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誰かといる時、それは相手から貴重な人生の一部を戴いています。
2015年10月30日


先週の東海地方出張時、ナカトリモチ勉強会でお会いした方から、
素敵なメッセージカードを戴きました。
今回が初めてではなく、いつも東海地方での霊視個人セッションや
ナカトリモチ勉強会の講演に参加して下さる方なのですが、
時々、このようにその季節に合った内容のデザインを
メッセージと共に作って下さるので、このようなお心遣いには本当に感謝しています。
特にフリーランスで仕事をしていると、
仕事として相手側から僕がお金を頂戴する立場にも関わらず、
このようなちょっとした心遣いをして下さる相手側の心ある想いや言葉は、
本当に有難く感じる瞬間でもあります。
僕自身が、常に感じているのは、
これだけ辛口で、これだけ毒舌で厳しいメッセージもどんどん発信する人間なのに、
それでも、その僕に色々な仕事の依頼をして下さる方がいらっしゃる・・・という
本当に有難い事実が、本当に有難く感じています。
それはカウンセリングにしても、土地家屋の鑑定、お祓いにしても、
はたまた勉強会の講演にしても然りで、
「ナカトリモチの仕事でお会いする」ということは、
その分、依頼主側が、貴重な時間とお金、労力を割いてまで
僕にその人の人生の貴重な時間の一部分を譲って下さる・・・ということでもあります。
この根本的な気持ち、想いが常に僕の中にあるからこそ、
それがたとえ一期一会、まさに一回きりの出会いだったとしても、
僕はその依頼主の方にとって誠心誠意、嘘をつくことはせず、
良いことも、そうではないことも、耳が痛いであろうことも、ショックを受けるであろうことも、
「良いことは良い」「ダメなものはダメ」と、健全な人の在り方としてハッキリとお伝えするのが、
その方にとっての本当の恩返しだと感じて、今の仕事をさせてもらっています。
誰かと何かを共有する時、しかもそれが仕事となる場合、
自分にとっても、相手にとっても、
「お互いの貴重な時間を譲り合っている」という意識が持てる人と、
そうではない人とでは、それがプライベートであれ、仕事であれ、
その後の人生に雲泥の差が出てくることを忘れてはいけないと思います。
ここ最近、カウンセリングにしても、勉強会の講演にしても、
はたまたプライベートでお会いする人たちにしても、
よく会話の中で出てくる話題の1つが、上記のようなことを含めた
組織勤めの人と、フリーランスの人の意識の違いや温度差という内容。
自営業者は、自分で食べていかなければいけないため、
1日でも休めば、それが全て自分の生活に良くも悪くも直結する訳で、
まさに「時は金なり」という言葉を、身に染みるくらい毎回、しっかりと実感するのが普通です。
というより、この感覚が研ぎ澄まされていないと自営業者としては
絶対に食べていけない事情があるからこそ、
おのずと時間と仕事内容に関して、会社勤めの人に比べてとてもシビアにならざるを得ないのです。
要するに仕事をする時間は、どこからどこまでがその範疇で、
それはどのくらいの金額で・・・ということをある程度想定した上で、
それこそ貴重な自分の時間を割いて、他の仕事との日程、時間調整をしながら
日々、スケジュール帳とにらめっこして、1つ1つの予定を入れていく繰り返しです。
「お金の話をするのは露骨で気が引ける。」という人は、
まだまだ世間や仕事に対して甘い考えでいる人たちの価値観で、
フリーランスの人間にとってみれば、自分の労働に対する対価がどのくらいで、
それはどのくらいの時間を要するのか・・・というのは、
一番最初に抑えておくべき、または相手から明示して欲しい最重要項目でもあります。
僕のナカトリモチの仕事の場合は全て値段が決まっているため、
そのような値段交渉をすることはほとんどありませんが、
カウンセリングや土地家屋の鑑定、お祓い、はたまた自ら企画するワークショップや講演会以外の
値段が決まっていないイレギュラーの仕事依頼の場合は、
こちらから、はっきりと時間はどのくらいで、どのくらいの金額でお受けするのか
お伝えするようにしています。
自分で自分の労働力の対価を決められなければ、良い依頼主の場合であればともかく、
中には「出来るだけ安くコキ使ってやろう!」という輩や、
もっと性質が悪いのは、悪気がなかったとしても
フリーランスの人の労働時間に対する価値が全く分からない輩に
都合の良いように利用されてしまう結果になり兼ねませんから、
自分で自分の労働力の値段を決める・・・ということは、とても大切だと思います。
そのような事情を踏まえた上で、何度でもお伝えしますが、
それが仕事を依頼する側であろうが、依頼される側であろうが、
そこにはお金が発生するが故、お互い、しっかりと
「相手の貴重な人生の一部、貴重な時間を頂戴している。」という意識が必要だと思います。
そして、この意識は、仕事だけではなく、基本的にはプライベートでの
お付き合いであったとしても、全く同じだということ。
相手がフリーランスであろうが、会社勤めであろうが、
その人と会って、色々なことを共有するということは、
相手にとっても、自分にとっても、貴重な人生の一部分を割いて、
相手からは、その貴重な人生の一部分を頂戴して、
同じ時間を共有しているのですから、
そこに敬意を払えない人、その意識すら持てない「生きるセンス」がない人とは
僕自身、基本的には一切お付き合いはしたくありません。
これは損得勘定だけで人を選ぶのとは、その本質が全く違います。
相手に対して何かしらの仕事を依頼する時、
はたまたプライベートであれば、その相手と会う約束をする時、
普通の感覚の持ち主であれば、必ず相手の日程や時間に配慮する気持ちがあるものですが、
実は意外なほど、そこを大切には感じられないダメな大人も多くて、
これを平気で無視してしまう人に振り回される人生は、
仕事にしても、プライベートにしても、振り回される側はたまったものではありませんから
然るべきタイミングを見計らって、その人との付き合いはやめるべきだと思います。
僕は会社員時代、放送局に勤めていましたが、
ここにも、その時間感覚が麻痺した馬鹿社員というのは必ず一部存在して、
(特に正社員、契約社員問わず、ディレクター陣に多かった、笑)
無駄に番組前の会議が長かったり、番組以外でのお酒や食事の時間を
出演者に無言のプレッシャーで強要するような馬鹿が多かったような気がします。
それが放送局の正社員、または契約のスタッフであれば、
アナウンサーだろうが、ADさんであろうが、その他のスタッフであろうが
いくら文句を言おうが、断ろうが、そのディレクターに嫌われて、
そのディレクターからの仕事依頼がなくなるだけか、最悪、番組を外されることになりますが、
それで給料が減る訳ではないので、
せいぜい「番組が1つ減った」という精神的なショックだけで済むことでしょう。
ですが、フリーランスの人たちはそういう訳にいきません。
「ディレクター、プロデューサー、その他のスタッフに嫌われる」=「仕事がなくなる」ことに直結し、
その道だけで食べていこうとする人たちにとっては、まさに死活問題なのです。
だから、どんなに馬鹿なディレクター、プロデューサーだろうが、
人間的に未熟なスタッフであろうが、ある程度は我慢しなければいけません。
これまた残念なことに、こういう馬鹿って仕事が有能ならまだ許せますが、
ほとんどの場合、仕事すらまともに出来ない人たちが多くて、
そのフォローを周囲の現場スタッフや、フリーランスの人たちが
さりげなく一生懸命しなければいけないことも多々あるので、
まさにフォローする側の人たちは、自分の仕事以上の仕事をしている訳です。
こういう理不尽な構図って、放送局だけではなく、どこの業界でも
おおよそ似たようなものではないかな・・・と感じています。
フリーランスで仕事をする人たちのほとんどは、そのようなダメな人たちとも
一緒に仕事をしなければいけないことも多いため、必要最低限の付き合いは
笑顔で乗り切るような涙ぐましい努力を陰でしている人が多く、
「人間勉強」という意味では、その人にとってはとても貴重な財産にはなっていると思います。
ですが、そこに甘んじて、「この人はプライベートでも自分を理解してくれる。」
「この人はプライベートでも自分と酒や食事を共にしてくれる。」と
無意識のうちに勘違いして、そこに自分の存在価値を見出そうとする
本当に馬鹿なディレクター、プロデューサー、スタッフ陣も一部いて、
そのために、本当は仕事は番組だけなのに、それ以外の飲み会や食事など
本来であれば、その時間に別の仕事を入れられるはずなのに
無理して貴重な時間を削って、あまり生産性のない
下らない場に参加しなければいけない・・・ということも、よくこの業界ではあります。
全ての仕事以外での食事会、飲み会が無駄だとは言いませんが、
本当に相手側の事情を理解している、時は金なりを分かっている
仕事のセンスのある人たちは、敢えてそれをなるべくさせないように
普段の仕事の中でしっかりコミュニケーションをとったり、
仕事時間を決めて、フリーランスの人に依頼したりするものです。
まぁ、ここまでデキる人たちは、かなり少数派で、
おおよその会社勤めの人、組織から給料をもらうだけの人たちには
この感覚が麻痺しているものなので、
そういう人たちは、きっと生きるセンスもありませんから、
肩書や職業を失えば、あっという間に人は離れていくでしょうね。
というより、仕事では、ただの技術を教えるのではなく、
こういう大切なことを先輩や上司がしっかりと部下に教えるべきことなのですが、
これはどのような業界であれ、専門外というより、
その人の人間性というか、やはり「生きるセンス」に関わる部分でもあるため、
気付く人は気づくし、気付かない人は、一生涯変わらずそのままだと思います。
「相手の立場を思いやって行動するようにしましょう。」
こんな基本的なこと、幼稚園児でも小学生でも一度は先生から習うことかも知れませんが、
きっと、この教育がしっかりと出来ていないからこそ、
大人になっても、相手の貴重な人生に敬意を払えない馬鹿な大人が多いのだと思います。
閑話休題。
さて、では、こういう人たちに運悪く遭遇してしまった場合、
あなただったら、どのようにそれらの事象を受け止め、自分の糧にして
前に進んでいけますでしょうか?
こういう理不尽な現象を目の当たりにした人に対してよくお伝えすることは、
とても納得のいかない厳しいものかも知れませんが、
「最終的には、全て相手の責任ではなく、「あなたが」どのようにそれを捉えて、
今後、「あなたが」どのようにしていきたいのかを、しっかり考え直す良い機会ですよ。」と
伝えてこられることが多いような気がします。
短気な僕からすると、完全に馬鹿な相手が悪い・・・と思ってしまいますし(笑)、
勿論、そういう感情が最初に出てくるのは、まっとうな人として当然のことですが、
それを真に受けて自分の中だけで物事を抱えて悶々と悩み続けるのか、
それとも、その事象から何かしらのことを学び、
次、同じような人と出会った時に、自分だったら、どのような対応をするのか、
その先、その先の肥やしにして前に進むのかで、その人の生きるセンスが問われてくると思うのです。
「相手から貴重な時間を頂戴している。」
この感覚が麻痺している人たちは、いくらその大切さを本人に伝えたところで、
イマイチ、ピンとこないというか、理解出来ない人たちがほとんどです。
何故なら、その人たちは基本的に、それが仕事であろうが、
プライベートであろうが、小さな視野でしか物事を見つめられず、
悪い意味で自分のことしか考えられない幼稚なタイプですから、
幼稚な人に、いくら物事の本質を、それなりの想いを込めて伝えたとしても、
逆ギレされるか、言い訳されるか、はたまた全く響かないかのいずれかで、
その対応にまたショックを受けてしまうのは、他の誰でもない自分自身になります。
だから、一度はハッキリと相手にそのことを伝える必要はありますが、
それでも対応が変わらないような人からの仕事依頼は受けない、
プライベートでの付き合いであれば、徐々に距離を置いて
その人とのご縁をしっかり断ち切る・・・という、
相手側ではない、「あなた」側、自分主体で動いていく覚悟が必要です。
この世の中、相手の人生や貴重な時間に敬意を払えない馬鹿なんて
それが仕事であろうが、プライベートであろうが、もっと言えば、
家族や親戚など血が繋がった身内であろうが、いくらでも存在しますし、
ほんっと、石を投げれば必ずその類の馬鹿に当たるほど普通に存在します。
これがこの世の常。
だから、そこに悲観して生きていくよりも、
もし、そういう残念なタイプの人に当たった場合は、
一時的に怒ったり、悲しんだり、ショックを受けるのはまっとうな人として当然ですから、
一時的にその感傷に浸るのは結構です。
ですが、いつまでもそれを引きずるようでいては、
その残念な出来事からは何も学べず、何も気づけずに骨折り損をしてしまうことになりますから、
折角、残念な想いをしたのであれば、タダでは転んではいけないと思います。
「自分だったら、あの人のような生き方は絶対にしない。」
「自分だったら、このように対応していきたい。」
「自分だったら・・・。」
この想いが出てきたのであれば、是非、それを実行に移して欲しいのです。
相手から学んだ嫌なこと、残念だったことの感情の消化には
ある程度の時間がかかりますが、
それと同時に湧き出てくる「自分だったら・・・。」の部分が、
あなたにとっての崇高な信念であったり、純粋な想いであったりすることはよくあることで、
そこを刺激するために、敢えて必要悪のような人と巡り合うことなんて、
この世ではよくあることです。
その人を、ただ「嫌な奴」「残念な馬鹿」で終わらせるのではなく、
その嫌な奴、残念な馬鹿と接して、あなたは何を感じ、
何に気付き、何を学び、あなただったら、その馬鹿と同じような生き方がしたいのか、
それとも違う生き方がしたいのか、
おのずとそこで、あなた自身の信念が問われているはずなのです。
そこに気付いて動くことが出来れば、
その馬鹿との出会いも絶対に無駄にはなりません。
これは仕事であろうが、プライベートであろうが、
全ての人との出会いに共通する、この世のシステムでもあり、
この世での人間関係の理想的な在り方でもあります。
嫌いな相手を無理して好きになる必要はありませんが、
その嫌いな相手から、あなたは何に気付き、あなただったらどのような生き方がしたいのか、
そしてそれを想うだけではなく、実際の言動に変えて
その行動を積み重ねた先に、本当のあなたらしい生き方というものが輝いてくるものです。
世間一般で言われている華のある人、
人間的な魅力に溢れている人、イキイキしている人たちというのは、
必ずそのような残念な事象を、自分なりに受け止めて、
それを悶々と表面的な思考感情だけで終わらせるのではなく、
自分なりに昇華させて成長の糧にしてきたからこその華であり、魅力であり、
魂の輝きだと感じています。
これからフリーランスの人に仕事の依頼をする予定がある方、
そして、仕事だけではなく、プライベート、
それが友達付き合いであろうが、夫婦であろうが、親子であろうが、親戚であろうが、
誰かと同じ時間を共有するという人がいれば、是非、もう一度感じてみて下さい。
相手には相手の人生があり、相手の貴重な時間があり、
誰かと同じ時間を共有するということが、それだけ貴重で大切なものだということ、
相手の貴重な人生の一部を頂戴している・・・という感覚を。
100人の人が集まって、1人でもそういう人がその集団の中にいてくれさえすれば、
その貴重な1人と関わる人たちは、どれだけ救われることでしょう。
残念ながらこの意識を持てる人たちは本当に少数かも知れませんが、
あなたが他の人と会っている時、フリーランスの人と仕事を共にしている時、
それは相手から貴重な時間と人生の一部を頂戴している・・・という意識を持てなければ
あなた自身、人から大切にされることは決してなく、
将来的に必ず損をする結果になっていることのほうが多いものです。
自分は自分が出来る範囲の心の込め方、生き方を実践して、
相手には相手の貴重な時間がある、
自分にも自分の貴重な時間がある・・・それを素直に認めた上で、
仕事にしても、プライベートにしても、ご縁のある人たちと
心を込めて向き合っていければ、それだけで良いのではないでしょうか。
僕の場合は、もし仕事で件のような残念な対応があった場合、
まずは相手のためにも、自分のためにも、その残念な旨を
どのような形であろうが、お伝えします。
基本的に馬鹿は、どのような伝え方であれ、
逆ギレするか、全く理解出来ずにぽかんとするかのどちらかですが、
それでダメなら、その人とのご縁はばっさり断ち切ります。
こちらだって生活が懸かっていますし、人生が懸っていますから。
そして僕の場合は、プライベートの人付き合いにおいても、
この基準はそっくりそのまま適用しています。
だからこそ、結果的に良い人間関係、良い仕事関係が成立しているのです。
それが仕事であれ、プライベートの付き合いであれ、
「あなたは、この理不尽さを経験してでも、今の仕事を続けていきたいですか?
その覚悟がありますか?」
「あなたは、この理不尽さを経験してでも、今の付き合いを続けていきたいですか?
それとも、違う人とお付き合いしますか?」と
徹底的に、その覚悟を自分自身に問われる時期が必ず存在します。
そこと誠心誠意向き合って、自分なりの答えを自分で導き出し、
それを実践、行動に移した時、霊的世界は急に態度を変えるように
その勇気ある行動に出た人たちに惜しみない応援を、
人との出会いとか、仕事の依頼という形で与えて下さるようになります。
僕の場合は、フリーランスになって3年目までが、その期間でした。
でも、本当にその覚悟をもって前に進み始めた時、
急に霧が晴れたかのように全ての物事がきれいさっぱり、
しかも上手くまわるようになってきましたので、
現実逃避せず、しっかりその都度、その問題と向き合ってきて良かったな・・・と
今でも感じています。
だから、皆さんにもほんの頭の片隅だけでも構いませんので意識して頂きたいのです。
フリーランスで働く人たちは、無駄な時間が使えないということ。
そして、仕事だけではなく、プライベートの付き合いにおいても、
身内だから、夫婦だから、友達だから、家族だから、親戚だから・・・と
相手の貴重な人生や時間を平気で勝手に奪ってしまっていないかどうか・・・。
あなたの目の前にいる人たちは、
本人が意識しようが、しなかろうが、その人の貴重な人生の一部を割いてまで
あなたのために、その時間を提供してくれているのです。
だからこそ、「相手の人生の一部を頂戴している。」という意識、
生きるセンスがない人たちは、心ある真っ当な人たちからは決して愛されることはありませんし、
それで人生が上手くいかなくなっているのは、まさに自業自得でもあります。
どちらの人生をお好みなのかは、その人次第ですが、
僕はそのような残念な生き方だけは絶対にしたくないな・・・と常に感じて、
自分の人生を生きています。
全て意識をもって、あとはいかに行動に移せるのかによって
その人の人生の明暗が分かれてくるものです。
ふと、ここ最近お会いする人たちとの会話の話題から、そのようなことを感じました。
Posted by 山野本竜規 at 18:37
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