山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
てぃーだブログ › 山野本竜規の続・ナカトリモチ日記 › 心の在り方 (2,645)▼ › 有名な神社、お寺に騙されないで。~違いを認識する力~
*5月11日(日)、6年ぶりの東京ナカトリモチ勉強会、参加者募集中です。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付中です。                     

有名な神社、お寺に騙されないで。~違いを認識する力~

2017年03月14日

有名な神社、お寺に騙されないで。~違いを認識する力~2日前くらいからでしょうか。
左目のまぶたの奥に鈍痛があって
「慣れない環境と生活で疲れているかな。」と思い、
今朝、目覚めたら、右目と左目の大きさが違っており
ほんの少しだけ左目のまぶたが腫れていたので、
今日は午前中、仕事を抜け出して
山の上から久しぶりに下界に降り眼科を受診しました。

結果的には今のところ結膜炎の症状も出ていないし様子見ということで、
2種類の点眼薬と、まぶたの上に塗るクリームを処方してもらって終了。

午後にはまたいつも通り山の上に戻って仕事を再開したので
しばしの間は経過観察といったところでしょうか。

とりあえず木曜日に奈良の山の上での生活は終了し、
すぐに沖縄に戻って色々な仕事、その翌週は福岡出張とやらなければいけないことが
沢山あるため、結膜炎ではなかったという診断結果には、ホッとしました。

医療的知識に乏しい素人の僕の場合、
目の腫れが突然出てきて真っ先に疑ったのが過去に経験がある結膜炎でした。

今、決して清潔とは言えない何もかもが古い環境に身を置いているし、
それこそ色々な作業をしている中で手洗いうがいを心がけているものの
いつもの生活に比べれば全てにおいて不衛生なので
(トイレも古いし、建物も古いし、全てが古い・・・。)
その可能性も無きにしも非ずだな・・・と思ったからです。

僕が人生初めての結膜炎にかかったのは、36歳頃。
4年ほど前に生活していたオーストラリアのど田舎でのこと。

ここは本当に不衛生極まりない環境で、シャワーは茶色に濁った水で浴び、
トイレはコンポストと呼ばれるボットン便所、
その他諸々、約40~50年前にタイムスリップしたかのような
文明の利器とは無縁の生活だったため、結膜炎程度で済んだのが何よりの幸いです(笑)。

人生初だった結膜炎は、
目が充血して痒いわ、白っぽい目やにが大量に出るわ、
目がショボショボするわで大変だったにも関わらず、ど田舎だったため周囲には何もなく、
「結膜炎の時ってどうすればいいの?」と聞くと、
「とりあえず綺麗な水で目を洗っていればそのうち治ると思うよ。」という程度。

その時、アメリカ人もオーストラリア人もその他の先進国と呼ばれる
比較的衛生的な国で暮らしている人たちも大勢いたのですが、
皆、同じ反応だったのには驚きました。

日本の場合だと、結膜炎にかかれば、眼帯をして
なるべく周囲の人たちとの接触を避けるのが当然・・・という風潮がありますが、
オーストラリアに住んでいた頃は、誰もが普通に近くに寄ってくるし、
そこまで仰々しく患者扱いされなかったのは逆に心地よかったですね。

結局、僕の場合、沖縄から持って来ていた命の塩、ぬちまーすを水に溶かして
そこに眼をつけてパシャパシャ洗うことを3~4日続けたら、
(これは目がヒリヒリして痛かった、汗)
何事もなかったかのように元通りになったため、
「日本と海外では、結膜炎1つとっても捉え方の違いがあるんだな。」と新鮮な発見というか
良い意味での驚きがあったのを今でも鮮明に覚えています。

でも基本的にはモヤシっ子なので、ワイルドなアウトドア生活とか、
不衛生な環境に身を置くのは出来ることなら避けたいし、自ら好んでそういうところに
飛び込もうとは思わないので、やはり適度に清潔で整えられた環境の中で生活している
普段の日常が一番ラクだと感じます。

何はともあれ、結膜炎に関してのエピソードは日本と海外での捉え方、受け止め方が
随分と違うものなんだな・・・ということは、僕にとって良い人生の糧になったような気がします。

価値観の違いとか、人の違いとか、文化の違いなど、
「違い」に意識を向けると本当に様々な「他」と「自分」の違いを見出すことが出来ます。

別にそれを差別するとか、排除するとか、そういうことではなく、
違いを認識することで、改めて「さて、自分だったらどうありたいのだろうか。」と
常に自分自身の内面、日々の在り方、生き方に立ち返るキッカケになるものなので
そのような意味で、人も文化も価値観もその他諸々も
違いがあるのは面白いことだと常々感じています。

閑話休題。

実は僕が今、奉職のお手伝いをしている神社の近くに有名なお寺があるのですが、
ここが「商売繁盛のご利益がある」と地元では有名らしく、
それはまぁ、ひっきりなしに会社の経営者やお偉いさんと思われる
上等な高級車が境内にある駐車場に乗り入れ、
ご祈祷なり、ご祈願なり、参拝なりをしている様子を遠目で眺めることが続いています。

僕は神社の人間なのですが、神社びいきでも、お寺(仏教)びいきでも、どちらでもなく
スピリチュアリズムにおいて、この世における宗教というものは人間が創り出したものであり
スピリチュアルと宗教は全く別物だ・・・というスタンスを持って、
適度に距離を置きながら関わるようにしています。

でも、その商売繁盛にご利益があると言われている有名なお寺、
どこからどう見ても俗っぽいというか、これは本能的な感覚なのですが、
その場にいて清々しいとはあまり感じない空気が漂っておりまして、
「とりあえず会社を経営できるであろう才覚のある人たちが、
こんな本能的なことすら分からないのかな。」と、その価値観の違いに驚いてしまいまして。

本人たちにとってみれば、ご利益のあるお寺かも知れませんが、
僕にとってみれば、ただの下世話でゴチャゴチャした建物が多いテーマパークにしか映らず、
こういう価値観の差を自分自身で認識することって、
日々の生活において、とても大切なことだと思うのです。

「周りや地元の人が、ここは良いと言うから。」という浅はかな理由だけで
何の疑問も本能も働かさずに、ホイホイ、寺の坊主に大金をつぎ込むようなお金持ちが
普通にいらっしゃるのでしょうけれど、
僕だったら、そういうお金があれば、もっと別の形で有効活用することかと思います。

勿論、神社にも同じようなところがあって、
全国的にはとても有名だけれども、境内に入った途端「???」となる
本能的に心地良くないところもあり、その逆で全く無名、誰も知らないところだけれど、
とても清々しく清浄な気持ちになれる空気が漂っている場所もあるので、
こういうことは、世間の価値観ではなく、自分の本能で選ぶものだと思っています。

まぁ、あまり本能、本能・・・と連呼すると、中途半端なありのままが大好きな
子宮系のレリゴーブスどもやスピリチュアルマニアが勘違いして
「私は自分がおもうまま、本能のまま、ありのままに生きていく」と
野獣化する恐れもあるため、こういう輩は対象外という前提で物事を綴っております。

結局のところ、何がお伝えしたいのかと言いますと、
自分と他人、その他のものとの違いを認識することは、最終的に自分自身の日々の
在り方、内面、人生などを振り返る良いキッカケに繋がるということ。

そして、その違いを認識したのであれば、
周囲の多勢に流されず、しっかりとした自分の基準を地道に築き上げていくことで
本当の意味での自由という名の責任と、覚悟をもった生き方に変わっていくということです。

そういう人生はやっぱり基本的には幸せだと感じています。

ふと、久しぶりに下界に降りて、また山の上に戻る途中、
そんなことをつらつら考えた有意義な時間帯でした。


*お知らせ*
*3月19日(日)・沖縄ナカトリモチ勉強会、参加者募集中です。
*3月26日(日)・福岡ナカトリモチ勉強会、参加者募集中です。
*4月9日(日)・東京ナカトリモチ勉強会、参加者募集中です。
*山形タガマヤ村・座敷わらし体験談
*僕が胸を張って、皆さんにご紹介したい人
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付しております。
霊視個人セッションお申込みについてのご案内は、こちらです。




同じカテゴリー(心の在り方 (2,645)▼)の記事
Posted by 山野本竜規 at 19:28 │心の在り方 (2,645)▼