切ご縁がなかったのですが、
向こうはあからさまに、不気味で気持ち悪い笑顔で
「本当に久しぶり!ここに同期の知り合いがいるなんて、とても心強い!
皆さぁ~ん、私、山野本君とは同期なんです。宜しくお願いしまぁ~す!」と
ディレクター陣やプロデューサー陣、お偉いさんたちに
「だから少しでも多く私に番組ちょうだいね!」と猛アピールしていました。
僕自身もおとなげないのですが、
「はぁ!?お前とは一度採用試験で会っただけだろ!
しかも、一番嫌いなタイプだし、馴れ馴れしく近寄ってくんな!」と口に出さないまでも、
露骨に嫌な表情でそれを眺めていたと同時に
改めて下品な生き方の人たちの処世術の嫌らしさを実感した次第です。
別にこういう生き方をする人たちがいてもいいんです。
ただ、僕には、絶対に無理ですし、拒否反応を示すほど嫌だと感じるのは
一生涯、変わらないので、こういう部類の人たちとはプライベートではご縁がないのでしょう。
僕も自己主張ははっきりし過ぎているほど強いので、
心からそれを歓迎することは出来なくて、ただ冷静に「頑張ってね!」と一言伝えて、
それっきり局内で顔を合わせても、それ以上の交流は一切持ちませんでした。
結局、その人は土地に飽きたのか、もうこれ以上、利用できるものがなくなったのか(笑)、
半年足らずでさっさと東京へ戻ってしまい、その後の行方は全く分からず・・・。
まぁ、ここまであからさまで昼ドラなんかに出てくる
分かりやすい性悪なタイプの人も珍しいと思うのですが、
つまりは、人はどんな経験を重ねていたとしても、時間が経っていたとしても、
良い人は、良い人のまま、そうではない人は、そのまま・・・だという、
とても分かりやすい典型的な体験でした。
ただ、これはあくまで他人なので、関わりたくないと思えば
こちら側から一方的にシャットアウトできる関係性です。
もし、家族や親せきにこんなタイプの人や、そうではなくても、
何かしら生きる方向性が真逆な人たちがいた場合はそれこそ、厄介です。
この世の人間というものは、血縁関係だけに拘ります。
「家族だから。」「血が繋がっているから。」「親せきだから。」
血が繋がっているから、あの人の悪い面、弱い部分を
しっかり変えてあげて、支えてあげたい・・・。
一般的には、とても素晴らしい家族愛、人間愛として捉えられるかも知れませんが、
何度でもお伝えしているように、
人の生き方、性格、その根本は、そう変わるものではないということ、
そして他人が変えようと思うのは、傲慢以外、何ものではないということを
しっかり感情ではなく、理性で理解していないと、
そこで新たな悩みの種が成長することになってしまいます。
たとえ家族であれ、親せきであれ、
厄介な人は厄介なまま、ネガティブな人はネガティブなまま、
性悪な人は性悪なまま、基本、その人生を生きていきます。
勿論、最初から見捨てるようなことはせず、
何度か真剣にそこと向き合って、それでも「もう駄目だな。」と感じたら
そこでしっかり距離を取らないことには、いつまで経っても苦しいばかりです。
距離を取るタイミングは、やはり、人事を尽くして、
とにかくやるべきことを全てやってみて、それでもダメだと分かった時が、そのタイミングなので
ここまで、とことん人と向き合えることが出来れば、
その後、その人がどのような人生を歩もうが、こちら側には影響なく、
自分なりの人生を歩んでいけるものです。
そのようなスピリチュアリズムの本質があることを知識として知ることになる以前から
僕は家族であろうが、親せきであろうが、まったくの他人であろうが、
僕の人に対する価値観、付き合い方、距離感は、全て一定しております。
人を変えようとするのも、人が変わるのを期待するのも
本当に愚かな自己満足であり、それだったら、常に自分が幸せを感じる生き方を
覚悟を決めて追求していくほうが、よっぽど幸せであり、充実した人生を楽しめるものです。
家族だから、他人だから。
僕には基本的に、その区別がありません。
「人は変えられる。」「人を良い方向へ変えたい。」
相手を想う気持ちと、相手のためにやるべきことをやることは絶対に大切なのですが、
必要以上に、そこに依存しているようでは、甘えているようでは、
いつまで経っても誰かに振り回され、自分の軸となる人生を歩むことは出来ません。
何よりもまずは自分の人生をしっかり立て直すこと、見直すこと。
そこを忠実に守って自分の人生を豊かにしていけば、
それだけで幸せですし、そこからようやく伝わる人にだけ、しっかりその想いが伝わり、
周囲の環境にも変化があるものだと感じています。
勿論、変わらない人、伝わらない人には一生、届きません。
冷静にそのことを理解して、前に進んでいけるような人が増えてくれば、
この世の家族関係、血縁関係、他人間で起こる
「人を変えたい!」「変わって欲しい!」病は少しずつ減ってくるのではないかなと感じる今日この頃です。
Posted by 山野本竜規 at 14:14
│心の在り方 (2,645)▼