山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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家族は仲良くして当たり前。~その気持ち悪い洗脳から脱却しましょう~

2016年10月15日

家族は仲良くして当たり前。~その気持ち悪い洗脳から脱却しましょう~ 家族は仲良くして当たり前。~その気持ち悪い洗脳から脱却しましょう~

今日の出張先である東海地方、日中は雲ひとつない青空が広がる快晴、秋晴れ。

朝晩はかなり肌寒いのですが日中は少し汗ばむほどの陽気でした。
そして夕方になるとご覧の通り、夕焼けも最高に美しく、
しばしホテルの部屋から見入ってしまったほどです。

今日で2日間続いた東海地方でのカウンセリングの仕事が終わり、
愛知県での仕事も残すところ、明日、同じ会場にて
ナカトリモチ勉強会の講演のみとなりました。


さて、今回2日間のカウンセリングでも
個人的に色々な人生背景をお持ちの方がお越しになり、
お話を伺いながらその都度、健全な人生哲学の観点からお伝えすべきことを
その方に一番理解しやすい言葉でお伝えしていく・・・という繰り返しでした。

特に今回多かったのが、家族同士の距離感についての問題です。

その家族には家族なりのルール、決まりごと、習慣があり、
外へ出て初めて、それが独自のルール、習慣だったことを理解することなんて
よくあることで、そのような意味ではずっと家族と一緒というのは
大局的に物事を捉えるという側面から見ても、あまり歓迎出来ない部分があるのは事実です。

その家のルールを決めること、独自の習慣があることが悪いのではなく、
ある程度の大人になったら、広い世界に出てみたときに、
それが平均的なものなのか、それとも異常なものなのか、
他の誰でもない自分自身で見極めていく経験が必要だということです。

たとえば、ある方は30代になって両親の干渉が激しくなり
実家で窮屈さを感じたため1人暮らしを始めたのですが、
その際、親から出された条件が、「1人暮らしの家の合鍵を両親に渡すこと」だったそうです。

そして実際、その通りに実行すると、
その方が仕事で出かけている間に勝手に合鍵で部屋に入ってきて
食べ物を届けたりするそうで、これはコミュニティの狭い地方都市では普通のことかも知れません。

ですが、一般的に考えてみて、高校生や大学生の1人暮らしですら
親がここまで干渉することは異常な執着と捉えられるはずなのに、
既に30代後半の大人の1人暮らしの家の合鍵を持つことを要求する、
その行為そのものが、どこからどうみても異常であるということに気づけていない時点で
その独自の家族ルール、決まりごとがいかに歪んだものなのかを
知る機会を失っていた怖さが露呈していました。

親は歪んだ愛情だったとしても、「子供を見守る」という口実をつけて
そのような異常な行為に出たと思うのですが、やっぱりこれって普通ではありませんから、
子供側が大人になって、本当の愛情で
しっかり距離を置くような環境を整えるしか方法がありません。

その逆で、とある方は高校生になる男の子のお母さんなのですが、
思春期真っ最中で異性である母親に口出しをされたり、
干渉されたりするのを一番嫌がる時期にも関わらず、
「この子は学校の誰々と仲が良い」「この子は学校外の誰とも分からない人と交友がある」など
そのお子さんの交友関係の詳細まで把握しないと気が済まずに、
ついつい詮索してしまうほど執着していた事実が発覚しました。

お子さんを心配する親心はそれなりに理解できるのですが、
だからと言って、大人になりかけている一番親に干渉されたくない年齢のときに
親が必要以上に子供の人間関係の詮索をして、それを知りたがる、
またはそれを知らないと気が済まないというのはストーカーとほぼ同じレベルだという
異常さに気づかなければいけません。

これがイジメやその他の問題などで、その交友関係を知る必要があるのであれば
ケースバイケースで良しとなる場合もあると思うのですが、
全ての行動は動機次第であり、このお母さんの場合、明らかに
自身の情緒不安定で何かしらの満たされない欲求不満な部分を、
第三者であるお子さんに求め、執着することで解消しようとする
発展的ではないマイナスの動機が浮き彫りになっておられたため、
これではお子さんのほうが可哀想です。

案の定、その男の子はお母さんに反発して言うことを聞かなかったり、
道を外れて問題行動を起したりして、そのことで益々悩みが増えておられるのですが、
ハッキリ言って、これはお子さんが問題というよりは、
お母さん自身のストーカー体質が原因なのです。

本当は何かしらのものに強烈に執着、依存してしまう自身の内面の弱さと
しっかり向き合わなければいけないのに、それをお子さんの問題にすり替えているだけで
ハッキリと、「今のあなたはストーカーと同じですよ。今すぐ、その行動、やめて下さい。」と
お伝えせざるを得ませんでした。

本人にとっては母親として当たり前のことをやったまであり、それが本人にとっての
子育ての仕方、子供の見守り方で正しいルール。

ですが、冷静に他人から見ると、それがいかに異常な執着なのか
これももっと広い視点で捉えることが出来なければ、一生涯、独自のルールだけに
縛られて自ら苦しみながら生きていくことになりかねません。

そろそろ、そのような意味で、「家族100%性善説」から
脱却しなければいけない人たちが増えてくる過渡期でもあるのではないでしょうか。

人間の基本、家族の基本は「善」であるというのが性善説の表面的な捉え方ですが、
皆さん、色々な経験でご存知の通り、
人は良い部分もあれば、そうではない悪い部分も両方あって人間なので、
そのどちらに傾きやすいのか、それは個人、個人によって違うものです。

それがプラスに働きやすい人と、マイナスに傾きやすい人に分かれ、
そのような最小限のコミュニティが「家族」というものであり、
未熟な人間同士が集まったコミュニティですから、善も悪もそりゃ両方あるのが普通ですよ。

だから家族全員が一致団結して、全員仲良く、全員同じ方向性に進むことなんて
絶対に絶対に、この世では有り得ないことなのです。

これまでの僕自身の経験則で、割合的に見れば、この世の1割未満で、
本当に理想的な家族と過ごす人たちがいると思いますが
それは本当に稀なことであり、それ以外の家族、家庭、血縁関係というものは
必ず何かしらの問題を抱えているのが普通だと受け止めています。

家族というコミュニティは、確かに同じ血を分けているのは事実ですが、
だからと言ってそこに拘る必要なんて全くなく、心や人格は全く別物、
同じ両親から生まれて、同じような環境で育ったとしても
子供によって全く違う考え方、全く違う人生を大人になってから歩むようになるのが普通であり、
だからこそ、情ではなく理性でその関係性を捉える必要が出てくるものなのです。

日本の国民的アニメであるサザエさんなどからも見て取れるように、
日本人は「家族皆が仲良く、一致団結して生活することこそが幸せ」という
ある種の洗脳!?が根深いため、
それがいつの間にやら「家族=常に一緒にいて仲良くしなければいけないもの」という
無意識の強制がまかり通っているような気がしてなりません。

別にサザエさんを否定している訳ではありませんし、
僕も日曜日の夕方、時間があるときは今でもサザエさんを観ますが、
あれは一種の理想系、「家族って、こうあったらいいな。」という形を
そっくりそのまま凝縮して詰め込んだ完璧な教科書のようなものだと捉えています。

あまり知られていない話ですが、
サザエさんの作者である長谷川町子さんご自身、
大人になってから血を分けた肉親とは絶縁状態になったり、独身を通されたりと
あのアニメのような理想的な家族像とは程遠い人生を送られています。

先述した通り、この世に理想的な家族、
全員が一致団結して同じ方向性で仲良く暮らしていける家庭というのは
この世の1割にも満たず、ほとんどの家庭で何かしらのすれ違いや衝突、
価値観の相違、葛藤などがありながら、適度な距離を置きながら
それぞれの人生を送っていくのが普通だということが、
皆さん自身の家族関係、これまでの人生経験からもお分かりだと思います。

どうしても「家族性善説」に洗脳されている日本人が多いのですが、
そんな気持ち悪い発想だけを何も考えずに信じて生きていれば
必ずどこかで大きな挫折を味わうもので、人というものは
たとえ血をわけた家族と言えども、魂は全く別物という意識を持つことが出来なければ
ずっとそのことで苦しむ結果になりかねません。

確かに家族同士、仲良くつつがなく生きていけるのは理想的ではありますし、
その理想系を目指して、お互いに理解する努力をすることは絶対に大切なのですが、
だからと言って、家族全員が仲良くなれなかったとしても、
時には絶縁したり、疎遠になってしまったりしたとしても、
それはこの世の常であり、それが当たり前だということも理解しておく必要があると思うのです。

よく、両親の遺言などで
「自分が死んだ後は兄弟、家族仲良く手を取り合って生きて欲しい。」と
一昔前のドラマなどでありがちなシーンを、そっくりそのまま再現したかのような
やりとりがあります。

そして、その親の死後、親の期待通りにならず、
兄弟がケンカ別れしたり、家族同士が仲良くなれずに疎遠になったり・・・ということは
実は本当によくある話で、
「親の遺言を守れなかった。」と馬鹿正直に悩む方もいらっしゃいます。

ちなみに僕の場合、未だ健在で病気の後遺症で要介護になった母が、
その病気で死にかけて意識も朦朧として息も絶え絶えになった時、
「お母さんがいなくなったとしても兄弟、皆、仲良くね。」とほぼ遺言のように呟いたのですが、
僕自身、心の中で「ゴメン、いくら大好きなお母さんの願いだとは言え、
兄弟、皆価値観も違うし、距離が必要なので、それだけは絶対に無理。」と冷静に振り返り、
病床に伏せていた母を見守っていたことがあります。

今となっては笑い話の1つですが、いくら家族の要望だとは言え、
全ての兄弟、親、子供が皆、同じ考え方で仲良く暮らすだなんて、
大人になってからは絶対に無理な話なのです。

そういう時、何が一番大切なのかといえば、
必要以上に家族や親戚という枠に縛られ過ぎず、本人と周囲で関わる人たちが
それぞれの相違、価値観の違いがありつつも、お互いの人生をしっかり謳歌しながら
自分らしい道を歩んでいける程良い距離感を見出し、そのような環境を作っていくことであり、
そこに家族も親戚もその他の人間関係も、実はあまり変わりがないということ。

大家族であろうが、独身であろうが、夫婦2人きりの生活であろうが、
そんな表面的なことはどうでもよくて、その人がいかに、精神的、経済的な自立をして、
自分の人生を自分らしく謳歌できるのかが、その後の明暗を分けていくことになるのではないかと
個人的に感じております。

家族というコミュニティは、その精神的、経済的自立のための出発点であり、
それぞれが外の世界に出て行くための準備期間、小学校や中学校のようなものだと捉えれば、
必要以上にそこに拘ることもなくなってくると思うのです。

大人の社会に出れば、小学校や中学校で習った色々な基礎を
今度は応用に変えて、自分で自分の人生を組み立てていく連続になります。

だから、「私は子供の頃、親に愛されなかった。」「子供の頃○○だった。」と
良い歳こいた大人がいつまでも、インナーチャイルドだの
心のブロックだの、本人の人生がうまくいかない理由を、
過去のトラウマの責任にして過去をほじくり返すことは、あまり意味がありません。

そんな暇があるのであれば、今の生活や仕事と向き合うべきであり、
今とほんの少し先の人生は、過去の家族ではなく、今の自分が切り開いていくもので
そこを過去の家族の責任にしたり、
過去の家庭環境の責任にしたりして逃げ続けるのは本当に卑怯です。

毒親のようなタイプの親に育てられても、立派に育つ子は立派に育ちます。

たとえ貧乏であろうが、片親であろうが、どんな家庭環境であったとしても
それを糧にして生きていける人もいれば、
ずっとそのことを根に持って滞って生きる人もいる訳で
そこから先は、家族というよりは、本人の問題であり、ここだけは干渉することは絶対に出来ません。

何故なら本人の責任ですから。

あなたが向き合う家族との距離感、そもそも家族という捉え方、
日本全体が洗脳されている家族性善説の解釈、
今一度、自分なりに俯瞰してそれらを見直してみると、
あなたが自身の人生とどのような向き合い方が出来るのか考えられる良いキッカケになりますよ。

何度でもお伝えするように僕は家族の仲が良いのが悪いと言っている訳ではありませんし、
その理想系を目指して努力することは絶対に大切だと考えています。

ですが、いかにも胡散臭い、マイホームパパ、家族愛を恥ずかしげもなくアピールする輩には
若干というか、かなり違和感を感じて「それって嘘じゃね?」と思うことがあるのも事実です。

人はあくまで人であり、未熟な部分も成熟した部分も両方を兼ね備えているもので
この世にパーフェクトな形のものなんて何1つありません。

自分がどちらのものに偏りやすいタイプの人間なのか、
しっかり冷静に受け止めながら、自分らしい生き方が出来るようになれば
複雑な悩みを抱え過ぎることもなく、心豊かに生きていけるようになると思う今日この頃です。

家族との距離はほどほどに。


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Posted by 山野本竜規 at 21:29 │心の在り方 (2,645)▼