山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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呼吸が出来る、指が動かせるだけで合格点だったので。

2021年04月01日

呼吸が出来る、指が動かせるだけで合格点だったので。

今日から4月。新年度の始まりです。
今日という1日が何かしらの生活、人生の節目となっている方も、はたまたいつもと変わらない
生活の延長線上に今日があるという方も、
どちらにしても、今日から新年度の切り替わりという日を意識するだけでも
また気持ちを新たに日々の生活に向き合っていけるのではないでしょうか。

僕自身、会社勤めではない自営業者で、おまけに去年、今年と
病気療養がメインの生活を送っているため後者、
いつもと変わらない生活の延長線上に新年度の切り替わりの今日という日があるのみですが、
それでも今日の1日の始まりを、
とても清々しい気持ちで迎えることが出来ました。

たったそれだけのことですが、たったそれだけのことでも気持ちが良いものです。

沖縄地方はここ1~2週間で随分蒸し暑い日が増えてきて、
今朝も太陽が出ているものの、朝から部屋の中がムチャムチャ(蒸し蒸し)している感じで
特にここ1週間のうちに堪らずエアコンのドライ機能をオンにされた方も多いと思います。

僕は先日、夏用の寝具に取り換えたのですが、
取り換えた後、そのままにしていた冬用の厚手の掛布団を
近所のコインランドリーに持って行くと、
なんと2機ある布団用の洗濯乾燥機が全て埋まっており約2時間半待ち。

冬用の厚手の掛布団は家庭用洗濯機、乾燥機では大き過ぎて難しく、
こればかりはコインランドリーのお世話にならなければどうにもなりません。

結局、潔く諦めてまた別の日に再チャレンジすることにしましたが、
次の日も、また次の日も同じ結果で、未だコインランドリーで洗濯乾燥が出来ずにいます、汗。

どこの家庭でも寝具の入れ替えや衣替えなども同じタイミングだったようで、
ここ数日の布団洗濯乾燥機の激混み具合を見ても、
皆、考えることは同じなのだなと思いながらコインランドリーを後にしました。

この際、思いっきり時間をずらして
深夜か早朝にコインランドリーに行ったほうがいいかも知れませんね。

とりあえず4月に入ったばかりの僕の今の目標は、
なるべく早く冬用掛布団をコインランドリーで洗濯、乾燥して来季まで収納すること。

とても小さな目標ですが、それでも、とりあえず自分なりに達成したいことがあるというのは、
いつもと変わらない日常生活の延長線上であったとしても、
程良いメリハリが出来て適度な刺激になるものです。

勿論、そんな小さな目標であったとしても予定通りに物事が進んで
全て達成できるという訳でもないのですが、
それはあくまで結果論であって、そこに心と身体を向けて動いた自身のプロセスだけは
他の誰でもない自分自身で認めてあげたいものです。

1年半前に病気で入院手術を経験し、色々な医療機器に繋がれている状態で
身動きが取れない時期、当たり前のようにやっていた1つ1つの動作が出来なくなり、
またそれが少しずつ出来るようになってきた感覚と、その時の新鮮さは
今でもはっきりと覚えています。

指を動かす、スマホ画面を見続ける、呼吸をする、息を吐く、
座る、立ち上がる、少しだけ部屋を歩く、スプーンやフォークを自分の手で持って食事をする・・・。

入院中、病気の症状が深刻だった時はこれらすべて1人では出来ず、
とにかく指を動かしてスマホを持つのも、画面を見ることさえも、とてつもない疲労感が伴い
これまで意識すらしたことのなかった動作の1つ1つ、それが普通に出来ることが
実は普通ではなかったのだな・・・という当たり前のことを実感しました。

手術後、山場を越えて少しずつ体力が回復してくると、
身体は辛いながらも、10分、20分と自発呼吸が出来る時間が長くなり、
酸素吸入器を外す訓練をする時も、呼吸なんて意識して行うものではないため、
ここでも当たり前のことが当たり前ではない感覚をしっかりと身体に刻み込むことが出来ました。

それと同時に、指1つ動かす、呼吸を1回行うことが出来るだけで、
人は生きていく希望を持てるということも高熱でボーっとしていた頭の中で
おぼろげながら感じていました。

あの時の感覚が今でも鮮明に心と身体の中に刻み込まれているため、
人は生きているだけで、生き抜くだけで合格点だなということを
今まで以上に大切に日々の生活と向き合うことが出来ています。

勿論、日々の生活の目標は高ければ高いほど良いのかも知れませんし、
それに向かって努力するプロセスは決してマイナスにはならないと思うのですが、
だからと言って、それを無理強いして自身の身体や心を壊してしまうの結果になるであれば
元も子もありません。

若いうちは自身の限界、限度を知るという意味において多少の無理をしても
まだ気力体力共に回復しやすいかと思いますが、
ある程度の年齢を重ねた人が同じことをやろうとすると、必ずどこかで
その負荷がかかって不具合を起こすようになるものです。

僕の場合は肉体的な病気という形でそれが表れましたが、
1日、1日、何も起こらず何も成し遂げず、それでもしっかり1日を終えることが出来れば
それで十分、合格点だと今まで以上に身を以て感じているからこそ、
小さな目標でも、あるだけで十分、その小さな目標でも成し遂げられたら御の字で
成し遂げられなくても大丈夫だと、
気負い過ぎて疲弊しておられる方々にお伝えしたいのです。

自分で呼吸が出来ただけで喜び、スマホを持ち上げられた、
画面を30秒以上見つめられただけで、その都度嬉しく感じる。

たったそれだけのことですが、たったそれだけのことでも嬉しいのです。

今日からの新年度、緊張して気負うのは仕方がないとしても、
無理をし過ぎず、それぞれの気力体力、生活環境に見合った生活を
積み重ねていければ理想的ですね。



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Posted by 山野本竜規 at 09:23 │心の在り方 (2,645)▼