山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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貧すれば鈍するを言い訳にしない。

2023年10月01日

貧すれば鈍するを言い訳にしない。 貧すれば鈍するを言い訳にしない。

今日から10月。月初めで区切りもよく、1週間ぶりに
ビジネスホテルの仮住まいから解放されて自宅に戻ってきました。

冒頭の写真はリビングのビフォーアフターですが、
ここまであっという間に綺麗に仕上がるものなんですね。
プロの職人さんたちの熱心な仕事ぶりには感服するばかりです。

今回は自宅をより快適するために換気システムを改良し換気口を増やして
湿度や結露対策(南国・沖縄では常に悩みの種なのです)に備える
工事がメインだったのですが、こんなに大がかりなものになるとは思わず、
逆にここまで本格的に補修工事をして下さって有難い限りです。

貧すれば鈍するを言い訳にしない。

写真のように天井部分に換気口を備えたものを他の場所にも数か所作って
より家の中の空気が程良く循環するように改良されました。

もともと綺麗だった壁紙も再度、新しく張り替えて下さり、
工事後の清掃も驚くほど見事なまでにピカピカで
(窓枠とか部屋の四隅の細部まで完璧なまでに綺麗にして下さいました。)
逆になんだか申し訳ないやら、嬉しいやらで・・・。

僕も基本的に家の掃除はしていますが、
窓枠や網戸、洗濯機の下などの掃除はそこまで行き届いていなかったのに、
それらも全て綺麗にして下さっていたので、
工事だけでなく、後片付けを含めたその丁寧なお仕事ぶりに驚いたというのが
正直な感想です。

ここ最近の沖縄本島は晴れていたかと思うと急に雨雲が出てきて
激しい雨がずっと降り続くといった不安定な天気が続いているのですが、
今日、帰宅して激しい雨が降って窓の外を眺めていると、
網戸がしっかりと雨水を弾いてくれているのが見てとれたのです。

多分これ、網戸の防水コーティングもして下さったのではないかな・・・と。
明らかに今までと違って、よく雨水を網戸が弾くのです。

大家さんが地元の建設会社で、そこが責任をもって工事をして下さるだけで
安心感が格段に違うだけでなく、片付けや清掃の最後の最後まで
ここまで綺麗にして下さるだなんて、益々、ファンになってしまいましたし、
これからも可能な限り、綺麗に丁寧に住んでいきたいなと素直に感じました。

それと同時に、このような丁寧な仕事ぶり、信念を以て何かに取り組む姿勢は
僕自身も全部は真似できなかったとしても、自分なりに
しっかりと持ち続けていきたいものだなと感じたのも事実です。

閑話休題。

世の中がこれだけ不安定で、あまり良いニュースが流れてこない情勢の中、
人は投げやりに生きようと思えば、いくらでもクオリティを落として
落ちるところまで落ちることなんて、本当に容易いものだと思います。

「貧すれば鈍する」という言葉があるように、
今の日本は、本当にそこかしこから、この言葉の意味が
ひしひしと体感できるくらい、色々なところでサービスや仕事のクオリティの低下を
感じる機会が格段に増えたように感じます。

実際、この前でかけた東京滞在でも、
日帰りバスツアーの諸々の人的対応が「ここは北朝鮮か?」と思うくらい
(行ったことないけれど。)
あまりにも酷い接客レベルにまで落ちまくっていたり、
立地的にベストな、それなりのお値段はするであろうホテルでも人手不足なのか
対応がかなり雑になっていたりと、
コロナ禍明けの慢性的な人手不足に物価高、おまけにオーバーツーリズムが重なり、
心からプライベートで旅行を楽しめる環境ではなかったというのが正直な気持ちです。

世の中の閉塞感は、それ自体は仕方ないし、
その灰色のような薄暗い空気感は、それはそれとして今は受け入れるしかありません。

僕自身も、どこからどう捉えたって、
今の日本の政治の在り方や経済対策などは完全におかしいと思いますし、
「また庶民とは全く乖離した考えを押し通そうとしているのか。」と
色々な愚策が施行されるたびに、うんざり、どんよりする気持ちになるものです。
共感や聞く力なんて全く備わっていない今の政治に期待すらしていません。

ですが、だからと言って、そのようなもどかしさ、不安な部分を
自身の生活や仕事の姿勢に持ち込むのかと言えば、
そこは個人的には全く別物だと考えています。

今の世の中、SNSなどを中心に
「日本の経済も不安定で賃金も安いから、接客も海外みたく雑でいいよ。」みたいな
いい加減さを擁護する意見がもてはやされたり、
自称、みんなの代表みたいな浅薄なインフルエンサーたちが
こぞって、そのような意見を擁護するものだから、
「自分の人生や世の中の不満を仕事や生活に反映させてもオッケー。」と
無意識に間違った自信を持つ人たちが一定数増えてきている現状があります。

本当にバカバカしい。

世の中の不安定な情勢は、それとして、
そのような不満や不安を、自分の人生や仕事に持ち込んでいいと勘違いするのは
ただの流されやすい浅薄な馬鹿としか思えません。

確かにいくら一生懸命に働いたとしても、
今の物価高に見合った給料が支払われる訳ではないので、
やってられない・・・と、投げやりになる気持ちは痛いほどよく理解できます。

本当にせこい話で申し訳ないのですが、
この前、建築業者さんへの工事の差し入れの買い物をした時、
スーパーでランチパックという袋に入った総菜パンを買ったのですが、
1つ200円くらいして驚いてしまったほどです。
だって僕が会社員だった15年くらい前は、その半額か少し上乗せした値段で
同じものが購入できましたから。

それなのに賃金や年収が15年前に比べて2倍になっているのかと言えば、
ほぼ横ばいか少し上がって、それでも企業は「賃上げドヤっ」と
自己満足しているくらいですから、そりゃ、やる気にしても、働くモチベーションにしても、
一気にダダ下がりになってしまうのは当然と言えば当然ですよ。

物価は高くなるのに給料は一気には上がらず苦しいままで、
政治家も庶民の味方どころか好んで敵になるような言動、政策ばかりをやりたがるし、
先行き不透明で、いくら働いたって豊かな生活なんて望めない。

戦時中のような同調圧力で「欲しがりません。勝つまでは。」を
推し進めたい訳ではなく、世の中の情勢は情勢として受け止めながら、
せめて個人、個人は、その不満や不安を仕事などに持ち込まないように
心がけることは、いかようにでも可能ではないかなということをお伝えしたいのです。

投げやりの対応、諦めた仕事の姿勢ぶりは
必ず本人のクオリティを下げるだけでなく、周りの人たちにも伝染してしまうものです。

「この人がいい加減になっているのだから、自分もいい加減でいいや。
正直者が馬鹿を見るように、一生懸命やっている人間だけが損をするのなら、
いい加減にやったほうが得をするだろう。」

必ずこのような怠惰な空気は伝染して、似たような人たちが同調して
全体の士気を下げてしまうものだからこそ、
少なくとも個人、個人でやるべきこと、守らなければいけない最低限のことは
仕事にしても、プライベートにしても維持し続ける力が求められているのが
今の時代なのではないかなと感じています。

こんな世の中だからこそ、それでも直向きに自分の良い仕事を守り続けるだけで
周りの人の生きる希望になったり、元気や勇気をもらったり、
良い何かをご縁がある人たちと共に紡いでいけるものではないでしょうか。

僕はやっぱり良い仕事をする人たちが心の底から大好きです。
仕事だけでなく、個人的な良い生き方を模索し続けながら
その人なりの生活を積み重ねていくような人たちから勇気をもらえますし、
逆に僕自身も、そうありたいと素直に思えるからこそ、
公私共に少しでも周りに迷惑をかけないように生きていこうと
おのずと居住まいを正していけるのだと思います。

どちらに流されるのかは、その人次第ですが、
僕は断然、心ある生き方をする人たちと共に同じところを向いて
進んでいきたいなと素直に思います。



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Posted by 山野本竜規 at 21:09 │心の在り方 (2,645)▼