*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付中です。
手柄を横取りする泥棒人間。~生き方が不幸ですよね~
2020年01月20日


先日、友人が、ずいぶん昔に
とある著書が有名になった某作家と一緒に仕事をする機会があり、
その仕事が本当に近年稀に見るくらい残念な内容だったようで、
コーヒーを飲みながら事の顛末を聞いておりました。
友人や周りにいた関係者の話を総合すると、
とにかく周りの人の話を聞かずに自分、自分と前に出しゃばって自分アピールをしたがる、
他の人が話をしているにも関わらず畳みかけるように間を割って入りこんできて
そこでまた自分の話に強引に持っていくなど、
プライベートではない仕事の場でやりたい放題、わがまま放題だったようで、
先ずこの時点で1人の人間としては本当に最低最悪なレリゴーブスと言えます。
でも表面的には良い人面をして、他の誰かのためを思う発言やスタンスをアピールするので
こういう表面的な部分だけに騙される、その作家のメンヘラファンも多くいて、
「もっと人を見抜く目を養えよ。」と思いましたが、まぁ、馬鹿は馬鹿同士でしか仲良くならないので
それも仕方のないことなのかな・・・と感じました。
ちなみにその作家の著書、僕が20数年前の局アナウンサー受験をしている際に
一部の間で流行していた本なのですが、
どういう訳か集団面接に行く度に、自分探しが大好きで情緒不安定なメンヘラ女子学生が
「愛読書」として挙げていたのを「なんだかなぁ」と思って冷ややかに見ていた思い出があります。
要するに就職先がなかなか決まらず、将来の先行きも、自らの人生も見えず、
様々な不安が増幅している中で、1人の女性が東南アジアなどを巡り自分探しの旅に出かけて
現地の死体や色々なものが浮いている川に飛び込んで泳ぎ新しい自分を発見していく・・・
という本の内容に感化されたメンヘラな若者が、
自らの情緒不安定な人生を重ね合わせて共感するような陳腐な内容だったので、
僕は当時からその作風が大嫌いで「この本のどこがいいのだろうか。」と、
とても懐疑的だった記憶があります。
他人の行動に影響されて、それらを追体験するようなことはせず、
もっと自分なりに考えて、与えられた環境の中で自分に合った経験を
積み重ねることのほうが大切なのにな・・・と。
当時僕は大学4年間、新聞奨学生として既に社会人として働いていたので、
普通の学生のように自分探しの旅をしたり、中途半端に将来のことに悩む暇がありませんでした。
目の前にあるのは大学4年間の学費と生活費を稼ぎ、授業の単位を取り、卒論を書き、
空いた時間にマスコミ就職の専門学校に通い、
朝刊と夕刊の配達、月末の集金業務に追われる毎日だったので、
それが僕の日常で、海外なんか行く余裕も暇もなく、
とにかく、その自分なりの日常から何を考え、何を見つめ、何をしたいのかを考えるのみ。
だから実際の就職試験の面接でも、メンヘラたちがその陳腐な愛読者と共に伝えていた
「海外で自分探しの旅をした貴重な話」は一切せず、
新聞配達から学んだこと、朝晩の大変さや同時にある喜びなど、
自分の与えられた環境の中で体験したものを、そのまま伝えるしかありませんでした。
結果的に今でもお付き合いがある恩師や周囲の友人たちの協力のお陰もあり、
厳しい就職難の時代にありながら、放送局のアナウンサー職の内定を得ることが出来ましたが、
周りを見渡せば、あの陳腐な愛読書を面接時にアピールしていた学生たちは
皆、同じ土台にはいなかったので、つまりはそういうことだったのでしょう。
何もガンジス川に飛び込んで泳がなくても、
自分自身の内面は十分に見つめられるものです。
他人に影響されて自分ではない他人の追体験をして自分探しをしたところで、
結局のところ何も得られるものはなく、いつまで経ってもその依存体質は変わらないし、
そういう生き方しか出来ないような人たちは、
仕事でもプライベートでもあまり重宝されないということです。
わざわざ自分探しのために海外の汚い川に飛び込んで泳ぐような真似をしなくても(笑)、
今、与えられている環境の中で自分に見合った体験や生活と向き合うだけで
十分、自分自身の内面を知ることは可能です。
この本が流行った20数年前、僕が就職活動真っ只中の頃は
ちょうど超就職氷河期と呼ばれていた頃で、
とにかく企業の求人がとことん少なかった時代でもあります。
だから余計に、こういう陳腐な自分探し本とか、自己啓発や新興宗教などに
傾倒する若い学生たちが多くいたのも頷けるのですが、
時代背景関係なく、企業に採用される人は採用されるし、ダメな人はダメになるのは
公平な選考基準なので、時代背景ばかりの責任には出来ません。
ここまで書けば、勘の良い読書好きの方であれば、
どんな本で、どの作家なのかはおおよそ目星がつくとは思うのですが、
とにかくこの作家、もとい出しゃばりBBAの醜態が本当に酷かったようなのです。
そしてそういう他人の話を聞かずに畳みかけるように自分の話にもっていき、
あくまで自分アピールに終始するような他人に対する配慮が足りない下品な人物に限って、
やたらと人権やら、思いやりやら、自分らしい生き方やらを語り、
またそれに感化されたメンヘラ信者が涙を流して喜ぶという、笑。
本当にある意味、新興宗教の教祖様と信者の関係とそっくりそのままですよ。
・・・で、何がお伝えしたいのかと言いますと、
プライベートのみならず、色々な人たちが関わる仕事の場で、
こういう自分のことしか考えられない下品な輩というのは、
他人に対するリスペクトがないため、どこまで行っても自分、自分。
それを「自分らしい生き方」と勘違いする完全なレリゴーブスなので、
きっと子宮教や心屋教との相性もばっちりで、この作家の信者、もとい読者も
必ず上記の下品なメソッドを提唱する連中と被っていると推測できます。
友人にとってみれば、こういう下品な人物と仕事を共にしなければいけなかったのは
本当に不幸だったとは思うのですが、だからこそ、
この下品な人物とは相反する自身の信条であったり、
大切にしたいものが明確になったと思うのです。
それにしても話を聞いているだけで、こちら側まで心底腹が立ってしまったほど
本当に社会人としても、1人の人間としても最低最悪の人物で、
久しぶりにここまで分かりやすい性悪BBAと間接的に触れる機会になりました。
僕自身の学生時代のエピソードや作風、本人の喋り方、雰囲気などから、
事前にその人物と一緒に仕事をすることが決まっていた友人には
「このBBA、とにかく厚かましくて図々しくて強烈だから気を付けておいてね。」と
自分なりのその作家に対する印象と対策は友人に伝えていたのですが、
それを遥かに超える厚顔無恥さで友人も疲弊しており、
とにかく仕事後は一緒にその大変だった話を聞くしかありませんでした。
友人には改めて「お疲れ様でした。」と伝えたいと思います。
閑話休題。
この海外の汚い川で泳ぐ自分探し系の出しゃばりBBA作家にしても、
はたまたそれ以外の似たような連中にしても、
仕事という側面において自分が出しゃばって、他人の話を奪い取り、
全て自分の話に繋げて、色々なものを横取りするような下品な連中は
必ずどの職場であろうが、どんな仕事であろうが一定数存在するものです。
一方的に理不尽な対応を取られたり、
これまで個人の努力で信頼と実績を着実に積み重ねてきたものを簡単に横からかっさらって
手柄や立ち位置、仕事内容を横取りするような連中って、
本当に年齢性別職業問わず、どこにでも一定数存在して、
まるで正直者が馬鹿を見るような、やるせない気持ちになることもあるものです。
そういう時、本当に心の底から怒り、悲しみ、残念な気持ちになるものですが、
いくら他人の手柄や実績を横取りして、同じように自分のペースに持っていこうとしたとしても、
必ずそこで違いが出てくるので、上っ面のものは所詮、上っ面であり、
その上っ面に惹かれる馬鹿な人たちしか共感できないものでもあります。
一時的にはもてはやされたり、人気が出たりしたとしても、
人として本当の意味で信頼されるかどうかは全く別問題であり、
そういう卑怯な生き方を積み重ねてきた連中が辿り着く末路は
決して心豊かなものではないと思いますよ。
僕も下世話な人の心を持った1人の人間なので、
こういう卑怯な連中に遭遇すると心底怒り、出来れば今すぐにでも仕返しをしたいし、
今すぐにでも目の前で不幸になって欲しい、悪事がバレて欲しい、
その上っ面の明るく良い人を演じている腹の中の汚らしい本性が多くの人に
一刻も早くバレて欲しいと願ってしまいます。
これって普通の感情だと思いますよ。
でも表面的に上っ面で良い人、明るい人を演じて他人を蹴落とすような人間って、
分かる人は分かりますが、それに気づかない馬鹿も多くいて、
悲しきかな、そういう上っ面の人間のほうが人気を得やすいのも、この世の常。
でもね、人は生きていれば必ずどこかで人生逆転するものなんです。
あと、ここから先は想像の範囲内というか、この世のことを超えたお話ですが、
たとえこの世で逃げ勝ち、逃げ得のように悪事を尽くして、
それでも制裁を受けずにのうのうと生き延びたような人物であったとしても、
必ずあの世では全ての事実が明白になり、上っ面の生き方の嘘がバレて
然るべきペナルティが課せられるようなシステムになっているものです。
この世の人たちだけで裁き切れなかった罪や悪事、
はたまたバレずに隠し通してきた卑怯な生き方などは、
全てあの世ではバレて、この世以上の制裁を受けることになるでしょうから、
「どうぞお好きなように横取り、泥棒、上っ面の良い人を演じ続けて下さいな。」と
最終的に軽蔑しながら距離を置くのがベストなのかなと感じています。
何はともあれ、この世の中には本当に信じられないくらい自分、自分、
他人の手柄も他人の話も全て自分のものにして、我儘やりたい放題やり尽くす
人として本当に下品な連中が存在するものです。
そういう連中に不幸にも遭遇した時は、心底怒って、心底悲しんで、
この気持ちを共有できる価値観が似た心ある人たちに話し、
そしてまた前を向いて自分が出来ることを積み重ねていく・・・。
心ある生き方をする人たちは、ほぼこの繰り返しだと思います。
ふと海外の汚い川で泳ぐメンヘラ自分探し系の本を出版した
あり得ないくらい自己顕示欲が強い出しゃばりBBAと仕事をした友人の話を聞いて
そのようなことを感じました。
さぁ、今日からまた新しい1週間の始まりです。
お互い自分なりに満足できる1日1日と向き合っていきましょう!
Posted by 山野本竜規 at 07:21
│心の在り方 (2,645)▼