山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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ストーカー、嫉妬、執着のエネルギーから身を守る玄関。

2015年07月16日

ストーカー、嫉妬、執着のエネルギーから身を守る玄関。昨日のブログでは、エネルギーの観点から捉えると
家の中でおへそのような役割を果たす台所
台所が及ぼす、そこの住人への運気の良し悪しについて
ご紹介したばかりですが、折角なので、今日は
もう1つの要となる玄関について
詳しく掘り下げてみたいと思います。

家の玄関というのは、全ての運気の入り口という捉え方があり、
これは、人間の身体で例えると、色々な食べ物を胃の中に収める口、
または酸素を取り入れる鼻のような位置づけだと考えてもらえば、
イメージが出来やすいのではないでしょうか。

食べ物が入ってくる最初の通過点である口に雑菌がいっぱいだったら、
その後、どのようになるのか想像に難くないと思いますし、
鼻は外からの酸素を取り込む時、体内に余計な菌や小さな異物が
入ってこないように、鼻毛などのフィルターを通して、しっかりそれらをガードしています。

また、これを玄関に当てはめてみると、
玄関口に色々なものを置き過ぎたり、靴が雑然と置いてあったりすると、
まず取り込むべき栄養素の量が少なくなり栄養失調になっていくのと同じで、
家のエネルギー枯れを引き起こす原因にもなりますし、
それに加えて、汚れやモノで溢れた雑然としたエネルギーというものは、
不浄なエネルギーと共鳴しやすいため、
梅雨時期のカビが一気に繁殖していくように、あまり良くない運気の流れを
自ら家の中に招き入れる環境を作ってしまうことになります。

家の中に招き入れてしまうということは、即ち、そこで暮らす人の生活に
必ず何かしらの悪影響が出てきてしまうということです。

特に外出先から戻って来て靴を脱ぐ習慣がある日本人の場合、
何故、子供の頃に親から「靴はしっかり揃えてから家に入りなさい。」と
口うるさく教えられてきたのかと言うと、ただ見た目だけの問題ではないことが
エネルギーの観点から理解出来るものなのです。

もしこれから子育てをしなければいけないような場合や、
はたまたお孫さんや、仕事やボランティアなどで関わる子供たちと接する機会がある場合、
何故、玄関で靴を綺麗に揃えなければいけないのか、
玄関や入口での礼儀作法の意味をしっかり理解して、その作法を教えるのと、
ただ「靴を綺麗に揃えなさい!」と頭ごなしに教えるのとでは
その後のお子さんの人生にも雲泥の差が出てくるものですから、
出来れば、その意義をしっかりと理解していたほうが好ましいと思います。

そのような意味も含めて、もう一度、一緒にその意義についておさらいしてみましょう。

外出先では、色々な人たちと交わり、色々な想念を自然と受け取ることになりますし、
現実的な問題で言えば、外でつけてきた雑菌などを
必要以上に家の中に入れないために、そのけじめ、区切りとして
玄関先で一度、自らの気持ちの切り替え、エネルギーの切り替えをする一呼吸、
「これからリラックスできる、エネルギーを解放できる空間に入ります。」という想いを込めて
外で履いた靴を綺麗に整え、エネルギーのオンとオフの切り替えをしている側面があるのです。

自分で外出先で受けてきた色々な想念や、自分自身の疲れのエネルギーを
靴を綺麗に揃える心の余裕をもってその動作を行うことで、
自らをお祓いし、なるべく綺麗な状態で、
全てのエネルギーを解放できる家の中に入る・・・という意識をもって、
それらを実践するだけでも、効果てきめんですよ。

日本の家の玄関というものは、そのような側面で
自浄作用、つまりはエネルギーという側面において、自らの身と心を清めて
健全な状態に保つ清浄な空間であると同時に、
昔の日本人は、そういう生活習慣こそが人生の豊かさに繋がることを本能的に理解して、
それらを生活に取り入れていた文化が根付いて、
それが今でも受け継がれているものなのです。

ちなみに僕は、それに加えて、人混みの中に長時間いたり、
「今日はちょっと人疲れしたな。」と感じた時は、玄関のドアを開ける前に
一度立ち止まって、自分の肩や背中を自分の手でパンパンと叩いて、
余分な疲れや想念を祓い取るような動作をして、
気持ちを切り替えて家の中に入るようにしています。

これは子供の頃から誰に教わる訳でもなく身に付けた習慣であり、
特に学校でこっぴどく先生に怒られた時や、友達とケンカした時、
極度の霊媒体質だったので外で霊的現象に遭遇した時など
学校から戻ってきて、家の玄関に入る前に自分でそのようにやっていた記憶があります。

それが大人になったら、今度は会社で嫌なことがあったり、落ち込んだりした時、
また人疲れした時などにそれらを無意識のうちにやっていたこともあり、
必要以上にそういう負のエネルギーに潰されることはなく、
家の中では快適にリラックスして過ごすことが出来た経験があるので、
こういう毎日のちょっとした習慣、意識の保ち方、実践の積み重ねが、
その人のその後の人生を左右すると言っても過言ではありません。

また、一人暮らしの女性や、テレビなどに出演する著名人など
ストーカー被害や、多くの人たちから羨望、嫉妬両方の想念を受ける対象になりやすい人たちも
この玄関前でのエネルギー浄化法を日々実践しておくと、
必要以上にストーカーの執念深い想念、不特定多数の人たちから向けられる想いの影響を
受け取ることはなくなり、心身共に健康に過ごすことが出来るようになりますよ。

逆に言えば、ストーカー気質の人に一方的に好意を寄せられたとしても
その粘着質の想念を跳ね返す力のある人というものは、
たとえそれがどんなに強い想いだったとしても影響を受けることは一切ありません。

その「跳ね返す力」というものは、ただの心の強さ、気の強さを意味するのではなく、
このように日々の生活習慣の中で、
何を大切にし、その実践を積み重ねているのかどうかに懸っていますので、
ストーカー被害に遭いやすい人や、不特定多数からの羨望、嫉妬両方の
言動におおいに影響を受けて翻弄されやすい人たちは、
先ず、自分が生活する玄関が雑然としていないかどうか、
もっと言えば、家の中の整理整頓や、自分の心の中がスッキリと整理されず
曖昧な部分がないかどうかなどを、しっかり見つめ直す良い機会にもなると思います。

僕の場合は、か弱い女性でも、著名人でもないので
そのような心配は一切ないのですが、
こういうスピリチュアル業界に身を置く人間としてはかなり異質の毒舌、辛口なため、
同業者からの嫉妬や、これまた中途半端な生き方しか出来ない
不特定多数の人たちからの嫌がらせ、マイナスの想念を向けられることなんて日常茶飯事で、
同じ「スピリチュアル」にカテゴライズされていても、
そのほとんどが「アンチ山野本」という四面楚歌の状態です(笑)。

まぁ、いかに中途半端で怪しいスピリチュアルがこの世に蔓延しているのかが
このことからもよく理解できるのですが、
それでも、僕がそのような負のエネルギーの影響を一切受けないのは、
日々、陰ながら、このような実践、意識の保ち方を
毎日、毎日、毎日、積み重ねているからに他なりません。

随分、蛇足の話が多くなってしまいましたが、
その位、外と内の境界線である玄関でのエネルギーのオン、オフの切り替え、
意識の保ち方、それに伴った実践と積み重ねというものが大切になってくるのです。

そのような意味で昔の日本人の叡智というものは、
とても素晴らしいものでもあります。

その逆で、ずかずか土足で、そのエネルギーの境界線を意識せず
家に踏み込んでくる欧米社会の文化では、そのような精神が養われていないため、
どことなくエネルギーも荒く、人も荒く、繊細ではない居心地の悪さがあります。

ただ最近では、ヨーロッパやアメリカなどの欧米社会でも、
そのあたりに敏感な人たちは、家と外との空間、エネルギーの違いを理解して
たとえ玄関に靴を脱ぐスペースがなかったとしても、玄関の入り口で靴を脱いで
家の中に入る人たちの割合が、少しずつですが増えているようです。

実際、僕が土地家屋の鑑定、お祓いのために訪れた
ドイツやカナダなど欧米諸国の一般家庭では、
夫婦のどちらかが日本人というパターンも多くて
結婚を機に玄関で靴を脱ぐ習慣を身に付けた途端、
その快適さというか、居心地の良さにハマってしまった・・・という外国人も多く、
それだけ、外と内のエネルギーを意識することの大切さが
今、このような時代だからこそ、求められているのかも知れません。

僕たち日本人という民族は、
あまり意識することはありませんが、生まれながらにしてエネルギーの違いには
敏感であり、繊細な感覚の持ち主だと言えるでしょう。

このようなことからも、玄関というものは、
運気の入り口であり、外からの悪いエネルギーをシャットアウトする
大切な空間である・・・という捉え方ができるだけではなく、
その玄関に必要以上に物を置いたり、あまり履かない靴を出しっぱなしにしたり、
靴を揃えず雑然とした空間にしてしまうことが、
いかに、その家で暮らす人たちの士気を自然と下げて、
それが運気停滞や、様々なトラブルを引き起こす原因に繋がるのか、
なんとなく理解出来てくるのではないでしょうか。

ストーカー、嫉妬、執着のエネルギーから身を守る玄関。 ストーカー、嫉妬、執着のエネルギーから身を守る玄関。

僕は風水師ではなく、スピリチュアリズムの本質から物事を捉え、
それらのメッセージをお伝えしてくナカトリモチというお役割の1つの中に、
土地家屋の鑑定、お祓いの仕事があり、これまで県内外、海外に至るまで様々な
土地、家屋の鑑定、お祓いを担当させてもう機会に恵まれました。

土地家屋の鑑定、お祓いのプロだからこそ見えてくるものがあるのですが、
あくまでスピリチュアリズムの本質から捉えると、
この世的に「金運がアップするからこの置物を置く」などの風水と、
霊的世界の本質を伝えるスピリチュアリズムが一致することはあまりなく、
風水に効果がないという訳でもないのですが、それに依存し過ぎるのもどうかと思うのです。

というのも、本当に風水だけで運気が良くなり、金運が良くなり、
人生の運が良くなるのであれば、そこらじゅう億万長者だらけになりますし、
悩みも病気も苦しみも何もない天国のような世界に、とっくになっているはずだからです。

スピリチュアリズムの本質では、
この世は光と陰、良いエネルギーもそうではない負のエネルギーも
両方混在しているもので、そのどちらと感応する生き方をするのか・・・という
その人の内面、生き方を意識して生きていくことに意義があるものであり、
表面的に何かを変えたところで、その人の本当の心の豊かさには繋がらないものなので
そのあたりをどのように捉えて生きていけるのかも全て自己責任だということです。

ただ、エネルギーの境界線である玄関には、
いくつかあったほうが良いものがあるのも事実です。

その1つは、鏡。

僕はもともと神社神職なので、鏡というものがどのようなエネルギーの作用を持つのか
神社神道の立場から、そしてそれとは別にスピリチュアリズムの立場から
両方理解出来るのですが、鏡にはある種独特な力が宿っています。

玄関の入り口とは反対側、なるべく外に向かって鏡を置いておくと、
その鏡の跳ね返しの力が増し、外で受けた人の想念や、
前述したようなストーカー、不特定多数の想念の影響を跳ね返して
家の中に取り込みにくい環境を作ることが出来ます。

だからと言って、それも程度の問題で、鏡を数多く置いたりする必要はなく、
小さなもの1つであったとしても、その玄関口の鏡は、
いつも濁らないように綺麗に手入れをして、
その時に、「玄関から悪い運気が入ってきませんように。
そして、良い運気、良い想いだけを受け取ります。」という
自分自身の生き方への覚悟を意識しながら、それを設置するとより効果があります。

全ては動機次第で、鏡を置いたから、風水に良いものを置いたから大丈夫・・・という
怠惰な気持ちでは逆に依存心たっぷりの人間関係を引き寄せたり、
悪い運気を引き寄せる結果になりますので、
何故、それを置くのか、そしてそれを置くことによって、
どのような生活習慣、考え方を身に付けておくべきなのかをしっかり理解しておく必要があります。

僕の場合は、もう1つ。

外から家に戻ってきた時に、自分が心地良いと感じるアロマを
定期的に焚いておくことです。

皆さんも経験があることかと思いますが、他人の家にお邪魔する時、
最初の玄関に一歩足を踏み入れて、その家が匂うことがありますよね。

別に良い香りであれば問題ないのですが、生理的に受け付けない匂いであれば、
それはその家に宿る不浄なエネルギーの原因であることが時々あるものです。

エネルギーの匂いについては、以前のブログでもご紹介したことがありますが、
なるべく人工的なルームスプレーや香水などではない、
天然由来のアロマやスプレーなどを活用して、その場を良い香りに保つことは、
「香り祓い」と言って、良い香りでその場のエネルギーをアップさせることに繋がります。

*「人生が不潔にならないために。」

特に全てのエネルギーの出入り口になる玄関は、
香り祓いの力を取り入れることによって、未然に不浄なエネルギーの侵入を防ぎ、
その家の住人が外から持ち帰ってきた余計な想念や疲れを
スッと取り去ってくれる効果もありますから、是非、実践されてみて下さい。

普通に考えて、足の匂いや嫌な匂いが漂う玄関に入って心地が良いと感じる人は、
そのような匂いフェチの人を除いては、あまりいないものですよね(笑)。

鏡、アロマの他には、玄関先にスペースがあるのであれば、
花や観葉植物を置くのもよいと思います。

とても心優しい自然霊が宿る花や観葉植物には、その場の空気を清める自浄作用に加えて
疲れた人の心、エネルギーを癒すお役目がありますから、
玄関先のお守りにもなり、癒し効果も抜群です。

このように家の中でも、場所によって様々なエネルギーの意味合いがあり、
それらをどのように意識して清浄に保つ努力をすのかによって、
そこで暮らす人たちの生活、人生の質というものが良くも悪くもなるものだと感じています。

玄関は、外と内のエネルギーをしっかり区別して、
少しでもリラックスできる空間、エネルギー環境を作り上げるための
大切な境界線であるという意識をもって、
良いものはどんどん受け取り、必要のないものは外でしっかり祓い取る
生活習慣を身に付けていれば、おのずと心身共に健康で、
心豊かな生き方を満喫出来るようになってきます。

ここでも程度やバランスの問題があり、極度の潔癖症の人が
必要以上に玄関掃除や置物などに執着してそれらを実践したとしても、
そこには「執着」「不安」というネガティブな動機が含まれていますから、
いくら綺麗にしたところで、良いものを引き寄せるどころか、
同じように何かしらのことに執着する想念を持つ人や未浄化霊、
はたまた物事が上手く進まない運気の流れなどを引き寄せる結果になるので、
そこに執着し過ぎることは絶対にやめたほういいと思います。

もし自らが極度の潔癖症だと感じるのであれば、
まずは精神的な内面の治療が必要なため、勇気を出して
国家資格と、良識を持った評判の良い精神科医を探して
そちらの治療をするほうが先決だと思います。

くれぐれも怪しい霊能者、風水師、占い師、ヒーラー、治療家などの類のところへ
相談に行かないようにして下さいね。

全ての人生の心豊かさ、幸せの構築は
自らの言動、日々の行い、実践から積み上げていくものであり、
それさえ出来ていれば、それ以外何かを必要以上に取り入れる必要なんてありませんし、
中途半端なスピリチュアルや新興宗教、
ネットワークビジネスや自己啓発にハマることもありません。

全ての人生の豊かさは自分の生き方、行い次第・・・。

これも本当の霊的世界、スピリチュアリズムの本質、大原則の1つです。

1つ1つ自分が出来ることから始めていきましょう。


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