山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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退社理由は介護離職。~気づけば社会人25年目でした~

2019年08月30日

退社理由は介護離職。~気づけば社会人25年目でした~

近いうちに久しぶりに気力体力を使う外出の予定があるため、
昨日はリハビリがてら近距離の車の運転をして
買い物や諸々の所用を済ませてきました。

まだまだ体調が優れない日、時間帯があるので当分の間は無理は出来ませんが、
久しぶりに自分で運転する感覚は、行動範囲が広がった感じがして嬉しいですね。

昨日は運転している時間帯、かたぶい(スコール)があって結構な強さだったのですが、
雨が降ると、その後は若干涼しくなるので、それもまた良し。

実はちょうど車を運転中に
新聞奨学生として新聞専売所で働いていた時の同僚から連絡があり、
ハンズフリー機能を使って少しだけ会話をしました。

喉の調子が万全ではないので、普通の会話もあまり出来ないのですが、
どうやら、その同僚がここ最近の僕のブログを久しぶりに読んで、
海外で入院、手術、現在は自宅療養中ということに驚いて連絡してきたようです。

一通り病状や現在の様子などの経過を説明して、少しだけ昔話をしましたが、
お互い知り合ったのは高校卒業後の18,19歳で、
現在はどちらも43歳なので、もう随分と年月が流れていることを
否が応でも再認識せざるを得ないという、不思議な時間でもありました。

その時に話題になったのは、お互いもう43歳で
高校卒業後にアルバイトという立場ではない社会人として働き始めたので、
かれこれ社会人歴は25年目に突入しているから、
そりゃ、どこかで身体の不具合が出始めてもおかしくないよね・・・ということ。

新聞奨学生という制度は、高校卒業後、経済的に大学や専門学校に通うことが厳しい
家庭環境にいる学生が、新聞社の専売所の社員となり、
在学期間中、朝刊と夕刊、その他集金業務などを行いながら、
空いた日中の時間帯に学校に通うシステムで、
働く代わりに、学校の入学金から授業料までほぼ全額と毎月の給料を支給してくれる制度です。

勿論、普通の学生のように夏休みも冬休みもありませんし、
朝は午前2時半起き、午後3時までに専売所に戻り夕刊の配達に取り掛かるので
授業も夕方前のものは取れない、サークルや部活動などにも入る時間的余裕はないなど
様々な制限はありますが、
それでも経済的に高校以降の進学が厳しい家庭の子供にとっては
まさに希望に満ち溢れた有難い制度でもありました。

僕の場合は大学に通っていたので、丸4年間、新聞専売所の社員として働きながら
学校にも通って、全ての単位を取得し無事卒業、その後の就職まで
留年することなく運良く次のステップに進むことが出来ましたが、
今、同じような生活を送れ・・・と言われたら、絶対に無理でしょうね、汗。

高校卒業と同時に社会人になり、気づけばあっという間に25年目。

大学卒業後は子供の頃の夢だった放送局に就職して、
そのキャリアを着実に身につけていき、
サラリーマン生活最後となった沖縄の放送局では、人間関係にも仕事にも
全ての面において恵まれていたため、定年退職まで勤めるサラリーマン生活以外、
何も考えられませんでした。

でも僕は予想外の不可抗力のような出来事が起こり、33歳でこのサラリーマン生活を
手放さなくてはなりませんでした。

退職理由はズバリ、介護離職。

同じ年の同じ時期に母が原因不明のヘルペス脳炎で倒れ意識不明の重体になり、
その後半年間入院、そして母が倒れた1週間後に
今度は父が心臓病や糖尿病の悪化により、こちらも別の病院の集中治療室に運ばれ
そのまま1ヶ月後に亡くなってしまい、家業である神社経営や人員整理、
父が残した負の遺産の整理をしながら、母の看病、介護を残された兄弟で手分けして
行なわなければならず、会社員生活を続けることが出来ずに退職。

僕が退職した10数年前は、まだ介護離職という言葉すら普及しておらず、
現役で働く世代の親の介護問題については会社の組織も社会全体も
まだまだその認知度が低かったため、本当にやむを得ない理由での退職でしたが、
現代であれば、もっと会社員を続けながら休職制度を活用するなど、
もっと他の方法を模索できた可能性はあるのではないかなと感じています。

あまり表に取り上げられることはありませんが、
30代前半の社会人、サラリーマンがいきなり介護離職をしなければいけない状況というのは、
途中で全てこれまで積み上げてきたキャリアを絶たれる訳で、
勿論、それは不可抗力のようなものでどうすることも
出来ないのっぴきならない事情ではあるのですが、
やはり、もっとそういう立場にある人たちがサラリーマンを継続できる制度や
周囲の理解があれば、今とは違った道もあったのではないかな・・・と思うことが時々あります。

僕の場合は、神社神職の資格も持っているし、
アナウンサーという職業で培ってきた人と対面するというスキル、
昔から人生相談という形で多くの方との会話を通して向き合う経験が既にあった上で、
周囲の心ある人たちの色々な協力のお陰で、
路頭に迷う暇もなく、今のナカトリモチという仕事、活動に移行することが出来ましたが、
これはとてもレアなケースだと感じています。

また兄弟がいて、半年後に意識を取り戻し要介護になった母の介護は
それぞれが手分けして出来た・・・という点も不幸中の幸いでした。

何事も同じことが言えますが、家族の介護でも「これが正解!」というものはなく、
僕たち家族も母の介護のことで時にはいっぱいいっぱいになったり、
どのような生活スタイルが、母にとっても、残された家族にとっても理想的なのか
それぞれの立場で暗中模索の状態が続いた時期が3~4年ほどあった上で、
今の生活スタイルが成り立っています。

現在は実際に母の介護を担当するのは遠く離れた場所で暮らす弟夫婦で、
今の僕は実際の介護に携わることがない分、介護料という名目で毎月の仕送りをしています。

本当はそれだけでは十分ではないはずなのですが、
弟と年上の奥さんの献身的な介護のお陰で、母は病気なり、要介護なりに
とても幸せな生活を送っているので、弟夫婦には頭が下がる思いでいっぱいです。

実際の介護当事者ではない立場の家族が出来ることは、
やはり介護料やお世話をしてくれる当事者の人たちに感謝の意味を込めての
仕送りをすることがメインの介護の手助けだと思います。

これが1人っ子だったら、兄弟手分けして母の介護は出来なかったはずなので、
その点、本当に恵まれていたのですが、
逆に言えば、20代、30代の若い世代であったとしても、
1人でこのような問題を抱えて親の介護をしなければいけない状況にある人も
相当数存在するという事実もあるということを、ほんの少しでも知って頂きたいと感じています。

その際の社会保障、制度などはほぼ皆無に等しく、
いくら介護保険の適用になったとしても、
若くして介護離職しなければいけなくなった人たちに対しての保障は一切ありませんから、
本当に由々しき問題ですし、これから益々、このような人たちが増えてくる時代になると
一体、どうなることやら・・・。

そのことを考えるだけで1人で全てを背負って全てを犠牲にして
自分の人生を生きることが出来ない若い世代の介護離職者の人たちの大変さが
もっと世間に届いて、何かしらの制度改正に結び付く方法はないかな・・・と
もどかしい気持ちになることがあります。

僕の場合は、独立したいとか、自営業になりたいと自ら望んで、
自らの意志で会社員という立場を捨てたのではなく、
あくまで自分以外の不可抗力である介護離職という形で自営業者になりました。

勿論、その宿命というか、自分の力だけではどうにもならない運命自体は
しっかり受け入れ、自分なりに出来る次の道を模索し現在に至っていますし、
今の生活自体、とても満足しています。

ですが、結局、高校卒業後、25年間ずっと働き詰め、
自らが選んだ道とは言え、
定時で出社して定時で帰るという規則正しい職場、仕事には全くご縁がなく、
いつでも自分なりに出来ることを労働力として提供してきた積み重ねで、
25年目の今年の夏、とうとう身体が悲鳴を上げて
初めての病気での入院、手術、自宅療養、リハビリという過渡期を経験中です。

そんな25年間を振り返ってみて、自分なりに選んで決めて積み重ねてきた生活なので
1つの後悔もありませんが、
今、強制的に身体の休養期間を病気という形で過ごすことになり、
改めて、もうこれまでのような忙し過ぎる、働き詰めのような生活は改善して、
もっと緩やかに生活できるようにするチャンスを与えられたのだろうな・・・と感じています。

これから先、何年現役として社会人として働くことになるかは分かりませんが、
出来るだけ今の仕事、活動を細く長く続けていくためには、
もうこれまでのように身体に負担をかけて無理をし過ぎる過密スケジュールは
絶対に組むことは出来ないし、変化に応じて変えなければいけないタイミングなのだろうなと
素直にその変化の流れを受け入れている自分がいます。

新聞奨学生時代の同僚から思いがけず連絡があり、
そこでようやく社会人25年目であることを再認識し、
これから先、細く長く今の仕事、活動、社会人を続けていくためには、
どのような改善が必要なのかを考えながら、日々のリハビリに励んでいます。

逆に言えば25年間もノンストップ、ハイスピードで、
とても濃厚な社会人生活を積み重ねてきたのですから、
これからは少しずつペースを緩めて、出来ることを労働力として提供しつつ、
自分も周りも、ほどほどに心豊かに生きていけるようなライフスタイルを見出すチャンスですから、
その計画を練っていくのも、これまた楽しい脳内作業の1つとなっています。

今、少しずつ親の介護やそのための介護離職のことについて人口に膾炙しつつありますが、
その時にこれまで積み重ねてきたキャリアが全て絶たれてしまうだけでなく、
親の介護をしつつ、仕事を失い、日々の生活の糧すら得られなくなってしまい
社会から孤立し1人で全てを背負い込んでしまう危機的状況に陥っている
20代、30代の若い世代の人たちが実際にいる・・・という現実も、
もっと世間の人たちに社会問題の1つとして知って頂ければ幸いです。

出産育児にしても介護にしても、それと仕事は全く別物・・・という価値観が
まだまだ日本では残っており、それらを支援する制度が少しずつ改善されてきた今でも、
多くの課題が山積みされているのが現状です。

色々な国家予算の使い方があるかと思いますが、
完全な商業目的である来年の東京オリンピックなんかに莫大な国家予算を注ぎ込むのであれば、
もっと別の有意義な使い方があるだろうに・・・と、トホホな気持ちになりますが、
今は個人個人で出来ること、少しでも世間や社会に認知してもらうことを
それぞれの立場で実践しながら、その普及に努めていく他ありません。

20代、30代で大好きだった仕事、職業を一方的に手放さなければならず、
それらのキャリアを全て失ってしまう介護離職。

全ての経験は無駄にはならない・・・のは事実ですし、
僕の場合は、それらの経験が今の仕事や活動にも生かされていますが、
全ての介護離職者が、そうなる訳ではありません。

これまで積み上げてきた仕事経験すら生かせずに仕事も失い、路頭に迷い、
親の介護に苦労して全てを自分1人で背負わなければいけない
過酷な状況と向き合う若い世代の人たちが、これからの少子高齢化によって
益々増えていくことは紛れもない事実です。

少子高齢化が叫ばれるようになってから随分経ちますが、
現実としてはその対策が後手後手に回っているのは皆さんもご存知の通り。

これからの日本を担う前途有望な若い世代の人たちが、
家族の介護など個人的な事情で、本人の意志とは関係なく
社会人として社会の担い手から離脱してしまう、途中でキャリアを絶たれてしまう現状は
決して歓迎できることでも看過できることでもありません。

僕自身、その介護離職の当事者として自分なりにどのような情報発信が出来るのか、
これからも自分なりに出来る範囲で模索しながら、
今後は身体に無理や負荷がかかり過ぎないライフスタイルの構築をしていきたいと
改めて実感している今日この頃です。



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Posted by 山野本竜規 at 06:36 │心の在り方 (2,645)▼