山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
てぃーだブログ › 山野本竜規の続・ナカトリモチ日記 › 心の在り方 (2,645)▼ › 相手の人生の肩代わりは出来ないからこそ。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付中です。                     

相手の人生の肩代わりは出来ないからこそ。

2024年03月21日

相手の人生の肩代わりは出来ないからこそ。 相手の人生の肩代わりは出来ないからこそ。

昨日の春分の日も終わり、今日の沖縄は肌寒いながらも
穏やかな春の陽気となっています。

春分の日を前後した春のお彼岸あたりは職業柄、ナカトリモチとしても
色々な仕事が集中する時期でもあるのですが、
僕は、今週月曜日の仕事は依頼主の方にお願いして延期してもらい、
春分の日の水曜日(昨日)から仕事を再開した次第です。

先週あたりから限定的に左下腹部に圧迫感があり、ゲップが沢山出て、
日曜日には微熱まで出てきたので、「これもコロナかインフルだったら
当分の間、対面での仕事を休まなければいけないから厄介だな。」と
月曜日に内科や胃腸内科を受診したら・・・。

結果的には「憩室炎」という診断で、幸い軽度のものだったので、
入院や手術などの必要はなく数種類の薬が処方され、
それを飲み始めて数日で本当に嘘のように胃の不快感などが消え去りました。
あと、コロナやインフルエンザではなくて本当に良かったです。

これまでの人生、便秘とは無縁で毎日お通じも良く、
何ならほぼ毎日欠かさず、強ミヤリサンとビオフェルミンを飲んでケアしているくらい
胃腸は丈夫だと思っていたのですが、
そのような事情は関係なく、加齢と共に憩室炎を発症する人は普通にいるみたいです、汗。

相手の人生の肩代わりは出来ないからこそ。

確かに、ここ数年、少しヘビーな食事などを摂ると胸焼けをする頻度が増えてきました。
要するに身体は、いつまでも若くはなく、必ずどこかで老いていくということです。

もう50歳近くになってくると、年々、必ずどこかしら身体の不具合が出てくるものなので
半ば潔く諦めて、「へぇ、こんな病気、病名、身体の不具合があるのだな。」と
受け入れるほかありません、笑。

ちなみに、強ミヤリサンは本当に優秀だと思いますよ。
即効性はなく、継続して飲み続けることが大切なのですが、
僕は海外出張中に初期のコロナと思われる症状で入院して帰国し、
その後の病気療養で、必要なサプリメントを摂取する中で出会ったもので、
もう5年ほど毎日飲み続けています。

これにビオフェルミンをプラスして毎日飲んでいますが、
基本的に胃腸関連の不具合が生じることは、これまでありませんでした。

どちらも値段としてはお高めなので、年に1~2回あるAmazonのセール時期の
割引き価格の時に、半年から1年分をまとめ買いするようにしています。

閑話休題。

突然ですが、ちょうど昨日、心の呟きのように自身のツイッターで綴ったことなのですが、
他人の人生って、例え近しい間柄であろうが、
その人の人生を肩代わりすることは出来ないという当たり前のことを、
特にこの3月という出会いと別れの季節に改めて見つめ直す機会が多いなと思いまして。
 
これは本当に誰の心の中にもある想いなのかも知れませんが、
特に近い間柄の家族の誰かの働きすぎや健康を心配するのは普通のことだと思います。

そのこと自体は、相手のことを思う優しさであり、「少し休んだらどうかな。」と
身内だからこそ、近しい間柄だからこそ、伝えられる言葉があるのも事実です。

ただ、本当に難しいのが、
その優しさと共依存の境界線を自分自身で意識できるかどうかという点です。

カウンセリングなどでも、よくお受けするご相談なのですが、
「私には悩みが多くありまして。特に家族のことです。
家族の仕事、働き方が心配で。」というご質問には2パターンあり、
本当に優しさから相手を思いやってのものなのか、
それとも間柄が近すぎて、共依存から相手の領域に踏み込み過ぎたものなのか、
ここを見極めてから、次のお話を進めていくように心がけています。

究極は「そんなに相手のことがご心配なのであれば、相手が抱えている仕事、
人生を、そっくりそのまま今すぐ背負って代わってくれるのですか?」という、
少し意地悪な質問を投げかけると、おおよそ、冷静になれます。
ほとんどの人が黙ってしまいますから。

どういうことかと言えば、相手の仕事の肩代わりも人生も背負えないのに、
自ら相手の領域に入り込みすぎて、余計な心配を自分で増やしている・・・という
負のスパイラルが潜んでいるということに、気づいて欲しいのです。

まだ自立できない小さな子供のことであれば、そのお気持ちも少しは理解できますが、
(それでも子供も、その子の人生があるので親が肩代わりすることは絶対に出来ませんが)
相手は皆、それぞれの人生と向き合う精神的に自立すべき大人なのです。

その大人同士、相手のことが心配で・・・と、必要以上に相手の人生の領域に
無意識に入り込んでしまっていないか、それは家族であれ、友人であれ、
その他の親しい間柄の人たちであれ、皆、同じ距離感が求められると思います。

僕自身、もし、必要以上に大切な人たちの誰かのことを「あぁ、心配。」と
思うようなことがあれば(ほぼほぼありませんが、汗)
必ず「じゃ、僕は、この人の仕事、生活、人間関係、人生などを背負って、
その人の肩代わりが出来るのだろうか。」と考えてしまいます。

そして、おおよそ100%、答えは「無理」に決まっています。

そこで初めて、それが優しさからではなく、自分のエゴや依存心から
「あの人のことが心配で。」と、必要以上に相手の領域に入り込んでいたのだなと
自分自身で気づくことが出来れば、一番理想的だろうなと感じています。

だからこそ、悩みというのは、常に現れるものかも知れませんが、
それが本当に、今、この瞬間、貴重で大切な時間を使ってまでも、
心を痛めて悩むべき事柄なのか、もう一度、他の誰でもない自分自身で
見つめ直して欲しいと思うのです。

悩む時間が勿体ないのではなく、自分が抱えられない、背負えない、
肩代わりできない無駄なことで悩む労力が勿体ないのです。

それなら自分の将来や今の生活や生きづらさなど、
今の自分の人生に向けて悩んだほうが、よっぽど建設的です。
(それはそれで苦しいはずですが。)

人はよく悩むものですが、その悩みを分析して
本当に今、悩むべきことなのか、それとも相手に対するただの依存心からくる心配なのかを
冷静に選別する人は、とても少ないように思えます。

悩みはあってもいいけれど、どうせ悩むのであれば、
背負えない、または肩代わり出来ない他の誰かの人生のことではなく、
先ずは自分自身の在り方について、しっかり悩み、考え、その都度、答えを出しながら
一歩一歩進んでいくだけで十分立派だと思いますよ。

この時期は、巣立っていく我が子を見送る方も多いことかと思います。
はたまた年度末の大詰めで、仕事に追われる家族や近しい間柄の人たちのことを
心配に思う方もいらっしゃることでしょう。

優しいお声がけ、相手のことを思いやる心は絶対に大切かも知れませんが、
その大切な相手の人生の肩代わりは絶対にできないということも、これまた事実です。

相手の領域、自分の領域。
どちらも程良い距離感を保ちながら、自分の生活に専念できれば理想的ですね。






同じカテゴリー(心の在り方 (2,645)▼)の記事
Posted by 山野本竜規 at 16:45 │心の在り方 (2,645)▼