山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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強い拘りは人生を停滞させる原因の1つです。~台風の後片付け~

2020年09月02日

強い拘りは人生を停滞させる原因の1つです。~台風の後片付け~

台風9号、一昨日から昨日にかけて沖縄本島地方をゆっくりと通り過ぎ、
今は九州地方にその影響が出ているようですので、対象エリアにお住まいの方は
十分に警戒されて下さいね。

僕が住んでいるエリアは、なんとか停電せずにその他の被害もほぼなかったのですが、
それでも雨風共にとても強くて、久しぶりに台風らしい台風だったと感じています。
この勢いのまま九州などに影響が出てくれば確実に大変なことになりますから、
その次に発生している10号を含めて、まだまだ油断出来ませんよね。

台風が過ぎ去った沖縄は、今日、旧盆最終日のウークイで、
本来であればエイサーの掛け声などがあちこちから響いてくる
一番、沖縄の夏らしい夏を感じられる大切な1日でもあります。

今年の旧盆は大型台風、コロナ感染再拡大のダブルパンチだったので、
各家庭の旧盆行事も最小限、大人しく家の中で過ごしたという声もあちこちから聞こえてきて、
おまけに今日は台風後の後片付けに追われた家庭も多かったと思います。

僕も台風通過中の丸2日間は完全にヤーグマイ(家籠り)で、
残念ながら低気圧の影響で、普段とは違う部位の頭痛が続いていたため、
ほとんど布団の中か、ソファーの上で寝て過ごす旧盆となりました。

いつもの頭痛は後頭部のみなのですが、今回は耳の裏からこめかみ、目の奥まで
ズキンズキンと響いてきて、目の奥の痛みで時折、涙が出てくるほど。

頭痛薬を飲んで、かなり緩和されましたが、
気圧の変化によるグズグズとした体調の悪さ、頭や身体の重さは
若い頃には一切感じることがなかったものなので、
「これが加齢というものだろうな。」と苦笑いしながら、ただ台風が収まるのを
じっと待っていた旧盆でもありました、笑。

気圧の変化、天気が悪いというだけで頭痛がしたり、体調が悪くなるというのは、
知識上では理解していたつもりなのに、
30代半ばくらいまでは自分の身で体感したことがなかったため、
こういうことって1つ1つ自らの身体で覚えていくしかありませんよね。

それはさておき、今朝は5時前に目が覚めて
ガソリンスタンドに大行列が出来る前に洗車をしに行きましたが、
既に早朝でも3台、先客がいました。

強い拘りは人生を停滞させる原因の1つです。~台風の後片付け~ 強い拘りは人生を停滞させる原因の1つです。~台風の後片付け~

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沖縄は海に囲まれているため、常に潮風が吹いており、
台風直後となると、車も家の窓も玄関もベランダも全て塩でベトベトになってしまいます。

これが塩害が多い理由なのですが、
特に車の場合は、なるべく早めに真水で流しておかないと
いくら塩害対策のコーティングがされている車とは言え、すぐに錆が出来てしまい、
いつも台風直後から数日間は、ガソリンスタンドに洗車のための大行列が出来るのも
台風通過後の風物詩でもあります。

いつも大行列に並ぶのが嫌なので、
時間に余裕がある時は、なるべく先手を打って早朝にガソリンスタンドに行くようにしていますが、
少なからず同じようなことを考える人たちがいるもので、
今回は10分ほど並んで洗車することが出来たので、朝から動いて良かったです。

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そして明るくなってからは、
塩でベタベタになったベランダや窓、エアコンの室外機の掃除を開始。

写真だと少し分かりづらいのですが、エアコンの室外機の場合は
壁と向かい合っている狭い場所の青色のパネル(これは沖縄仕様の錆防止パネル)に
真水を直接かけてあげるだけで良いと業者の方に教わりました。

台風通過関係なく、月に1回、エアコンを止めたタイミングで、
室外機に真水をかけ流してあげるだけで(水をかけるだけで洗わなくてよし。)
室外機が錆になることはなく、10年~15年、普通に長持ちするそうで、
エアコンが新しくなってからは、月に1回、必ず行っている作業でもあります。

エアコンの室外機の水かけと、ベランダの窓やウッドパネルの掃除をした後、
台風中に避難しておいたベランダ用のテーブルとイスをまたベランダに出して、
あとはそのまま太陽の光で乾かせば、外の掃除は完了。

この掃除の時に使った水は、万が一停電した時のために湯舟に貯めておいた水を利用。

今回も沖縄県内で1日~2日間、停電を余儀なくされたエリアもありますから、
その際、水のタンクから各住戸に水を引き上げるモーターも止まり、
やがてトイレやその他の水が使えなくなってしまう経験も過去にあったため、
どちらにしても、水は貯めておいたほうが無難です。

あと以前、オール電化の住宅に住んでいたことがあったのですが、
この時、台風で3日間停電してしまい、オール電化だったため、
ガスも電気も水道も全てストップして大変なことになってしまった苦い思い出があります。

それ以来、賃貸物件を選ぶ基準の1つに
台風が多い沖縄ではオール電化は便利だけれども絶対に選ばない・・・という
僕なりの選択肢が出来て、
電気がストップしても、ガスやその他の何かが使える余裕は残しておきたいな・・・と
今でも思っています。

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今回、我が家の場合は、強い風雨で玄関から雨水が侵入してきて
応急措置としてタオルを敷いて事なきを得ましたが、
台風に慣れている沖縄の気密性の高い集合住宅の部屋でこの有様ですから、
今回の台風が、いかに強いものだったのかを物語っていますよね。

何はともあれ昼過ぎまでは、このような台風の後片付けでバタバタしてしまい、
台風通過後は涼しくなると思いきや、思いっきり蒸し暑くて
汗も止まらずバテ気味になりましたが、旧盆最終日も心地良い疲れで
このまま終えることが出来そうです。

さて・・・。

先ほどもほんの少しだけ触れましたが、僕は賃貸物件を選ぶ時、
過去の台風の経験から、台風で停電しやすい沖縄では
絶対にオール電化住宅を選ばないとお伝えしました。

それは他の選択肢、余白を残しておきたいからに他なりません。

電気がダメなら、ガスがある。
電気がダメなら、水道がある。

災害時など電気が全てストップしてしまったら何も機能しなくなってしまう可能性が
オール電化住宅には十分あり、
そのためにも、その他の選択肢があるほうが、1つのことで苦しまずに済むということを
実体験で感じることがありました。

別にオール電化住宅が悪いということではなく、とても便利な反面、
いざという時に困る側面もあって、あとはどちらに重きを置いて選ぶのかは
その人の自由だと思っています。

この選択肢の余白と同じように、人生や日々の生活も、
あまりにも1つのことに拘り過ぎたり、「〇〇でなければいけない。」という
「have to~」「must~」が強すぎると、それだけ自分を苦しめてしまったり、
追い込んで窮地に立たされる危険性も孕んでいるということを忘れないようにしたいものです。

「私の性格は〇〇だ。」「私の人生は〇〇だ。」「私のこだわりは〇〇だ。」

そういう核をなすものは、ある程度自身の中に持っていたほうが絶対にいいと思うのですが、
あまりにもそれが強過ぎると、イレギュラーの出来事、不可抗力のような出来事が起こった時に
自分の拘りから抜けられず、苦しむことになります。

ある程度の指針や信条はしっかりと保ちつつも、
時には流されること、他の選択肢もありだということを受け入れる心の余裕があれば、
その時の変化に応じて、臨機応変に方向転換できたり、対応できたり、
やり過ごしたり出来るものです。

「私はオール電化の家しか信用しない。便利だからこの生活以外考えられない!」という
強い拘りを持つのは結構なのですが、
台風やその他の災害で停電が長引いた時、果たして同じ主義主張や拘りを
頑ななまでに固持していくほどのポリシーなのかどうか・・・。

そういう意固地な信条を持つよりも、
時は常に変化し、目の前の状況も常に変わっていくからこそ、
より多くの選択肢を持っておいたほうが、色々な意味でラクだと思うのです。

「私はこの道、1本で生きていく!」という信念はとても立派ですが、
もし何かしらの事情で、その道が絶たれてしまったらどうなるのでしょうか・・・。
というより、こういう予想外、想定外、不可抗力って、
生きていれば大なり小なり、誰にでも必ず平等に訪れるものですよ。

そういう時に、いつまでも自分の崇高な信念だけに拘り続けて自分を苦しめてしまうのか、
それとも、ある程度は受け流し、妥協して「今、このタイミングは無理をせず、
他の道、方法を探ってみるのもありかな。他の選択肢もありかな。」と
必要以上に自分に拘らず、他の方法を探ってみる自由さを持つのか・・・。

僕は完全に後者のほうが、より心豊かに生きていけるような気がしてなりません。

自分1人の力には限界があり、
自分1人の努力にも限界があり、自分1人の拘りにも限界がある。

だからこそ、やるべきことをある程度やったのであれば、
あとは第三者の意見に委ねてみたり、時の流れが変わるまで待ってやり過ごしてみたり、
「〇〇でなければいけない。」という強過ぎる拘りを横に置いて、流されてみる・・・。

僕の人生の場合は、「〇〇でなければいけない。」という強い拘りはありませんが、
「〇〇でありたいな。」という想いで生きていたとしても、上手くいかないことだらけでした、笑。

本当は安定している会社員生活が大好きで、
大好きな職場でずっと定年退職まで過ごしていければ、どれだけ心地良かったことか。

ずっとサラリーマン生活を送っていたいな・・・と思っていたとしても、
いくら社会人としての常識や技術を身に付けて頑張っていたとしても、
自分の力ではどうすることも出来ない家族の死や病気、介護のことで、
自分の意志とは関係なく、サラリーマン生活にピリオドを打たなければなりませんでした。

そこでもし強い拘りがあり過ぎて、「サラリーマンを絶対に続けなければいけない。」と
意固地になっていたら、今のような生活は送っていなかったことでしょう。

台風の時と同じで、人生には決して抗えない不可抗力が働き、
自分の意志、努力、力とは関係なく、
何かしらの流れに身を委ねなければいけない時があります。

そして、そのほうが後々、その人にとって苦労も多いけれど、
心豊かな人生に繋がっていることも多々あって
だからこそ、その選択肢の余裕というか、「〇〇でなければいけない。」ではなく、
「〇〇という道、方法、生き方もありだな。」という余白を残しておいたほうが、
必要以上に自分の首を絞めて苦しむことはなくなると思うのです。

そして、おおよそ、そういう時こそ、肩の力を抜くと、上手く流れていくものです。

自分1人の力ではどうすることも出来ない、自分1人の努力ではどうすることも出来ない
人生の流れなんていくらでも存在するからこそ、
やるべきことをやったら、あとは流れに委ねる。

そして「〇〇しかない。」「〇〇でなければいけない。」という拘りは
往々にして、上手く流れていく人生の足かせとなることが多いということも
決して忘れないようにしたいものだなと常々感じています。

九州地方は台風が接近中です。
やるべき準備をしたら、あとは静かに時が過ぎるのを待ちましょう。
そして、過ぎたら、やるべきことをまたやって、
そこから生まれる新しい流れにヒントを見出していく生活も、またアリなのではないでしょうか。



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