山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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慇懃無礼なおじさん、じいさん論。

2024年04月05日

慇懃無礼なおじさん、じいさん論。

新年度が始まって、ようやく週末を迎えますね。
本土では各地で桜も満開になるところが増えてきて、
今日はお花見をしている人たちも、よく見かけました。

僕もここまで満開のソメイヨシノの桜をじっくりゆっくり眺めて過ごす
本土の春は本当に久しぶりだったので、個人的には大満足。
思い切って沖縄から弾丸旅行をして本当に良かったです。

何か特別なことをする訳でもないのですが、大人になってソメイヨシノの桜を
ゆっくり眺めると、その瞬間や時間がいかに贅沢で貴重なものなのか、
それがより身に染みて分かるようになったので不思議です。
 
午前中からゆっくり満開のソメイヨシノを眺めながら過ごし、
その後、郊外にある天然温泉の施設で、2時間ほど入浴。

桜と温泉、または紅葉と温泉って、何故にこうもイメージ通り、
心も身体も癒される間違いない究極の組み合わせなのだろうか・・・と
1人、ホクホクの心で穏やかな時間を楽しみました。

沖縄にも数は少ないのですが温泉の入浴施設はあるにはあるけれど
本土ほどの風情はないし値段も高いので、なかなか入ろうと思わないですからね。
久しぶりの温泉、とてもリラックスできました。

桜や温泉などでリラックスする前は、
「おじさんって嫌だな。」と不愉快な想いをしていたため、
その不愉快さも桜と温泉で消えてなくなり、それはそれで良かったのですが・・・。

実は今朝、滞在しているビジネスホテルで朝食を摂ろうと、
上階の部屋から1階の食堂までエレベーターで降りる時に
60代の夫婦とエレベーターの入り口で鉢合わせになりました。

ツイッターでも呟いた通りなのですが、
ビジネスホテルは郊外の小さな安宿なので、エレベーターは人が3人も乗れば
いっぱいの極小スペースとなっています。

ちょうど朝食のために1階に降りようとエレベーターに並んでいたら、
あとから60代の夫婦がやってきて、僕が先にエレベーターに乗り、
1階までのボタンを押し、開閉ボタンを操作。

狭い中、3人でぎゅうぎゅう詰めのエレベーターが1階に到着すると、
60代の夫婦の男は、こちらに会釈もお礼もなしに、さっさと
我先にエレベーターを降りて行きました。

奥さんには普通に楽しそうに話しかけているのに、
他人は眼中にないようです。

それを申し訳なく思ったのか、次に降りた奥さんはこちらに軽く会釈をして
本当に申し訳なさそうにそそくさと降りて、
最後に僕がエレベーターから降りるという順番。

もうこういう時って、何故、日本の中年以降のおじさん、じいさんって
こうも慇懃無礼で、基本的な挨拶ができない人が圧倒的に多いのだろう・・・と
不愉快になってしまいまして。

勤め先の会社では普通に挨拶しているだろうし、
何なら利害関係が生じる相手には上辺だけ愛想良くしているはずなのに
一歩外に出たら他人への挨拶や配慮が極端にできなくなる。

その後、1階の食堂でも、ビジネスマンと思わしき50代後半のおじさんが
食堂のスタッフの方に対し、
「おはようございます。」「ありがとうございます。」「ごちそうさまでした。」の
どの挨拶も一言も発することなく、不愛想に出て行き、
これが1人や2人ではなく、中年以降のおじさん、じいさん、
ほとんどそんな感じだったのです。

スーツ姿で、これから仕事だろうに、
「あんた、取引先でも同じ態度取るのか?」と呆れてしまいました。

逆に30代以下の若い人たちは比較的、元気よく挨拶をする人が多いように感じました。
一体、日本のおじさん、じいさんたちって、どんな教育を受けてきたのやら。

会社では、既に部下も多いであろう上司という立場。

仕事では曲がりなりにも挨拶が出来たとしても、
プライベートの場所で、一切挨拶ができずに不愛想って
一番、ダメなおやじの典型的なパターンだと思うのです。

むしろ会社では、まだ周りの人たちが気を使ってくれるからこそ、
その立場でいられるのに、
組織の外へ出たプライベートでは、ただの禿げ散らかした加齢臭がプンプンの
不潔な中年男性、おまけに不愛想って、
誰からも相手にされないくらい惨めな立場だということを理解できていないのです。

むしろ、色々な意味で煙たがられる年齢、おじさんという存在だからこそ、
逆にプライベートでは愛想良く、しっかり挨拶やコミュニケーションを取るべきであり、
それが出来ない迷惑なおじさん、じいさんたちって
益々、孤立したり、気持ち悪がられたり、不愉快に思われる存在になってしまいますよ。

ちなみに沖縄では老若男女問わず、
しっかり挨拶が出来ない人、コミュニケーションが取れない人を庇う時に
「あの人はハジカサーだから。」と曖昧に擁護することがよくあります。

要するに「恥ずかしがり屋だから悪気はないんだよ。」と庇う意味合いがあるのですが、
僕からすると、仕事の場面でもプライベートでも
他の第三者と何かしらのコミュニケーションや挨拶をしなければいけない時は、
引っ込み思案や恥ずかしがり屋なんて関係なく、
ある程度はまともなやり取りができなければ良識ある大人としては失格だと思っています。

コミュニケーションが難しいのであれば、せめて基本的な挨拶くらいは、
しっかりはっきりするのが、目の前にいる人たちに対する礼儀です。

それと同じく、全国津々浦々、どこにでもいる不愛想おじさん、じいさんたちって
とにかく迷惑極まりない存在だな・・・と個人的に嫌悪感さえ覚えてしまいます。

僕も立派な中年、おじさんと呼ばれる年齢ですが、
おじさんだからこそ、周りにあまり不愉快な迷惑をかけないように
基本的なお礼の挨拶や、声掛け、公共マナーなどはしっかり守って
不愉快ではない普通のおじさんであり続けたいと思っています。

あと、これは個人的なことなのですが、
周りの女性にしても、年齢が若い人にしても、
裸の王様のような過去の栄光を引きずったままのおじさんたちを
ヨイショし過ぎというか優しさで、誰からも相手にされなくなってしまった
おじさんたちのウザ絡みを拒否せずに、受け入れてあげているところも、
このようなクソジジイどもが勘違いしてしまう要因の1つではないかなと感じています。

「あなたはもう過去の栄光でしか生きられない化石なのですよ。
もっと謙虚に周りとコミュニケーションを取るための術を学んでくださいな。」と
色々な態度で示してあげなければ、勘違いしたまま、周りの人たちに
ウザ絡みをし続けていきながら朽ち果てていく老害へと進化していくことでしょう。

上下関係が厳しい日本では仕方のないことかも知れませんが、
無能なおじさんたちがいつまでも慇懃無礼、勘違いした態度を取り続けるのも
周りが甘やかしているからという特殊な環境が成り立ってきたからに他なりません。

もう少し、おじさんたち(勘違いした無礼な人たち)に
分かりやすい態度で冷たくしてもいいと思うのは僕だけでしょうか・・・。

慇懃無礼なおじさん、じいさん論。 慇懃無礼なおじさん、じいさん論。

慇懃無礼なおじさん、じいさん論。 慇懃無礼なおじさん、じいさん論。

綺麗な桜の下では、老若男女、誰もが平等に良い笑顔になっていました。
自然の力って本当に凄いですよね。

世の中に数多く存在する慇懃無礼なおじさん、じいさんたちも、
本当に情けない今の政治家たちも、
もう一度、子供の頃のように素直に周りの人たちの言うことを聞く
純粋な心を取り戻して欲しいと願ってなりませんが、
個人的にも、この美しい景色、風景をいつまでも大切に心に留めておきたいなと
穏やかな気持ちで感じた良い1日でした。




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