山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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踏んだり、蹴ったり、散々だったり・・・が続く人へ。

2010年03月10日

いやぁ~、全国各地、荒れた天気が続いていますね。

沖縄地方も、昨日から強風と冷たい雨で
久しぶりに、ダウンジャケットを
引っ張り出して、外出したほどです。

本土の雪の影響は、大丈夫でしょうか・・・。

つい1週間ほど前までは
「蒸し暑い、蒸し暑い」と
半袖を着て言っていたのに、
途端に、ダウンジャケットですから
天気の極端な変わり様には
驚いてしまいますが
これも、大自然の力そのもの。

僕たちは、素直に受け止め、
物事を淡々と
こなしていくしかありません。

ただ、このような寒暖の差を
繰り返していきながら、
ゆっくりと暖かくなっていくのは
理想的な春の迎え方かも知れませんね。

春は、もう、すぐそこまで。

嵐が通り過ぎれば、
穏やかで、柔らかな春が待っています。

僕の霊視個人セッションを
受けに来られる方にも、
このようなタイプの方が
大勢、いらっしゃいます。

色々な大変な出来事が
連続して起こって
心が折れそうな状況が重なり、
「何で、こんなに大変なことが
 立て続けに起こるのだろうか・・・。」と
やるせない気持ちで一杯になって
その理由を求めに
来られるケースです。

確かに、大変です。

ただでさえ、大変なのに、
理由も分からず、
立て続けに色々なことが起こり、
「何か悪いことしたかな。」
「何か不幸を引き寄せたかな。」と
あれこれ考えてしまう方も
中にはいらっしゃるほど
心苦しいものですから。

でも、このような方は、
おおよそ、大丈夫なのです。

霊視をさせて頂くと
「あと、一歩。本当に、もう少し。」という状況で
あと少し忍耐なさって
淡々と物事と対峙しておられれば
自然と道が開けてくるからです。

これは、大自然の法則そのもの。

僕の人生を当てはめても、
そして、霊視を通して、
その他の方の人生を当てはめても、
皆、共通していることなのです。

大変なことが
立て続けに起こるには
それぞれの人生背景があるように
それぞれの人生分だけの
色々な理由があります。

だけど、大変な状況の時、
その渦中にいる時は、
その理由なんて、絶対に分かりません。

そして、たとえ
霊的世界から
その理由に関する何かしらの
メッセージが届けられたとしても
その時は、大変さに
集中しなければいけないので
心底理解できるものではないのです。

だから、僕は、
大変さの渦中におられる方が
「助けてください!」と
助けを求めに来られたとしても
お伝えできることは、限られています。

僕の霊視は、
その大変さから逃げずに
淡々と、しっかり対峙して
自分なりに乗り越えた・・・
という状況になった時にこそ、
最大限の効力を発揮するものなのです。

僕は、霊視の際に
例外はあるにせよ、ほとんどの場合、
その方の人生に心を寄せる作業、
つまり共感する心は持っていたとしても
絶対に感情移入はしません。

よく、霊能者やユタの中にも
必要以上に感情移入をして
一緒に怒ったり、泣いたりする
流されやすい人がいますが、
これでは、プロのカウンセラー失格だと
感じています。

何が足りないのか・・・というと、
感情だけでカウンセリングをすると、
それは、それで人間味があって
一見すると優しい人に写るかも知れませんが、
そのことによって、
人を冷静に分析し、新たな解決策、打開策を
ご提案させて頂く・・・という
霊視の中で、最も大切な作業の
障害になるからなのです。

心を寄せるべきところは、しっかり寄せて、
冷静に考えるべきところは
しっかり冷静に判断しなければ
友達や親友が
ただ単に話を聞いて、共感して
助言をするのと同じ。

プロとして仕事をするのであれば
その作業にプラスした
先の先の先がなければ意味がありません。

だから、僕は、
どんな相談をお聞きしたとしても
同情はしても、絶対に同調はしません。

この位の心の距離感で接してこそ、
僕が通訳させて頂く
霊的世界のメッセージを
しっかりお届けできるのではないかな・・・
と感じています。

閑話休題・・・。

さて、今、人生の中で、
踏んだり、蹴ったり、散々だったり・・・
という大変な状況が
次から次へと起こってしまい、
心が折れかかってしまわれている方、
もしかしたら、このブログを
ご覧になっている方の中で
いらっしゃるかも知れません。

僕が、このような方に
お伝えできるのは、
「もう、大丈夫。あと、少しです。」
ということ。

上辺だけの励ましでも、
慰めでも、何でもなく、
本気で、そのようにお伝えしています。

何故なら、
ここまで大変な状況、
もっと言えば、人生のどん底を
経験されておられるのなら
あとは、昇る一方だからです。

天気も同じ。

凄まじい嵐が過ぎ去ったあとは、
本当に穏やかな季節が待っています。

大自然の法則は、
そのまま、人生の法則にも
当てはまるものです。

嵐の時に、無理矢理外出して
自ら危険な目に遭いにいくような人は
少ないと思います。

人生の場合も、
不遇な時期、大変な時にこそ、
その大変なことから逃げずに
じっと、大地に根を張るように
しっかり耐えて、あまり動き過ぎず、
淡々と物事をこなしていけば、
そのうち、嵐は過ぎ去ります。

もっと、簡単な言葉で
お伝えするならば、
大変な時にこそ、ギャーギャー騒いだり、
ジタバタしないで頂きたいのです。

しかし、大自然の荒れた天候の場合に
皆さん、自然と
実践なさっているにも関わらず
殊、自分の人生のことになると、
急に、それが出来なくなる
打たれ弱い方が、多いような気がします。

打たれ弱いのは、
魂の成熟度、経験の差があるので
それは、それで仕方ありません。

だけど、その経験から
何も学ぼうともせず、
また同じことを繰り返してしまう
魂の学習能力のない方が
増えてきているのも事実です。

僕は、大変な時は、
絶対に、タダでは転びませんでした。

「今は、大変なことが起こっている理由なんて
 分かりもしないけれど、
 いつか、必ず、この経験が役に立つ時が来る。
 だから、逃げずに、淡々と物事に対峙していこう。」と
常に、前を見据えて
一歩、一歩、進んできました。

そして、どうせ、ここまで
大変な出来事なんて
一生のうち、滅多に起こることがないのなら
とことん、心に刻み込んで
対処方法を学んでやろう・・・という
良い意味の欲まで
出てきてしまったものですから、
ここまで来れば、
自分で言うのも可笑しな話ですが
不遇の時代を過ごすために必要な
心構えという点で、
合格点だと思うのです。

そして、こういった言葉を
お伝えすると、
必ず、「それは、山野本さんだから出来るのです。」と
情けない言い訳をされる方が
いらっしゃいますが、
ハッキリ、お伝えします。

誰もが、これを実践するために
この世に生まれてきています。

楽しいこと、嬉しいことだけを
学びたいのであれば、
敢えて、色々な人がいる「現世」、
つまり、この世に
生まれてなんてきません。

楽しいこと、嬉しいことを
より実感するために、
そのスパイスとなる
大変なこと、嫌な人、心が折れることを
体験したいがため、
自ら望んで、この世に
生まれてきているのです。

自分で設定してきた、
または、自分で望んできた
「大変さ」「辛いこと」という
魂の宿題を、
自ら放棄する人がいますか?

中には、自ら望んだ課題を
重荷に感じ、放棄してしまう、
つまり、自殺してしまう人もいますが、
それが、どういうことなのかは、
詳しく説明しなくても
お分かりになるかと思います。

だから、
スピリチュアリストとして
ハッキリお伝えしたいのは、
中途半端な霊能者やユタやヒーラーが
「世の中、楽しいことだけを考えて
 嬉しいことだけを望んでいれば
 敢えて苦しい経験はしなくてもいい。
 大変なことから逃げてもいい。」と
本当に都合の良い、いい加減なことを
言っているのが、
もどかしくて、仕方ありません。

また、その都合の良さだけに惹かれて
それを妄信する人たちも
「情けないな。」と感じてしまいます。

理想を掲げるのは結構ですが、
とても現実離れした可笑しな話ですから。

もし、そんなことを
のたまう立場にある人がいるとすれば、
それは、本当の意味で
人生の辛酸を嘗め尽くして
達観した一本柱を
持っておられる方のみでしょう。

ただ、この世で生きる・・・
ということは、
たとえ、どんな人であれ、
程度の差こそあれ
楽しいことも、嬉しいことも、
大変なことも、辛いことも
経験しなければいけないように
なっています。

そして、その大変さは、
「もう、絶対に駄目!」と感じたとしても
本人が耐え得る位の
魂の負荷しか与えられないもの。

もっと言えば、
たとえどんなに大変な
ことがあったとしても
寿命ではない限り、
亡くなることはないのです。

踏んだり、蹴ったり、散々だったり・・・。

今、その経験をされている方が
おられましたら、
自信を持って、お伝えできます。

もう、大丈夫です。あと少し、あと一歩。

あとは、淡々と物事と対峙して
その時が過ぎ去るのを待つだけです。

ただ単に、受け身で待つのではなく、
じっくり、ゆっくり、
慌てず動きながら、待つのです。

動いた、進んだ先には
必ず新しい道が開かれているもの。

どうぞ、安心して
前進なさって下さいね。

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