山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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歯の浮いた言葉、生き方はつまらない。

2014年03月07日

歯の浮いた言葉、生き方はつまらない。写真の場所は昨日、お祓いの仕事の前に
少し時間があったので久しぶりに立ち寄った
読谷村の座喜味城址。
ここは県外の観光客にも人気のスポットですが
地元の人も、「あの穏やかな雰囲気が好きです。」と
おっしゃる方が多くて、僕自身も、
この座喜味城址のエネルギーが大好き。

とても柔らかい空気と、心地の良い感覚が
じんわり内面から滲み出てくるような場所で
いつ訪れても、「やっぱり、いい場所だな。」と感じますし、
ここでエネルギーチャージをしっかり終えて、お祓い先に向かうことが出来ました。

このように、僕は自分の人生の中で、
不意に向こうからやってくる大変な出来事や嫌な人たちは別にして、
おおよそ、自分のお気に入りの場所、人、もの、生き方自体は
全て自分の好みで、自分の意志で「良し」と感じて選び続けて生きています。

同じ座喜味城址でも、一部の人たちは
「読谷は沖縄戦で最初にアメリカ軍が上陸して多くの人が亡くなった場所。」
「座喜味城址も、長い歴史の中で多くの人が亡くなったはず。」などと
歴史的な背景のみを重視して、その固定観念から、
「読谷は立ち寄ると気分が悪くなる。」だの、「あそこは自分に合わない。」などと
これこそ勝手な妄想、事実無根のあることないことを
吹聴してまわる自称・霊感が強い輩や、ユタ、カミンチュなどが存在して
それらに影響される人たちが同じように、「あそこは嫌。」というように
残念に流されてしまうケースが、沖縄の場合、読谷に限らず、色々なエリアで
似たような現象を見聞きすることが多いのです。

そんなことを言い始めたら、沖縄に限らず、
県外のどこの場所だって、世界各国だって、長い長い歴史を辿ってみれば
皆、大なり小なり同じようなことがあった訳ですから、
僕たち、どこにも行けず、どこにも住めなくなるはずなので、
いかに、ちっぽけで、拘り過ぎた固定観念に縛られているのかが
よく分かりますよね。

とにかく、どのような事象にしても、
必ず「良い」「好き」と発展的に感じることが多い、
明るいものに目を向ける感性を持っている人たちの流れと、
必ず「悪い」「嫌だ」と否定的に感じることが多い、
後ろ向きなものに意識を向ける感性を持っている人たちの流れの2つが存在し、
人は皆、そのどちらかに流されながら、生きていくケースがほとんどです。

ただ、ここ最近、僕が向き合っていて
「なんかムズガユイな。なんか居心地悪いな。」と感じることが多いのが、
やたらと発展的な言葉ばかりを連発し、それらしか使わないような
あまり人間らしさを感じない人たちの存在です。

随分昔に、「ありがとうという言葉を使い続ければ全ての運が良くなる」
本当に馬鹿馬鹿しい教義を妄信して、ひたすらありがとうを唱え続ける人たち、
所謂、「ありがとう教」の薄っぺらさについて記したことがありますが、
この、ありがとう教までいかなくても、
どことなく、同じような匂いを感じる人たちとは、仕事上、今でも接する機会があり、
その度に「なんだか歯の浮いた言葉ばかり並べられて、嫌だな。」と
正直に感じてしまいます。

僕はもともと、こう見えて!?神社神職でもあります。

古来から日本人が大切にしてきた言葉の力、
所謂、人が発する言葉には、全て魂が宿り、それらがやがて
その人の人生を左右する見えない強力なエネルギーに変わっていく、
「言霊」(ことだま)の力について、
この世で一般的に普及している知識以上に造詣を深めている
その道のプロでもあるのです。

別に最初は関心があった訳でも何でもないのですが、
それが神職の仕事の一部でもあったので必然的に
その歴史背景や成り立ちなどから学ばなければならず
そうこうしているうちに、自然とその造詣が深まっていっただけの
専門の知識に他なりません。

この仕事だから、そうならざるを得なかっただけなのですが、
僕にとっては、これらの専門知識は、現在でもおおいに役立っています。

スピリチュアリズムに関心がある皆さんのイメージの中で、
「言霊」という言葉を捉えると、おおよその人が、
「なるべく発展的で、良い言葉を使わなければならない。」と
考える方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

勿論、これは、その通りです。

なるべくであれば、「ダメ、出来ない、無理」という言葉を使うより
「良い、出来る、大丈夫」という言葉を使ったほうが
人の肉体的な免疫力も向上しますし、魂の状態も萎縮していたものは
より広がりを見せる効果が期待されます。

ただ、これも使い方次第で、その処方を間違ってしまえば
深刻な問題に繋がります。

多くの言霊の知識をご紹介する本やセミナーなどでは
おおよそ、ここ止まり。

「とにかく、いつでも、どこでも、どんな時でも良い言葉を使い続けましょう。」なのです。

これが、僕がいつも違和感を覚えてしまう部分。

「良い(とされる)言葉を、とにかく、どんな時でも使い続けましょう。
そしたら、おのずと、幸せになってくるから。」という
単純な考えだけであれば、昔流行った、ありがとう教と何ら発想は変わりないからです。

嫌味ったらしく主張しますが、僕はもともと神社神職であり、
本来なら良い言葉だけを使って生きている・・・という
世間から勝手なイメージを持たれがちの、言霊のプロでもあります。

ですが、このブログをご覧下さっている皆さんだったら、もうお分かりでしょう(笑)

僕のブログには、その世間一般から勝手なイメージで
「神聖な言葉のみを使うであろう神職やナカトリモチ」という
立場、職業の人間であるにも関わらず、
「大嫌い。」「ニガテ。」「コンチキショウ!」「性格ブス」なんて言葉がよく飛び出してきます。

もう、この時点でかなりのイメージダウンです。

ただ、振り返れば、もっと良いイメージを保たなければいけなかったであろう
局アナウンサー時代のブログから同じ調子なので
僕の人生、ずっとイメージダウンの連続(汗)

・・・な、はずなのですが、裏を返してみれば、
今、本当に心ある人たちに支えられ、ナカトリモチの活動に協力して下さり
全国各地、世界各地でお会いする皆さんと一緒に
良いものを共有させてもらえています。

昨日のブログでも少し触れましたが、
「はい。」や「好き。」と言葉に出して表現することは、
まだ抵抗がない人が多いと思いますが、
「いいえ。」や「嫌い。」を言葉に出すのは躊躇して
なかなか言い出せない人が多いのも事実です。

何故なら、無意識のうちの防衛本能で
「否定的な言葉を使うと、皆に嫌われるし、自分のイメージも悪くなるし、
周囲からはみ出してしまうから。」という
口の悪い僕から言わせてみれば、無意識のうちの計算高さが
瞬時に働いてしまうからです。

何度でも、嫌味ったらしく主張しますが、
僕は、言葉のプロ、言霊のプロでもあります。

本当の言霊とは、その人の魂から発せられる言葉そのもの。

たとえ、その言葉が、「嫌い」であろうが、「ダメ」であろうが
あまりイメージの良くない言葉であろうが
その表面的な部分、響きにエネルギーが宿っているのではなく、
発する本人の、想い、動機、信念の部分にこそ、
本物のエネルギーが宿っていて、その想いが本物であればあるほど
崇高な世界と共鳴して、より良いものを生み出していく・・・という仕組みなのです。

全ては、その言葉を発した本人の動機次第、気持ち次第、信念次第だということを
言葉を使う僕たち人間は、決して忘れてはいけません。

何故、「嫌だ。」「大嫌いだ。」と表現するのかと言えば、
そこまで感じる崇高なまでの自分の信念を全身で認め、信じているからこそ。

所謂、他の誰でもない自分自身の言動、人生を全て受け止め、
その上で発せられる言葉でもあるので、
そこには、全身全霊、本物の想いのエネルギーが必然的に宿るものです。

あとは、その形を、周囲の人や崇高なエネルギーたちが
どのようにキャッチして処理してくれるのかは、お任せなのです。

勿論、垂れ流しではなく、発した言葉の全ては自分自身で責任を持たなければいけませんし、
その覚悟がないと、本当の気持ちを言葉として表現することなんて、
僕には出来ません。

真剣に子供のためを想って真剣に子供を叱る時、
いつでも、どこでも穏やかに
「そんなことは、やっちゃダメだよ~。」と
気の抜けたような言葉ばかりを使っている親はいますか?

肉体的にも、精神的にも余裕のある状態だったら、
10回のうち1回は、そんな悠長なことを言えることもあるでしょうけれど、
本当に我が子のためを思って、何かを諌めなければいけない時は、
「ダメでしょ!」と、ついつい強い口調で言ってしまうのが
普通の情を持った人間なのではないでしょうか。

その後、必ず後悔します。

「あぁ、言い過ぎたな。叱り過ぎたな。まだまだだな。」と。

そこで、ご自身を必要以上に責めてしまう、または自信を無くしてしまう
お母さん、お父さんもいらっしゃるのですが、そういう時にこそ、
もう一度、ご自身がその言葉を発した時の心情を感じてみて欲しいのです。

ただただ、感情に任せて100%怒りだけで発した言葉なのかどうか。
はたまた、感情があったかも知れないけれど、その中に
その子を思う気持ちがあったからこそ発した言葉だったかどうか。

おおよその場合は、その根底に、しっかり愛情が含まれていることを
ご自身で自覚することが出来ると思います。

割合として感情が勝っていたとしても、
愛情が根底に流れていれば、その僅かな愛情の積み重ねは
表面的な言葉ではない、見えない力となって
その子や周囲の人に届くようになります。

否定的な言葉の全てが悪いのではなくて、
否定的な言葉を使う際の根底に、その人なりの愛情があるかどうか、
崇高な想いがあるかどうか。

それらの言葉を使う側も、受け取る側も、
もっと、そこを踏み込んで意識して、感じてみると
より、その真意が理解できるようになってくることでしょう。

程度の差こそあれ、この世に生まれてくる人間は皆、
未熟だからこそ、あえて人間として生まれてきて
未熟者同士、間違いを起こしながら右往左往しながら
魂を磨き合って生きています。

崇高な霊的世界の存在には、そういう悪玉はありませんから
通信できるほんの一部分のメッセージは、
やはり崇高で、愛情に満ちた素晴らしいものであることが多いです。

所謂、僕がナカトリモチの活動の中で
年に1回実施させてもらっている言霊のメッセージの書き下ろしは、
この状態ですので、神事の儀式に集中しているようなものです。

普段の僕の思考、感情、日々向き合う生活のエネルギーとは
かなり違っていて、そのため、それらに集中できる特別な環境の中で
行なうようにしています。

ですが、僕たち人間は、現段階で、
霊的世界の一部の良いものを兼ね備えている一方で、
そことは違う未熟な魂がひしめき合う人間界の住人でもあります。

いつでも愛に満ちていて、崇高で、綺麗な言葉、表現、生き方をしていれば
敢えてこの世で生きている意味なんて何もありません。

怒ることもあるでしょうし、悲しむこともあるでしょうし、
震えるほど悔しさに打ちひしがれることもあるでしょう。

その逆で、心から喜ぶことも、笑うことも、前を向いて進むことも、
周囲と手を携えて生きることだって出来ます。

清濁も、善玉も悪玉も、良いことも、悪いことも
全てがしっかり混ざっているのが、僕たち人間であり、
この世のシステムそのものでもあります。

勿論、崇高な世界、崇高な理想など
それらを目標に掲げて、少しでも、それらに近づくために
魂を磨いて生きていることには変わりありませんから、
なるべくであれば、そのような方向に意識を向けることは、とても大切です。

しかし、それと同時に、僕たちは悪玉や未熟な部分を持ち合わせた
ややこしい肉体を持った人間であるということも、
しっかり現実逃避せずに、受け入れなければいけません。

その本質が分かってくると、必要以上に
人間離れしたような発言や理想を語るような、
もとい、歯の浮いた言葉だけを使うような習慣はなくなります。

殊、基本的に「良い人」と呼ばれる人たちは、
「頑張る。」「努力する。」「好き。」「感謝。」という言葉が大好きで、
いつでも、どこでも、それらの良い言葉を使っています。

イジワルで天邪鬼な僕は、
そういう人たちにこそ、敢えて勇気を出して
時には「本音」を言って戴きたいな・・・と、
そのチャンスを、いつでも、どこでも、虎視眈々と狙っています。

僕も、時には頑張ることが大好きです。
時には努力することが大好きです。
勿論、「好き」という言葉も「大好き」です。
そして感謝することも大好きです。

でも、際限なく頑張り続けることは嫌です。
人間なので、時々、休みたいですし、適度に息抜きしたいですから。

努力は必要な時は絶対に必要ですが、
努力100%だけで生きている人は、どことなく近寄り難くて嫌だな・・・と思います。

好きという言葉だけを延々と使い続けている人は、
逆に「本当かな!?」と疑ってしまい、これまた個人的に嫌だな・・・と感じることがあります。

感謝するのは当然ですが、
時に理不尽な出来事を、嫌な人を恨みたくなるような嫌な出来事だってあるので
その時は、全てのことに感謝なんて出来ません。
のちのち、落ち着いてから、そのような気持ちになるのが「普通」だと思います。

僕が常日頃から、「好き」「嫌い」の基準を明確にしているのは、
他の誰のためでもなく、自分のためであり、
より自分らしくいられるためでもあります。

そういう人生こそが、本当の意味での幸せだと感じていますので
だからこそ、今の人生、環境、人間関係、その全てが「大好き」なのでしょうね。

否定する勇気、一見するとマイナスになる言葉を
自分の信念の基準から躊躇なく使えるようになると、
人は、もっともっとラクに、幸せになれると確信しています。

あとは、それをやるのも、やらないのも、その人次第。

是非、皆さんも、それぞれの価値観で、それぞれが出来る範囲で
自分をラクに、幸せにしてあげる環境作りを楽しんでみられてはいかがでしょうか。


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