山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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迷った時は無理に動かなくてもいいからね。

2021年05月20日

迷った時は無理に動かなくてもいいからね。

先日、個人的な知り合いのみで繋がっているSNSで
長年の付き合いになる友人が、このような写真を投稿しておりまして。

とてもナルシストで自分の容姿に自信があるこの友人、
いつもは自撮り画像、動画が多いのですが珍しくたったこれだけだったので、
逆に「何かあったのか?」と勘繰ってしまったほど、笑。

どこか郊外の山頂らしきところから撮影したもので、
「열정」(ヨルッジョン)という文字を連打しており、
これは日本語の漢字に直訳すると「熱情」となります。
とてもややこしいのですが、「情熱」ではなく「熱情」。

もっと分かりやすく説明するならば、「熱情」も「情熱」という単語も、
どちらも韓国語、日本語に存在しますし、どちらも似たような意味です。

ただし韓国語の「熱情」は一般的な口語で、「情熱」が文語体、
日本語の「情熱」は一般的な口語で、「熱情」が文語体・・・というように
その使い方が真逆なのも面白いですよね。

あくまで僕個人の経験則なのですが、韓国の友人家族や知り合いが、
この「열정」(熱情)という単語を使う際は、
何かしらのことに対する熱い想いがある時に使う日本語の「情熱」の意味も持ちつつ、
それに加えて、見えない背景として、
「毎日、少しずつコツコツと努力する。毎日、懸命に何かを積み重ねていく。」という
地道な作業と向き合うプロセスを含めて、その単語にそれらの背景を重ねることが
多かったような気がします。

日本以上に厳しい大学受験の時とか、就職試験、兵役の最中、
はたまた人間関係で壁にぶつかったり、夢や目標の途中に自身を鼓舞する意味合いも込めて
「열정」(熱情)を使っているのを身近で見聞きしていたので、
そう感じるのですが、他にも何かしらの使い方があるのかも知れません。

「千里の道も一歩から」「ローマは一日にして成らず」「一朝一夕には完成せず」

色々な慣用句が思い浮かびますが、
韓国の友人の場合、普段はほとんどやることがない登山をして
長い長い坂道を登り切って山頂に立ち、眼下に広がる雄大な景色を眺めながら
一体、何を想っていたのでしょうか・・・。

ちなみに韓国では日本以上に登山やハイキングが休日のレジャーとして普及しており、
平日、週末問わず、パステルカラーのド派手なファッションをした
韓国のおばちゃんや、少し控えめのファッションのおじさんたちが、
ハイキングに出かける姿を地下鉄やバスの中でよく見かけます。

友人も僕もお互い随分若かった学生時代、ソウルの街中で
ハイキングに出かけるド派手なおばちゃんグループに出くわすと、
「歳を取ったら、お前もああやってハイキングに出かけるようになるんじゃない?」と
僕が友人をからかっていたものですが、独特なファッションはともかく、
それなりに年齢を重ねて、友人もやはりハイキングに出かけるようになったか・・・と
その時間の流れを感じてなりませんでした。

ハイキングは健康にも良いと思うので、それを否定しているつもりは毛頭なく、
ただ個人的に「韓国のハイキング=ド派手なおばちゃん、おじさんがやるもの」という
イメージがあるだけの話です。
あとこれまた個人的に山が苦手で海沿いが好きなので、そこに食指が全く動かないという
本当に個人の好みの問題です、汗。

そのような事情も踏まえ、普段は滅多にハイキングなんてしない友人が
自撮りもせずに山頂からの風景のみを掲載していたことに不思議な違和感を覚えた僕は
タイミングを見計らって本人に「何かあった?」とメッセージを送ってみることにしました。

すると、どうやら社会人としての本人の意向と、勤めている会社の意向の違い、
その差がどんどん広がっていき、その組織での進退について考える機会が増えたとのこと。

僕と違って、いつも穏やかで人や周りの何かと衝突することはせず、
常に周りの人たちのことを第一優先にして動いていく配慮が出来る、とても優しい友人。

協調性があって周りの人たちからの人望も厚い友人が、
人知れず自身の方向性と、勤務している会社組織の方向性の違いの広がりが
大きくなり過ぎて、自身で立ち止まり、今後のことを考えている・・・。

支えなければいけない家族だっているし、
自身がこれまで積み上げてきたキャリア、立場だってあるし、
コロナ禍含めた今の世情から考えてみれば、
そう簡単に今の環境から飛び出して、他の組織で働いて上手くいく保証なんてどこにもない。

でも会社の人にも相談できないし、家族に心の内を全て吐露したら、
それこそ心配されてしまうので、迷惑はかけられない・・・。

だから思い切って休みを取って、1人で登山に出かけて
色々、考えながらこの景色を眺めていた・・・とのこと。

そのような背景があった上での「열정」(熱情)の文字連打だったのかぁ・・・。

きっとこれまで積み重ねてきた努力、時間、人間関係、家族関係など
言葉も文化も違う遠く離れた場所で暮らしている僕からは想像もつかないほど
心優しい友人は色々な努力をして、今の立ち位置、信頼関係を築き上げてきたのだと思います。

そして今、それらを一旦リセットして、また新しい環境に飛び込むのか、
それとも保留にして今の環境に留まるのか、
ゆっくり時間をかけて自分自身で答えを見出そうとしている最中でした。

こういう時、友人の僕が出来ることは何もありませんし、
その決断は他の誰でもない友人自身ですることなので、
僕はただ話を聞いて、この優しい友人がこれまで築き上げてきたものに対して
可能な限り思いを馳せるのみ。

人はどんな人生を歩んでいようが、長く生きていれば、この友人のように必ず誰しも
何かしらのタイミングで、岐路に立たされることがあります。

そこで色々な選択肢があったとしても、最終的にどの道を選択するのかは
その人に委ねられているものであり、それは難しい判断なのかもしれませんが、
だからこそ、人は、その人なりの物語、人生を築き上げていくことが出来るのだと感じています。

迷っても、悩んでも、立ち止まっても、考えても、
それでも答えが出ない時は、無理してその答えを出さなくてもいいでしょうし、
また心の余裕が出てきた時に何かしらの判断を下せばいいと思うので、
焦る必要もないと思います。

そういう時、自身が築き上げてきたもの、コツコツと積み重ねてきたもの、
色々なものが一気に崩されてしまうような錯覚に陥ることかも知れませんが、
友人が連打していた「열정」(熱情)のように、
その人なりにしっかりと積み重ねてきた何かしらの経験、自負さえあれば、
それは一生涯、その人の中に残っているものであり
決して消えることはない財産だと思うのです。

人には人の数だけの答えがあり、人の数だけの選択肢があり、
人の数だけの人生の進み方、築き上げ方があるものです。

後悔するか、しないかなんて寿命の限り生き抜いて、
この世の人生を終える時にくらいしか分からないものですし、
人はどんな形であれ、命ある限り、今日も今日とて生きていく他ありません。

コロナが落ち着いて、またお互いの国を自由に行き来できるようになったら、
性格も好みも考え方も生き方も全く違う優しい友人を、
僕が大好きな沖縄へ招待したいですし、
一方的ですが、僕が大好きな沖縄の風景をゆっくり見せてあげたいなと思っています。

どんな人生であれ、一歩一歩進んでいけば必ず道が出来てくるもの。

韓国語の「열정」(熱情)も、日本語の「情熱」も、
その意味を深く感じながら、異国で生活する友人に思いを馳せています。


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Posted by 山野本竜規 at 11:45 │心の在り方 (2,645)▼