*6月15日(日)仙台ナカトリモチ勉強会、参加者募集中。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付中です。
ただ、やる。ただ、動く。たったそれだけ。
2013年12月16日
お問い合わせありがとうございました。
毎年、有難いことに早い段階で定員数を超えるのは
なんとなく予測できるのですが、
僕の詰めが甘いというか、お気楽というか、
「まぁ、そこまで身構えることはないでしょう。」と
呑気に構えていたら・・・。
受付開始時間から10分を過ぎた段階で、
スタッフから緊急の連絡があり、
「スミマセン、もうこの時点で定員を超えていますから、
ブログで緊急の告知を出してもらったほうがいいです。」と
かなり緊迫!?した様子で伝えてこられました。
どうやら、そのスタッフも
「1~2時間くらい気長に待ちながらメールを確認してみよう」と思って
とりあえず最初の10分が経過した段階でチェックしてみると
その時点で定員を超える数のメール件数が届いていたらしく
慌てて僕に連絡を入れた・・・ということだったそうです。
実は、ちょうどその時間帯、
僕は近所のスーパーに買い出しに出かけていて、
買い物カゴの中に商品を詰め込んだ状態だったので
すぐに自宅に戻ることが出来ず、支払いを終えて
スーパーの中から携帯電話で、ブログの追加更新をした次第です。
お申し込み用のメールには、
皆さんが言霊お申込みの送信をされた時間帯が示されるのですが
そのほとんどが13時になったと同時に送信されていて
これをスタッフの方に知らされた時に、
「このように真剣な想いで言霊を求めて下さるのは有難いことだな。」と
心の底から感謝の気持ちが湧いてきました。
もしかしたら、まだ全ての皆さんにお申込みメールの返信が
出来ていないかも知れませんが、
必ず数日中にスタッフから返事が来ることかと思いますので
もうしばらくお待ち下さい。
あとは、名簿のリストが届いてから
いよいよ僕の言霊の書き下ろしの作業が始まるのですが、
とりあえず、その作業をする前に
身辺整理をしっかりとしてスッキリとした状態で臨もうと
部屋の掃除と、パソコンの中身の掃除をしました。
基本的にあまり物がない家で、1人暮らしということもあって
大掃除をしなくても、普段の掃除をしていれば綺麗になることから
その分、他の整理整頓の時間に充てられます。
冒頭の写真は、僕のパソコンの中に取り込んである
携帯やデジカメで撮影した、この1年分の画像のファイル。
1年分と言っても、定期的に削除しているので
その大掃除と言ったところでしょうか・・・。
ほとんどが出張先や外出先で撮影した
自然とか建物の風景や食べ物、
また飛行機や電車などの乗り物の写真なのですが
(趣味が単純で分かりやすいですよね。)
そういったものも、時間が経つと
僕の場合、そこまで必要としなくなるので
どんどん削除して、フォルダーをすっきりさせるのが
これまた気分爽快というか、僕の中での恒例行事なのです。
1日1枚撮影したとしても、
1年でざっと300枚以上にはなる訳ですから
そこまで溜めていくと、さすがに物質的なものではないとは言え、
まるで便秘になったかのような居心地の悪さを感じて
定期的に、こういった見えない整理整頓をするようにしています。
まだ、整理整頓ブームが到来する随分前、
局アナ時代のブログにも、同じようなことを辛口で書いているのですが
このような物質的ではない画像の整理や
携帯電話の電話帳の名簿の整理は、
そのまま心の整理、より身軽で自由な生き方、発想に
繋がっていくものだと、個人的にこれらを実践していて、
いつも実感しています。
*「消去する勇気。」
*「名刺。」
久しぶりに読み返してみて感じたのは、
人はどうしても物質的なものだけに意識が向きがちですが
こういう内面というか、見えない整理整頓もとても大切で
むしろ、これが出来ていれば、物質的なほうの整理整頓も
案外、スムースに行くものだ・・・ということ。
何故なら、家や部屋の中が散らかるのは、
心がグチャグチャか、考えが定まらず迷ってばかりいる状態か、
何かしら不安定な要素があるからであって、
その影響が、そっくりそのまま表面上の形として
表れているだけだからです。
物質的な整理整頓も、見えないデジタルな整理整頓も、
結局のところ、それを1つ1つ余計なものを見極め、
自分の手で、心で片付けていく、削除していくことによって
少しずつですが、心は安定し、
考え方も定まり、ブレない自分作りの基盤となっていくのだと感じています。
整理整頓が出来ない、どのように手を付けていいのか分からない・・・。
こういう質問や、悲鳴に近い嘆きがよく聞こえてくるのですが、
答えは、とても簡単です。
ただ、やればいいだけのこと。
ただ、手を動かし、心を動かし、その一歩を踏み出せばいいだけのこと。
そこに余計な頭脳なんて、一切必要ありません。
車の運転をしたことがない人に、運転の魅力を伝えたところで
その全てが理解できる訳ではありませんよね。
どこか遠い外国に行って、
その景色や風、土地の匂い、人の感覚を味わった人と
同じように本やネットの情報で、その国を疑似体験する人とでは
どちらが現実味があるのか、本物を理解できるのか一目瞭然のように
つまりは、動く勇気を持つのか、そのまま動かない理由を
あれこれ見つけて言い訳し続けるのかの違いだけだと思います。
だって、動けば、必ず良くも悪くも何かしらの結果が伴い、
そこから色々なことに気づくことが出来ますから。
「次はもっと効率良く整理する方法を見つけよう!」とか、
「デジタルの情報をため込まないように、月に一度、削除する時間を作ろう!」とか、
何かしら、次に繋がる発想が生まれるはずで、
これは、実際に動いてみないと実感できないことなのです。
僕自身、学生時代、机と椅子に張り付いて
ただじっとして勉強に集中するのが何よりも大嫌いで
それこそ吐き気や居心地の悪さを感じるくらい
その場から逃げ出したいくらいの落ち着きのなさで、
(今でもその傾向はあります。)
今だったら、確実に何かしらの病名をつけられていたと思うのですが
やっぱり逃げていると、見過ごしていると、
宿題もやるべきことも、どんどん増えていく一方でした。
中間や期末試験などは、
なんとか一夜漬けで乗り切っていけるのですが
その膨大な量を目の前にした時の絶望感というか
お先真っ暗な感覚というのは、今思い出してみても
身震いがするほど、僕にとっては嫌な感覚でした。
ただ、そのような状態を全て投げ出したいと思って
あちこちで愚痴をこぼしていた時、
とても信頼していたある先生が、
「とにかく、どんなに先が見えなくても1つ1つやるしかないんだよ。
1つ1つやっていけば、必ず1つずつ、その量は減っていくってことだから。
先生もね、仕事で同じことがあって、先輩の先生から同じように言われて
そこで、ただやるしかないって気づいてからは、ラクになったよ。」と
丁寧に僕に伝えて下さったことがあります。
それが勉強であれ、仕事であれ、人間関係であれ、
はたまた整理整頓であれ、その他の細かな日常生活のことであれ、
全ては同じことで、
1つ1つ向き合っていく、手や身体を動かし、心を動かし、
一歩一歩、前に進んでいくしか方法がなく、
逆に言えば、どんな理由であろうが、
とにかくやれば、動けば、一歩前に進み始めれば
必ず、次の何かに繋がっていくのが、この世の常でもあります。
だから、ただ、やればいいんです。
・・・というより、
「ゴタゴタ理由を並べる前に、言い訳をする前に
手と身体と心を動かせ!」と直接そのような「出来ない病」の相手に言わないまでも
心の中で、いつもそう感じてしまいます(笑)
世の中を複雑に考えようと思えば、
いくらでも複雑に考えられますし、
この世を生きるのは、とても難しいことだと考えれば、
確かにその通りで、とても難しいことだらけです。
実際に複雑な面もありますし、難しいことも多いですから。
ですが、自分が向き合っていくべきことって
意外なほど単純で、複雑ではなく、
これまた意外なほど、難し過ぎるということはない・・・と
個人的に感じているのも事実です。
それは、とりあえず、ただ、やっているから、
とりあえず、ただ、動いているからこそ、
その実感として、そのように感じているのです。
何事もただ動くだけで、ただやっていくだけで、
次の何かに繋がっていくものです。
これほど単純なのですから、
僕はそこまでこの世の中のことについて、
人生について、自分のことについて、複雑には考えられません。
ただ、やる。ただ、動く。
たった、それだけで
人はこの世を生きている実感、価値は十分に感じられものだと感じています。
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Posted by 山野本竜規 at 12:54
│心の在り方 (2,645)▼